コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャ

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コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャ
Constanza Manuel de Castilla
カスティーリャ王妃
Constança Manuel.jpg
出生 1310年代/1320年代
カスティージョ・デ・ガルシムニョス
死去 1345年11月13日
ポルトガル王国の旗 ポルトガル王国サンタレン
埋葬  
ポルトガル王国の旗 ポルトガル王国サンタレン
配偶者 カスティーリャアルフォンソ11世
  ポルトガルペドロ1世
子女 ルイス
マリア
フェルナンド1世
父親 ペニャフィエル公フアン・マヌエル
母親 コンスタンサ・デ・アラゴン
宗教 ローマ・カトリック
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コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャ西:Constanza Manuel de Castilla, :Constança Manuel de Castela, 1310年代から1320年代 - 1345年11月13日)は、ポルトガルペドロ1世の2番目の妃。ただしペドロの即位以前に死去している。父はカスティーリャフェルナンド3世の孫ペニャフィエル公フアン・マヌエル、母はその2番目の妻でアラゴンハイメ2世の娘コンスタンサ。異母妹にカスティーリャ王エンリケ2世の王妃フアナ・マヌエルがいる。

生涯[編集]

幼少時にカスティーリャ王アルフォンソ11世と結婚し、形式上は王妃となっていたが、この結婚は1327年に無効とされた。

その後、1339年にポルトガル王ペドロ1世とリスボンで結婚した。ペドロも最初の妻ベアトリスとの結婚は幼少時のもので、少年期に別れていた。コンスタンサとペドロとの間には2男1女が生まれた。

ペドロはコンスタンサを差し置いて、その侍女であったイネス・デ・カストロを寵愛し、コンスタンサの死後にその関係は公然化したが、ペドロの父アフォンソ4世の命を受けた貴族によってイネスは殺害された。