マリー・フォン・プロイセン (1855-1888)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
マリー・フォン・プロイセン
Marie von Preußen
Marievanpruisen1855methendirkderned.jpg
マリーと最初の夫ヘンドリック
出生 (1855-09-14) 1855年9月14日
Flag of the German Confederation (war).svg ドイツ連邦ポツダム大理石宮殿
死去 (1888-06-20) 1888年6月20日(32歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国ドレスデンアルプレヒツベルク城
配偶者 オランダ王子ヘンドリック
  アルベルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク
子女 一覧参照
父親 プロイセン王子フリードリヒ・カール
母親 マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウ
テンプレートを表示

マリー・フォン・プロイセン(ドイツ語: Marie von Preußen, 1855年9月14日 - 1888年6月20日)は、プロイセン王子フリードリヒ・カールの長女。全名はマリー・エリーザベト・ルイーゼ・フリーデリケMarie Elisabeth Luise Friederike)。

生涯[編集]

マリーは1855年9月14日、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の三男カールの長男フリードリヒ・カールと、その妃でアンハルトレオポルト4世の娘であるマリア・アンナの間に第1子としてポツダム大理石宮殿で生まれた。

1878年8月24日、マリーはオランダ王ウィレム2世の三男ヘンドリックとポツダムの新宮殿で結婚した。しかし結婚からわずか5か月後の翌年1月にヘンドリックとは死別した。この最初の夫との間に子供はいない。

その後、1885年5月6日にザクセン=アルテンブルクフリードリヒの七男エドゥアルトの三男アルベルトベルリンにて再婚した。この2番目の夫との間には2女をもうけた。

マリーは1888年6月20日、ドレスデンアルプレヒツベルク城で死去した。夫のアルベルトは1891年にヘレーネ・ツー・メクレンブルクと再婚した。

子女[編集]

2番目の夫であるアルブレヒトとの間にもうけた2女は以下のとおり。