コンテンツにスキップ

ブラヒム・ガリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブラヒム・ガリ
إبراهيم غالي
2019年
第3代サハラ・アラブ民主共和国大統領
就任
2016年7月12日
首相アブデルカーデル・ターレブ・オマル
ムハンマド・ワリ・アケイク
ブチャラヤ・ハモウディ・ベユン
前任者ハトリ・アドゥ(暫定)
アルジェリア大使
任期
2010年6月5日 – 2016年7月12日
首相アブデルカーデル・ターレブ・オマル
前任者ムハンマド・エスレム・ベイサト
後任者アブデルカーデル・ターレブ・オマル
スペイン大使
任期
1999年9月 – 2008年2月
首相ブチャラヤ・ハモウディ・ベユン
アブデルカーデル・ターレブ・オマル
前任者オマル・マンスール
後任者ブチャラヤ・ハモウディ・ベユン
国防相
任期
1976年3月5日 – 2005年3月5日
首相ムハンメド・ラミン・ウールド・アーメド
マフムード・アリ・ベイバ
前任者新設
後任者ムハンマド・ラミン・ブハリ
個人情報
生誕 (1949-08-19) 1949年8月19日(74歳)
スペイン領西アフリカスマラ
国籍スペイン[1]
サハラ・アラブ民主共和国
政党サギア・エル・ハムラおよびワーディー・エル・ダーハブ解放運動 (1969年 – 1970年)
ポリサリオ戦線

ブラヒム・ガリアラビア語: إبراهيم غالي‎, Ibrāhīm Ġālī, 1949年8月19日 - )は、サハラ・アラブ民主共和国の政治家、軍人。同国の駐アルジェリア大使や駐スペイン大使を経て[2][3]、2016年に大統領に就任した。

サフラウィー人の民族自決、モロッコからの独立運動において重要な役割を果たし、サギア・エル・ハムラおよびワーディー・エル・ダーハブ解放運動の設立[4]や1970年のスペインに対するゼムラ蜂起[5]、1973年のポリサリオ戦線結成、1976年のサハラ・アラブ民主共和国の「建国」のいずれにも参画した。国際連合西サハラ住民投票ミッション (MINURSO) の設立にも関与している。

経歴

[編集]

スマラ出身[6]。1960年代末にスペイン領サハラの補助部隊トロパス・ノマダスに入隊し、スマラで行政の仕事にあたった。その一方でムハンマド・バシリなど、サフラウィー人の政治指導者らと会合を重ね、1969年に共同でサギア・エル・ハムラおよびワーディー・エル・ダーハブ解放運動を設立。ゼムラ蜂起の引き金となった、1970年6月16日の解放運動によるアイウンでのデモにも参加した。その日の夜間にスペイン軍に拘束され、政治活動を理由に懲役1年の判決を受けた。1971年に解放されたが、1972年にもデモに参加したかどで短期間拘束された。

1973年のポリサリオ戦線結成にも参画し、常任委員会の初代総書記に収まった。エルワリ・ムスタファ・サイードとともに、スペイン軍の砂漠の駐屯地に対して初めてポリサリオ戦線として起こした軍事行動「エル=ハンガの襲撃」を率い、駐屯地を奪取して武器や装備品を奪取することに成功した[7]。1974年にエルワリがポリサリオ戦線の総書記となると、その軍事部門であるサフラウィー人民解放軍の指揮官に転じた。

1975年10月22日にはエルワリとマフムード・アリ・ベイバの3人で、スペイン総督のフェデリコ・ゴメス・デ・サラザール将軍と会見した。スペイン当局とポリサリオ戦線の代表による公式の会見は、これが初めてであった。しかし、交渉はまもなく決裂し、アイウン夜間外出禁止令が敷かれた10月29日に設定されたゴメス・デ・サラザールとの再度の会見には同席しなかった[8]

1976年3月4日にはサハラ・アラブ民主共和国の初代国防相に指名され、2月27日にビル・ラフルーで就任を宣言した。第二軍管区総司令官に転じる1989年まで、国防相に在任した。

2016年7月9日にアルジェリアティンドゥフにあるサフラウィー人難民キャンプで行われた選挙で、サハラ・アラブ民主共和国の次期大統領および総書記に選出された。その結果、同年5月31日に死去したムハンマド・アブデルアズィーズの後任として就任した[9]。2019年6月には大統領としてナイジェリアを訪問し、首都アブジャで大統領ムハンマド・ブハリと会談した[10]

2023年1月20日にサハラ・アラブ民主共和国の大統領兼総書記に再選された。しかし、このときのガリの得票率は、当選した歴代大統領のうち最も低く、反対に落選したバシル・ムスタファ・サイードの得票率は歴代落選者のうちで最も高かった。

脚注

[編集]
  1. ^ González, Miguel (2021年9月24日). “El documento que acredita la nacionalidad española de Gali desde 2004” (スペイン語). 2021年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月24日閲覧。
  2. ^ “Ambassador Brahim Gali condoles family of Abdelhamid Mehri”. Sahara Press Service. (2012年2月2日). オリジナルの2015年1月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150120153858/http://www.spsrasd.info/en/content/ambassador-brahim-gali-condoles-family-abdelhamid-mehri 2012年9月5日閲覧。 
  3. ^ “The Polisario accused AQIM of kidnapping 3 Europeans”. Ennahar online. (2011年10月23日). オリジナルの2015年1月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150120163452/http://www.ennaharonline.com/en/news/7531.html# 2012年9月5日閲覧。 
  4. ^ Declaración de Mohamed Bassir (1970)”. Desaparecidos.org. 2012年9月5日閲覧。 (スペイン語),
  5. ^ “Brahim Gali”. Diario Vasco. (2007年7月26日). http://videochat.diariovasco.com/videochat.php?videochat=gali 2012年9月5日閲覧。  (スペイン語)
  6. ^ Ibrahim Ghali elected Secretary General of Polisario Front” (英語). Sahara Press Service (2016年7月9日). 2016年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  7. ^ Bárbulo, Tomás (2002). La historia prohibida del Sáhara Español. Barcelona: Ediciones Destino / Colección Imago Mundi vol. 21. pp. 110–115. ISBN 978-84-233-3446-9 
  8. ^ “Toque de queda en el Sáhara”. ABC. (1975年10月29日). http://hemeroteca.abc.es/nav/Navigate.exe/hemeroteca/madrid/abc/1975/10/29/119.html 2012年10月5日閲覧。  (スペイン語)
  9. ^ “Western Sahara's Polisario Front Elects Leader”. Al Monitor. (2016年7月12日). http://www.al-monitor.com/pulse/originals/2016/07/western-sahara-polisario-congress-new-leader-unity.html 2017年11月8日閲覧。 
  10. ^ Television, Oak (2019年6月13日). “Buhari receives Saharawi President, Brahim Ghali”. OAK TV. https://oak.tv/buhari-saharawi-president-brahim-ghali/ 2019年6月14日閲覧。 [リンク切れ]
公職
先代
ハトリ・アドゥ
(代行)
サハラ・アラブ民主共和国大統領
2016年 –
現職