フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ

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フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ
Juana Manuel de Castilla
カスティーリャ王妃
La reina Juana Manuel y una de sus hijas (Detalle del cuadro de la Virgen de Tobed).png
フアナ・マヌエルと王女
出生 1339年
死去 1381年3月27日
Estandarte del Reino de Castilla.svg カスティーリャ王国サラマンカ
埋葬  
Estandarte del Reino de Castilla.svg カスティーリャ王国トレド大聖堂
配偶者 カスティーリャエンリケ2世
子女 フアン1世
レオノール
フアナ
父親 ペニャフィエル公フアン・マヌエル
母親 ブランカ・ヌニェス・デ・ララ
宗教 ローマ・カトリック
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フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ(Juana Manuel de Castilla, 1339年 - 1381年3月27日)は、カスティーリャエンリケ2世の王妃。父はフェルナンド3世の孫ペニャフィエル公フアン・マヌエル、母はその3番目の妻でアルフォンソ10世の曾孫(フェルナンド・デ・ラ・セルダの孫)であるブランカ・ヌニェス・デ・ララ。異母姉にポルトガルペドロ1世の妃となったコンスタンサ・マヌエルがいる。

1350年にカスティーリャ王ペドロ1世の庶兄であるエンリケ・デ・トラスタマラと結婚した。第一次カスティーリャ継承戦争の末にエンリケがペドロ1世に代わって王位についたことで、フアナ・マヌエルも王妃となった。

2人の間には1男2女が生まれた。