マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウ

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マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウ
Maria Anna von Anhalt-Dessau
Maria Anna Anhalt Dessau.jpg
アンハルト=デッサウ公女マリア・アンナ、1860年
出生 (1837-09-14) 1837年9月14日
Flag of the German Confederation (war).svg ドイツ連邦デッサウ
死去 (1906-09-12) 1906年9月12日(68歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国フリードリヒスローダ
配偶者 プロイセン王子フリードリヒ・カール
子女 一覧参照
父親 アンハルト公レオポルト4世
母親 フリーデリケ・フォン・プロイセン
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マリア・アンナ・フォン・アンハルト=デッサウドイツ語: Maria Anna von Anhalt-Dessau, 1837年9月14日 - 1906年9月12日)は、ドイツのアンハルト公レオポルト4世の娘で、プロイセン王子フリードリヒ・カールの妻。

生涯[編集]

アンハルト=デッサウ公(のちアンハルト公)レオポルト4世とその妻でプロイセン王子ルートヴィヒの娘であるフリーデリケの間の末娘として生まれた。

1854年11月29日、母方の又従兄にあたるプロイセンのフリードリヒ・カール王子と結婚したが、結婚生活は不幸であった。夫のフリードリヒ・カールは妻が立て続けに女の子ばかり産むことに腹を立て、四女ルイーゼ・マルガレーテが誕生した際は、息子を産まないマリア・アンナを殴ったと言われる。また、夫が子どもたちに強圧的な態度をとることが許せず、ヴィルヘルム1世に離婚を申し立てたこともあるという。1885年に夫と死別すると、マリア・アンナは自分に仕える侍従のヴァーゲンハイム大尉と密かに再婚したと噂された。

マリア・アンナは1906年にフリードリヒスローダで亡くなった。

子女[編集]

夫フリードリヒ・カールとの間に1男4女をもうけた。