メリニャック
| Mérignac | |
|---|---|
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| 行政 | |
| 国 |
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| 地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
| 県 (département) | ジロンド県 |
| 郡 (arrondissement) | ボルドー |
| 小郡 (canton) | 2小郡庁所在地 |
| INSEEコード | 33281 |
| 郵便番号 | 33700 |
| 市長(任期) |
Alain Anziani (2020年-2026年) |
| 自治体間連合 (fr) | ボルドー・メトロポール |
| 人口動態 | |
| 人口 |
75,729人 (2021年[1]) |
| 人口密度 | 1370人/km2 |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯44度50分35秒 西経0度38分41秒 / 北緯44.843056度 西経0.644722度座標: 北緯44度50分35秒 西経0度38分41秒 / 北緯44.843056度 西経0.644722度 |
| 標高 |
平均:m 最低:12m 最高:53m |
| 面積 | 48,17km2 (4 817ha) |
メリニャック (Mérignac、オック語:Merinhac)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ジロンド県の都市。ボルドーに隣接しており、ボルドー・メリニャック空港がある。
歴史
[編集]考古学上の研究から、紀元前2世紀から紀元前1500年の間に人が定住していたことがわかっている。現在の都市の基礎ができたのは、ローマ人のガリア征服期であった。1世紀のガリア=ローマ人のヴィラの領域であったマトリニアクス(Matriniacus)は、現在あるロマネスク様式教会の場所を中心に存在した。そしてデヴェーズ川流域の小さな村落を巻き込んで次第に拡大していった。
キリスト教が伝来していたことは、現在も名残を残すサン=ヴァンサン教区教会が7世紀につくられたことで証明される。幾度も破壊と再建を繰り返し、現在のロマネスク様式教会は1231年に完成している。中世初期、マトリニアクスはメリナック(Mayrinac)と呼ばれており、12世紀にはアキテーヌ公国の摂政政のもとでイングランド王国の支配下にあった。1453年のカスティヨンの戦いでフランスが勝利するまで、この地はイングランド領であった。
イングランド人たちの手で発展したワイン用ブドウ栽培は、やがて小さな村々の主要経済活動となった。
1939年、ヴィシー政権はア城(Château du Hâ)をスペイン内戦の避難民のための避難所とした[2]。1940年10月25日以降、ナチス・ドイツ占領下のフランス全土から、定住しない流浪者がこの城に集められ拘留された。多くのジプシーの家族が収容された[3]。1942年7月、ドイツ秘密警察は16歳から45歳までのユダヤ人収容者をア城に拘留しており、彼らのうち459人は同じ年のうちにドランシー収容所へ送られた。
第二次世界大戦後、ア城は、裁判を待つナチス協力者の拘留所として使用された。1946年以降は不法滞在者(特にスペイン人)の拘留所となった。1948年に拘留所は閉鎖されたが、1956年についに壊されるまではホームレスの仮宿泊所となっていた。
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ “Populations légales 2021, Commune de Mérignac (33281)”. INSEE. 2024年8月15日閲覧。
- ^ Archives Départementales de la Gironde
- ^ Emanuel FILHOL, « L´internement et la déportation de Tsiganes français sous l´Occupation : Mérignac- Poitiers-Sachsenhausen 1940-1945 », Revue d´histoire de la Shoah, no 170, 2000, p. 136-182.