コンテンツにスキップ

ラリベラの岩窟教会群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界遺産 ラリベラの岩窟教会群
エチオピア
ベテ・ギョルギス
ベテ・ギョルギス
英名 Rock-Hewn Churches, Lalibela
仏名 Églises creusées dans le roc de Lalibela
登録区分 文化遺産
登録基準 (1), (2), (3)
登録年 1978年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
ラリベラの岩窟教会群の位置
使用方法表示

ラリベラの岩窟教会群(ラリベラのがんくつきょうかいぐん)は、エチオピア世界遺産の一つ。凝灰岩を刳り貫いて作り上げた[1]エチオピア正教会教会堂群で、世界の石造建築史から見ても非常に重要な建造物である。

正確な建造年代は不明だが、ザグウェ朝のラリベラ王 (en) が君臨していた12世紀から13世紀にかけての時期に建造されたと推測されている。

グループ

[編集]

11の聖堂と関連する礼拝堂などの建造物群からなり、以下の4つのグループに分けられる。

ベテ・ギョルギス

北部

[編集]

ベテ・マドハネ・アレム(マドハネ・アレム聖堂。「マドハネ・アレム」は「救世主」の意)は、アクスムにあるシオンの聖マリア教会を模したと考えられている世界最大級の岩窟聖堂である。この聖堂が、一連の岩窟聖堂中最古と考えられるベテ・マリアム(マリア聖堂)や、ラリベラ王の墓所を含むと言われるベテ・ゴルゴタ(ゴルゴタ聖堂)、セラシエ礼拝堂、アダムの墓などと繋がっている。

西部

[編集]

最も秀逸とされ、保存状態も良好なベテ・ギョルギス(聖ゲオルギウス聖堂)が孤立している。伝説では、他の10の聖堂が彫り上げられた後、ラリベラ王の夢枕に聖ゲオルギウスが立ち、造るように命じたという。上から見ると十字架に見えるよう掘り下げられ、またノアの方舟を模しているともされる。地元の観光ガイドが見学者に語る地元の伝承では、往復5~6カ月かかっていたエルサレム巡礼の代わりに建てられたという[2]

東部

[編集]

かつて王家の礼拝堂だったと推測されているベテ・アマヌエ(エマヌエル聖堂)、かつて監獄だったらしいベテ・マルコリオス(メルクリオス聖堂)、かつての王宮とされるベテ・ガブリエル=ルファエル(ガブリエル=ラファエル聖堂)や、ベテ・アッバ・リバノス、「ベト・レヘム」(ベツレヘム)がある。

その他

[編集]

アシェタン・マリアムの修道院、11世紀頃に洞窟の中に建造されたアスクム様式のイムレハネ・クリストス教会などがある。

建造年代

[編集]
ラリベラの、エチオピア正教会の司祭

岩窟聖堂群には、建造時期を巡って論争になっているものもある。ケンブリッジ大学教授のアフリカ考古学者デヴィット・フィリップソンは、メルクリオス聖堂、ガブリエル=ラファエル聖堂、ダナゲル聖堂は、標準的な建造年代より500年ほど遡るアクスム王国の衰退期に、要塞や宮殿として切り出されたのが最初であり、ラリベラの名はラリベラ王の死後に結びつけられたにすぎないと提唱している[3]。また、地方史家ゲタチェウ・メコネンの説では、アッバ・リバノスは、ラリベラ王妃マスカル・キブラが夫ラリベラの死後、彼を記念するものとして建造されたものであるという[4]

なお、作家グラハム・ハンコックらは聖堂騎士団の助けで建造されたと主張するが、豊富な史資料は、岩窟聖堂群が中世エチオピア文明のみに拠っていることを明らかにしている。

登録基準

[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。


登録基準に基づく評価内容は以下の通り。[5]

  • (1)
    • 溶結凝灰岩の台地を上から下へと彫り下げて外壁・内壁・柱・梁・アーチ・屋根を一体成形する「一木彫」的技法により、建築と彫刻を不可分に統合した卓越した造形創造であること。
    • ベテ・マドハネ・アレムの巨大スケールの周柱式空間、ベテ・マリアムの精緻な浮彫・レリーフ、ベテ・ギョルギスの十字形平面と外形比率など、各堂が異なる設計理念と高度な幾何調整を示すこと。
    • 岩体の物性・亀裂・排水を読み込んだ掘削順序と、水路・溝・暗渠を組み合わせた雨季対策を備え、意匠と構造と環境工学が一体で完成度高く結実していること。
  • (2)
    • アクスム期の木造建築語彙(帯状の木口を模した“サンドイッチ”帯、擬木梁表現)やビザンツ—コプト圏のバシリカ平面・装飾語彙を取り込み、エチオピア正教の儀礼要件に適合させて再編成した建築文化の交錯を示すこと。
    • 聖地エルサレムへの巡礼が困難になった時代背景のもと、「新エルサレム」としての象徴計画(複数群の配置・通路の巡礼動線・象徴的地名の付与)が成立し、地域内外の信仰実践に広域的影響を与えたこと。
    • 礼拝・巡礼・典礼音楽・聖像芸術が建築空間と相互補完し、周辺高原社会の工匠技術・信仰文化・交易交流を媒介して独自の宗教都市景観を形成したこと。
  • (3)
    • ザグウェ朝期(12〜13世紀)のキリスト教王権と修道・巡礼文化が、岩体一体の建築群・儀礼空間・地下通路網として広範かつ集中的に現存し、当時の宗教都市の実像を高い完全性で伝えること。
    • 断続なく続く典礼・祭礼・聖職者教育・巡礼の実践が、物的遺産と無形の宗教伝統の連続性を現在まで保持し、信仰共同体の生活様式を読み解く一級の史料性を持つこと。
    • 岩窟堂内部の区画(内陣・側室・至聖所)、聖具収納や聖遺物空間、礼拝の動線設計、履物・浄めに関する規範などが具体の空間構成として残り、宗教制度と建築計画の密接な対応関係を証言すること。

遺跡をとりまく状況

[編集]

岩窟教会群は、エチオピア正教会のキリスト教徒数百万人が訪れる聖地となっている。

2020年11月、エチオピア政府軍とティグレ人民解放戦線(TPLF)が交戦開始。主戦場はラリベラから遠いティグレ州一帯であったが次第に戦線が南下。2021年8月、ラリベラはTPLFの支配下に入った。ラリベラが占領される際には戦闘が行われず、遺跡も無事であった[6]が、州内では9月以降も爆撃を含む大規模な戦闘が行われており、予断を許さない状況が続いている。

脚注

[編集]
  1. ^ 新建築社『NHK 夢の美術館 世界の名建築100選』新建築社、2008年、114頁。ISBN 978-4-7869-0219-2 
  2. ^ 【旅】ラリベラ(エチオピア)「第2のエルサレム」岩窟教会群/「方舟」象徴 不変の信仰『読売新聞』夕刊2018年10月17日(5面)。
  3. ^ "Medieval Houses of God, or Ancient Fortresses?" Archaeology (November/December, 2004), p. 10.
  4. ^ Getachew Mekonnen Hasen, Wollo, Yager Dibab (Addis Ababa: Nigd Matemiya Bet, 1992), p. 24
  5. ^ Centre, UNESCO World Heritage. “Rock-Hewn Churches, Lalibela” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2025年2月15日閲覧。
  6. ^ エチオピアの反政府勢力、世界遺産の町アムハラ州ラリベラを占領”. BBC (2021年8月6日). 2021年10月13日閲覧。

参考文献

[編集]
  • ユネスコ世界遺産センター(監修)『ユネスコ世界遺産 (11) 北・西アフリカ』講談社、1998年
  • 中川武 三宅理一 山田幸正(監修)『世界遺産を旅する・第12巻(エジプト・アフリカ)』近畿日本ツーリスト、1999年

座標: 北緯12度01分53.85秒 東経39度02分28.13秒 / 北緯12.0316250度 東経39.0411472度 / 12.0316250; 39.0411472