ヤロカ水

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ヤロカ水(やろかみず)とは、江戸時代尾張国美濃国に出現した妖怪遣ろか水ヤロカの水ヤロカの大水ともいう。

柳田國男の「妖怪談義」に記述されている。

特徴[編集]

ヤロカ水の伝わる木曽川

愛知県岐阜県木曽三川木曽川長良川揖斐川)流域一帯、特に木曽川流域で伝承される。

激しい雨の夜、川が増水するとやがて、「ヤロカヤロカ」(欲しいか欲しいか)という声が川の上流から聞こえてくる。この声に答えて「ヨコサバヨコセ」(貰えるのなら頂戴)と叫ぶと、瞬く間に川の水が増し、その答えた村人のいる村は一瞬のうちに水に飲み込まれるという。また、川面に赤い目や口が見えることもあるという。

ヤロカ水の正体[編集]

推定できる現象として、河川の洪水の初期段階は浸食が主体であるため、川岸や川底が濁流に洗われ大きな石が流れ転がる際の音を「ヤロカヤロカ」と表現し、終盤には上流で発生した土石流に伴う土砂が堆積し、水が溢れる際の状況を「ヨコサバヨコセ」と表現したものと考えられる。あるいは暴風雨の夜、暴風による風の音が、「ヤロカヤロカ」と聞こえた為とも推測される。木曽三川流域は、常に洪水の危険性があり、洪水に対する人々の不安から、若しくは後世への注意喚起のため創られたともいう。鉄砲水がその正体である、という説もある[1]

実際に存在したヤロカ水[編集]

このヤロカ水に該当する洪水は、実際に発生している。江戸時代1650年慶安3年)9月に、尾張国美濃国で発生した大洪水である。この時、堤防は殆どが決壊し、木曽三川流域は海のようになったという。記録によれば、大垣藩及びその周辺での死者は、3,000人以上だと伝えられている。この洪水で、木曽川沿いの尾張国丹羽郡上般若村が完全に流出し、村民は全滅に近い被害を出したと伝えられている。ヤロカ水で「ヨコサバヨコセ」と叫んだ村民は、この村の村民と伝えられている。

なお、尾張国丹羽郡上般若村とは現在の愛知県江南市の一部である。現在も、中般若町(旧:中般若村)、般若町(旧:下般若村)は存在するが、上般若の地名は無くなっている。

1687年貞享4年)8月26日に木曽川が雨で増水した際には淵から「ヤロカヤロカ」と声が聞こえ、川を警戒していた者が「ヨコサバヨコセ」と叫ぶと川はさらに増水し、大洪水が発生したという[2]1873年明治6年)に愛知県犬山町(現・犬山市)で洪水が起きたときも、実際に「ヤロカヤロカ」と声が聞こえたといわれる[3]

脚注[編集]

  1. ^ 水木しげる『妖怪大図鑑』 II、講談社〈講談社まんが百科〉、1996年、34頁。ISBN 978-4-06-259041-9 
  2. ^ 水木しげる『妖鬼化 2 中部編』Softgarage、2004年、152頁。ISBN 978-4-86133-005-6 
  3. ^ 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、354頁。ISBN 978-4-620-31428-0