ミーチャ・ニキシュ

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ミーチャ・ニキシュ
基本情報
生誕 (1899-05-21) 1899年5月21日
出身地 ドイツの旗 ドイツ ライプツィヒ
死没 (1936-08-05) 1936年8月5日(37歳没)
学歴 ライプツィヒ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアノ奏者、作曲家指揮者
担当楽器 ピアノ

ミーチャ・ニキシュドイツ語: Mitja Nikisch, 1899年5月21日 - 1936年8月5日)は、ドイツ出身のピアノ奏者、作曲家指揮者[1][2][3]

経歴[編集]

1899年、ライプツィヒアルトゥル・ニキシュの息子として生まれる。ライプツィヒ音楽院でロベルト・タイヒミュラーとヨーゼフ・ペンバウアーにピアノ、シュテファン・クレールに作曲を師事する。1919年からピアノ奏者として活動を始めたが、1925年に自らダンス・ミュージックのオーケストラを立ち上げて指揮者として活動するようになった。1930年代に入ると、ナチスの台頭により次第に演奏活動ができなくなっていった。

1936年、ヴェネツィアにて自ら命を絶った[4]

ディスコグラフィ[編集]

  • Wolfgang Amadeus Mozart; Mitja Nikisch; Rudolf Schulz-Dornburg (1935). Klavierkonzert d-moll K.-V. Nr. 466. Telefunken. OCLC 909126351 
  • Mitja Nikisch (unknown). Madelon dream waltz. Parlophon. OCLC 725263671 
  • Irving Berlin; Mitja Nikisch (1930s). I can't do without you = Ich kann nichts ohne dich. Parlophon. OCLC 898312620 

脚注[編集]