ムハマディヤ
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ムハマディヤ(Muhammadiyah)とは、インドネシアで興った「イスラーム本来に戻るべき」という近代イスラーム改革運動として1912年11月18日にジャワ島中部のジョクジャカルタ(ヨグヤカルタ)で発足した団体(ムハマディヤ協会)で、K.H.アフマド・タフラン(1868-1923年)が創立者である。その後、ジャワ島の他の地方都市やスマトラ島に広がり、全国区の団体へと成長した。ちなみにムハマディヤとは、預言者ムハンマドの「信者」あるいは「信奉者」を意味する[1]。
沿革
[編集]19世紀後半、エジプトにおいて、ムハンマド・アブドゥフ、ラシード・リダーといった指導者が登場した。彼らの思想というのは、イスラームの復興に焦点が当てられていたが、あくまでも改革主義であり、近代的な西欧の知識や学問を吸収しつつ、クルアーン、ハディースに基づくイスラーム理解を進めるというものであった。
インドネシアにおいても、彼らの思想の影響が大きく、1912年の発足以来、教育を1つの柱としている。加えて、病院、産院、診療所といった医療活動をもう1つの柱と据えることによって、発展を遂げてきた。また、ムハマディヤの主張はインドネシアのイスラムはクルアーンから逸脱しており、ムスリムの不幸はそこに起因する、従って原典に帰ってアッラーの教えを正しく学び、広め、実践することによって個人の幸福と安寧および社会の福祉、民族と国家の繁栄がもたらされる、というものである[1]。ムハマディヤは、イスラム教の根本は近代的解釈を施したコラーンとハディースであるという見解を持っていた[2] 。
近代主義的性格
[編集]インドネシア最大のイスラーム団体であるナフダトゥル・ウラマー(NU)と対比されることが多いが、NUが伝統的でかつ基盤を農村に置くのに対して、ムハマディヤの基盤はどちらかといえば、都市である。また、運営に関しては、一貫した近代的合理性を貫き、メンバーシップは完全登録制、現在では、コンピュータにより会員はIDが登録されるので、正確な会員数は、瞬時に分かることが可能である。現在の会員数は、約60万人、シンパは、3000万人に達する。
政治的には、一貫して中立の立場を維持してきたが現在、もっとも結びつきが強い政党は国民信託党(PAN)である。かつてのムハマディヤ議長のアミン・ライス(Amien Rais) はスハルト政権崩壊時に同党を結成し、初代党首を務めていた。(一方のナフダトゥル・ウラマーは民族覚醒党(PKB)を創設している。)
また、学校教育を思想の柱としていることから、インドネシア最大の私立学校ネットワークを保有している。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学まで含めた場合、その学校数は、1万以上であり、紫がかった濃紺の地に金色の文字で、ムハマディヤの学校と書かれた看板が見受けられる。
議長
[編集]スハルト退陣後、混迷を極めたインドネシア政治において、アミン・ライスはアブドゥルラフマン・ワヒド(NU議長から第4代大統領に就任)と並んで活躍した。当時、国権の最高機関であった国民協議会(MPR)議長を務め、ハビビおろし、ワヒドおろしのそれぞれの重要な局面において、キング・メーカー的な役割を果たした。
脚注
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 中村光男「東南アジアにおけるイスラームと市民社会」(片倉もとこ・梅村坦・清水芳見編『イスラーム世界』、岩波書店、2004)ISBN 4-00-022138-8
- イ・ワヤン・バドリカ著、石井和子監訳、桾沢英雄・菅原由美・田中正臣・山本肇訳『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史-インドネシア高校歴史教科書』明石書店 2008年 ISBN 978-4-7503-2842-3