ラ・シャペル=デ=マレ

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La Chapelle-des-Marais
Blason ville fr La Chapelle-des-Marais (Loire-Atlantique).svg
La-Chapelle-des-marais.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏Blason région fr Pays-de-la-Loire.svg
(département) ロワール=アトランティック県Blason fr Loire Atlantique.svg
(arrondissement) サン=ナゼール郡
小郡 (canton) ゲランド小郡
INSEEコード 44030
郵便番号 44410
市長任期 フランク・エルヴィ
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération de la région nazairienne et de l'estuaire
人口動態
人口 3901人
2012年
人口密度 216人/km2
住民の呼称 Marais-Chapelains[1]
地理
座標 北緯47度26分53秒 西経2度14分25秒 / 北緯47.4480555556度 西経2.24027777778度 / 47.4480555556; -2.24027777778座標: 北緯47度26分53秒 西経2度14分25秒 / 北緯47.4480555556度 西経2.24027777778度 / 47.4480555556; -2.24027777778
標高 平均:m
最低:0m
最高:11m
面積 18.05km2
La Chapelle-des-Maraisの位置(フランス内)
La Chapelle-des-Marais
La Chapelle-des-Marais
公式サイト www.chapelledesmarais.com/
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ラ・シャペル=デ=マレLa Chapelle-des-Marais)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県コミューン

地理[編集]

県におけるラ・シャペル=デ=マレの位置

ラ・シャペル=デ=マレはブリエール湿地の北に位置し、サン=ナゼールの25km北、ルドンの42km南、ナントの北西67kmの距離にある。

周辺のコミューンは、ミシヤック、エルビニャックサント=レーヌ=ド=ブルターニュサン=ジョアシャンである。

1999年にINSEEがまとめた順位表によれば、ラ・シャペル=デ=マレは都市圏に含まれる農村型コミューンで、サン=ナゼール都市圏の一部である。

歴史家エルワン・ヴァレリーによるブルターニュの地方区分では、ラ・シャペル=デ=マレは伝統的にブリエール地方、歴史的にはペイ・ナンテに属する。

由来[編集]

ブルトン語で地名はChapel-ar-Geuniouとなる。ガロ語ではLa Chapèll-dez-Marèscとなる[2]

フランス革命時代には、ラ・レユニオン(La Réunion)と改名させられていた[3]

歴史[編集]

町は、生活環境、衛生、医療の進歩を見る前に、幾度かの死に瀕する疫病流行にあった。1828年にはコレラが流行し、1870年の天然痘流行で69人が死に、1871年には65人が死んだ。1871年7月2日、コミューン議会は、罹患者の出た家屋を宗教活動家の責任で消毒することについて、多数決で是非を決めなければならなかった。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
2476 2550 2767 3037 3206 2952 3199 3901

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]

聖コルネイユ崇敬[編集]

コルネイユは、251年から253年までローマ教皇であった人物である。彼は聖人であり、かつて水牛に命を救われたことがあったため、ウシの守り主となり、全ての家畜を病から癒すと信じられていた。フランスの地方の数箇所では、病に関してコルネイユの名が呼ばれる。1883年、ラ・シャペル=デ=マレとミシヤックにまたがる地域に、恐ろしい伝染病が蔓延し家畜が感染した。すぐに敬虔なキリスト教徒である住民たちは、霊験あらたかな聖コルネイユのとりなしを思い出し、悲惨な状況はすぐにおさまった。こうした大いなる信仰を持つ人々が懇願し、ウシの世話をしたのである。

毎年9月、聖コルネイユと聖コルネリ(ブルターニュのキリスト教聖人)への厳粛な礼拝行進が行われた。祝福された木彫りの像は、25頭から27頭のウシが引く輿にバラで飾られて乗せられ、町中を練り歩いた。ウシたちはそれぞれボルドー色のカバーや花で飾られていた。それはブリエール地方で最も色彩豊かな祭りだった。この礼拝行進には周囲の20の教区から巡礼が集まった。家族経営の農場や、家畜として飼われるウシが徐々に減少していったため、1966年をもって礼拝行進は行われなくなった。

脚注[編集]