ヨサホイ節

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ヨサホイ節(よさほいぶし)は、日本の民謡。「ヨサホイ数え歌」とも呼ばれる。

元歌はまじめな歌であったが、数え歌形式の替え歌になって普及し、現在では春歌コミックソングとして扱われる[1]

概要[編集]

作者は不詳であるが、1924年(大正13年)に広島演歌師頭領・秋月四郎が歌い始め、その後全国的に広まった[1]

元歌の歌詞は、

これが別れか ヨサホイホイ
独りさびしく残るのは ホイ わたしゃ死ぬよりまだ辛い ヨサホイホイ
たとえどんなに ヨサホイホイ
二人は遠く隔つとも ホイ わすれまいぞえおたがいに ヨサホイホイ

というもので、若い二人の別離が主題になっていた[1]。ところがこの元歌の歌詞は現在ほとんど歌われることはない。全国に広まるうち、「一つ出たわいのよさほいのほい~ 二つ~」というような数え歌形式の替え歌になり、若者たちの間でもてはやされてきた。「ヨサホイ節」は日中戦争から太平洋戦争中にかけても、軍隊芸妓の間でもうたいつがれた[1]戦後もしたたかに生き延び、学生や若者の酒席の騒ぎ歌として愛唱されてポピュラー春歌となり「艶笑数え歌」とも名付けられた。1967年、大島渚監督『日本春歌考』の中で春歌の代表のひとつとして取り上げられ、それ以来、特に若者たちに注目を浴びることになった。「春歌」という言葉が定着したのはこの映画以降といわれる[1]

ヨサホイ節の替え歌[編集]

  • 那須湯もみ唄(栃木県那須温泉郷) - 大正時代
  • 新ヨサホイ節(桜井としを・中森たつぞ作詞) - 昭和初期
  • ゆ - 昭和初期
  • 全学連かぞえ唄 - 1960年代

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e #有馬168-182頁

参考文献[編集]

  • 有馬敲『時代を生きる替歌・考』人文書院、2003年。ISBN 4-409-54065-3 

関連項目[編集]