ノート:寺田学

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週刊誌の記事を情報源とした記述の除去について[編集]

IP:218.41.164.152会話 / 投稿記録、IP:218.41.142.42会話 / 投稿記録のIPユーザー両氏による、週刊誌を情報源とした記述を除去致しました。情報源となった週刊誌は検証可能性における信頼性に乏しい情報源と感じられます。何より、仮に本件が真実であり、週刊誌の信頼性も充分だと認められたとしても、内容自体が百科事典にはふさわしくありません。百科事典はスキャンダルを逐一記録する場ではないのです。ご理解の程、何卒お願い申し上げます。--Bellcricket 2006年11月10日 (金) 11:14 (UTC)[返信]

まぁ要は、あなたが載せたくないと思ったんでしょ?--以上の署名のないコメントは、133.205.84.225会話/Whois)さんが 2006年11月10日 (金) 11:42(UTC) に投稿したものです。
再び同様の記述が行われたので、差し戻しました。私としての意見は前回と同じです。検証可能性に反しますし、そもそもウィキペディアは事実の暴露や報道を行う場ではありません要約欄にて本間正明の記事を引き合いに出していますが、あちらに書かれているからこちらにも書いて良いとする理屈は有りえません。--Bellcricket 2006年12月21日 (木) 11:34 (UTC)[返信]
ウィキペディアは何でないかを引き合いに出されていますが、そうであればご覧になって同じように義憤をお感じになったはずの本間正明の記事に対しても同じ作業をなさってはいかがでしょう。民主党議員の不正はきれいな不正とする理屈は有りえません。--220.150.138.131 2006年12月21日 (木) 15:22 (UTC)[返信]
「情報源となった週刊誌は検証可能性における信頼性に乏しい情報源と感じられます。」とありますが、週刊新潮の信頼性の有無は今問題ではありません。ご本人が週刊誌の取材に対して「今も議員宿舎で同棲しているのは事実です。」と語っており、また週刊誌発行後もその発言が真実でない等の反論はされておりません。本件が事実と考えられる以上、検証可能性における信頼性に乏しい情報源であるという心配は不要でしょう。またこの件に関してはスキャンダルを逐一記録するというわけではなく、政治家という公人を知る上で重要な情報と判断したため記述に加えるべきと考えます。つまりは割安な議員宿舎をめぐる国民の疑念が高まっている現在、その使い方は低俗なスキャンダルではなく政治家を評価するひとつの判断材料たりうると考えます。本間正明に載っているんだからいいだろうというわけではなく、本間正明における記述の必要性と同様に本項目でも同様の必要性があるはずだという判断です。その意味で、週刊誌が情報源であると明記した上で、交際女性とのやりとりはともかくとして「議員宿舎で恋人と同棲している」という事実を入れるべきでしょう。--218.41.162.54 2006年12月21日 (木) 17:48 (UTC)[返信]
追記になりますが、消す前に議論をしたいと要約欄で言ったにもかかわらず一方的に削除をするのは信義に反します。なぜそんなに消し急ぐのでしょう?--218.41.162.54 2006年12月21日 (木) 18:05 (UTC)[返信]
消す前にノートで議論しましょう。と書かれているのに、突然消すのはどうでしょう。あなたがこの件を載せたくないのか否かはわかりません。公平な立場から編集されていると信じますが、このように議論を拒否して一方的な編集をされるようですと、その公平性に疑問をもたざるを得ません。--218.227.94.128 2006年12月21日 (木) 18:03 (UTC)[返信]

本間正明は民間人、寺田学は国会議員という違いがありますからね。個人的には(宿舎の用い方は別にして)愛人問題に関しては、あくまで当事者と奥さんの家庭の問題だと思う。責任を取る形で重要役職を辞任や更迭をされるなど著名活動に影響が出たと客観的に認められる場合は、記載してもいいと思うけど。--経済準学士 2006年12月21日 (木) 15:57 (UTC)[返信]

「問題がある」記述を追加するかしないかで議論になる場合、記述していない状態で議論を進めるのが安全かと思い、記述を除去しました。既に説明しましたが、ウィキペディアは事実の暴露や報道を行う場ではありません。この件で議員辞職したとか大きな事象にならないと、単に週刊誌の報道を溜め込んでいる状態に過ぎません。要約欄で「事実を明らかにすべき」のような記述がなされていますが、寺田の同棲について何か世に問いたいなら、ウィキペディアの外で行うべきでしょう。本間の件については現在盛んに報道されている事象であり、この時点で何らかの記述を行うべきではないと考えます。報道が一段落してから情報を取捨選択し、記述を整理すべきと考えます。--Bellcricket 2006年12月21日 (木) 21:58 (UTC)[返信]
一般マスコミの扱いの大きさでウィキペディアに記述するか否かが決めてはいけないと考えます。マスコミの扱いの差の原因は、本間氏が責任ある要職にある一方で、寺田氏は野党の若手議員だからということもあるでしょう。決して両氏の行動に重大性の差があるからではないはずです。だとしたら一方のみに記述しないという判断は公平性に欠けると思われます。「議員辞職したとか大きな事象にならないと」と言われますが、本人の責任の取り方次第で扱いが変わるというのも不自然だと考えます。また事実を明らかにするべきであるとか、何かを世に問うというニュアンスよりも、あくまで利用者にとって有用かを考える次第です。「個人のプライバシー、また特に不謹慎とみなされる場合のある事象の記述に関しては、それが事実であっても保守的な態度で記述を避けるべきです。」とありますが、本件に関してはそのような記述を目的とするのではありません。あくまで寺田氏が一般人ではなく公人であり今回の件が公人としての寺田氏を知る上で有用でだからという目的で載せます。そういった意味で、当初の週刊誌の扇情的記述ではなく、現在の記述なら問題は無いのではないでしょうか?「いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません」とありますが、寺田氏の項目においてネガティブな情報は一切消すというやり方は擁護ですらあると感じます。--218.41.162.54 2006年12月22日 (金) 08:19 (UTC)[返信]
「寺田氏を知る上で有用でだから」という理由では納得できかねます。それこそ「ウィキペディア」が記述するか否かを決めている状態に思えます。マスコミの扱いを参考に判断することは、客観的とは言えないでしょうか。新聞やテレビなど、ある程度信頼性があるとみなされるメディアの報道なら、検証可能性をクリアできるでしょう。しかしながら、当記事でソースとして出された週刊誌に、私は信頼性を感じません。もし記述をするのであれば、記述する側に「信頼できる情報筋」の提示を求めます。それが為されない限り、記述は除去されるべきと考えます。「記述するに足る出来事かどうか」はそれから議論しましょう。--Bellcricket 2006年12月22日 (金) 13:00 (UTC)[返信]
週刊新潮週刊文春をソースとした記述はすべて除去されるべきだとのお考え、共感はしませんが理解はできます。その意見が実は民主党議員を擁護するためのダブルスタンダードであるといった誤解を招かないように、私も微力ながらお手伝いをしたいと思います。Wikipedia 内の長戸大幸米田建三フジTV警察24時畑正憲辻政信勝鹿北星等の複数の記事において、週刊新潮週刊文春を唯一のソースとした「事実の暴露」あるいは噂話の垂れ流しが行われており、見るに耐えません。なかでも栃木小1女児殺害事件八王子スーパー強盗殺人事件デヴィ・スカルノMASTERキートンでは、「報道」「報じた」といった言い回しが使われており、実に悪質であると考えられます。一例として栃木小1女児殺害事件では、「週刊新潮が……報道」「週刊新潮……が報じた処によると」などと、社会の底辺に棲む低所得者向けの低俗な三流週刊誌がまるで信頼のおける報道機関であるかのような虚偽の記述のもと、400字を超える文章が記載されています。Bellcricket様のことですから、これらの記述をご覧になればさぞはらわたが煮えくり返る思いをされることと思います。これらの「検証可能性をクリア」できない記事も当然のことながら「除去されるべき」でしょうから、Wikipediaの浄化のためにいそしんでいただければと期待しております。--220.150.158.126 2006年12月22日 (金) 15:37 (UTC)[返信]
また話が振り出しに戻りましたね。週刊誌が信頼できるかはいま問題ではありません。新聞で報道されようが、本人が否定しているのであれば検証可能性に疑問が残るでしょう。今回は本人が認めています。本人が認めていることの信頼性を疑う事に意味があるでしょうか?--218.41.162.54 2006年12月22日 (金) 15:45 (UTC)[返信]
公権力を持った公人を知るにあたりその方の功績や醜聞はともに重要です。その為、一般人に比べある程度プライバシーが制約されるのは社会的合意のできていることだと思います。寺田氏の場合は「スキャンダルを逐一記録する場ではない」とおっしゃるのに、本間氏の場合は「記述を整理すべき」に留める理由は何でしょう。大手マスコミの扱いに差があるからでしょうか。それはあくまでご両人の立場の違いからくるものです。例えば同じ犯罪でも、犯した人の立場によってマスコミ報道の大きさは変わります。しかし犯罪の重さには変わりはありません。ウィキペディアの各記事は平等のはずです。同じような事象でもマスコミの扱いが小さかったから一方の記事に載せないという判断には賛成できません。それでは恣意的な不平等な記述を許すことになります。また記述の是非をウィキペディア利用者の利益に資するかを考えて決めることは、マスコミの扱い方をもとに決めるよりウィキペディアの発展に貢献できると思います。--218.227.94.128 2006年12月23日 (土) 08:28 (UTC)[返信]

Bellcricketさんは最古の編集履歴を見ますと、寺田学氏の地元である秋田に縁があるようですね。上の方が引用されている「ウィキペディアはいかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません」という一文をよく理解してください。寺田学氏に不利になる情報を消すために躍起になっているようにしか見えません。--218.227.94.128 2006年12月22日 (金) 15:56 (UTC)[返信]

"この項目は現在進行中の事象を扱っておりますが"とされていますが、寺田氏の同棲がはじめて公になったのは昨年の夏のことです。現在進行形で刻一刻と状況が変わる事象ではありません。つまり情報不足な速報的な事象ではありません。現在進行形でことが動いている本間氏の状況とは少し違います。週刊誌からの引用を多用した初期の書き方ならともかく、現在の記述の仕方なら百科事典としても問題視する必要はないでしょう。--218.227.94.128 2006年12月23日 (土) 08:28 (UTC)[返信]

どうも私の行動を「同郷人である寺田氏の擁護」と誤解されているようで、残念に思います。しかしながら私の出生は今更変えようが無く、この誤解を解く術は無いように思います。そこで、コメント依頼によって広く意見を募りたいと思います。--Bellcricket 2006年12月23日 (土) 16:00 (UTC)[返信]

これまでの流れ[編集]

2006年11月09日 (木) 15:59(UTC)の編集で、寺田氏に関する週刊誌の報道内容が掲載されました。私Bellcricketはこれを「ウィキペディアは何でないか」や「検証可能性」を参考に、

  • 報道を行った週刊誌は信頼性に欠ける。
  • 事実としても大きな事実ではなく、百科事典的ではない

と考え、除去した上ノートにその旨を記述しました。しかしながらこの記述は以後も2度書き加えられ、その度に差し戻していたのですが、先日3度目の記述が為されました。記述された方は、

  • 週刊誌の報道内容を載せることによって、寺田氏についてよく知ることができる。
  • 公務員宿舎の不適切な利用について報道されている現在、寺田氏の問題についても広く知らしめるべきである。

といった点を理由に挙げておられます。 そこで、この週刊誌の記事を載せることの是非について、皆様のコメントを依頼致します。ご協力をお願い申し上げます。--Bellcricket 2006年12月23日 (土) 16:00 (UTC)[返信]

"週刊誌の報道内容を"とか"知らしめるべき"という言い方にあえて変換した理由は何でしょうか。前者に関しては"議員宿舎での同棲の事実を"、後者に関しては"本間氏の件と同様に載せるべきである"という意味合いで考えていましたが・・・。また繰り返しになりますが、寺田氏の場合は「スキャンダルを逐一記録する場ではない」とおっしゃるのに、本間氏の場合は「記述を整理すべき」に留める理由はが私にはわかりません。やはり、週刊誌より信頼性のおけるマスコミが扱ったからなのでしょうか。--218.227.94.128 2006年12月24日 (日) 04:47 (UTC)[返信]

コメント依頼以後の議論[編集]

コメント依頼を見て参りました。

週刊誌の見出しやレトリックは百科事典的なものではありませんから、それをそのまま引き写す必要はないと思います。また、週刊誌の記事が根拠となっている場合には、その全体の内容について週刊誌の報道に基づいていることは明確にすべきだと思います。ウィキペディアの中立性の観点は、一方的に週刊新潮に与することを良しとするものではありません。本件では「~日号の週刊新潮によれば、議員宿舎で恋人と同棲中で、本人も事実を認めている、と報じられた。」との記載が最大限で、さらにこの記載についてもウィキペディアに記載する必要があるかどうか、の検討が必要だと思います。

なお、記載を追加する場合には、検証可能性の一環として追加を希望する側に出典を明示する責任がありますので、それを満たさない場合には消され、また、条件を満たしたとの合意が得られるまでは記載がない状態で議論するのが妥当だと思います。

途中、議論に脱線が見られるようですが、執筆者について議論するのは、議論を本筋から逸らすものです。記事に関しての議論では記事の内容について論じるもので、個人的属性について論じることは、人格批判・個人攻撃、またはその誘因として慎むべきです。ウィキペディアの各記事は平等、という主張は、何に根拠を有するものか分かりません。--磯多申紋 2006年12月23日 (土) 17:05 (UTC)[返信]

ウィキペディアの各記事は平等だと考えていました。すなわち、一方では認められ、一方では認められないという二重基準は合ってはならないと。また編集者の属性はの重要性は、公平な編集を担保するために必要だと考えていました。個人を攻撃するために言っているのではありませんが、その誘因ととられるなら残念です。--218.227.94.128 2006年12月24日 (日) 04:21 (UTC)[返信]
「各記事は平等」という発想は二つの意味で、余り意味を持たないと思うので補足します。一つは、ウィキペディアで用いられる基準は同じであったとしても、各記事に何を記載するかには、必要性の問題の検討が入る以上「一方で認められ、一方では認められない」は当然ありえて、基準が二重になっているわけではありません。もう一つは、他の記事と比較をしたところで、他の記事での議論が当該記事での議論より正当かどうかには、何らの確証もありません。他所で議論したことが本件についても当てはまるのではないか、という提言をするのは議論の重複を避けるために有益だと思いますが、それ以上に、平等を理由として記載を求めても実質的な根拠とはならないと考えます。--磯多申紋 2006年12月25日 (月) 07:47 (UTC)[返信]
検証可能性」の問題については磯多申紋様の記載の仕方で完璧だと思います。あとは記述の是非ですが、格安な宿舎に本人・家族以外を住まわせるという行為が重大な問題だからマスコミは大々的に報道をしたわけです。寺田氏の行為もその重大性に変わりはないと思われ、また上記のような記載なら他の記事における週刊誌をソースとした記載と同様に百科事典としても問題は無いと判断します。私は磯多申紋様の一文を記載する事に賛成です。--218.41.162.54 2006年12月24日 (日) 05:16 (UTC)[返信]
ことの重大性について補足させていただきますと、寺田議員の行動は議員宿舎の規則に反します。それを同僚議員から昨年夏に指摘されてからも、少なくとも今年の秋まで続けております。低俗なスキャンダルだから、マスコミの扱いが小さいから、大きなことに発展していないから小さなことであり、故に記述する必要はないということは思いません。人々が百科事典を見るのは、ある事柄について知りたいときです。その対象が政治家なら、プロフィールや功績(正も負も)を知りたいために見るのでしょう。今回の件はその意味で百科事典に載せてもかまわないと思います。ただしやはりまったく初見の人が誤解の無いように細心の注意を払って記述すべきだと思います。主観的でも感情的でも、週刊誌の記事のような扇情的でもない文章でなおかつ週刊誌の報道が元であると記述すべきでしょう。以上より私も磯多申紋さんの一文を記述に加えることに賛成です--218.227.94.128 2006年12月24日 (日) 08:20 (UTC)[返信]
「マスコミの扱いが小さいから」はそれ自体に意味があるわけではありませんが、一般論としては世間の関心を反映するものであって、事の重大さのバロメータとして用いることにまで否定する必要はないと思います。「大きなことに発展していないから小さなこと」と常にウィキペディアが評価すべきとは必ずしも思いませんが、ウィキペディアは、ウィキペディア以外にて大きく論じられていない内容を独自に大きく取り上げて問題を提起する場ではありません。今回の件については、現状取り上げられているソースが週刊新潮のみであること、その報道に基づいて世間的に非難がされているものではないことからすれば、現時点では記載するに値しない内容と私は考えます。この点については、別に過去の話として全て終わった話ではありませんから、現時点で週刊誌のみの話として記載するのではなく、政治家の責任問題として扱われた時点で記載すれば足りると考えます。--磯多申紋 2006年12月25日 (月) 07:47 (UTC)[返信]
おっしゃる通りに思います。百科事典は世論を動かす場ではなく、世論を動かした事項を解説する場ではないのでしょうか。将来この件で何か話題になったのならばまだしも、何も起こっていない現状では記述の必要を感じません。--Bellcricket 2006年12月25日 (月) 14:13 (UTC)[返信]
逆に私は本人が認めた事項を載せてもいいと感じました。週刊誌を動かしたことは百科事典として不要でしょうか。なお私もこの事を記載して世の中を動かそうとは思っていません。"知らしめるべき"とも思っていません。--218.41.136.15 2006年12月25日 (月) 15:56 (UTC)[返信]
ウィキペディアには多くの政治家の記事がありますが、そのほとんどは世論を動かした事項だけではありませんがね・・・。皆さん、その政治家を知る上で重要かという観点で記事と使いしてるんじゃないでしょうか??--218.227.94.128 2006年12月25日 (月) 16:26 (UTC)[返信]

インデント戻します。これを載せることについてどうとも思っていないなら、なぜ載せたいのか。それがわかりません。週刊誌1誌だけを動かした事項ならば、重要ではないと判断します。そしてここで他の政治家に関する記事を引き合いに出すのは、意味がありません。磯多申紋様がおっしゃっている「『各記事は平等』という発想は意味を持たない」旨のコメントの通りだと思います。--Bellcricket 2006年12月25日 (月) 22:26 (UTC)[返信]

いままでお互いに、載せるべきと思う理由・載せないべきと思う理由は十分言ってきたと思います。載せるべきと思う理由は、ウィキペディアを利用者の判断に資する情報にする為です。なお、ADSLの回線が不安定な為たびたびIPアドレスが変わってしまい申し訳ありません。--219.98.201.201 2006年12月26日 (火) 07:17 (UTC)[返信]
載せるほどの問題か否か?という論点に集約されたように思いますね。どちらにしても世間の騒ぎ方を基準にするのか、問題の本質を基準にするのかいろいろあります。どちらの基準でも主観によって結論は変わってきます。世間の騒ぎ方は小さいけど、本間氏の問題に限らず世間が関心を持っている議員宿舎の話ですし私の主観では一文くらいなら乗せてもいいと思いますね。ちなみに私は秋田に住んだことはなく、特定の政党の支持者ではありません。--218.227.94.128 2006年12月26日 (火) 08:12 (UTC)[返信]
何度も言いますが、世間が関心を持っている事項だからと言って、この問題を「持ち上げる」のは、百科事典の役割ではありません。現在この事項は「定義なし」の状態です。これから先「不祥事」となるかも知れませんし、「青年議員の恋愛ストーリー」になるかも知れません。そういった結果が出てからでも、記述は遅くないでしょう。
恐ろしいのは、寺田氏側から「内容は事実無根」と訴えられる可能性です。このような主張をされれば、記事中の「本人が認めている」など何の意味も持ちません。結果が確定した状態ならともかく、現状では法的リスクを避けるためにも、記述しない方が適当です。--Bellcricket 2006年12月27日 (水) 22:25 (UTC)[返信]
1週間経ちますが、反論が無いようです。このまま3日ほど待ってその他の意見が無いようでしたら、「記述しない」ということで保護解除依頼を行いたいと思いますが、よろしいでしょうか。--Bellcricket 2007年1月3日 (水) 12:50 (UTC)[返信]
コメント依頼見ました。私は、百科事典の役割ということも柔軟に考えていいと考えているので、積極的に削除する必要がないものは削除しなくていいという意見です。いろいろな事実が書いてあって、それをどう判断するかは読み手の問題ですから。そういう観点からは、意見を求められる中、それに誠実に応えず機械的にリバートを繰り返すことになったBellcricketさんの作業手順はあまり感心しません。また、一応、出典有りの記述ですので寺田氏の訴えを過度に心配するのは適切でないと思います。
記述した状態、記述していない状態どちらからスタートするにせよ、IPさんとBellcricketさんは引いて、しばらく他の方の判断にまかせるのがいいんじゃないでしょうか?私個人としては、問題になっている記述は、現状では寺田氏の記事よりも議員宿舎(もしくは議員宿舎問題)の記事の脚注あたりが適当かなと思っています。これが元で寺田氏が議員を辞職するようなら、当記事にも載せるべきでしょうが。。。Fuji 3 2007年1月4日 (木) 17:29 (UTC)[返信]
ご意見、有難うございます。私としては読み手の判断に任せるしかない状態は好ましくないと考えます。柔軟に、という考えもわかるのですが、だからと言って単なる事実の羅列では、ウィキペディアが「百科事典」である意味が有りません。百科事典とは解説を行うものであり、物事を記録するだけでは何の説明にもなりません。
削除については確かに編集合戦の状態となってしまい、反省せねばなりません。しかしノートに書いた私の意見を参照するようにと要約欄で繰り返し誘導しており、「機械的」とのご指摘は受け入れられません。それとも、何らかの記述を削除する度に、要約欄とノートページで同じ事を繰り返し説明することの方が、好ましいのでしょうか。
ともあれ、この記述を載せるかどうか、方針がはっきりしたならば、私も少々引いて見守るつもりではあります。ただ結論の出ていない現状では引きようがありません。
なお秋田県内で発行されているタウン情報誌「bzle」2007年1月号に掲載された寺田氏のインタビューで、本人は「アパートに住んでいる」と発言しており、本件が「事実無根」とされる虞を感じております。現状の私としては「掲載しない」という状態からの再スタートが望ましいという考えに変わりは有りません。--Bellcricket 2007年1月5日 (金) 11:47 (UTC)[返信]

議論中の皆さんは、問題の週刊誌を読まれているのでしょうか?読まずに信頼性に乏しい情報源か判断するのはどうかと思いまして聞かせていただきます。--218.227.94.128 2006年12月24日 (日) 07:58 (UTC)[返信]

該当する週刊誌を読んでいるかどうかは、余り大きなポイントではないと考えます。情報源としての信頼性は、個別の記事の信頼性ではありませんから、該当のメディアがどういう属性のものかの一般的な性質に関する判断になります。個別の記事の信頼性を問うのであれば、該当記事を見ることよりは、該当記事をサポートするような他の記事があるかどうかでむしろ判断されるべきことです。該当する週刊誌を読むことには、加筆を希望する内容が実際に出典となる情報源に書かれているかどうかの確認の意義があるとは言えるでしょうけれども、それ以上の信頼性の問題と関係なく、議論の参加者を制限する目的で用いるのは妥当ではありません。--磯多申紋 2006年12月25日 (月) 07:47 (UTC)[返信]
私は既読です。読んでいないより読んでいる方が議論がしやすいのは確かですね。読んでおられない場合、記事内で本人が真実だと認めておられることも分からないわけです(推測に基づいて書かれている記事ではなく、本人の確認が取れている記事なわけです)。その点で議論が依然かみ合っていませんでしたから。週刊誌とは言えども、まったくの推測で書かれている記事から、大手マスコミではまだ扱われない真実が書かれた記事まであります。例えば本間氏の問題を最初に報じたのは週刊ポストだったと記憶しています。結局その記事は真実で、他のマスコミを動かし、世論を動かし、本間氏は辞任しました。週刊誌の記事とは言えども、情報力に高低はあるわけで、読むに越した事はないと思います。もちろん磯多申紋のおっしゃられる事もよく分かります。--218.41.162.54 2006年12月25日 (月) 09:24 (UTC)[返信]
当該記事は読んでおりません。しかし、それは読んでも読まなくても同じだと思います。「本人が認めた」という事実がわかった所で、世間で評判になっていないという認識に変わりはありません。一応次の休みにでも図書館で見てみようかとは思いますが、読んだとしても現在の意見は変わりません。--Bellcricket 2006年12月25日 (月) 14:13 (UTC)[返信]
それ自体が著作権を無視した行為ですが、ネット上で記事を起こしている方がおられるようです。あえてリンクは貼りませんが、検索してみてもいいかもしれません。図書館に行く手間が省けます。--218.41.136.15 2006年12月25日 (月) 15:56 (UTC)[返信]

上に出ていませんが、寺田氏に奥さんはいるのでしょうか?いるのなら問題ですが、(民法上の貞操義務違反)いないのなら問題ありません。あと、週刊新潮と言えばインタビューさえ捏造するようなところですから(新潮社は認めていないようですが、裁判所も捏造を認定しており、疑いようもないでしょう。)、他に情報源がないなら要注意です。--61.86.248.30 2007年3月16日 (金) 13:21 (UTC)[返信]