ヨ・ラ・テンゴ
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ヨ・ラ・テンゴ Yo La Tengo | |
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ヨ・ラ・テンゴ(2005年) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州ホーボーケン |
ジャンル |
インディー・ロック オルタナティヴ・ロック シューゲイザー ドリーム・ポップ ノイズポップ エクスペリメンタル・ロック |
活動期間 | 1984年 - |
レーベル |
マタドール・レコード Bar/None Records シティ・スラング Alias Records Arts & Crafts México |
公式サイト |
yolatengo |
メンバー |
ジョージア・ハブレイ アイラ・カプラン ジェイムズ・マクニュー |
旧メンバー |
デイヴ・スクラム スティーヴン・ウィッチニュースキ マイク・ルイス |
ヨ・ラ・テンゴ(Yo La Tengo)は、アメリカのオルタナティヴ・ロック・バンド。
1984年にニュージャージー州ホーボーケンにて結成。当初はジョージア・ハブレイとアイラ・カプランの2人組だったが、1992年にジェイムズ・マクニューが加入した[1]。
バンド名の由来
[編集]バンド名のヨ・ラ・テンゴは、メジャーリーグでの逸話に由来する。1962年、ニューヨーク・メッツでセンターを守っていたリッチー・アシュバーンは、ショートのエリオ・チャコンと外野で衝突することがあった。これはチャコンがベネズエラ出身で英語を話せず、意思の疎通が図れないためであった。そこで、チャコンのためにアシュバーンはスペイン語で「¡Yo la tengo!(俺が取る!)」と叫ぶようにし、チャコンとの衝突を免れることができた。しかしある時、油断したアシュバーンはスペイン語を話せないレフトのフランク・トーマスとぶつかってしまった。起き上がったトーマスはアシュバーンに「What the heck is a Yellow Tango?(イエロー・タンゴって何だよ?)」と尋ねたという[2][3]。
メンバー
[編集]- アイラ・カプラン (Ira Kaplan) - ボーカル、ギター、キーボード (1984年– )
- ジョージア・ハブレイ (Georgia Hubley) - ボーカル、ドラム、パーカッション、キーボード (1984年– )
- ジェイムズ・マクニュー (James McNew) - ボーカル、ベース、パーカッション、キーボード (1992年– )
アイラとジョージアは夫婦。ジェイムズは「Dump」名義でも活動している。
旧メンバー
[編集]- デイヴ・スクラム (Dave Schramm) - リード・ギター (1985年–1986年、2015年)
- デイヴ・リック (Dave Rick) - ベース (1985年)
- マイク・ルイス (Mike Lewis) - ベース (1985年–1986年)
- スティーヴン・ウィッチニュースキ (Stephan Wichnewski) - ベース (1987年–1989年)
ディスコグラフィ
[編集]詳細は英語版「en:Yo La Tengo discography」を参照
スタジオ・アルバム
[編集]- 『ライド・ザ・タイガー』 - Ride the Tiger (1986年)
- 『ニュー・ウェイヴ・ホット・ドッグス』 - New Wave Hot Dogs (1987年)
- 『プレジデント・ヨ・ラ・テンゴ』 - President Yo La Tengo (1989年)
- 『フェイクブック』 - Fakebook (1990年)
- 『メイ・アイ・シング・ウィズ・ミー』 - May I Sing with Me (1992年)
- 『ペインフル』 - Painful (1993年)
- 『エレクトロピューラ』 - Electr-O-Pura (1995年)
- 『アイ・キャン・ヒア・ザ・ハート・ビーティング・アズ・ワン』 - I Can Hear the Heart Beating as One (1997年)
- 『アンド・ゼン・ナッシング・ターンド・イットセルフ・インサイド-アウト』 - And Then Nothing Turned Itself Inside-Out (2000年)
- 『サマー・サン』 - Summer Sun (2003年)
- 『アイ・アム・ノット・アフレイド・オブ・ユー・アンド・アイ・ウィル・ビート・ユア・アス』 - I Am Not Afraid of You and I Will Beat Your Ass (2006年)
- 『ポピュラー・ソングス』 - Popular Songs (2009年)
- 『フェイド』 - Fade (2013年)
- 『スタッフ・ライク・ザット・ゼア』 - Stuff Like That There (2015年)
- 『ゼアズ・ア・ライオット・ゴーイング・オン』 - There's a Riot Going On (2018年)
- 『スリープレス・ナイト』 - Sleepless Night (2020年)
コンピレーション・アルバム
[編集]- 『ジニアス+ラヴ=ヨ・ラ・テンゴ』 - Genius : Love = Yo La Tengo (1996年)
- 『ミシュモシ・モシ』 - Mishmoshi-Moshi (2000年)
- 『プリズナーズ・オヴ・ラヴ : ザ・ベスト・オヴ・ヨ・ラ・テンゴ 85-03』 - Prisoners Of Love (A Smattering Of Scintillating Senescent Songs 1985-2003) (2005年)
- Yo La Tengo Is Murdering the Classics (2006年)
- They Shoot, We Score (2008年)
- Murder in the Second Degree (2016年)
カバー・アルバム
[編集]- 『ファックブック』 - Fuckbook (2009年) ※コンドー・ファックス名義
コラボレーション・アルバム
[編集]- 『ストレンジ・バット・トゥルー』 - Strange But True (1998年) ※ジャド・フェア (ハーフ・ジャパニーズ) とのコラボ
- 『ア・クエスチョン・オヴ・テンパラチュア』 - V.O.T.E. (2004年) ※クリス・ステイミーとのコラボ
- Parallelogram (2015年) ※Bardo Pondとのスプリット・アルバム
- Nursery Rhymes (2015年) ※Bill Wells & Friendsのアルバム。ヨ・ラ・テンゴは6曲に参加
映画音楽
[編集]- The Sounds of the Sounds of Science (2002年) ※ドキュメンタリー作品
- 『ジューンバグ』 - Junebug (2005年)
- 『オールド・ジョイ』 - Old Joy (2006年)
- 『ショートバス 』 - Shortbus (2006年)
- 『アドベンチャーランドへようこそ』 - Adventureland (2009年)
脚注
[編集]- ^ “Yo La Tengo | Biography, Albums, Streaming Links” (英語). AllMusic. 2020年10月27日閲覧。
- ^ “Arquivo.pt”. arquivo.pt. 2020年10月27日閲覧。
- ^ Zimniuch, Fran (2005). Richie Ashburn Remembered. Sports Publishing LLC. pp. 41–42
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- ワーナーミュージック・ジャパン - ヨ・ラ・テンゴ - ウェイバックマシン(2016年3月26日アーカイブ分)
- ヨ・ラ・テンゴ - Discogs