ビルジニ・ラザノ

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ビルジニ・ラザノ
Virginie Razzano
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ビルジニ・ラザノ
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ディジョン
生年月日 (1983-05-12) 1983年5月12日(35歳)
身長 173cm
体重 64kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1999年
ツアー通算 3勝
シングルス 2勝
ダブルス 1勝
生涯獲得賞金 3,510,457 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2001・06・08・09)
全仏 4回戦(2009)
全英 4回戦(2009)
全米 4回戦(2006)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2002・10・12)
全仏 2回戦(2000)
全英 2回戦(2001・05)
全米 ベスト8(2008)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 16位(2009年9月14日)
ダブルス 82位(2001年2月12日)
2015年12月13日現在

ビルジニ・ラザノVirginie Razzano, 1983年5月12日 - )は、フランスディジョン出身の女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルス2勝、ダブルス1勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス16位、ダブルス82位。

来歴[編集]

ラザノは父親が警察官、母親は幼稚園教師という家庭に育った。ジュニア選手のトーナメントでは、1999年全豪オープンジュニア女子シングルス・ダブルス優勝、2000年全仏オープンジュニア女子シングルス優勝がある。2000年の全仏オープンでは、本戦でもマリー・ピエルスとの3回戦まで進出した。2001年全豪オープンマルチナ・ヒンギスとの3回戦に進んだ後、2月の「パリ・インドア」大会ダブルスでイバ・マヨリと組んで初優勝を果たす。全仏オープンで2年連続の3回戦に進出したラザノは、第14シードのジュスティーヌ・エナンに 3-6, 4-6 で敗れた。この年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップフランス代表選手に選ばれ、2002年2004年以外はフェド杯の試合に起用されてきた。

その後の3年間、ラザノは大規模な大会での好成績が少なかったが、2004年ウィンブルドンで予選3試合を勝ち抜いた後、初めての本戦3回戦に進出した。本戦1回戦で第8シードのスベトラーナ・クズネツォワを 7-6, 3-6, 6-4 で破る番狂わせを演じた後、3回戦でリタ・グランデに敗れた。2年後の2006年全米オープンで、ラザノは初めての4大大会4回戦進出を決めた。この大会では、2回戦で当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスを 6-2, 6-4 で破る勝利を挙げ、3回戦でもエストニアカイア・カネピに勝ち、7度目の挑戦で初めて4大大会3回戦の壁を破った。初進出の4回戦ではディナラ・サフィナに 0-6, 5-7 で敗退している。

ビルジニ・ラザノの2007年度の4大大会成績は、全豪オープン全米オープンの2回戦止まりであったが、9月末に中国広州市で行われた大会でついに女子ツアー大会シングルス初優勝を達成した。彼女にとっては、プロ入り8年目の遅い快挙であった。翌週のジャパン・オープンで来日したビルジニ・ラザノは、決勝で第1シードのビーナス・ウィリアムズを 4-6, 7-6, 6-4 の逆転で破り、2週連続優勝を果たした。

2008年、彼女は北京五輪でオリンピックのフランス代表選手に選ばれた。初出場のオリンピックでは、シングルスは2回戦でエストニア代表のカイア・カネピに敗れ、アリーゼ・コルネと組んだダブルスは1回戦敗退に終わった。

2009年全仏オープンにおいて、ラザノは地元開催の4大大会で初の4回戦進出を決める。地元フランス人の女子シード選手だったアメリ・モレスモマリオン・バルトリ、アリーゼ・コルネが次々と早期敗退してゆく中で、ラザノとアラバン・レザイの2人が4回戦まで勝ち残った。ラザノは4回戦でサマンサ・ストーサーに 1-6, 2-6 で完敗したが、この大会で2006年全米オープン以来のベスト16入りを果たした。それからウィンブルドンでも4回戦に進み、フランチェスカ・スキアボーネに 2-6, 6-7 で敗れた。9月に自己最高の世界ランキング16位を記録している。

2011年5月16日にラザノの元コーチで婚約者のステファン・ヴィダルが、脳腫瘍のため32歳で死去した[1]。直後の全仏オープンには悲しみを堪えて出場したが、1回戦でヤルミラ・ガイドソバオーストラリア)に 3-6, 1-6 で敗退した。

2012年全仏オープンでは1回戦でセリーナ・ウィリアムズを 4-6, 7-6, 6-3 で破る殊勲を挙げた。セリーナが4大大会の1回戦で敗退したのは初めてであった。2回戦でアランツァ・ルスに 3-6, 6-7 で敗退した。

WTAツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 6回 (2勝4敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2004年10月17日 ウズベキスタンの旗 タシケント ハード チェコの旗 ニコル・バイディソバ 7–5, 3–6, 2–6
準優勝 2. 2007年8月25日 アメリカ合衆国の旗 フォレストヒルズ ハード アルゼンチンの旗 ヒセラ・ドゥルコ 2–6, 2–6
優勝 1. 2007年9月30日 中華人民共和国の旗 広州 ハード イスラエルの旗 ツィポラ・オブジラー 6–0, 6–3
優勝 2. 2007年10月6日 日本の旗 東京 ハード アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ 4–6, 7–6(7), 6–4
準優勝 3. 2009年2月21日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ 4–6, 2–6
準優勝 4. 2009年6月20日 イギリスの旗 イーストボーン デンマークの旗 キャロライン・ウォズニアッキ 6–7(5), 5–7

ダブルス: 1回 (1勝0敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2001年1月11日 フランスの旗 パリ カーペット (室内) クロアチアの旗 イバ・マヨリ アメリカ合衆国の旗 キンバリー・ポー
フランスの旗 ナタリー・トージア
6–3, 7–5

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 通算成績
全豪オープン A A 1R 3R 1R 2R A 1R 3R 2R 3R 3R 1R 2R 1R LQ 2R LQ LQ LQ 12–13
全仏オープン LQ 1R 3R 3R 2R 1R 2R 3R 1R 1R 1R 4R 1R 1R 2R 3R 1R 2R 2R LQ 15–18
ウィンブルドン A A A 1R 2R 2R 3R 2R 1R 1R 1R 4R A 2R 1R 1R 1R A LQ A 11–13
全米オープン A A LQ 2R 2R 2R 1R 2R 4R 2R 1R 1R 3R 1R 1R 1R 1R LQ 1R A 10–15

: 2000年全仏オープン2回戦と2009年ウィンブルドン3回戦の不戦勝は通算成績に含まない

脚注[編集]

外部リンク[編集]