プトレマイオス4世

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Gold octadrachm issued by Ptolemy IV Philopator, British Museum
Coin of Ptolemy IV Philopator, depicting his deified father Ptolemy III.

プトレマイオス4世フィロパトルΠτολεμαίος Δ' Φιλοπάτωρ:Ptolemy IV Philopator、?-紀元前205年?)は、古代エジプトプトレマイオス朝ファラオ(在位紀元前221年-紀元前205年)。プトレマイオス3世ベレニケ2世の子。フィロパトル(愛父王)と称される。姉妹アルシノエ3世と結婚。

生涯[編集]

プトレマイオス3世の下でプトレマイオス朝は最盛期を迎えたが、プトレマイオス4世の頃より国力は衰え始める。彼は大酒飲みで放蕩生活を送ったと言われ、宮廷の腐敗が強まった。即位後、奸臣ソシビオスアガトクレスの讒言に基づき母ベレニケ2世や弟マグスを殺害した。アガトクレスの妹アガトクレアを愛人とし、廷臣たちの影響力が増大していく。

紀元前219年よりセレウコス朝シリアアンティオコス3世(大王)との第四次シリア戦争(紀元前219年-紀元前217年)が始まり、コイレ・シリア周辺を巡り激戦が展開された。最終的に、ラフィアの戦いにおいて、エジプト原住民を主力に取り込んだエジプト軍が勝利し、コイレ・シリア周辺の確保に成功した。ラフィアの戦いにおいて原住民が勝利に貢献した事で、支配層(マケドニア人、ギリシャ人)は原住民の重要性を認識し、以降のプトレマイオス朝は彼らへの配慮を強めざるを得なくなる。

紀元前205年頃急死し(ソシビオスらによる暗殺説もある)、王妃アルシノエ3世も殺害され、幼い子プトレマイオス5世が即位した。