ハンセル (競走馬)

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ハンセル
英字表記 Hansel
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1988年
Woodman
Count on Bonnie
母の父 Dancing Count
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バージニア州
生産 Marvin Little, Jr.
馬主 Lazy Lane Farm
Sheik Maktoum bin Rashid Al Maktoum
調教師 Frank L. Brothers
競走成績
生涯成績 14戦7勝
獲得賞金 2,936,586ドル
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ハンセル (Hansel) はアメリカ合衆国サラブレッド競走馬、および種牡馬1991年アメリカクラシック競走二冠を達成した。

経歴[編集]

2歳まで[編集]

アメリカの銀行員ジョー・ルイス・オールブリトンの所有する、バージニア州のレイジーレーンファームで生産された競走馬である。牧場名義で競走馬として登録された。

2歳となった1990年6月よりデビューし、アーリントンパーク競馬場でのデビュー戦を勝利で飾った。この年は5戦をこなし、トレモントステークスとアーリントン・ワシントンフューチュリティステークスの2重賞で勝ちを挙げた。また、ホープフルステークスでも2着に入っている。

3歳以降[編集]

翌年、ハンセルの3歳シーズンは3月末のジムビームステークスから始まり、同競走をターフウェイパーク競馬場のトラックレコードで優勝する幸先の良い出だしを切った。続くフロリダダービーでは前年の最優秀2歳牡馬フライソーフリーに敗れて3着となるが、ケンタッキーダービーを2週後に控えたレキシントンステークスでは勝ちを挙げた。

ケンタッキーダービー当日、ハンセルは単勝1番人気に支持された。ところが1マイルを過ぎたところで力尽き、勝ち馬ストライクザゴールドから大きく差を開けられてゴール、16頭立ての10着と惨敗を喫した。この結果から調教師のフランク・ブラザーズは当初プリークネスステークスを回避しようと考えていたが、調教中のハンセルの動きは非常によく、また調教の手助けをしていたジャック・ヴァン・バーグ調教師に出走を勧められたこともあって、同馬を出走させることを決意した。

この年のプリークネスステークスは8頭立てで開催され、ハンセルは4番人気とはいえ上位人気馬から大きく離された、単勝9倍で支持された。ゲートが開くと3番手につけて第1・第2コーナーを回り、半マイルの標識(約800メートル地点)の標識を過ぎたところから徐々に順位を上げ、最終コーナー手前で先頭に立った。最後の直線では後続の馬に対してさらに差を広げ、最終的には2着コーポレートリポートに7馬身差をつける圧勝で栄冠を手にした。

三冠最終戦のベルモントステークスでは、ニューヨーク競馬協会がハンセルも常用していたラシックス[1]の使用を禁じていたことが考慮され、ファンの支持はストライクザゴールドに傾き、ハンセルは2番人気に甘んじた。レースでは前走と同じくスタートから3番手の好位置を保ち、同じく半マイルを過ぎたところで順位を上げ、コーナーの中ほどで先頭に立った。しかし最後の直線では前走とは違い、中団につけていたストライクザゴールドが猛烈な追い上げでハンセルに迫り、あわや抜かれるという寸前のところでゴール板を通過し、ハナ差で最後の冠を掴み取った。三冠競走中の二冠を獲得したハンセルは、同年の三冠戦最優秀馬として100万ドルのボーナスも獲得している。

その後トラヴァーズステークスにも出走し、コーポレートリポートにハナ差の2着に入った。同年のエクリプス賞選考において、ハンセルは最優秀3歳牡馬に選出されている。

引退後[編集]

トラヴァーズステークス後の1991年9月、ハンセルはシェイク・モハメドに売却された。その後競走馬生活を引退し、シェイク所有のゲインズバラスタッドに種牡馬として繋養された。各国で重賞勝ち馬を出しており、代表産駒に1999年のドバイターフクラシック勝ち馬フルーツオブラブ(Fruits of Love、1995年生・牡馬)、1997年のマルセルブサック賞勝ち馬ラヴィングクライム(Loving Claim、牝馬・1995年生)、多数のハンデキャップ重賞で勝ちを挙げたガイデッドツアー(Guided Tour、1996年生・せん馬)などがいる。

後の1998年からはニューヨーク州のクエストロイヤルスタッドに繋養され、さらにその後の1999年に日本へと輸出された。日本では期待に反してまったく活躍馬を出せず、数少ない重賞勝ち馬にロータスクラウン賞勝ちのエイエムボーイがいる程度である。

その後、2006年1月にアメリカへと買い戻され、現在は故郷のレイジーレーンファームで余生を過ごしている。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

1990年(2歳) 5戦3勝
トレモントステークス (G3)、アーリントン・ワシントンフューチュリティステークス (G2)
2着 - ホープフルステークス (G1)
1991年(3歳) 9戦4勝
ジムビームステークス (G2)、レキシントンステークス (G2)、プリークネスステークス (G1)、ベルモントステークス (G1)
2着 - トラヴァーズステークス (G1)

年度代表馬[編集]

表彰[編集]

  • ターフウェイパーク競馬場に、ハンセルの名を冠した「ハンセルステークス」が創設される。

血統表[編集]

ハンセル血統(ウッドマン系(ミスタープロスペクター系) / Native Dancer 4x5=9.38%、 Nasrullah 父内5x5=6.25%)

Woodman
1983 栗毛 アメリカ
Mr. Prospector
1970 鹿毛 アメリカ
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Playmate
1975 栗毛 アメリカ
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Intriguing Swaps
Glamour

Count on Bonnie
1981 鹿毛 アメリカ
Dancing Count
1968 鹿毛 カナダ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Snow Court Kings Bench
Snow Cloud
Buena Notte
1964 鹿毛 カナダ
Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Midinette Tantieme
Milonga F-No.2-w

全弟にコンノートカップステークス (G3) 勝ち馬のラヒント(Lahint、1991年生・牡馬)がいる。

備考[編集]

  1. ^ 利尿薬のひとつで、人間以外に競走馬の鼻出血予防薬としても使われている。一方で、他の薬物が薬物検査で検出されにくくなるマスキング作用もあり、禁止薬物使用を隠蔽するために用いられることが問題視されている。ニューヨーク州の競馬場では、1995年まで使用が禁じられていた。

外部リンク[編集]