ノート:天皇誕生日

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「大行天皇」について[編集]

大行天皇とは、「崩御から諱が決定されるまでの間」の呼び名だと思います。
大行天皇である期間に自動的に移行決定するから・・・というのもありますが、
説明上で「亡くなった先代」という意味に取ってよいのか、微妙に思いました。
(否定する根拠も特に持っていません)。Adacom以上のコメントは、Adacom会話投稿記録)さんが[2003-08-04 03:33:11 (UTC)]に投稿したものです。

広辞苑を見ると、大行天皇には先代の天皇という意味もあるようですが、大辞林にはその意味は取り上げられていません。どうもここでの使われ方は稀なもののようなので、Adacom さんのおっしゃるように言葉を変えた方がよいと思います。--出でやる 05:41 2003年8月4日 (UTC)
検討・修正をありがとうございます。
下の件にも絡みますが、難しい言葉を使ったり傾向を推測したりせずに、事実のみを表現するよう努めてみました。 --Gombe 09:51 2003年8月4日 (UTC)

「天皇誕生日はその後も祝日として残すことが慣例化しつつある」と言えるか[編集]

編集履歴より:

09:32 . . 219.98.106.183 (ノート | block) (文章の推敲, styleの修正。疑問:本当に天皇誕生日はその後も祝日として残すことが慣例化しつつあるのだろうか?)

確かにその通りですね(^^;
当時の経緯を「慣例化しつつ」とまでも言いきれないと思うので、事実のみの表現に入れ替えてみました。
昭和天皇の生物学者としての業績に配慮した命名なんですかね? 春だし。>みどりの日
--Gombe 09:51 2003年8月4日 (UTC)

吹上御苑のことを考えると粋な名称ですね。天長節であったかどうかはわかりづらくなってますが。これは御忌日ですが、明治において皇霊祭とすることで纏めておりますので、全ての天皇誕生日が今後残るとは限らないと思います。与党や国民、陛下のご意向次第といったところでしょうか。--Qoo 2007年7月31日 (火) 12:30 (UTC)[返信]

大正天皇誕生日について[編集]

本文では、「大正天皇の場合には、現在にいたるまで祝日とはなっていない」となってますが、昭和9年度の年略暦には「大正天皇際 十二月廿五日」と記されています。この暦は東京の印刷会社から出版されたもので、ローカルで独自に作られたなものではないと思います。大正天皇の誕生日が祝日として祝われていた時期があったのではないでしょうか? --以上の署名のないコメントは、71.229.220.76会話/Whois)さんが 2006-10-21 09:43:19 (UTC) に投稿したものです。

略暦は取締がゆるかったので、民間信仰などの記載が許容されていました。物によりますが、出版社独自の基準である可能性のほうが高いです。官暦として出版されていた伊勢神宮支庁のものが正式な物だったようです --Qoo 2007年7月31日 (火) 12:30 (UTC)[返信]
あと、気になったのですが、12月25日は大正天皇が崩御された日で、誕生日とは無関係と思われます。--水野白楓 2008年12月22日 (月) 13:40 (UTC)[返信]
冊子型戦前は国家機関であった伊勢の神宮の「神宮司庁」が官暦の編纂権を持っていたのだそうで。現在は国立天文台が毎年2月1日に暦要領を官報の官庁報告で掲載してますね。--翰林硯士 2008年12月24日 (水) 01:26 (UTC)[返信]

今上天皇の誕生日が2月29日の場合[編集]

今上天皇の誕生日が2月29日の場合、閏年ではない日は何月何日が誕生日になるのでしょうか? --経済準学士 2006年10月23日 (月) 19:01 (UTC)[返信]

恐らく適宜法改正されるものだと思います。解釈としては年齢計算ニ関スル法律の年齢計算と同じ解釈をするのではないのでしょうか。すなわち閏年であれなかれ、仮に陛下が2月29日にお生まれであったのならば、2月28日には未だ法律上は存在していない。よって、その翌日たる2月29日または平年での3月1日が誕生日であると認識され、祝日となるのではないだろうか。--Qoo 2007年7月31日 (火) 12:30 (UTC)[返信]