ル・クロワトル=プレバン

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Le Cloître-Pleyben
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) シャトーラン郡
小郡 (canton) プレバン小郡
INSEEコード 29033
郵便番号 29190
市長任期 ドミニク・ビリリ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes de la Région de Pleyben
人口動態
人口 579人
2010年
人口密度 28人/km2
住民の呼称 Cloîtrien, Cloîtrienne[1]
地理
座標 北緯48度15分28秒 西経3度53分21秒 / 北緯48.257778度 西経3.889167度 / 48.257778; -3.889167座標: 北緯48度15分28秒 西経3度53分21秒 / 北緯48.257778度 西経3.889167度 / 48.257778; -3.889167
標高 平均:m
最低:m
最高:m
面積 20.42km2
Le Cloître-Pleybenの位置(フランス内)
Le Cloître-Pleyben
Le Cloître-Pleyben
公式サイト site de la commune
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ル・クロワトル=プレバンLe Cloître-Pleybenブルトン語:Kloastr-Pleiben)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

由来[編集]

ル・クロワトルとは、ラテン語で修道院を意味するclaustrumに由来する。聖ヨハネ騎士団によって創設された修道院は、囲いが巡らされていた。中世以降、Cloistre、Le Clostre、Cloestreといったつづりがされている。アンシャン・レジーム時代、ル・クロワトルはコルヌアイユ司教区、プレバン教区の小教区であった[2]

1955年5月のデクレによって、正式名称は現在のLe Cloître-Pleybenとなっている[3]

地理[編集]

ル・クロワトル=プレバンは、カンペールの北東33km、海からは35km離れており、さらに北に7km行けばアルモリカ地域圏自然公園がある。コミューンは標高140mから163mの凸凹した高原を形成しており、町の西南西が標高の最高地点である。町そのものは標高142mのところにある。この高原はいくつかの谷、オーヌ川の支流の谷によって切り刻まれている。

歴史[編集]

新石器時代の定住地跡がコミューン内で見つかっている[4]

かつてのローマ街道で、中世にはHent-Ahèsと呼ばれた道は、カレ=プルゲールを発端にカマレまでに至るものであった。この道がル・クロワトル=プレバンの南400mを通っていた[5]。教区で洗礼者ヨハネ信仰が強かったのは、聖ヨハネ騎士団によって町がつくられたことを示唆している。かつて、コミューンのケルエ地区にはモット・アンド・ベーリーがあった。

町にある戦争慰霊碑には、フランスのために命を捧げた者(fr)85人の名が刻まれている。そのうち74人が第一次世界大戦、11人が第二次世界大戦の死者である[6]

人口統計[編集]

ル・クロワトル=プレバンの人口増減グラフ
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
881 791 673 588 512 536 562 579

参照元:1999年までEHESS[7]、2000年以降INSEE[8][9]

史跡[編集]

  • サン・ブレーズ教会 - 建物のほとんどの部分が16世紀のもの。かつては周囲を墓地に囲まれていたが、墓地は1943年に町の北西へ移動している。納骨堂は1952年に廃止された。
  • サン・ジャン・バティスト礼拝堂 - 17世紀。おそらく発祥は聖ヨハネ騎士団による。
  • サン・ヴォラン礼拝堂 - 1673年以降。サン・ヴォランとは、聖ヴォレム(Warhem)に由来し、建物はかつてはランデヴェネック修道院に属していた。

脚注[編集]