ベネショフ

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ベネショフ
Benešov
マサリク広場
マサリク広場
ベネショフの市旗 ベネショフの市章
町旗 町章
座標 : 北緯49度46分58秒 東経14度41分19秒 / 北緯49.78278度 東経14.68861度 / 49.78278; 14.68861
行政
 チェコ
 州 中央ボヘミア州の旗 中央ボヘミア州
 地区 ベネショフ地区
 町 ベネショフ
首長 Jaroslav Hlavnička
地理
面積  
  町域 46.87 km2
標高 360 m (1181 ft)
人口
人口 (2011年現在)
  町域 16 343[1]
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 256 01
公式ウェブサイト : www.benesov-city.cz

ベネショフチェコ語:Benešov [ˈbɛnɛʃof]ドイツ語:Beneschauベネシャウ)は、チェコ中央ボヘミア州の自治体。プラハの南東約37km地点にある。

歴史[編集]

カルロヴェーにあるかつての修道院跡

かつて無人であったプラハ南部に、プシェミスル朝期の11世紀になって植民が行われた。ベネショフ最古の場所はカルロヴェーと呼ばれる荘園で、教会と村がその周囲にできた。ベネショフ建設後、町の中心は現在のマサリク広場へ移った。カルロヴェーにはコンベンツァル聖フランシスコ修道会の修道院が建設され、やがてプラハ司教トビアーシュが所有者となった。彼は町から2kmほど離れた場所にコノピシュツェ城を築いた。14世紀、ベネショフは貴族シュテルンベルク家の所有となった。シュテルンベルク家の紋章である青地に描かれた黄金の八星形は、ベネショフの紋章として現在も残っている。1420年、ヤン・ジシュカはベネショフの修道院を燃やし、プラハへ向かった。

中世後期のベネシャウは、数々の外交交渉の舞台となった。1451年、1473年にはボヘミア王国議会が開かれている。15世紀から16世紀のベネシャウは経済成長を遂げた。プラハ=リンツ間の街道沿いに位置したためである。16世紀終わりから、町の所有者は数回変わった。三十年戦争中には、ポーランド軍とスウェーデン軍が町を荒らした。カトリック再改宗と教育向上のため、1703年にピアリスト会派の高等学校がベネショフで開校した。

1871年、ベネシャウに鉄道が敷かれた。

第一次世界大戦末期、ベネシャウはオーストリア帝国の駐屯地であった。第二次世界大戦中には、武装親衛隊の訓練地帯(de)に含まれていた。

姉妹都市[編集]

出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Český statistický úřad – Die Einwohnerzahlen der tschechischen Gemeinden vom 1. Januar 2011 (XLS, 1,3 MB)