ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か

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「世界の一体化」そのものについて[編集]

日々、加筆修正が行われ、成長していく様子、すばらしいです。正直、追いきれないほどです。さて、気になったことをのべます。それは、そもそも、「世界の一体化」とはなんぞや、ということです。冒頭に、その定義がかいてありますが、これだけで足りるのでしょうか。「世界の一体化」という用語の提唱者や、研究史をふくめ、肝腎の「世界の一体化」そのものの解説が足りないのではないでしょうか。この記事は、ただ十六世紀以降の世界史を解説するものではないはずです(よね?)。しかし、根本がはっきりしない現在のままだと、どうできごとを取捨選択すればよいか分からず、結果軸のぶれた記事になりはしまいか、そんな懸念をもっています。「世界史」という概念もよく分かっていないずぶの素人の問題提起ですが、よろしくご検討ください。--じゆにち 2007年12月17日 (月) 14:50 (UTC)[返信]

うーん、どうなんでしょ。例えば、XとYという地域がもともと接触があったとしても、貿易程度しか行われなかったものが、政治・経済・軍事・文化とあらゆる側面で世界にコミットしていく過程といえば的を得ているのでしょうか?東南アジアと西洋の接触と植民地化、あるいはイタリアの帝国主義思想、カナダ史の俯瞰では、そういう形を匂わせて執筆したつもりですが。となると、参考文献を一度、読んでみないといけないですね。--Tantal 2007年12月17日 (月) 14:57 (UTC)[返信]

じゅにちさんのおっしゃりたいことはよくわかります。これは世界システム論なんですね。ただ、世界システム論という記事はこれとは別にありますし、学史などもそこでふれられています。システム論については、いろんな批判があったり、その内部でもいろいろと難しい論争が活発におこなわれている領域のようです。特に「日本という例外をどうとらえるか」「それは本当に例外なのか」というのは、難問中の難問のようです。システム論者でもまったく正反対のことを言うようなことがあるらしいです。わたしとしては、そういうむつかしい論争はおいておいて、もっと史実に即したものがあればいいんじゃないかと思いました。こういう言い方をすると開き直りになってしまうかもしれませんが、16世紀以降の「世界史」解説でもよいかなとも思うのです(ただし、万国史、列国史ではなく、世界史になっていればの話です)。当初は、まさかこんなに巨大なものになるとは思いませんでした。大航海時代によって大西洋経済が生まれ、それが産業革命を生んで、一方では列強のキャッチアップ、国民国家形成の営みがはじまり、一方では従属地域が生じ、帝国主義によって「分割を通じた一体化」と呼びうる状況が生まれて、帝国主義戦争としての第一次大戦に発展する、その間に覇権はイギリスからアメリカに移っているが、各国の国民経済はいっそう結びついていることから、恐慌は世界恐慌となって第二次大戦に発展する。まあ、こういうことを書きながら、覇権国家のうつりかわりだとか、そのプロセスのどこに画期があるのかとか書きたいと思いました。おっしゃるとおり、軸がぶれる怖れは常にかかえているわけですが、まあ、とりあえず20世紀に入らないといけません。おっしゃる指摘には追々答えていきたいと考えていますので、少し気を長くしてお待ちいただければ幸いです。--Greenland4 2007年12月17日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

この記事は相当potentialがあるなと想定していましたが、ここまで拡大するとは思ってもいませんでした。20世紀までの流れの軸はGreenland4氏が上述しているところかなと思います(21世紀は現在進行形ですが・・・)。中国に関して言うと、アヘン戦争を境に世界システムの従属下に入り、その後は、国共内戦を経て、中華人民共和国の建国以下、毛沢東、鄧小平、今のBRICsの台頭へと続くストーリーは見えているんですけどね。
2007年12月23日段階の版で、清末だけではなんかすっきりしなかったところもあり、20世紀への布石として、19世紀後半の科学技術の進展と帝国主義の節を書いてみました。帝国主義や近現代の産業・経済に関する書物をもう少し読む必要があるかとは思います。--Wushi 2007年12月23日 (日) 01:38 (UTC)[返信]

世界の一体化の契機に関してなんですが、西欧による海からの統合に先駆けて、京都大学の杉山正明氏らモンゴル史などの内陸ユーラシア史の研究者から、モンゴル帝国による大陸の政治的、経済的統合が大きな役割を果たしてきたという指摘がなされています。こうした観点に立つ論者からは、ロシア帝国、オスマン帝国、ムガル帝国、明朝などの16世紀のユーラシア内陸の大規模国家はモンゴル帝国そのものやモンゴル帝国内地方政権の後継国家の性格を有することが指摘されています。また、この統合が西欧による一体化と深く呼応していることも指摘されていたかと。この観点の記述も必要なのではないかと思います。--ウミユスリカ 2008年2月20日 (水) 01:09 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。そのことは、新潟大学の湯浅赳男先生もおっしゃっており、それは「世界の一体化#近代世界システムの成り立ち」でふれようと思っていましたが、未筆です。--Greenland4 2008年2月20日 (水) 01:20 (UTC)[返信]
ウミユスリカさん御指摘の件、原稿を起こしてみました。お読みいただければ幸いです。絶妙なアドバイス、まことにありがとうございました。感染症の歴史へのかゆい部分への加筆に対しても心から感謝申し上げます。ちょっと弱いところがあるかなと自分でも思いますので、感想などございましたら、お寄せください。--Greenland4 2008年3月7日 (金) 22:12 (UTC)[返信]

「世界の一体化」は独自観点による独自研究[編集]

記事の長大さに目を奪われるた議論が多いようですが、何故長くなるのかということに着目すれば、記事の立て方自体に問題があると思います。「世界の一体化とは、世界の歴史において、経済的不平等・経済格差をともなう諸地域間の分業システム(近代世界システム)の形成と固定化、およびその再編の全過程をあらわす」という定義の段階において既に中立的な観点から逸脱しており、解説詳細本文の第一章を構成している「世界の一体化とは」はイマニュエル・ウォーラステインに始まり学派を形成する研究者と研究史の解説だけで、中立的な観点を犯した内容を展開しているに過ぎないと思います。また、第二章以降はその観点を含む世界史を延々と記述しているに過ぎず、記事が中立な観点から再編集されるならば不要な部分であると考えます。--ゴンベイ 2008年3月4日 (火) 09:01 (UTC)--節の主題に沿った議論を進めるために、長大さと分割に関する見解部分を削除ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 12:49 (UTC)[返信]

ゴンベイさん、下の#分割以外の方法を考えるべきでのやり取りを読んで、ゴンベイさんがこの記事を「独自研究」だとされる理由についてもっと詳細に語っていただけないでしょうか。--Greenland4 2008年3月5日 (水) 21:49 (UTC)[返信]
この記事を「独自研究」「中立的な観点でない」とぶっきら棒に断じただけのコメントだけで申し訳ないと思っておりますが、私自身WP編集に関わることに相当ムラがあるので追記できず、催促させてしまい恐縮です。Greenland4さんにご満足いただけるほどに詳細に語る能力はありませんが、おいおい書くつもりでおります。ところで、これの双子記事であり、Greenland4さんも編集に加わっている「世界システム論」では「巨視的歴史理論である」と定義していますが、「世界を一体として把握する」・「世界経済の一体性」を時間軸上で、すなわち歴史的に記述することについて、「ヘゲモニー」の移動と「日本での受容」の範囲で触れるに過ぎず、単独記事を起こせるくらいに重要な述語であるはずの「世界の一体化」が全く記述されておらず、まことに不思議に思います。前回コメント後、英語版記事にもあたって見ましたが、それらしい用語("integration of world"?)を見つけられず困惑しております。「世界の一体化」という述語の元の英語は何というのでしょうか?また、それはウォーラステイン或いは世界システム論学派の誰が何という論文・著作で実際にどのように定義しているものなのでしょうか?これをご提示いただければコメントの書き様もそうとうに前向きに変わりますので、是非教えていただきたいと思います。なお、「世界システム論」の日英双方を読み比べた結果、この記事のありように対する評価は前回コメント時からだいぶプラス側に触れています。(「世界システム論」の英語版、ざっと目を通したに過ぎませんが、題名はWorld-systems theoryなのに、本文ではworld-system approach、World System Analysisと表記が揺れている上に、カルチュラル・スタディーズに基づく文化史学によるWorld Systems Theoryが出て来たりと、結構解読するのが難儀な記事ですね。)--ゴンベイ 2008年3月6日 (木) 04:12 (UTC)[返信]
お答え下さり、まことにありがとうございました。だいたいの趣旨がわかってうれしいです。確かに、その部分の解説は不充分でしたね。御指摘ありがとうございました。もとの英語は何というかについては、どこかでチラッと見かけた気がするのですが、かなりあちこち探さないといけない感じで、お待たせすることになるかもしれませんが御容赦ください。さしあたって、
では、いずれも「世界の一体化」が基本用語として登場しているので御参照いただきたいと思います。「世界の一体化」は山川出版社の高校生用「世界史用語集」にも登場し、[1]のように今日ではむしろ大学入試必須タームにまでなっています。ただ、これもせいぜいここ10年来の現象であり、おそらくは、高等学校学習指導要領の改正にともなうものだと思うのですが、そこまでは正直手がまわりかね、放置していた次第です。しかし、この放置は御指摘のとおり重大な怠慢でした。以後、追究していき、記事に反映させたいと思いますので、御容赦いただければ幸いです。英語版などもお読みいただいてコメントくださいましたことを感謝いたします。ただ、ウォーラーステインもブローデルもそうですが、ある意味、表記の揺れは仕方がないかなと思います。かれらの手法は、そういう術語を説明するというようなことより、それを織り込んで歴史叙述するという方法が多いので、文脈に応じて言い回しを変えることはむしろ普通のようです。英語版の揺れもその反映じゃないんでしょうか。--Greenland4 2008年3月6日 (木) 22:26 (UTC)[返信]
ゴンベイさんへ。手元に原語のテキストがあるわけではないので、なかなかうまく調べられませんでしたが、「世界の一体化」の用語はどうも"World Integration"が多いようです。昨日の編集で記事に反映させておきました(ログインしそこねましたが、モンゴル関連の参考文献をアップしたのと同時です)。ネット検索によるものですし、実のところ、あまり英語は得意ではないので、100パーセントの自信はないのですが、どうもそれが多いようです。「多いようです」というのは、ゴンベイさんもおっしゃっているように、表記の揺れがたくさんみられたからです。また、誰がどの書で"World Integration"を言い始めたのかなどというところまでは、わたしの語学力ではつかめませんでした。ただし、表記の揺れに関しては日本語も同様でありまして、上記の論文やシラバスを御覧いただければ、ある程度察せられるものと思います。「独自観点による独自研究」との御指摘ですが、世界の一体化#学校教育における用語の登場にも記しましたように、平成11年改正の高等学校学習指導要領以降は広く用いられる用語であり、少なくとも「独自観点」ではないことは御理解いただければ、と思います。また、この問題に関しては「独自研究」と呼べるほどのものがあるなら、すでに名をなすシステム理論の学者になれるのではないでしょうか。実のところ、われわれ(というか私)にはそう呼べるほどのものなどなく、自分の考えを述べているところなど、まったくありません。誰それはこう言っているということを単に紹介しているだけです。Wikipedia:独自研究は載せないを読んでも、そのうちのどれにあてはまるのか正直よくわかりませんでした。何か御意見ありましたら、お寄せください。ただし、これはKs aka 98さんもおっしゃっているように、扱いが難しいところがあるんですね。どの歴史事象を選択するかということで、すでに観点が問われるようなところがあるわけです。そういう点からすれば、たとえば国際運河のことやら、鉄道、海底テーブル、移民のような事象、つまり、世界の一体化を促進するような事象をもっと取り上げて、出来事史はもっと抑制すべきだというような見解にはおおいに首肯できますし、改善の余地は認めます。あと、もしかしたら、ゴンベイさんは「不平等、経済格差」という冒頭の定義文における語句をもって、この記事が「反グローバリゼーション」という特定の立場に立った、あるいは政治的な色のついた記事ではないかと疑っておいでかもしれませんが、もし、そうであるなら、それは誤解です。それは、世界の一体化#学校教育における用語の登場を御覧いただければ、理解していただけるものと思います。わたくし自身は、分割に反対するものではなく、また分割の話と内容の話を切り分けて考えることにもむしろ賛成であり、そうできるのならそうしたいのですが、ゴンベイさんが冒頭に掲げた「何故長くなるのかということに着目すれば、記事の立て方自体に問題がある」という御指摘を重視しており、それを無視してはいけないとも思っています。ゴンベイさん自身は分割についてどう思っていらっしゃるのか、また、わたくしどもの説明や問題提起について、どのように思っていらっしゃるのか、お考えを示していただければ幸いです。--Greenland4 2008年3月10日 (月) 10:03 (UTC)[返信]

ゴンベイさんによる解説と改定案[編集]

==ゴンベイが本項記述に対して疑義を表明した包括的な理由と記事改定のプラン==

(お断り)このコメントは、Greenland4さんが 2008年3月10日 (月) 10:03 (UTC)に記されたコメントを読む前に書かれたものです。--ゴンベイ 2008年3月10日 (月) 19:25 (UTC)[返信]

本項の導入部をグローバリゼーショングローバリズム、Greenland4さんも編集に参加されているグローバル資本主義の慎重な記述、下の改定案と比較すれば中立的観点に立ったものであるかどうか一目瞭然かと思います。本項の導入部が「経済的不平等・経済格差をともなう」という価値判断を含んでいることに注意すべきです。

私は英語版のen:Immanuel Wallersteinen:World-systems theoryを日本語版のそれと対比して分析した結果、イマニュエル・ウォーラステインの導入部を次のように編集しました。

イマニュエル・ウォーラステイン (Immanuel Wallerstein, 1930年9月28日-)は、アメリカの社会学者。カール・マルクスがその政治経済学の根底にすえた史的唯物論や資本と労働の二項対立等の学説、アナール学派の代表的存在であるフェルナン・ブローデルと従属理論の研究を踏まえて、ヨーロッパの大航海時代がもたらした世界的交易を起点に、世界は政治経済・社会的差異を包含して機能する一つのシステム化し、今日に至るも続くとする、世界を単一のシステムとする巨視的な観点による、政治経済学と社会学を包括した独自の国際関係論である世界システム論を提唱、確立した。

マックス・ヴェーバーは経済史・思想史において重要な貢献をしましたが、歴史学者ではなく社会学者・経済学者です。ウォーラステインは歴史学において重要な貢献をしましたが、ウォーラステインは(日英版とも全く触れていませんが)パーソンズ以降の社会システム論が主流となったアメリカの社会学の環境下で育った学者で、歴史学者ではなくアメリカ社会学会長も務めた社会学者です(追記)(postパーソンズに位置するマートンが拡張した機能分析、すなわち順機能に対する逆機能の指摘、「多元的認識構造」を含む中範囲の理論に、ウォーラステインの理論の多元的構造の枠組みが類似していることにも注目したい)(/追記)世界システム論は世界経済の分業構造が決して固定的なものでないこと、それが通常資本主義が生起したとはされていない大航海時代から始まるもであることを証明する歴史的分析を含み、それが近代世界資本主義の生成と構造を時間軸に沿って記述したとしても、それは(追記)時代区分論を含む一つの歴史学方法論の提示ではありますが、(/追記)まさに「世界」「システム」論であって、歴史学の理論(追記)としての提出を主意としたもの(/追記)ではなく、ましてやキリスト教史観や唯物史観を含む進歩主義史観(社会進化論?)に基づく歴史理論ではありません。(ウォーラステイン自身がソ連が優位に立つと思っていたことで自身が歴史理論とされる誤解の基かもしれませんが、ソ連の崩壊によりこの見方は根底的に間違いが証明されています。)経済発展段階説は既に否定された歴史理論の要素を含むですが、ウォーラステインの寄与はそれらが個別の地域・国において世界経済と無関係に単線的に成立するものでないことを理論だてたことにあります。彼の世界史批判とされるものの肝ここにあり、近代において一国史を世界と切り離して記述することへの批判こそ重視されるべきであって、日本の世界史学者や教育者による受容は自らの関心事に引き付け過ぎた理解だと思います。また、彼が世界史学者でないことは、皮肉にも本項でのように世界史を記述することに全く傾注していないことが端的に証明していると思います。--(一部追記)ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 12:38 (UTC)[返信]

Greenland4さんが本項を書かれた当初からウォーラステインのシステム論によるものを企図していたことは、導入部分の価値判断を含む記述だけでなく先行して存在した「世界システム論」へのリンクを張っていたことでも明らかです。「世界の一体化#世界システムという考え方」節は後に書かれたものですが、経済発展段階説に対して付した最後の文言を除けば、歴史理論と断じた先行記事よりも遙かに目配りの効いた「システム論」としての解説になっており、置き換えたいくらいなものと思います。しかし、本項導入部分でウォーラステインに触れずに付け加え、さらにウォーラステインとの関係を述べていない学習指導要領についての記述を加えることで、独自研究の欠点を増してしまっていることは残念だといわざるを得ません。

私が本項記述に対して中立性の観点と独自研究への疑義を表明したことに対して、多くの編集参加者が無頓着であることは、「世界の一体化#16世紀(一体化のはじまり—大航海と征服・植民地化の時代)」以降の節がひたすら冗長への道を歩む理由となっており、この記事の充実から遠ざかるものであるとも思っています。誤解に基づく文言を削除--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 09:43 (UTC)[返信]

記事改定案
<導入部>
世界の一体化(せかいのいったいか、Integration of the world)とは、交通と通信の発達により人の活動が国や地域を超えて世界規模で展開し、相互に密接に関連・影響するようになった過程と国際的相互依存関係の状況をさすものでありグローバリゼーションと同義であるが、本項では16世紀の大航海時代以降本格化し現在もなお進行中であるとする歴史概念として解説する。

この歴史概念の起点を16世紀の大航海時代とするのは、アメリカ合衆国の社会学者イマニュエル・ウォーラステインが確立した世界システム論の歴史的分析によるものであり、とりわけ日本における世界史教育では学習指導要領に重要な観点として盛り込まれた。

<詳解>
1 大航海時代に始まる世界の一体化
1.1 ウォーラステインの世界システム論による歴史概念提示
(本文省略)
 ※起点を大航海時代としたことの理由、世界が経済の分業構造として一体であることを中心とする
 ※時代区分表は重要不可欠
1.2 日本の世界史教育における概念の登場
(本文省略)学習指導要領との関係では次のことに注意。
 ※世界ヘゲモニー(交替)論は明確に打ち出されておらず、「オランダ海上帝国」はあっても「オランダの覇権」論は採用されていない。
 ※第二次世界大戦後の日米は経済的不平等を生み出すプレーヤーの側面は強調されない。とりわけ米国は第一次世界大戦以降は全体主義と共産主義に反対する自由と民主主義のリーダーとしての側面が強調され、自由市場主義経済の主導者の側面が隠されている。

世界の一体化#近代世界システムの胎動」はウォーラステインの大航海時代起点論への批判としてではなく、大航海時代が始まった動機としての側面を強調してウォーラステイン説を補完するものとして1.1節に統合するのがベターかと。

「16世紀(一体化のはじまり—大航海と征服・植民地化の時代)」以降の節は「世界の一体化とは」節本文が正月に加えられる以前に世界システム論を取り立てて意識することの無い多くの編集の結果で既に膨れ上がっていた経過があり、特に簡明な時代区分表が追加されたことで、他の方も指摘しているように、対比すれば中身の薄い冗長な印象は免れません。思い切って世界の歴史の大航海時代以降の部分に移し、時代区分表に見合ったダイナミックかつコンパクトなものとして抜本的に再構築すべきだと思います。誤解に基づく文言を削除--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 09:43 (UTC)[返信]


ストーップ。内容について、並行してやるなら、サブページに移動しましょう。分割論と混乱します。それから、どうすれば皆が納得いく分割になるか、内容に踏み込むなら、ネットだけじゃなくて、資料を探し、入手することにも時間をかけましょう。--Ks aka 98 2008年3月10日 (月) 11:32 (UTC)[返信]

わたし自身はどちらでもいいです。ゴンベイさん次第です。分割には賛成です。資料を探し、入手することに時間をかけることについても異論があるわけではありません。分割とは関係なく必要なことだと思います。--Greenland4 2008年3月10日 (月) 15:41 (UTC)[返信]

説明と改定案へのコメント[編集]

ゴンベイさん。いや、おみそれしました。そして、わたしの疑問に「完全に」答えてくださり、ありがとうございました。これほど、完全に答えていただけるとは思っていませんでした。どうして、ゴンベイさんが「独自研究」とおっしゃったのか、「記事の立て方に問題がある」とおっしゃったのか、やっと腑に落ちましたし、どこが「中立的観点」を冒しているのかがやっと理解できました。口に苦かったですが「良薬」ですので飲まないわけにはいかないと思います。そして、いくらイライラしていたとはいえ、「レッテル貼り」「人のふんどし」「どういう了見」の文句はあまりにも失礼だったことを心よりお詫び申し上げて、前言をすべて撤回いたします。お許しください。確かに、冒頭に「不平等、経済格差」を掲げたのは不適切だったと思います。私の方がふんどしヨレヨレでチンチン丸見えでした。もし、分割ということになったら、第1章はゴンベイさんにぜひ相撲をとっていただきたいと思いますので、何とぞ、どうかよろしくお願い申し上げます。

2点ばかり、疑問があります。1つは、確かにウォーラーステインは社会学者かもしれませんが、世界システム論は一般に社会学の理論という受け止め方をされているか、あるいは、社会学者が歴史理論を唱えてはいけない理由があるかということです。というのも、アメリカでは、社会学というのはすべての人文・社会科学の教養みたいな扱いをされているという話を聞いたことがありますので。もう1つは、学習指導要領の※印の2番目です。これは、どなたの指摘かということです。これは、個人的にたいへん興味がございます。

見え消しをしてくださったので、たいへんありがたく思いました。御配慮に感謝申し上げます。「世界の一体化」ということでそのプロセス(歴史)を書く手法が「独自研究」という御指摘、まったく理解できないわけではありません。ただ、このタイトルだったから、みなさん協力しあってこんな大きな記事になったような気がするのです。こういうと自画自賛に受け止められるかもしれませんが。そこでは執筆者は「一体化」していたような気がします。なので、見え消しをしていただいてとても嬉しいです。心から感謝申し上げます。「世界の一体化」というタイトルがもし独自研究となるものであれば、プロセス(2章以下)の部分は「グローバリゼーションの歴史」でも個人的にはかまわないと思います。それだと、独自研究色が薄まるように思います。(もうひとつ甘えれば(1)(2)(3)という通し番号だとなおうれしいです。)個人的には「発展解消」というような気持ちで、かえって卒業気分です。もとより、みなさまの御審議に委ねるものでありますが。。。明日から週末にかけて出かけますので、来週にならないと戻りませんが、ゴンベイ様、ここにお集まりの皆様、何とぞ御審議お願いいたします。今まで、議論を混乱させてしまい、御迷惑をおかけしました。--Greenland4 2008年3月11日 (火) 13:59 (UTC)[返信]

先の「記事改定案」は本項をいかにして残すべきかという趣旨で論じており、「世界の一体化」という題名自体を独自研究と断じての改名やまして削除を意図してはおりません。ウォーラーステインの世界の一体化#世界システムという考え方節(説)に対する「世界の一体化-学校教育における用語の登場」節での我が国の文科省の脱色化しての採用との両論間でいかにバランスをとるかによって、具体の歴史記述をどうするかの編集方針になるのではないかと思います。(注:{{main|世界システム論|従属理論}}は、世界システムという考え方節の冒頭に移された方がバランスの収まりがよいと思います。)分割議論節の方に付したコメントにも書きましたように、極コンパクトなダイジェストだけを残して本体はWikiBookに逃がした方がWikiPediaの厳しい編集制約も受けずに楽だと思いますが。。。--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 16:25 (UTC)[返信]

Kanbunさんからの疑問[編集]

突然割り入るようで、恐縮なのですが、私には上のゴンベイさんの言ってることがいまいちよくわかりません。2,3,順を追って質問をさせてください。
>本項の導入部が「経済的不平等・経済格差をともなう」という価値判断を含んでいることに注意すべきです。
ウォーラーステインの理論の肝は16世紀から、「中核」「半周辺」「周辺」という三層の階層秩序で成り立つ世界経済が成立したという点にあるのでは?「経済的不平等」と「経済格差」というのはこれの言い換えに過ぎず、価値判断を含んでいるとはどういう文脈で成り立つのですか?
学習指導要領はウォーラーステインの世界システム論イコールではないと申し上げています。価値判断を言い換えに過ぎないと思われるのは「従属理論」のイデオロギー的側面から引き継がれる見方に嵌り過ぎているのではないかとも感じます。(Greenland4さんがお書きになった「世界システムという考え方」節の時代区分表は表形式の制約もあってのことでしょうが、分業構造の要素としての三区分は対等の概念として並立し、搾取・被搾取の関係を記述していません。)--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 16:25 (UTC)[返信]
>歴史学方法論の提示ではありますが、まさに「世界」「システム」論であって、歴史学の理論としての提出を主意としたものではなく、ましてやキリスト教史観や唯物史観を含む進歩主義史観に基づく歴史理論ではありません。
これよくわからないんですが、もしかするとゴンベイさんが書き間違ってるんじゃないかと私は思うのですが、歴史学方法論は歴史理論ですよね?
いちおうここらへんはっきりさせないと、ゴンベイさんのおっしゃっていることは私にはよくわかりません。--Kanbun 2008年3月11日 (火) 14:46 (UTC)[返信]

私は進歩史観を含むと考えている「歴史理論」論を否定していますが、世界システム論を「時代区分論を含む一つの歴史学方法論」或いは「歴史学の理論」との表現をしており、「主意としたものではない」との表現も歴史学との関係を遮断しているわけではありません。世界システム論が歴史理論であるか否かについては、ご本家であるノート:世界システム論の「世界システム論は「歴史」理論か」節で始まっております。このノート自体が長大で重くなっていることも配慮し、こちらではコメントしません。あちらにお越しください。--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 16:25 (UTC)[返信]

いまいち要領を得ないので、もう一度言い換えて質問を。
>学習指導要領はウォーラーステインの世界システム論イコールではないと申し上げています。……分業構造の要素としての三区分は対等の概念として並立し、搾取・被搾取の関係を記述していません
私は学習指導要領の話などしていません。また、一般にウォーラーステインの三層の階層秩序は搾取・非搾取の関係で捉えたものとするのが通説であるように思われます。たとえば有斐双書『新版西洋経済史』p.96や星野智『世界システムの政治学』p.4をご覧ください。以下は後者からの引用です。「これら世界システムの三つの圏における相互関係の特徴は、次の四点にまとめることができる。第一に、中心が半周辺と周辺の双方から富を搾取している点である。」
世界システム論に関わる議論のすべてにおいて言いたいことですが、日本における世界システム論の受容を歪めたと私が思っている日本の歴史学者による祖述ではなく、ウォーラスタイン自身の著書からの引用により論だてていただけるとありがたいです。(ウォーラスタインをウォーラーステインと表記している日本語訳者の英語能力にもかなり疑問を持っておりますので、できれば英語原版からがベターです。(名前の表記に関する議論ついてはノート:イマニュエル・ウォーラステインを参照してください。))さて、恐らく英語原版でも「経済的不平等・経済格差をともなう」とか「搾取・被搾取の関係をともなう」と書かれているとは思います。しかし、括弧書きにしてあるように単なるおまけの話で、主題は学習指導要領の位置づけにあります。(Greenland4さんの私の記事改定案の「学習指導要領の※印の2番目」の記述への質問に対する回答でもありますが、)学習指導要領は第二次世界大戦まではウォーラーステイン説を踏襲していると思いますが、大戦の結果、日本を含めて帝国主義の基盤は根底的に破壊され、かつての植民地は独立により搾取・被搾取の関係から脱したという観点でウォーラーステイン説を放棄する形で彼の説を批判しているものと考えています。ウォーラステインは思想的にはポスト・マルクス主義者或いはネオ・マルクス主義者に分類され、世界社会フォーラムに積極的に関わり、第三世界のアルテルモンディアリスムの影の指導者といわれていますが、その説を文部科学省が諸手をあげて受け入れていると考えるのは、彼の説が世界経済フォーラムに集う世界資本主義の担い手から批判されている現実を知らなさ過ぎるナイーブな意見だと思います。それ故にこそ学習指導要領をウォーラーステイン説と併置することで中立的観点を達成できると考えるわけです。それと先のコメントでうっかり書き漏らしたことがありますので、Kanbunさんへの質問として追記します。オセアニアは「周縁」地域に分類されていますが、オセアニアを代表する国はオーストラリアとNZです。私が行ったことがあるのはNZだけですが、両国民(豪のアボリジニは別でしょうが、NZのマオリは含めていいと思います)は豊かな暮らしをしていると思います。両国経済は中心国から搾取されているのでしょうか?私が行ったことがあるシンガポールは「半周縁」地域に分類されていますが、中心国から搾取されているのでしょうか?(膨大な対日赤字が問題になっている韓国は恐らく日本から搾取されていると思っていることとは思われますが。)小泉・竹中の新自由主義改革により日本の外貨準備や積極的な投資行動資金はアメリカの金融市場に流れ込み、サブプライム問題で大きな痛手をこうむっていますが、これは同じ中心国であるアメリカによる搾取といえないでしょうか?世界経済の分業構造の関係よりも搾取・被搾取の関係を強調する見方に立つと説明できないことが結構あるのではないでしょうか。--ゴンベイ 2008年3月12日 (水) 01:00 (UTC)[返信]
>私は進歩史観を含むと考えている「歴史理論」論を否定していますが、世界システム論を「時代区分論を含む一つの歴史学方法論」或いは「歴史学の理論」との表現をしており、
いや、歴史の記述理論を歴史理論というのであり、それはつまり歴史学の方法論です。史学史を参照してください。誘導先のノートを見ましたが、答えと思えるものもありませんでしたので、改めて質問し直させてくださいな。
以上、お答えください。--Kanbun 2008年3月11日 (火) 23:05 (UTC)[返信]
歴史理論云々についてはこのノートではこれ以上は申し上げるつもりは無いと申し上げています。世界システム論にかかわる議論はあくまで本家で集約されるべきものと考えています。ご意見はノート:世界システム論で伺いますので、あちらのノートにおいでください。--ゴンベイ 2008年3月12日 (水) 01:00 (UTC)[返信]
聞いていることとお答えがずれているようなので、もう一度咀嚼して質問します。
>さて、恐らく英語原版でも「経済的不平等・経済格差をともなう」とか「搾取・被搾取の関係をともなう」と書かれているとは思います。しかし、括弧書きにしてあるように単なるおまけの話で、主題は学習指導要領の位置づけにあります。
前にも申し上げましたが、私は学習指導要領の話はしていません。ウォーラーステインの世界システム論が、搾取・被搾取の関係で世界経済を描いている点は間違いなく、それが「おまけの話」というのはゴンベイさんのそれこそ、独自観点では?
>Kanbunさんへの質問として追記します。オセアニアは「周縁」地域に分類されていますが、オセアニアを代表する国はオーストラリアとNZです。私が行ったことがあるのはNZだけですが、両国民(豪のアボリジニは別でしょうが、NZのマオリは含めていいと思います)は豊かな暮らしをしていると思います。両国経済は中心国から搾取されているのでしょうか?私が行ったことがあるシンガポールは「半周縁」地域に分類されていますが、中心国から搾取されているのでしょうか?
wikipediaでは、これらの地域が搾取されているという見方の文献があれば、それを提示して情報として記載することは可能です。上のような質問に私自身の観点で答えることは、記事の発展にとって何ら益することではないですし、それは所詮独自観点というヤツです。
>日本における世界システム論の受容を歪めたと私が思っている日本の歴史学者による祖述ではなく、ウォーラスタイン自身の著書からの引用により論だてていただけるとありがたいです。
というか、世界システムが搾取関係でないという説はどこから来ているのですか?私が引用した文献は題名からもわかりますように、中央大学教授の「政治学」の著作で「歴史学」のものではありません。もう一方は経済史のものですが。まずは世界システムが搾取関係でないという根拠を、ゴンベイさんのほうから示していただけませんでしょうか。原著が云々とか、そういうのは関係ないかと。とりあえずウォーラーステインの世界システムが搾取関係ではないと述べている文献を引用していただけますか?
>歴史理論云々についてはこのノートではこれ以上は申し上げるつもりは無いと申し上げています。世界システム論にかかわる議論はあくまで本家で集約されるべきものと考えています。
あちらの議論を見ましたが、論点がずれているので、こちらで聞いているのです。私が聞いていることとあちらで話し合われていることは、重なるとは思いません。私が聞いているのは「世界システム論が歴史理論か?」ということではなくて、「歴史学の方法論は歴史理論って言うんでしょ?」って言ってるだけなので。「歴史学の方法論と歴史理論が違うものだ」とお考えなのであれば、その根拠を文献を引用しつつ示していただければと思います。
以上改めて質問いたします。できれば聞いていることに簡潔な返答をしていただければと思います。--Kanbun 2008年3月12日 (水) 04:16 (UTC)[返信]
(補足)『近代世界システム』(ウォーラーステイン著、川北稔訳、岩波現代選書、1981)を今読んでいますが、すでにP.40にして「世界経済を収奪形態である」と述べています。いちおう2巻の「理論的総括」の箇所もあらかじめ読んでいるのですが、こちらでも世界経済の地域差は特定の集団が搾取する傾向を強め、地域間の経済的・社会的格差は拡大されると述べられています。いったい世界システムが搾取関係でないとするゴンベイさんの見解はどの著作から得られたものなのでしょうか?--Kanbun 2008年3月12日 (水) 11:55 (UTC)[返信]
「搾取・被搾取の関係を記述していない」のはGreenland4さんが書き起こされた世界の一体化#世界の一体化節のことであって、この節に対して関係する文言編集を行うようなことも私はしていません。私はウォーラーステインが搾取・被搾取の関係を論じていないなどと申し上げたこともありません。(ウォーラーステインを歴史学者と見ていらっしゃる皆さんより彼の政治的活動について広く知っていると思います。)Kanbun さんの文脈を無視した引用による見解は印象操作と議論のすり替えです。このようなことで私の時間を浪費させないでください。--ゴンベイ 2008年3月13日 (木) 12:05 (UTC)[返信]
>私はウォーラーステインが搾取・被搾取の関係を論じていないなどと申し上げたこともありません。
では、「本項の導入部が「経済的不平等・経済格差をともなう」という価値判断を含んでいることに注意すべきです。」というのはどういう意味です?意味が全くわからないのですが(以前NZでの体験談を持ってきたりしているあたり、あるいは中立的な観点を誤解していらっしゃるのではと私は思っているのですが)。
重ねていい加減無駄な時間を使いたくないのは私もなのですが、「歴史理論は歴史学方法論と違う」と考えてらっしゃるゴンベイさんの意見の根拠を文献を示して説明していただけますか?--Kanbun 2008年3月13日 (木) 12:58 (UTC)[返信]
ちなみに「文脈を無視した引用による見解は印象操作と議論のすり替えです。」という文言は大いに不快です。私はゴンベイさんのおっしゃっている内容が、上の2つの点について明確にしないと私にとっては理解不能であるから聞いているのであって、ゴンベイさんの考え方を非難しようとか反対意見を述べているわけではありません。ただ質問にお答えしていただく課程で、ちょっとゴンベイさんの考えは違うんじゃないかなと思う点は出てきましたが。ともかく冷静に、簡潔に質問に答えていただきたく思います。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 13:11 (UTC)[返信]
私には上のような部分を明確にしないと、ゴンベイさんのおっしゃっていることは意味不明で全くわからないのですが、それは私だけのようですし、上の議論はたいして重要ではないという意見も賜りました。であれば、自分は消耗するだけ無駄のような話をしているようですので、ここは身を引き、wikiブレイクに入ろうかと思います。皆様、おつかれさまでした。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 17:59 (UTC)[返信]
ゴンベイさんの議論姿勢について、Wikipedia:コメント依頼/ゴンベイとしてコメント依頼を立てさせて頂きました。こちらでの議論には参加していませんでしたが、お知らせだけさせて頂きます。 --コータ 2008年3月14日 (金) 16:57 (UTC)[返信]

Greenland4からのコメント[編集]

利用者‐会話:Greenland4ノート:世界の一体化#分割方法についての意見にも書きましたが、「世界システム論」については、歴史理論とか国際関係論という以前に、もはや独立した一領域になっていると思います。つまり、「○○氏は『世界システム論』を専攻されている」というふうに、既に言ってよい状況になっています。独自の一領域と申しましたが、元来は方法論だったわけで、それはある意味「考古学」と同じです。考古学も歴史学も扱うのはともに「過去の人間の営み」なんだけれども、両者では資料や方法論が違うわけですね。社会科学というのは大体、そもそもの歴史が新しいわけですが、それゆえ最初は全部、新しい方法論をともなっていたわけです。たとえば、マキャベリが政治学の祖という場合は「政治と道徳・宗教を切り離して考察する」という姿勢や発想、方法論をさしているわけです。アダムスミスが経済学の祖という場合も同様です。その際、マキャベリの主張に権謀術数主義を含むだとか、スミス自身の経済思想は自由放任主義であったということは、ここにおいては二次的な意味しか持ちません。

ウォーラーステインについても、個人の政治行動については、この記事に関しては考える必要がありませんし、さらに言えば、考えるべきではないのです。世界システム論が仮にイデオロギーであるならば、それは中立的であるか否か、社会のどの集団の意見を代弁しているのかというようなことがあるいは問題になるかもしれませんが、社会の諸現象や歴史的変遷を探究するための方法論であるならば、方法論として有効か否かだけが問題になるのであり、そして、実際に有効性を感じる(——ウォーラーステインの政治的姿勢が「偏って」いても、あるいは「偏っている」にもかかわらず——)学者が多いからこそ、多くの歴史学者や国際政治学者、あるいは学校教育担当官庁が分析方法、分析装置として採用しているということです。したがって、ウォーラーステインが「政治的に左」だからというような理由で、「中立性」云々を問題にするのはナンセンスというものです。

また、ゴンベイさんの

>我が国の文科省の脱色化しての採用

のくだりも、単に憶測を重ねたものであり、それ自体がソースのない独自な観点です。また、そもそも、そういうことで「中和」させられるべきものでもありません。前に説明したとおり、「世界史B」の学習指導要領では、「諸地域世界の結合と変容」の単元では「アジアの繁栄とヨーロッパの拡大を背景に,諸地域世界の結合が一層進んだことを把握させるとともに,主権国家体制を整え工業化を達成したヨーロッパの進出により,世界の構造化と社会の変容が促されたことを理解させる」とあり、そのなかの小単元「帝国主義と世界の変容」では「ヨーロッパ諸国によるアジア・アフリカの植民地化をめぐる競合とアジア・アフリカの対応を扱い,19世紀後期から20世紀初期の世界の支配・従属関係を伴う一体化と社会の変容を理解させる」とあって、史実として教えるべきものだということが明瞭に提示されているわけです。これは明らかに世界システム論を意識していると個人的には思いますが、そこを読んだだけでも、かならずしも「脱色化」されているとは見なしえないものです。むしろ、ここでは「支配・従属関係」を指摘しない方が中立性を冒し、独自観点に立ってしまうことになります。

さらに言えば、ウォーラーステインがマルクスの影響を大なり小なり受けたことは確かであっても、かれ自身を「マルクス主義者」と呼べるのかというと、答えはNoだと思います。少なくとも、絶対「社会主義者」ではありません。むしろ、進歩主義的歴史観や冷戦思考そのものを批判する側にまわっているのであり、いわば世界を生物界としたときに、国家は「種」であるかのような発想そのもの、生物界の「種の進化」に相当するような国家・社会の「単線的発達史観」はむしろ全否定する立場に立っています。そして、全否定するところが世界システム論の世界システム論たる所以なのであり、これが、アフリカ諸国も独立したばかりで、民族自決的な主権国家全盛と一見みえるような時代に喝破した点に凄みがあったわけです。

そして、それに関しては、会話ページで述べたように、ウォーラーステインが社会学者だということを強調しすぎると、かえって嘘になってしまうのではないかと考えます。「歴史学者」ではないという見解が仮に成り立ちうるにせよ、やはり彼が「歴史家」であることは疑いありません。これについては、あとで触れます。

「グローバリゼーション」とのかかわりを述べれば、言葉としての「グローバリゼーション」はせいぜい20年程度の歴史しかありませんが、現象としては500年にもおよぶものだということを既に1970年代の冷戦時代の段階で述べ、世界資本主義は大航海時代以来の「長期の16世紀」とよばれる時代のなかで生まれたのだというのがウォーラーステインやブローデルの指摘でした。グローバリゼーションなどという言葉は用いていないが、そんなことは何十年も前から言っているよ、というのが世界システム論の立場なのです。だからこそ、「本格的な」グローバリゼーションの時代をむかえた今、あらためて世界システム論が着目されているのが現状なのだろうと考えます。

ここ10年来、世界史教育の現場で、その視点が重要視されているのも、この流れの延長であり、本来、「国際関係論」という位置づけはウォーラーステインの主張からすれば本意ではないはず(——国際社会のプレイヤーの主役は「国民国家」なはずですが、そうではなくて、世界システムという単一の史的システムだというのが彼の主張でしたから——)ですが、にもかかわらず、冷戦後のグローバル経済の「本格的な」進展により、国際関係論の見地からも着目されているというのが実態に近いのだと考えます。つまりは従来の国民国家を一単位とする国際関係論では説明できない事象が増えてしまったのです。

また、

>日本の世界史学者や教育者による受容は自らの関心事に引き付け過ぎた理解だと思います。また、彼が世界史学者でないことは、皮肉にも本項でのように世界史を記述することに全く傾注していないことが端的に証明していると思います

のくだりですが、前段についていえば、少なくともそういうことを言えるためには、「日本における世界システム論の受容史」が書けるくらいでないと、そもそも論じる資格がないと言わざるを得ません。後者については、ウォーラーステインの『近代世界システム』などは近世ヨーロッパにおけるヘゲモニー国家の興亡の歴史であり、南北アメリカにおける定住植民地の解放の歴史であり、全編「世界史の記述」と呼びうるものです。まさに「傾注」とはこのことだというほどの書きぶりだと付言しておきましょう。前者と後者を総合すると、ゴンベイさんはウォーラーステインを読んでもいないし、理解もしていないのではないか、誰かによる外部的レッテルを受け売りしているだけではないかと思ってしまいます。それならそれで結構ですが、可能であれば、どなたの指摘か教えていただければ幸いです。これは再度のお願いです。

苦言も申し上げましたが、ゴンベイさんの掲げられた改定案は誤解される要素の少ないプランであり、概ね妥当だと思います。また、説明としてでなく定義として冒頭に「不平等」を掲げたことはやはり適切ではなかったので、説明文として後段にきっちり書くのが適切でしょう。2章以下を分割することによって、「内容」ではなく「書き方」が独自観点だという問題点(——それは確かに問題ありだったと認めます——)も完全に解消されるものだと思います。「極コンパクトなダイジェスト」をゴンベイさんがお書きになってくださる分には、おまかせしますが、2章以下が存続するのならば新たな執筆の必要性は薄いと思います。500年におよぶグローバリゼーションの歴史がせいぜい450,000バイト程度ならば充分コンパクトだという見解も成り立ちうるのではないでしょうか。‎ファンタシースターオンライン(242,490 バイト)、‎プレイステーション2のゲームタイトル一覧(242,256 バイト)、‎ケロロ軍曹の登場人物一覧 (233,667 バイト)と比べて異常に長いわけではなく、私の案どおりに3分割されたら、いずれもこれらより小さいサイズになります。それによって、問題はすべて解決されるのではないでしょうか。--Greenland4 2008年3月18日 (火) 14:38 (UTC)微修正--Greenland4 2008年3月18日 (火) 15:18 (UTC)[返信]

議論の本筋からはちょっとずれるので躊躇があるのですが、多くの社会科学、人文科学系の人にある誤解のようなので、ここにコメントをつけるのをお許しください。「むしろ、進歩主義的歴史観や冷戦思考そのものを批判する側にまわっているのであり、いわば世界を生物界としたときに、国家は「種」であるかのような発想そのもの、生物界の「種の進化」に相当するような国家・社会の「単線的発達史観」はむしろ全否定する立場に立っています。」のくだりですが、今日の生物学で「進化」とは「単線的発達・進歩」とは考えられておらず、むしろ進化史は多様化の歴史であると考えられており、それぞれの多様化の樹形図の個々の枝においても、その道筋は必ずしも進歩の概念で理解されるべきではないものであると捉えられています。社会・人文科学系の議論でしばしば生物学が生物進化を単線的な進歩の歴史と捉えていると誤解して、それを根拠に自分野に敷衍する議論が見受けられるのですが、現代生物学の進化観とはまったく相違する概念なのです。--ウミユスリカ 2008年3月18日 (火) 14:56 (UTC)[返信]

いえいえ、御指摘ありがとうございます。ここでは「社会進化論」(社会ダーウィニズム)を念頭において語ったのであり、現代生物学の成果をふまえた見解ではありませんでした。言葉不足であったととともに、誤解を招く表現であったことをお詫びするとともに、丁寧にお読みいただいて誤りを正してくださったことに感謝いたします。--Greenland4 2008年3月18日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

Ks aka 98さんによる調査報告[編集]

(Ks aka 98さんのコメント部分に署名を補足しました。--ゴンベイ 2008年3月13日 (木) 09:30 (UTC)[返信]

関係しそうな書籍を、図書館でパラパラめくったり、ちらちら立ち読みしたりしてみました。記事の内容についても議論が続くようなので、一度まとめてみます。

まず「世界の一体化」という概念の説明が不十分であるように思っています。つまり、「世界の一体化」という概念は、誰かが使い出した術語なのか、一般的な語彙なのか、一般的な語彙へと拡散したのか、ウォーラーステインまたは「世界システム論」とはどういう関係にあるのか。--Ks aka 982008年3月13日 (木) 09:50 (UTC)[返信]

ウォーラーステイン[編集]

「世界の一体化」をタイトルに掲げる書籍はあまり多くないようです。木谷勤『帝国主義と世界の一体化』では、ウォーラーステインについて、従属理論なども含めて冒頭で解説されていますが、ここでも「世界の一体化」という用語については、きちんと触れられているわけではありません。世界システム論の説明などを終えて、新たな視点で世界の一体化を記述するとした上で、章を改めて交通機関などの発達から記述を始めます。今の項目のあり方に一番近いのは、この本でしょうか。

このほか、国会図書館で「世界」「一体化」で検索してひっかかるもので、書籍だと『現代史講座』、雑誌記事で田尻、九里が、この文脈での「世界の一体化」に関係しそうなものでした。以下で簡単に触れます。

ウォーラーステインは、たとえば「ヘゲモニー」と同じような重要さをもって「世界の一体化」という用語を扱ってはいないと思われます。最初の岩波の翻訳(川北訳・ヨーロッパ世界システムまでを対象としています)を見ても、「はじめに」あるいは最終章におかれた「理論的考察」においても、「世界の一体化」には触れていません。立ち読みですが、名古屋大学出版部からの続編でも、扱っていないように思えます。川北の『ウォーラーステイン』(講談社選書メチエ)、ノートや本文で見られるネット上の参考資料でも、またグーグルで検索すると引っかかってくる指導要領のなかでも、同様です。

中澤勝三(弘前大学)をみると、ウォーラーステインの著書の中に「一体化」の表現はあるような印象を受けますが、今のところ、そのような状態です。なお、Greenland4さんは"World Integration"と推察され、ゴンベエさんの導入部では"integration of the world"が採用されていますが、中澤によれば、「一体化」と「統合」は別個に扱われているように読めます。--Ks aka 982008年3月13日 (木) 09:50 (UTC)[返信]

指導要領[編集]

この語・概念の使用例として挙げられているものとしては、指導要領(高校「世界史A」)があります。こちらは表現としては「一体化する世界」として扱われています。店頭にあった世界史小辞典(版元失念)には項目として「一体化…」「世界の一体化」という形では項目がありませんでした。「だれでもわかる世界史」系の概説書の類の目次索引でも、特に大きくは扱われていない。

ゴンベエさんの指摘にあるとおり、世界史の指導要領ではヘゲモニー論は扱われていないようですし、類似する「世界」という視野での理論なり叙述なり(アミンやフランク、あるいはネグリほか)とウォーラーステインの違いを示しているわけではなさそうで(厳密なウォーラーステインの世界システム論ではない)、かなり曖昧な概念として捉えられているように思います。この「一体化する世界」が指導要領に取り込まれたのは平成11年の改訂ですが、当時の中央教育審議会教育課程小委員会の議事録でも、細かい話は出ていませんでした。

祐岡武志、田渕五十生「高等学校「世界史A」の教育内容と教育方法の創造」(奈良教育大学紀要. 人文・社会科学 53(1),pp.135-148.)では、「世界史A」の教育方法についてウォーラーステインの世界システム論を使用する事が検討されています。そこでは、西洋中心の枠組が教材として扱う上で問題となることが示されていました。この論文に拠れば、先行する森才三「現代世界理解の歴史教育」『社会科研究』(42号, 1994, pp.37-47)で、既に「世界史A」の教育方法についてウォーラーステインの世界システム論を使用する事が検討されているようです。また、元・文部省教育調査官で世界史Aの創設に関与したという原田智仁の「地理歴史科『世界史A』の認識論的考察」『社会科研究』(40号, pp13-22.)、「世界史教育内容開発の研究」『中等教育資料』(H9.7.~H11.1.に8回に分けて掲載)は、参考になるのかもしれません。このほか田尻信市「「一体化する世界」をどう教えるか--ホガース作『当世風結婚』から近代世界の構造を読み解く」『歴史と地理』(通号 529. [1999.11])というのがあるようです。

もうひとつ、鈴木成高「世界の一体化」『現代史講座』(第5巻 創文社, 1953.)や九里幾久雄「世界の一体化を中心とした世界史の構成」『歴史教育』(日本書院, 18(7) [1970.09])など、ウォーラーステイン以前の用例もあるようです。内容は確認できていませんけれど。--Ks aka 982008年3月13日 (木) 09:50 (UTC)[返信]

鈴木成高の「世界の一體化」(体の字は旧字体)は図書館で借りることができました。18頁程度の小文ですが、内容としては、ウェルズの『80日の世界一周』を例示しながらコミュニケーション革命(運輸革命)の進展から書き出し、それを「現代史の基本問題の一つ」「言葉の一切の意味を含めての世界革命」と表現しています。1953年に書かれたものですが、今なお通用する見解を多く含んでおり、コミュニケーション革命や二度の大戦を経て、近年「世界の完全なる同時化」が実現したと指摘しています。その本格的なプロセスの開始の時期として、アーノルド・トインビーが文明史の立場から「ダ=ガマ以後」をそれ以前と峻別していることに着目しています。そして、「各部分が相互的に一つの世界にまで合流するという相互形成的な過程によってではなく、本来いくつかの孤立した部分の一つにすぎないものであるヨーロッパが膨張するという一方的過程を通して」形成されたと書いています。このくだりは、ウォーラーステインやブローデルが16世紀に注目していることと相通じるものがあります。また、「トインビーによれば、近世における世界の一体化には2つの大きな波がある。その第一派は宗教を推進力とするものであり、第二波はテクノロジーを推進力とするものであった」として、第一段階ではアジアは西欧を好奇な眼を輝かせて歓迎しながら結局はそれを拒否した。第二のテクノロジーによる侵略段階においては、アジアはそれを嫌悪しながら、結局はそれを受け入れたというトインビーの説を紹介して所論をふくらませています。最後は、「最高なるコミュニケーションが最大なるディスコミュニケーションと同時に存在する矛盾」ということを指摘しており、「世界を一体化せしめたものはたしかに科學であるにもかかわらず、そのおなじ科學が原子爆弾によってこの一體化の世界を破壊させようとしているということの矛盾が、ひそんでいるのではないであろうか」で結んでいます。--Greenland4 2008年3月19日 (水) 22:13 (UTC)[返信]
「世界の一体化」は経済産業省通商政策局(PDF)または同html版などからも「グローバリゼーション」と同義なようで、これは、ゴンベイさんが提示された改訂案での指摘およびKs aka 98さんの調査結果とも一致します。「世界の一体化」の用語は、平成11年の高等学校学習指導要領「世界史A」のなかに2回登場していますが、前後を読むと、「世界史A」という科目はどうやら「世界の一体化」という観点から編まれた歴史ということになりそうです。--Greenland4 2008年3月19日 (水) 23:48 (UTC)[返信]
学習指導要領解説(佐伯眞人・原田智仁・澁澤文隆・朝倉啓爾編著『高等学校新学習指導要領の解説 地理歴史』学事出版、200.8、ISBN 4-7619-0674-X)を入手しました。明治図書版(ISBN 4-18-449301)も入手しましたが、ここでは学事出版をもとに調査内容を記述します。まず、「地理歴史科の各科目の改善の要点」(p.13-14)では「世界史A・世界史B」の改訂の要点として3点を掲げています。その3点とは、1.全体の項目数の削減、2.「主要な文明ごとの寄せ集めといった性格をもつ従前の構成を改め、諸文明の構造的特質と同時代の横の連関を重視」した内容の精選、3.「グローバル・エイジの世界史という観点から、世界の一体化の過程を重視」して、「ややもする西ヨーロッパ各国史に偏りがちな近代世界史の内容を精選する」こととした点です。--Greenland4 2008年3月19日 (水) 22:54 (UTC)[返信]
前掲の学事出版版の学習指導要領解説の「各科目の改善の趣旨と具体化のポイントQ&A」(p.26-193)のうち、「世界史A」(p.26-49)では「世界の一体化」の用語が15、「ユーラシア世界の一体化」が2、「一体化する世界」が6、「一体化に向かう世界」が1、「19世紀の一体化の例」が1、「地球規模で一体化した21世紀」が1、「経済・情報の世界化」が2、「グローバリゼーション」が3回登場しています。
なお、「ポイント」の構成はQ&Aとなっており、"「ユーラシア交流圏」のねらいは何ですか"、"市民革命の語が消えたのはなぜでしょうか"など合計で22あるQuestionのうち、"16世紀の世界の一体化の特質は何ですか"、"17~18世紀の世界の一体化の特質は何ですか"、"19世紀の世界の一体化の特質は何ですか"というふうに、問いのなかに「世界の一体化」の語を含むQuestionは3あります。学説とのかかわりでいうと、ウォーラーステインの名は出ていませんがブローデルの名があり、ブローデルの歴史把握の「構造」・「景況」・「事件」のうち、前近代の交流圏に関しては「構造」と「景況」を重視するとの文言があります。また、科目としての「世界史A」が、「世界の一体化」の起点を「大航海時代」に据えて内容構成を考える立場から、「ユーラシア世界の一体化」の契機として8世紀のムスリム商圏の形成の時期と13世紀のモンゴル帝国形成の時期を取り上げることとしています。ウォーラーステインの名前自体はないものの、p.40には、従来の19世紀史が「一般に国民国家間の近代化レースとして描かれ」ることが多く、こうした一国史観、単線的発展段階論は欧米中心の史観として批判されていることが紹介されており、また、「17~18世紀の世界の一体化は、西アフリカ、アメリカが西ヨーロッパに誕生した資本主義体制に組み込まれるという<中枢-周辺関係>としてとらえること」ができるとの世界システム論に依拠した説明があります。--Greenland4 2008年3月19日 (水) 23:48 (UTC)[返信]
(追記1)上を再読したら、「近代世界システム論をはじめとする近年の社会科学、歴史学研究を参照した結果、16世から18世紀のいわゆる近世(early modern times)を重視することにより、ダイナミックな世界史像の形成が可能になること、それが19世紀の世界史の相対化にもつながることが明らかになった」(p.28)との文言があり、近代世界システム論という語を入れて説明しています。--Greenland4 2008年3月20日 (木) 06:20 (UTC)[返信]
(追記2)上記「各科目の改善の趣旨と具体化のポイントQ&A」には「20世紀の世界の一体化の特質」を問うQuestionはありませんが、それに関連して16世紀以降「世界の一体化」が始まり、19世紀の歴史を通じて、欧米列強がアジア・アフリカを植民地化することで「世界の一体化」が進展したこと(p.43)、西ヨーロッパで誕生した資本主義体制が、19世紀には世界のほぼ全域を覆いつくすことになり、世界の一体化は一応の完成をみたこと(p.40)が記載されています。--Greenland4 2008年3月20日 (木) 06:28 (UTC)[返信]

グローバリゼーション[編集]

ウォーラーステインから離れて、素朴に考えるならば、世界の一体化は"Globalization"の訳語ではないかとも捉えられます([2][3])。「グローバリゼーション」になると、かなり意味合いが拡散するというか、偏るというか、そんなところもありますが、学際的にこの概念に取り組んだ伊豫谷登士翁編『グローバリゼーション』(作品社, 2002.)では、先駆者的な存在としてウォーラーステインを扱っています。ウォーラーステイン自身は、『入門・世界システム分析』(藤原書店, 2006年)の用語解説で、グローバリゼーションという言葉は80年代の発明だとしています。--Ks aka 982008年3月13日 (木) 09:50 (UTC)[返信]

(補足)ウォーラーステインの著作については、今手許において調査中ですが、ほかに大江一道『世界近現代全史』Ⅰ~Ⅲ(1991)という書籍があり、これが思いっきり本記事と視点を同じくしてまして、序章がずばり「世界帝国と世界一体化の開始」。この書物はウォーラーステインの説にのっとった形で歴史記述をしているようです。著者は「世界の一体化」をかぎ括弧付き用語にしていますが、英語などの提示はありません。--Kanbun 2008年3月13日 (木) 00:56 (UTC)[返信]
(補足)記事「歴史の同時化」において樺山紘一が「世界史のかたち」で述べた「世界の一体化をめぐって」記載の観点を提示しておきました。--Greenland4 2008年3月18日 (火) 11:28 (UTC)[返信]

俺(Ks aka 98)まとめ[編集]

ひとまず、ここから先は、執筆者のみなさんにお任せしたいところなのですけれど。

ここまでで考えると、「世界の一体化」という項目は、やっぱり難しいなあと思います。

  • 世界史教育の観点からの用語法を加筆。どっちかっていうと指導要領に出てきた表現から世界システム論へ向かっている印象。
  • 現状のウォーラーステインの記述は、世界システム論またはウォーラステインへ移動。
  • グローバリゼーションまたは世界とか世界史あたりから、この項目への誘導を検討する。
  • 歴史記述は、世界システム論にひきつけて整理するなら、世界システム論へ、なのだけれど、だとすると、ほかの大域的な歴史の問い直しや経済理論の類も、同じように歴史記述がなされることに繋がるので、これは避けたい。加えて、今の分量だと厳しい(詳細な要約になってしまう)。整理も大変。
  • グローバル・ヒストリーならいけるのかな。ヴォルフガング・シュヴェントカー「グローバリゼーションと歴史学 ── グローバルヒストリーのテーマ・方法・批判 ──」『西洋史学』(224号. 2006. 1-17頁)の読書会レジュメ(報告者:中村武司)(pdf。こっちも参照[4])あたりを見ると、意味合い的にははずしていないかれど、どの程度一般的になっている表現なのか自信がない。英語版はUniversal Historyへのリダイレクトでちょっと違うなあ、って感じ。もう少し調べていくと何かわかるかもしれない。--Ks aka 982008年3月13日 (木) 09:50 (UTC)[返信]