ルドヴィッヒ・シュトルーベ

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グスタフ・ヴィルヘルム・ルードヴィッヒ・シュトルーベ(Gustav Wilhelm Ludwig von Struve、ロシア名:Lyudvig Ottovich Struve (Людвиг Оттович Струве)または Lyudvig Ottonovich Struve (Людвиг Оттонович Струве)、1858年11月1日 - 1920年11月4日)はドイツ系のロシア生まれの数学者、天文学者である。

プルコヴォ天文台の台長オットー・ヴィルヘルム・シュトルーベの息子として、プルコヴォで生まれた。兄は天文学者のヘルマン・シュトルーベである。

1880年にタルトゥ大学を卒業した。その後ドルパート天文台で研究し、1883年から1885年の間ベルリン、ミラノ、ライプツィヒで学び、ドルパート天文台に戻り博士号を得た。位置天文学を研究した。1894年からウクライナのハリコフ大学ハリコフ天文台で働き、1897年教授となった。地球の歳差運動の研究などに業績がある。1919年シンフェロポリタリウス大学教授になった。

ロシア革命後の内戦で息子のオットー・シュトルーベが白軍に加わり、亡命途中にセバストポールで死去した。