ノート:千葉景子

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この千葉景子氏の記述内容は明らかに偏っており、本人を貶める悪意を持って書かれていると思います。私自身には技術知識がなく修正する方法が理解できないのでここで指摘として記入します。以上の署名の無いコメントは、114.51.155.15会話/Whois)さんが[2010-01-30T13:55:42(UTC)]に投稿したものです(Bellcricketによる付記)。

事実に基づき書かれています、偏っているというならソースを出して下さい--116.80.41.241 2010年4月6日 (火) 08:28 (UTC)日本人[返信]


一部事実に基づいて記載されているようですが、法務大臣になってからの例外的措置の連発が記載されていません。 新聞等で記載され事実として報道されていた件が一切Wikiには綴られて折らず、「千葉景子」の支援者を擁護する形での作為的な記載不足が見受けられます。

具体的な指摘がなされないのでは具体的な返答も出来ませんが、「特に存命人物の記事は、不適当な情報によって個人的な被害を受ける恐れがあるため、編集にあたっては中立的な観点を維持し、事実の正確性を維持し、確実に信頼できる適切な出典が明示されることによって記事の品質を向上することができる」とあります。特に「Wikipedia:存命人物の伝記」「Wikipedia:信頼できる情報源」あたりのルールを熟読・理解されたうえで、また可能であればIPユーザーも卒業なさった上で編集を試みて下さい。そして、自身の編集のバランス感覚が本当に中立的かどうかも推敲し自問自答しつつ、冷静に行なって欲しいと思います。なお、ノート記載の際も署名を忘れない。--Pattio 2010年7月12日 (月) 09:14 (UTC)[返信]

現在、議員ではなく、民間人です。--121.103.27.208 2010年7月12日 (月) 08:20 (UTC)[返信]

任期満了日は2010年(平成22年)7月25日だから、まだ参議院議員ですよ(公職選挙法257条参照)。--Qrsk075 2010年7月12日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

公職選挙落選後も閣僚を続けた例[編集]

公職選挙落選後も閣僚を続投した例
選挙投票日 選挙 内閣 候補 役職 離任日 経過日数
1949年1月23日 1949年衆院選 第2次吉田内閣 工藤鉄男 行政管理庁長官 1949年2月16日 24日後
1953年4月24日 1953年参院選 第4次吉田内閣 林屋亀次郎 国務大臣 1953年5月21日 27日後
1955年2月27日 1955年衆院選 第1次鳩山内閣 武知勇記 郵政大臣 1955年3月19日 20日後
1958年5月22日 1958年衆院選 第1次岸内閣 唐沢俊樹 法務大臣 1958年6月12日 20日後
1976年12月5日 1976年衆院選 三木内閣 天野公義 自治大臣 1976年12月24日 19日後
大石武一 農林水産大臣 1976年12月24日 19日後
前田正男 科学技術庁長官 1976年12月24日 19日後
1983年12月18日 1983年衆院選 第1次中曽根内閣 大野明 労働大臣 1983年12月27日 9日後
谷川和穂 防衛庁長官 1983年12月27日 9日後
瀬戸山三男 法務大臣 1983年12月27日 9日後
1990年2月18日 1990年衆院選 第1次海部内閣 江藤隆美 運輸大臣 1990年2月28日 10日後
1996年10月20日 1996年衆院選 第1次橋本内閣 田中秀征 経済企画庁長官 1996年11月7日 18日後
1998年7月12日 1998年参院選 第2次橋本内閣 大木浩 環境庁長官 1998年7月30日 18日後
2000年6月25日 2000年衆院選 第1次森内閣 玉沢徳一郎 農林水産大臣 2000年7月4日 9日後
深谷隆司 通商産業大臣 2000年7月4日 9日後
2010年7月11日 2010年参院選 菅内閣 千葉景子 法務大臣 2010年9月17日 68日後
千葉法相、「落選後も続投」閣僚の記録更新か(読売新聞2010年7月13日)によると、「記録が残る1953年以降、現職閣僚として臨んだ国政選挙で落選したのは、千葉氏を含めて15人。このうち、落選後も閣僚を続けた例としては、53年の参院選で落選した林屋亀次郎国務相の27日間が最長だ。千葉氏が9月まで続けると、最長記録を更新する。」と書かれていたので、調べてみました。
単純計算をすれば、2010年8月8日以降も千葉氏が大臣続投をすると、林屋氏の記録を更新することになります。
また林屋氏は1953年5月3日から1953年5月21日まで19日間の民間人閣僚でした。2010年7月26日から民間人閣僚となる千葉氏は2010年8月14日以降も大臣続行すると、選挙で落選した現職閣僚が離任せずに民間人閣僚としての在任期間が更新されることになります。--経済準学士 2010年7月25日 (日) 05:31 (UTC)[返信]
千葉大臣は2010年7月26日から民間人閣僚となっていますが、内閣総理大臣臨時代理予定者順位は5位のままです。かつて、深谷隆司通商産業大臣は選挙で落選した時は、内閣総理大臣臨時代理予定者順位は4位であり、10日間の民間人閣僚の任期間中は内閣総理大臣臨時代理予定者順位4位だった例があります。
落選した現職閣僚が離任せずに国会開会中の国会常任委員会に出席した例はないでしょう。おそらく千葉大臣が初めての例ではないでしょうか? --経済準学士 2010年8月4日 (水) 14:40 (UTC)[返信]
千葉法相、落選閣僚の留任最長に 淡々と職務続ける意向(共同通信 2010年8月8日)によると、内閣総務官室によると、記録が残る1947年以降、国政選挙に臨み落選した閣僚は千葉氏を含め16人」とのこと。1949年に落選した工藤鉄男行政管理庁長官を追加します。--経済準学士 2010年8月8日 (日) 10:49 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

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ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 18:21 (UTC)[返信]