フリーデリケ・フォン・プロイセン (1796-1850)

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フリーデリケ・フォン・プロイセン
Friederike von Preußen
Frederica Wilhelmina of Prussia.jpg
出生 1796年10月30日
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ベルリン
死去 (1850-01-01) 1850年1月1日(53歳没)
配偶者 アンハルト=デッサウ公レオポルト4世
子女 一覧参照
父親 プロイセン王子ルートヴィヒ
母親 フリーデリケ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ
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フリーデリケ・フォン・プロイセンドイツ語全名:Friederike Luise Wilhelmine Amalie von Preußen1796年10月30日 - 1850年1月1日)は、アンハルト=デッサウ公レオポルト4世の妃。

プロイセン王子ルートヴィヒと妃フリーデリケの第3子として、ベルリンで生まれた。しかし、フリーデリケの誕生後間もない同年12月28日に、父ルートヴィヒはジフテリアに罹患し急死した。その後母フリーデリケは2度再婚したため、幼いフリーデリケは2人の兄たちとともにベルリンの宮廷で育った。

隣接する大国との関係強化を目的として、1818年にレオポルト4世と政略結婚した。2人は4子をもうけた。

子女[編集]