ノート:ジャングル大帝/過去ログ1

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「音楽」に関して[編集]

出典があるからと言って間違っている事を百科事典に記述する必要はありません。

  1. BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です。
  2. テレビアニメの主題歌がソノシートで発売されるのが一般的でレコードで発売されるのは異例であった事実はありません。ジャングル大帝の主題歌は65年12月発売(SCS-1)ですが、それ以前に「鉄腕アトム(クラウン)」「鉄人28号(朝日ソノラマ AEDナンバー)」「エイトマン(東芝)」「スーパージェッター(コロムビア)」「宇宙パトロールホッパ(コロムビア)」「宇宙人ピピ(コロムビア)」「宇宙少年ソラン(コロムビア)」がレコードで発売されています。

--寝ず見 2009年3月5日 (木) 15:43 (UTC)

質問です。あなたは「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です」と言って、出典のある記述を除去しましたが、何を根拠にこう言ってるのですか? --203.91.164.37 2009年3月12日 (木) 11:17 (UTC)
除去された記述に関しノートに記載がある場合、復帰する前にノートで疑問を解消してください。/所謂「溜め録り」をするのが時間の都合であるのは常識の範疇ですが、実演家の方が作った「スタジオ用語辞典」を参考に。ギャラが放映回数とほぼ同額支払われるなら「予算の都合でまとめて録る」事はあり得ません。/70年代まではむしろ各メーカー入り乱れての戦国時代なのが正しく、コロムビアの寡占状態になるのは70年代以降です(例えばSCSナンバーは100枚程度なのに対し朝日ソノラマはMナンバーだけで124枚発売されている)。--寝ず見 2009年3月12日 (木) 16:59 (UTC)

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「常識の範疇」はWikipediaでは通用しません。「常識の範疇」と出典のある記述とでは、検証可能性を満たした後者が優先されます。「業界の常識」以外の出典として、寝ず見さんが挙げたスタジオ用語辞典ですが、「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です」の出典にはなりません。「スタジオ用語辞典」の執筆者のおっちゃんことスタジオミュージシャンの旭孝氏はこう書いています。「溜め録りの出現によって、スタジオミュージシャンの仕事が激減した」。どこに「BGMをまとめ録りするのは時間の都合」とどこに書いてあるのでしょうか。旭氏によれば、かつては毎週録音していたのにスタジオミュージシャンにはおいしい仕事だったのが、流用やまとめ録音されるようになり、スタジオミュージシャンの仕事が激減。事前のまとめ録りはスタジオミュージシャンを毎週起用しなくなって、金がかからなくなったという「ジャングル大帝」の製作者山本暎一の著書を裏付ける解釈こそできます。しかし、これのどこに「BGMをまとめ録りするのは時間の都合」と書いてあるんでしょうか?

むしろ旭氏は、おっちゃんの仕事場探検で、はっきりと「最近は予算の関係で、いわゆる溜め録り方式がほとんど」と書いており、寝ず見さんの言う「常識」を否定しています。ということで、「BGMをまとめ録りするのは予算の都合」は、山本暎一に加えて、これで2つ目の出典になりました。

第一、寝ず見さんご自身が「ギャラが放映回数とほぼ同額支払われるなら」と予算上の条件をつけているではないですか。時間だけの都合であり、予算の都合ではないとまだ主張されるのなら、新たな出典の提示をお願いします。

最後に、誤解を避けるために。当方は、「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合」という寝ず見さんの意見に懐疑的ですが、だからといって「BGMをまとめ録りするのは時間の都合ではなく予算の都合」というスタンスではありませんので、お間違えなく。時間と予算がどちらか一方が理由であるという両者が背反関係にあるという寝ず見さんには与しません。ただ、出典に従って「予算の都合」と記したまでです。そこには「時間の都合ではない」という含意はありません。--203.91.164.37 2009年3月13日 (金) 10:35 (UTC)

まず何か勘違いしているようですが、ウィキペディアで出典が必要なのは本文に記述する場合です。除去する際には除去するだけの根拠があれば別に出典を必要としません。ちゃんと常識の範疇なので「参考に」と書いてあります。また、「解釈」の違いは認識の違いなので自説を補完する要素にはなりません。その点は私に関しても同様なのでハッキリ時間の都合であることの根拠が手元にないのでこの点に関しては取り下げます。ただし、「ジャングル大帝」の記事として重要なのは「ジャングル大帝の場合」なので、他の作品が「予算の都合で」溜め録りである事に特筆性があるとは思いませんので、除去理由は「ジャングル大帝の記事に特筆する理由がないから」と変更します。「予算の都合」と書かなくても記事は成り立ちます。/ついでですが、旭氏のHPの記述に関しては203.91.164.37さんの解釈に過ぎませんので、出典とは成り得ません。スタジオミュージシャンを毎週起用しなくなって、金がかからなくなったという「ジャングル大帝」の製作者山本暎一の著書を裏付ける解釈』→ちゃんと読んでください。『6(5)日分をまとめて録るということなので、ギャラは6(5)回分、もしくは、それに近い額が支払われていたので、ミュージシャンにとっては結構オイシイ仕事と言われてました。 』ですから「1回の仕事で5、6回分のギャラが入る」からミュージシャンには「オイシイ仕事」なんです。毎週起用しなくても毎週分と同じ金が掛かっているので、山本氏の主張とは矛盾します。金は同じで時間は一回分。時間の都合だと思いますが?--寝ず見 2009年3月13日 (金) 12:19 (UTC)
「除去する際には除去するだけの根拠があれば別に出典を必要としません」とのことですが、出典は必要です。匿名の人物であるあなたの言う「常識の範疇」と、「ジャングル大帝」の製作者の山本暎一という出典とでは、出典が優先されるに決まっていますよ。「除去するだけの根拠」こそ出典でしょう。どこの誰とも知れない匿名の人物である当方が「除去するだけの根拠がある」と思い込めば、第3者に間違っている出典を示さなくても、出典のある記述を好きなだけ除去していいのですか?
次に「1回の仕事で5、6回分のギャラが入る」からミュージシャンには「オイシイ仕事」については、寝ず見さんの解釈がおかしい。スタジオ用語辞典で、「6(5)日分をまとめて録るということなので、ギャラは6(5)回分、もしくは、それに近い額が支払われていたので、ミュージシャンにとっては結構オイシイ仕事と言われてました」というのは、まとめ録りとでも解釈してるのですか? これはまとめ録りではなく、半年なら26週、26回分の収入があったということですよ? そのことは、次段と次々段の「それが、いつの頃からか(1980年代?)、劇伴を1クール分(約12回)、あるいはそれ以上を、一度にまとめて録音してしまうようになりました」「この溜め録りの出現によって、スタジオミュージシャンの仕事が激減したの」ということからも明らかです。これまで26週26回、その都度、録音していたが、半年に1回のまとめ録りになって収入が激減、もちろん音楽予算も激減したのです。
それと、おっちゃんの仕事場探検で、はっきりと「最近は予算の関係で、いわゆる溜め録り方式がほとんど」と書いてあるんですが、それは無視ですか? 当方や寝ず見さんの解釈によらなくとも、はっきりと「予算の関係」と書いてあります。
それなのに、「解釈の違い」とされて、寝ず見さんと当方とでどっちもどっちとされるのは、不本意ですね。山本暎一の「今は、制作費をさらに安くするために、(中略)、何十曲かまとめてつくってしまい、そのなかから選曲して使いまわしする(後略)」(山本暎一『虫プロ興亡記』新潮社、1989年、p.173)と先の旭氏の「最近は予算の関係で、いわゆる溜め録り方式がほとんど」と2つの出典があります。一方、あなたは「常識の範疇」と解釈の披露です。
寝ず見さんが除去理由は「ジャングル大帝の記事に特筆する理由がないから」と言うのなら、当方は「ジャングル大帝の音楽制作事情と音楽制作に予算がかかったと特筆性を理解するのにより深まるから」とでもしておきましょうか。歩み寄りがなされないので、第3者に意見を聞いた方が良さそうですね。--203.91.164.37 2009年3月13日 (金) 13:17 (UTC)
『出典は必要です。』→必要ありません。出典が必要なのは「本文に記述する時」です。「除去するだけの根拠」は「五本の柱」や「公式方針とガイドライン」に求める事が出来ます。/『まとめ録りとでも解釈してるのですか』→該当する記述をよく読んで下さい。ここで挙げられている「例」は『毎日のように放送される番組』です。つまり、一週間に5回から6回放送される番組です。つまり、「1週間に放送される5回分の劇伴を毎日(合計5回)ではなく1週間に1回録音する。1回の録音で5回分のギャラが入る(からオイシイ)」と言ってるんです。/『もちろん音楽予算も激減したのです』→ミュージシャンの収入が減る事と音楽予算が減る事はイコールではありません。楽団の編成が増えれば費用もかかる=個人の取り分が減ってるだけで予算が減ってる訳ではない、という事なんですが。/『それは無視ですか?』→無視もなにも80年代くらいからの話でしょ? 間の15年は?/それ以前の問題として、203.91.164.37さんの記述には信頼性に問題がある(下段参照)ので、とりあえず「特筆する理由」云々は置いといて、該当部分を中略しないで引用してもらえます? ホントに書いてあるのか確認するので。--寝ず見 2009年3月14日 (土) 03:29 (UTC)

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寝ず見さんは話をすり替えていますよ。他人の記述を「誤っている」と指摘して、編集除去するのであれば、間違っているとするだけの出典が必要です。誤りを編集除去するのは、公式方針とガイドラインに沿ったことなので当たり前です。

寝ず見さんは「五本の柱」や「公式方針とガイドライン」を持ち出していますが、ちゃんと公式方針を読んでいるのですか? あなたのやっていることは、明らかに公式方針に反していますよ。

Wikipedia:編集方針より

>他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください。
>記事内容の大規模な除去や置き換えは、元の著者がやる気をなくして
>投稿をやめてしまわないように、事前にノートで提案してください」

あなたのやっていることは、事前にノートで提案もせずに、いきなり編集除去ではないですか。なお、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいは、まだ公式方針でもガイドラインでもありませんので、ちゃんと公式方針に従ってください。

「間違った記述を除去」という理由で寝ず見さんは除去していましたが、あなたの主張する「予算の都合というのは誤り」というなら、「後のテレビアニメでは制作予算の都合で事前に一括で何十曲も作曲するのに対して」から間違った思う部分だけ編集除去すればいいのです。「後のテレビアニメでは事前に一括で何十曲も作曲するのに対して」とね。問題のない部分まで除去、他の人が書いた情報を保存するように努めずに、事前にノートで提案もしないというあなたの編集はWikipedia:編集方針に明らかに反します。

次に、溜め録りについて。「ミュージシャンの収入が減る事と音楽予算が減る事はイコール」というのは論理的におかしいですね。音楽予算が減っているから、ミュージシャンの収入が減るんです。ミュージシャンだけではありません。録音回数が年に52回から年に1回に減ったら、スタジオ代も節約できますね。作曲家を毎週に数日間拘束する必要もなくなります。

ま、それはともかく、あいかわず、寝ず見さんは「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではない」を「常識の範疇」と言っておきながら、出典の一つも示せないのですね。

ぐぐったら、「BGMをまとめ録りするのは予算の関係」と書いてあるサイトはいくつか見つかります。いずれも個人ブログや掲示板でなく「信頼できる情報源」として使えそうなものばかりです。

寝ず見さんが、「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではない」という唯一の出典にしていたおっちゃんこと旭孝氏からして、

  • 大河ドラマが予算の関係で溜め録りという趣旨の部分あり [5]
  • 「最近は予算の関係で、いわゆる溜め録り方式がほとんど」 [6]

と、はっきりと、「BGMをまとめ録りするのは予算の都合」と書いてますね。

これだけのプロが「BGMをまとめ録りするのは予算の都合」と書いています。それなのに寝ず見さんの言う「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではない」というのはどこの世界の常識なんでしょうか? 出典の一つも示さずに「常識の範疇」と出典のある記述を削除するのは、明らかな公式方針の違反です。独善的な編集方針の押し付けはおやめ下さい。 --203.91.164.37 2009年3月15日 (日) 13:19 (UTC)

とりあえず、『事前にノートで提案もせずに、いきなり編集除去ではないですか』に関して。/自分の記述が除去されるのが気に食わない人はほぼ必ず同じ理屈を持ち出してくるのですが。一部の編集をするのに合意は必要ありません(「Wikipedia:編集方針#多様な参加姿勢が受け入れられます」→『記事の内容を何か変更する前には必ず前の著者に相談する必要があると考えている人はいませんし、そんなことをしていたら、執筆や推敲は遅々として進まないでしょう。』)。議論や合意が必要なのはページの大規模な編集をする場合のみです(「Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」→『記事内容の大規模な除去や置き換えは、元の著者がやる気をなくして投稿をやめてしまわないように、事前にノートで提案してください。』)。確かに「Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」には『他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください。』と書いてはありますが、「努める」というのは「なるべくそうする(ように努力する)」事であり「必ずそうする」事ではありません。必要があれば除去してもいいんです。/「除去するには出典が必要」と書いてある公式方針またはガイドラインの場所を教えてください。/「予算の都合である証拠」はリンク先のどこに書いてあるのか分からないところもありますが、渡辺俊幸→『経済的な部分が大半の理由』、岸川靖@NHK公式サイト→『費用の節約もあって』、東映公式サイト→『スケジュール上も予算上もまったく不可能』とあり、どこにも「予算の都合(だけ)」とは書いてませんが?/それで、『虫プロ興亡記』の該当部分を引用して欲しいとお願いしたはずですが、なぜ無視? 「THEアニメソング」は頼みもしないのに引用してくれたのに。/「後のテレビアニメでは事前に一括で何十曲も作曲するのに対して」→最近でもミュージカル要素があるアニメはその部分のみ専用に作曲されているので「後のテレビアニメでは事前に一括で何十曲も作曲するのに対して」という部分には特筆性がないですね、「ミュージカル要素があるジャングル大帝」では。--寝ず見 2009年3月16日 (月) 01:33 (UTC)
追記:「常識の範疇」に関して。/アニメの制作スケジュールを知っていれば「常識の範疇」で通じると思いますが、ものすごく簡単に言えば「例え予算が1億円あっても、明日納品なので今日中にフルオーケストラの劇伴を全編分作曲して録音してダビングしろ、といっても無理」という事です(ジャングル大帝の音響監督も『実際問題として間に合わない』と作曲に時間がかけられない理由を語っています)。/予算の都合もあることは認めますがね。--寝ず見 2009年3月16日 (月) 08:34 (UTC)

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寝ず見さん、しっかりして下さい。Wikipedia:編集方針#多様な参加姿勢が受け入れられますは、大胆に*編集*しても良いとは書いてありますが、どこにも大胆に*除去*しても良いとは書いていません。明らかな寝ず見さんの誤読です。寝ず見さんがやっているような編集除去をする場合は、Wikipedia:編集方針##他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいで書いてあるように、事前にノートで提案が必要です。つまり、Wikipedia:編集方針で言っているのは「大胆に編集してもいいですが、編集作業のうち大幅な除去をするときはノートで提案しましょう」ということです。寝ず見さんの解釈では支離滅裂になってしまいます。解説はちゃんと読みましょう。

それと、「努めると書いてあるから必ずそうする必要はない」と寝ず見さんはおっしゃいますが、そういう姿勢だから、ジャングル大帝の編集でもめたり、過去にもWikipedia:コメント依頼/寝ず見で苦情が書かれるのです。ぜひ、改めるようにしましょう。

そして、除去をするには出典が必要、というのはWikipedia:編集方針##他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいから導き出されることですね。ノートで提案するときに、説明責任が生じます。その説明の際に根拠も示さずに、「常識の範疇」では通用しません。

そのとおり、寝ず見さんが引用していた部分にはっきり書いてあるとおり。BGMのまとめ録りは予算の都合です。渡辺俊幸「経済的な部分が大半の理由」、岸川靖@NHK公式サイト→「費用の節約もあって」、東映公式サイト「スケジュール上も予算上もまったく不可能」。(追加)周防善和→「この時代は予算も恵まれていて毎週音楽録音を早稲田AVACOスタジオで行っていた。(今の時代NHK大河ドラマでさえ「ため録り」」

そして、やっと寝ず見さんはこれまで「常識の範疇」と言って来た「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です」が誤りであることを認めるのですね。そう、寝ず見さんが出典を挙げないから、「予算の都合ではない」とは言っているのは、これまで寝ず見さん1人でした。そして、山本暎一が予算の都合と書いているのを「間違っている」とはっきりと断定して記述を除去したのです。

2009年3月16日 (月) 08:34 (UTC)の追記部分で、寝ず見るさんは出典も資料も示さずに独自の研究を開陳していますが、もう結論は出ました。寝ず見さんが「常識の範疇」と言っていた「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です」こそ誤りだということが。他ならぬ寝ず見さんが「予算の都合もある」と認めたのだから、もう議論は終了です。「予算の都合ではない」という常識などなかったのです。なお、山本暎一を初め、これまで出典として挙げた人々は誰も「BGMをまとめ録りするのは時間の都合ではない」などと一言も言ってませんのであしからず。当方も、 2009年3月13日 (金) 10:35 (UTC)の加筆で、「『BGMをまとめ録りするのは時間の都合ではなく予算の都合』というスタンスではありません」とで言っており、「時間の都合ではない」と述べたことなどありませんので。

『虫プロ興亡記』については、著作権法で認められた必然性のある必要最低限を引用しています。関係ない部分について興味があるのでしたら、書誌情報は提示してあります。あの本は自費出版でも同人誌でもなく、入手は比較的容易だと思いますので、どうぞご自分でご確認下さい。

なお、寝ず見さんが言っている「最近でもミュージカル要素があるアニメはその部分のみ専用に作曲されている」は反論になりません。なぜなら、ジャングル大帝では、後のテレビアニメのような「一部のミュージカルシーンだけ」ではなく、全編が画面に合わせて毎週音楽を収録していたからです。「最近のテレビアニメでは溜め録りである。ミュージカルシーンのあるアニメでもミュージカルシーンのみフィルムスコアリングのみ」ということで「全編フィルムスコアリング」の本作の特筆性を裏付けるものですね。

なお、会話ページにも記しましたが、ジャングル大帝に関する議論だけでなく、寝ず見さんの参加姿勢や編集方針そのものに疑問を持ちましたので、寝ず見さん自身について、Wikipedia:コメント依頼/寝ず見 20090316で、コメント依頼をしました。 --203.91.164.37 2009年3月16日 (月) 14:51 (UTC)

方針解釈については203.91.164.37さんの解釈が正しいとする根拠がないので、方針解釈について話をしても意味はありません。「ジャングル大帝」とは無関係だし。/『はっきり書いてあるとおり』→書いてありません。「予算の都合ある(が他の理由もある)」が正しい。予算の都合「も」ある事は認めますが、大半の理由はスケジュールの問題=時間の問題です。ま、それは置いておくとして予算の都合だけではないので「予算の都合で」と書く事は出来ませんし、他の作品はミュージカル要素がないのがほとんどなのでミュージカル要素がある「ジャングル大帝」と比する事自体がナンセンスですね。/(追加)周防善和→予算があっても時間がなければ不可能です。毎週録音が可能なのは予算も時間もある場合のみ。/議論であるにも関わらず、強引な解釈で勝手に「議論終了」宣言したところで何の効力もありませんので、編集を強行した場合は議論拒否になります。議論拒否で編集強行は投稿ブロック対象ですから気を付けてください。/「どうぞご自分でご確認下さい。」→頼みもしないのに「THE アニメソング」から引用を行っておいて、議論相手に頼まれたらNOですか。不都合な事が書かれているので引用できない、と判断します。/『「全編フィルムスコアリング」の本作の特筆性を裏付けるものですね。』→そうですね。で、それが「予算の都合」云々と何の関係が? 毎回作曲された下りは除去していませんが?/おまけ:『全編が画面に合わせて毎週音楽を収録していたからです。』→残念でした。ジャングル大帝の音楽は「二本録り」です203.91.164.37さんも某氏同様、出典に書かれている内容から「独自研究」して発表している可能性が高いですね。/方針解釈は自分の解釈を押し付け(『どこにも大胆に*除去*しても良いとは書いていません。明らかな寝ず見さんの誤読です。』→「編集」には「除去」も含まれるし、なによりも「記事の内容を何か変更する前には必ず前の著者に相談する必要があると考えている人はいませんし、そんなことをしていたら、執筆や推敲は遅々として進まないでしょう。」を無視している)、勝手に人の発言をねじ曲げ勝手に議論終結宣言をし(『「予算の都合もある」と認めたのだから、もう議論は終了です』→予算の都合もある=予算の都合ではない)、自分に都合に合わせて資料の引用を拒否し(『あの本は自費出版でも同人誌でもなく、入手は比較的容易だと思いますので、どうぞご自分でご確認下さい。』)、無関係の事と結びつけて強引に自説が正しいと主張する(『「全編フィルムスコアリング」の本作の特筆性を裏付けるものですね。』→溜め録りが予算の都合かどうかとは関係ない)。お話になりませんな。/それで、何の為に次節にコメント依頼を作ったんですか?--寝ず見 2009年3月17日 (火) 01:17 (UTC)

緊急に追記:「虫プロ興亡記」は事実を基にした小説なでの出典としては不適切だと思いますが?--寝ず見 2009年3月17日 (火) 12:01 (UTC)

Wikipedia:編集方針の理解については、寝ず見さんの間違いですので、認識を改めて下さい。編集には除去が含まれますが、それならWikipedia:編集方針がわざわざ後から除去について、わざわざ断り書きする意味がありません。文章の流れというものを理解してク亜d歳。第1にWikipedia:コメント依頼/寝ず見ノート:天地無用!で他のユーザーの方から、むやみに編集の除去をしないように注意されているはずです。クレームのついた他のユーザーの解釈が全て間違いで、寝ず見さんの解釈だけが正しいというのですか。Wikipedia:編集方針について、話をしても意味がないというと寝ず見さんが思うのは自由ですが、ならば反論もする必要はないでしょう。
例によって議論なのに、出典も示さずに「ジャングル大帝は2本録り」という寝ず見さんが言っておられますが、別に2週に1回でもいいですけど、本質的なことではありません。じゃあ、ジャングル大帝は2週間ごとに画面に合わせて音楽制作していたでも、いいですよ。ただし、富田勲は『音の雲』でジャングル大帝の音楽を毎週録音していた書いていますので、悪しからず。
BGMについて。まず、あなたは「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です」と間違ったことを「常識の範疇」と言っていたのだから、素直に間違いを認めて撤回しなさい。話はそれからです。「予算の都合もある」が正しいというのなら、「予算の都合でない」というあなたの主張は誤りです。言い逃れは、いい加減にやめたらどうですか。
あと、何回も繰り返しているように、BGMのまとめ録りが「スケジュールの都合」は否定していませんけど。時間の都合であることを否定してもいないのに、否定されているかのようにこだわっているのは寝ず見さんです。後のアニメがスケジュールの都合でまとめ録りになっているのなら、出典を付記して記述すればいいんですよ。あなたが「時間の都合」という出典を出せないからって、出典のある「予算の都合」にケチをつけて除去しようとするのは、適切ではありません。
次に「予算の都合で」と書くことは出来ます。山本暎一が自著での述べたことであり、検証可能性を満たしていることがその理由です。周防善和や渡辺俊幸も予算を理由に挙げており、間違いでもなんでもないので、問題はありません。
「ジャングル大帝」がフィルムスコアリングだったことも山本暎一と木村英俊が誇らしげに、富田勲の場合はその苦労を述べており、出典可能性も特筆性も満たしているので、ジャングル大帝の音楽制作がいかに行われていたかを理解するのに役立つ百科事典の記事です。
寝ず見さんは「毎回作曲された下りは除去していませんが?」(2009年3月17日 (火) 01:17 (UTC))と言っていますが、この編集で除去していますよ。「間違った記述を除去。」で。
『虫プロ興亡記』の資料としての信頼性ですが、小説形式で執筆されているから、不適切という批判はあたりません。WEBアニメスタイルにおいて、アニメライターの小黒祐一郎が「アニメ研究家必読書籍のひとつだ」とあるように、プライベートな部分こそフィクションですが、虫プロに関する基本文献として定評のあるものです。アニメ研究家の津型信之『アニメ作家としての手塚治虫 その軌跡と本質』でも、虫プロ草創期の貴重な資料として引用されています。フィクションと判明している山本暎一のプライベート部分を除けば、出典として使用することに問題はありません。--203.91.164.37 2009年3月17日 (火) 12:31 (UTC)

本文を修正しました。一部除去の理由:『虫プロと東映動画は朝日ソノラマとの結びつきが強かった』→「ジャングル大帝」と直接関係ないし、そういった事実もない(例えば「アトム」はクラウンがソノラマの倍近い数を発売している)、また東映動画は「ジャングル大帝」と関係ない。/『日本コロムビアはアニメシリーズを確立』『SCS規格はこのレコードから』→日本コロムビアの事で「ジャングル大帝」とは関係ない。/以上。--寝ず見 2009年3月13日 (金) 01:14 (UTC)

あのですね。Wikipediaって百科事典なんですよ。アニメソングに詳しい人だけが見るものではないんです。「ジャングル大帝」について何も知らない人に解説しなければならないのです。マンガ史やアニメ史についても自明なことであっても、説明するのが百科事典というものです。
「虫プロと東映動画は朝日ソノラマとの結びつきが強かった」のが事実でないと主張しておられますが事実です。出典があるのに除去するということは出典を読んでいないのでしょうね。では、引用しましょうか。以下、括弧でくくった台詞の部分が、日本コロムビアの木村英俊『THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた』(角川書店、1999年)からの引用です。
虫プロ作品のレコードを出したいという木村に対して、虫プロ版権部のI専務(今井義章)「駄目だと言ってるだろう。虫プロは朝日ソノラマと決まっているんだ」(p.15)。東映動画のY製作室長には木村がソノシートとレコードの違いを説明するも「君ね、何回きても駄目なものは駄目だよ」「朝日ソノラマのS君のOKを取って来たら、やらせてやるよ」(p.16)。
本数の多寡は結びつきの強さとは、比例しないことを示す記述です。クラウンのリリースした数という1次資料による寝ず見さんの「解釈」でなく、虫プロや東映動画といった大手が朝日ソノラマと結びつきは強くなかったという出典をお願いします。
クラウンが倍近く虫プロのレコードを出していたにも関わらず、当時のアニメソングにおいて朝日ソノラマの存在が圧倒的であり、東映動画と虫プロとの結びつきも強かったことを示す発言です。虫プロ側もプロデューサーの山本暎一が、それまでアニメソングはソノシートでしか出してなかったという認識で、クラウンが虫プロのレコードをソノラマの倍近く出していようと、レコード畑のコロムビアの木村、アニメ畑の虫プロの山本、ともにクラウンの存在が著書で無視される存在感だったんです。「テレビアニメの主題歌を、レコードにしてだしたのは『ジャングル大帝』が最初である。それまで、『鉄腕アトム』などが、朝日ソノラマから、ソノ・シートででていた」(山本暎一『虫プロ興亡記』新潮社、1989年、p.206)。
朝日ソノラマのソノシートが全盛期という状況下において、後にアニソンにおいて寡占状態を築く日本コロムビアの足がかりになった作品だったという特筆性が、こうした背景をきちんと説明しないと読者には理解できないでしょう。「日本コロムビアはアニメシリーズを確立」「SCS規格はこのレコードから」についても同様で、この文脈を補強するものです。
一方、寝ず見さんが当初編集で除去した「本作のレコードは朝日ソノラマと日本コロムビアが発売し、ソノシート、EPレコードのほか、主題歌・挿入歌集『ジャングル大帝 ヒット・パレード』と『子どものための交響詩 ジャングル大帝』の2枚のLPレコードが発売された」だけでは、「ジャングル大帝」のレコードのアニメソング史上の位置付けがさっぱり分かりません。レコードが発売されたことをただ羅列したのでは、「宇宙人ピピ」のレコードも「ジャングル大帝」もレコードもただ出たという意味では同列になってしまいます。時代背景と歴史的位置付けの解説として不十分です。--203.91.164.37 2009年3月13日 (金) 10:35 (UTC)
百科事典に関する貴方の解釈はウィキペディアとは関係ありません。自分の思うままの百科事典を作りたければ自分で別のところでやってください。/「出典があるから事実」なんて強引な解釈は通用しません。「結びつきが強かった」というのは貴方の解釈=独自の研究に過ぎません。引用した文章のどこに「結びつきが強かった」と書いてあるんですか? 貴方が本を読んで「そう思った」だけでしょ? 実績がない会社だから追っ払う方便に朝日ソノラマの名前を使っただけという解釈もできるんですが。いずれにしろ具体的にハッキリと「結びつきが強かった」事を示す出典がなければ駄目です。つまり、「Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」であるので完全にアウトです。私は事実が確認できないから除去したのであって、別に「結びつきは強くなかった」などと主張していません。『本数の多寡は結びつきの強さとは、比例しないことを示す』も「クラウンレコードのことは(書いてないから)無視される存在感だった」、というのも貴方の解釈でしかありません。コロムビアの木村は自社で過去に発売したアニソンレコードの存在すら知らなかったし、クラウンからレコードが出ていた事実は今井発言と矛盾しています。単に「知らなかっただけ」と解釈するほうが自然だと思いますが?/ウィキペディアでは貴方の独自解釈を必要としません。記述したいのであれば、それを具体的に示す出典を用意してください。また、百科事典は出典のある記述のデータベースではありませんので、出典があろうとも間違っていることを百科事典に書いてはいけません。出典はあくまで記述内容を検証するためのものです。出典が重要なのではなく、重要なのは信頼できる記述内容です。/『後にアニソンにおいて寡占状態を築く日本コロムビアの足がかりになった作品』だった事は「日本コロムビア」のページに書けばいいこと(そのことが「ジャングル大帝」に貢献していないこと)なので「ジャングル大帝」への特筆性はありませんし、「ジャングル大帝」のページにアニソン史上の位置付けを書く必要はありません。アニソン史上の位置づけを書くならアニソンのページに書いてください。「ジャングル大帝」のページには「ジャングル大帝」のことだけを書けばいいのです。「ジャングル大帝」のページには「ジャングル大帝」のことが書いてあれば十分です。--寝ず見 2009年3月13日 (金) 12:19 (UTC)
朝日ソノラマの存在を理由に日本コロムビアが、東映動画と虫プロから門前払い食らったという事実を「朝日ソノラマと結びつきが強かった」との表現するのが気に食わなければ、「当時は朝日ソノラマのソノ・シート全盛期であり、日本コロムビアは、レコードを出したいと打診した東映動画と虫プロから、朝日ソノラマがあるからと門前払い食らうような状況にあった」とでもすればお気に召すということですかね。どちらも大した違いはないと思いますけどね。そして、そういうことは、日本コロムビアの項目に書けばいいと言っておきながら、寝ず見さんは、日本コロムビアへ転記するわけでもなく、読者の理解を助ける有益な情報を除去するだけ。
「作品の歴史的位置付けをその作品の項目で解説する必要はなく、除去しても構わない」というのは、Wikipediaの方針のどこに書いてあるのですか? 寝ず見さんの個人的な主張であれば、当方は従う必要はないんですけね。Wikipedia:コメント依頼/寝ず見利用者‐会話:寝ず見を見ると、合意は得られなさそうにないので、コメント依頼しておきます。--203.91.164.37 2009年3月13日 (金) 13:17 (UTC)
『〜とでもすれば』→一部修正する必要があるけど、いいんじゃないですか。でも「ジャングル大帝」に書く事ではない。日本コロムビア(かアニソン)のページにどうぞ。/『読者の理解を助ける有益な情報を除去するだけ』→貴方がそう思っているだけに過ぎないのに「有益な情報」って。貴方以外の誰かが積極的に記述を戻そうとした事実が確認できませんが?/私は別に日本コロムビアのページにも書く必要がないと思っているので移動する気もありませんが、貴方の出典にしている『THE アニメソング』は、筆者がディレクションに関わった作品の一部について筆者視点で書いてある本なので「コロムビアのアニメレコードの歴史」ではない、って事に留意して下さい。/また、その本には「子供向けレコードの新規格の立ち上げのために、使える新作アニメを探していた」って事が書いてあるはずです。別にSCS-1が「ジャングル大帝」である必要はなく、SCS-1が「ジャングル大帝」になったのは、たまたま筆者とつきあいのあった富田が推薦してくれたからで、実際SCS-2が出るまでに半年もかかっていて、SCS規格が軌道に乗ったのはSCS-4(累計200万枚以上)があったから。やはり書くなら日本コロムビア(かアニソン)のページですね。/『作品の歴史的位置付けをその作品の項目で解説する必要はなく』→「アニソン史上の位置付け」はジャングル大帝に書く必要はない、書くならアニソンに書けばいい、という話がなんで「作品の歴史的位置付け」なんて話に?/『Wikipediaの方針のどこに書いてあるのですか?』→単純な話で言えば、その辺の(出典を元にした)「歴史的位置付け」記述が独自の研究だから。コロムビアのSCS規格の発祥をジャングル大帝と結びつけて「作品の歴史的位置付け」を研究発表してるから除去対象になる、って事。基本「ウィキペディアは百科事典」なので、極論「検証可能な事実」を、私見を混ぜないで、淡々と記述すればいいのであって、203.91.164.37さんのように出典の記述から研究した事を書くのはアウトです。--寝ず見 2009年3月14日 (土) 03:29 (UTC)

インデント戻します。

基本的に「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではない」と同様に、こちらは出典を示しているのに対して、寝ず見さんは何の根拠もない持論の展開ですね。

日本コロムビアの「ジャングル大帝」の担当者が執筆している市販されている書籍ならば、検証可能性を満たします。「ジャングル大帝」の主題歌レコードが日本コロムビアの「アニメシリーズを確立」も「営業部もこの路線の強化を決定した」も木村英俊が著書で記していることであり、独自の研究でもなんでもありません。「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではない」のを「常識の範疇」という寝ず見さんの「常識」と異なっていようと、「日本コロムビアの木村英俊は~としている」と書けば、検証可能性を満たしているので、Wikipediaに記すのに何の問題もありません。あなたのアニメソング史観と違っていようと、中立的観点から何の問題もありません。客観的事実云々というなら、他者を納得させるだけの出典を示して下さい。「SCS-1からSCS-2が出るまでに半年もかかったから」というのはあなたの解釈、独自の研究でしょう。 どこの誰が下したかも分からない解釈を客観的事実として押し付けないで下さい。そんな解釈よりも、検証可能性を満たした木村英俊の発言が優先されます。気に食わなければ、ちゃんと出典を見つけてきて、中立的観点から両論併記すればよいでしょう。

日本コロムビアに書くこと、アニメソングに書くことという理由で、無闇に除去してはいけませんよ。ジャングル大帝の主題歌に関することなのですから。ガンダムの項目に関連商品のガンプラがどれだけ大ヒットして社会的騒動を起こしたのを書くのに何の問題もないです。ガンプラのことは、バンダイとプラモデルの項目のことに書けばよく、ガンダムの項目に書くなという論理はおかしい。(実際にはガンプラの項目はガンダムから独立しているので、独立していないと仮定しての話です)

検証可能性も中立的観点もかえりみず、一方的に自分の編集方針を押し付けるあなたは共同作業であるWikipediaという百科事典プロジェクトに向いていないと思います。最低限、出典くらい示してください。 --203.91.164.37 2009年3月15日 (日) 13:19 (UTC)

あなたの主張を読んでもあまり意味がないのでざっとしか読んでないのですが。/私が「独自の研究」と言っているのは「ジャングル大帝の事」とは書いていない事を「ジャングル大帝」と結びつけている部分です。木村の本には虫プロ・東映動画に「新規格の1枚目を探して日参して他が相手にされなかった」「突然、冨田から呼び出されていってみたら『ジャングル大帝』のレコードを出せる事になった」「SCS-1は営業が協力してくれなかったから全く売れず虫プロから出禁喰らいそうになった」「クビをかけて店頭在庫を無理矢理増やしたらようやく大きく売れた」という事も書いてあるはずですよ。つまり、木村は単純に「レコード」の話をしているだけで、そのレコードが「ジャングル大帝」だったに過ぎず、それが木村本の「ジャングル大帝」のところに書いてあるから「ジャングル大帝の話」と結びつけているだけ(SCS-1はたまたま「ジャングル大帝」だったに過ぎない子ども向けのレコードの規格の1枚目)で、「ガンプラ」の話(ガンプラはガンダムのプラモ)とは無関係です。/ちなみにSCS-2は「ジャングル大帝」の2枚目のレコードで、SCS-1の半年後に発売されています。/というか、コメント依頼してるんだから自説を打つのはしばらく待ったら如何? 貴方の主張と私の主張が決して交わらない事が分かってるからコメント依頼したんでしょ?--寝ず見 2009年3月16日 (月) 01:33 (UTC)

こちらもインデント戻しますね。

寝ず見さんはこう言っています。

>私が「独自の研究」と言っているのは「ジャングル大帝の事」とは書いていない
>事を「ジャングル大帝」と結びつけている部分です。
(中略) >木村は単純に「レコード」の話をしているだけで、そのレコードが「ジャングル
>大帝」だったに過ぎず、それが木村本の「ジャングル大帝」のところに書いて
>あるから「ジャングル大帝の話」と結びつけているだけ

ところが、日本コロムビア学芸部長で後に取締役になった木村英俊は著書『THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた』(角川書店、1999年)でこう書いています。

「この作品がきっかけとなって、コロムビア・アニメシリーズが確立できた(後略)()pp.17-18 ※この作品とは「ジャングル大帝」の主題歌のこと

「この事件以後営業部は、テレビまんが路線の強化を正式に打ち出したのである。] (pp.19-20) ※この事件とは、「ジャングル大帝」のレコード販売のときの逸話のこと

ちゃんと、ジャングル大帝によって、コロムビアが「アニメシリーズを確立」「営業部もこの路線の強化を決定した」と書いています。どこからどう見てもジャングル大帝のことです。これのどこが「ジャングル大帝の事とは書いていない事をジャングル大帝と結びつけている」というのでしょうか。品番がSCS-1であることも含めて、事実の合成などしていません。寝ず見さんから言われるような「独自の研究」などではありません。なぜ寝ず見さんがこんな奇妙な言いがかりをつけるのか不思議なのですが、寝ず見さんはちゃんと『THEアニメ・ソング』を持っているんですか?

SCS-2がSCS-1の半年後に発売したことは。寝ず見さんによれば、「SCS-2が出るまでに半年もかかっていて、SCS規格が軌道に乗ったのはSCS-4(累計200万枚以上)」とのことですが、それは寝ず見さんの解釈ということになります。「ジャングル大帝」が成功したことでアニメソングに力を入れるようになったのだから、第2弾を出すのにタイムラグがあったのは不思議でもなんでもない、という解釈も可能でしょう。それに、「軌道に乗った」と「路線の強化を打ち出す」の意味はイコールではありません。SCS-1がヒットしたので、路線の強化を打ち出し、その成果が実ったのは、200万枚のSCS-4ということであれば、何の矛盾もありません。

というか、Wikipedia:検証可能性に目を通したことはありますか? 執筆者は検証可能性を満たしていれば、真実であることを検証する責任はないんです。木村英俊の証言に異論があるなら、寝ず見さんも独自の研究でなく、出典情報のついた異論を両論併記すればいいのです。このようにね。

それと、ガンプラの例が気に食わなければ、海洋堂チョコエッグについてでももいいですよ。「チョコエッグによって海洋堂の知名度が上った」と書くのは、食玩の項目やフルタ食品で書く必要はないのは分かりますが、海洋堂とチョコエッグの両方の項目について書いても構わないはずです。日本コロムビアが公式サイトで認めて、元重役も語っている「ジャングル大帝のレコードSCS-1は日本コロムビアのアニメ路線の原点」という特筆性を、「日本コロムビアの項目に書け。ジャングル大帝の項目に書くな」と強硬に主張するのか不思議でなりません。

先にも述べましたが、Wikipedia:コメント依頼/寝ず見 20090316で、コメント依頼をしましたのでよろしく。 --203.91.164.37 2009年3月16日 (月) 14:51 (UTC)

寝ず見さんはちゃんと『THEアニメ・ソング』を持っているんですか?』→持ってますよ。/確かに木村本の「ジャングル大帝」の項目に書かれているんだから「ジャングル大帝」の時の話ですが、SCS-1はたまたま「ジャングル大帝」だっただけです。新規格の1枚目なんだからSCS規格がシリーズ化されるきっかけになるのは当たり前です。
  1. 「この作品がきっかけとなって、コロムビア・アニメシリーズが確立できた(後略)()pp.17-18 ※この作品とは「ジャングル大帝」の主題歌のこと→正確には『この作品がきっかけとなって、コロムビア・アニメシリーズが確立できたのだから、私にとって彼らは生涯の恩人といってもいい。』です。203.91.164.37さんが切り捨てた部分に『私にとって彼らは生涯の恩人といってもいい』と書いてあるんだから、話のメインは「ジャングル大帝」というよりもレコードの製作スタッフや関係者です。
  2. 「この事件以後営業部は、テレビまんが路線の強化を正式に打ち出したのである。] (pp.19-20) ※この事件とは、「ジャングル大帝」のレコード販売のときの逸話のこと→「この事件」とは、虫プロ関係者が「烈火のごとく怒」って田代音響監督から「もうコロムビアとは仕事をしない」と言い渡された事をきっかけに、アテにならない営業担当者を飛ばして販売課長に特別販売施策を付けてレコードを大量在庫させる事を強行にせまった「事件」です。確かに「ジャングル大帝」関連の逸話に見えますが、結局のところSCS-1が売れなければSCS規格が続行できないだけの話で『今までテレビまんが主題歌はソノシートだけだったが、はじめてレコード盤で商品化されたので、物珍しさも手伝ってヒットに結びつける事が出来た』と書いてある様に「ジャングル大帝」だから売れたのではなく、レコード店に、大量在庫した事で、テレビまんがの「レコード」という物珍しさも手伝って売れただけです。
「ジャングル大帝」のサントラCDを見つけ出して監督、音響監督、プロデューサーの寄稿、インタビュー、再録資料などが掲載されている解説書を確認しましたが、私が編集した内容とほぼ同じ内容の事しか書いていませんでした。--寝ず見 2009年3月17日 (火) 01:17 (UTC)
SCS-1が失敗していたら、コロムビアがアニメシリーズを確立することもなく、営業部もこの路線の強化を決定することもなく、コロムビアのアニメシリーズもSCS規格が短期で終わった可能性があったのだから、たまたま「ジャングル大帝」だったかどうかに関係なく、コロムビア公式サイトで書いてあるように「アニソンのコロムビアの原点」だったわけです。アニソンマニアの寝ず見さんにとっては、SCS-1がジャングル大帝だったのは常識かも知れませんが、百科事典は知らない人が調べものをするときに見るものなんですけど。
木村英俊にとって、誰が恩人であるかどうかとか、そんなことは逸話に属することであって、ジャングル大帝の主題歌についての百科事典的な解説には関係ありません。重要なのは、木村英俊個人の感情ではなく、日本コロムビアのアニメソング路線に与えた歴史的な位置づけです。なぜ木村は恩人であると感謝するのか。それはジャングル大帝のレコードで、コロムビア・アニメシリーズが確立したからです。文献資料から必要な部分を抜き出すのが何が問題なんですか。意味が分かりません。恩人云々というジャングル大帝という項目に関係ない逸話を省いて、百科事典的な解説をしているのだから、適切な編集です。
というか、あなたは「『ジャングル大帝の事』とは書いていない事を『ジャングル大帝』と結びつけている」(2009年3月16日 (月) 01:33 (UTC))と決め付けていましたね。あたかも当方が嘘を言っているように言っていましたけど、「ジャングル大帝の事と書いてある」のは出典で示したとおりです。木村英俊が恩人云々と書こうと、ジャングル大帝について書いてあることには何の変わりもありません。
次に、「ジャングル大帝によって営業部もこの路線の強化を決定した」という部分。寝ず見さんは、ジャングル大帝がなぜ売れたのかの独自の研究を披露していますが(出典がないのでこう言わざるを得ません)、どんな理由であろうと、コロムビアの人間が「営業部もこの路線の強化を決定した」と書いてあるのだから、検証可能性を満たしてるんです。検証可能性を満たせば、真実であることの検証をする必要はありません。ジャングル大帝が日本コロムビアにアニメソング路線を強化させた、というのが事実でないというのなら、検証可能性を満たすように出典とともに反論を併記すればいいだけです。寝ず見さんがいくら気に食わなかろうが、日本コロムビアの人間が「ジャングル大帝が日本コロムビアにアニメソング路線を強化させた」と書いてあるんだから、どうしようもありません。出典がなく出典可能性を満たせない独自の研究は、外部のサイトで思う存分やって下さい。
>「ジャングル大帝」のサントラCDを見つけ出して監督、
>音響監督、プロデューサーの寄稿、インタビュー、
>再録資料などが掲載されている解説書を確認しましたが、
>私が編集した内容とほぼ同じ内容の事しか書いていませんでした。
>--寝ず見 2009年3月17日 (火) 01:17 (UTC)
そうですかとしか言いようがありません。Wikipediaの執筆にはそのライナーノーツだけを使わなければならない、そのライナーノーツ以外のことは、検証可能性を満たす信頼できる情報源であっても執筆してはいけない、と寝ず見さんは主張されたいんでしょうか。もちろん違いますね。そのライナーノーツに書いてないことでも。「虫プロ興亡記」「THEアニメソング」のような、ジャングル大帝に関わったスタッフの回想録は執筆に使えます。Wikipedia:検証可能性を読み直しましょう。--203.91.164.37 2009年3月17日 (火) 12:31 (UTC)
  1. 出典さえあれば何でもOKだと思うのは間違いです。
  2. 『富田勲は『音の雲』でジャングル大帝の音楽を毎週録音していた書いていますので』→「ジャングル大帝」サントラCDの解説書には二本録りだったと書いてあるほか、録音データ資料も掲載されてます。/「時間の都合」関連の言及もあります。多少意味が違いますが。
  3. 除去していますよ。』→除去したのは『後のテレビアニメでは制作予算の都合で事前に一括で何十曲を作曲するのに対して、』です。「毎回作曲された下り」が除去した部分の何処に書いてあると?/ミュージカル要素のあるアニメと無いアニメを比較しなければならない理由は何ですか?
  4. プライベート部分を除けば、出典として使用することに問題はありません』→それは203.91.164.37さんの独自の判断にすぎません。プロの研究家が引用するのとも訳が違います。(ついでに言えば「THE アニメソング」は頼みもしないのに引用してくれるのに「興亡記」は引用してくれない辺りも怪しいと私は思っています。)
  5. 「ジャングル大帝が日本コロムビアにアニメソング路線を強化させた」と書いてあるんだから』→書いてありません。203.91.164.37さんが「そう思っている」だけです。強化させたのは「強引な販売戦略が当たった」からです。
  6. もちろん違いますね。』→もちろん違います。わざわざそれを書いた意味が分からなければ、それはそれでかまいません。
これ以上続けても意味がないので他の方の意見を待ちます。

--寝ず見 2009年3月18日 (水) 03:53 (UTC)

インデント戻します。

まず最初に、「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です。」の「予算の都合ではない」は寝ず見さんの事実誤認と認めて、撤回されるのですか。されないのですか。どちらですか。そろそろ誤魔化さずに、はっきりさせて下さい。

>『除去していますよ。』→除去したのは『後のテレビアニメでは制作予算の都合で事前に一括で何十曲を作曲するのに対して』です。「毎回作曲された下り」が除去した部分の何処に書いてあると?

そうですね。それはこちらの勘違いです。撤回し、訂正します。

こう改めます。あなたは「BGMをまとめ録りするのは予算の都合ではなく時間の都合です」と「予算の都合ではない」ことを理由にしていました。「予算の都合」が誤りというのなら「後のテレビアニメでは制作予算の都合で事前に一括で何十曲を作曲するのに対して」の「製作予算の都合で」部分だけを除去すればいいものを、過剰な除去をした、と。

「予算の都合」が間違いではない出典を示したら、今度は「出典さえあれば何でもOKだと思うのは間違いです」と除去の理由を寝ず見さんは変えて来たのです。まず除去ありきなのではないですか。特筆性と検証可能性を満たした何の問題もない解説にクレームをつけるのはいい加減やめてくれませんか?

『虫プロ興亡記』という資料については、当方の「独自の判断」で信頼できる情報源とみなしているのではありません。研究家やプロのライターが資料的価値を認めて、資料として使用している客観的事実があるのです。

次にミュージカル要素のあるアニメの件。

>ミュージカル要素のあるアニメと無いアニメを比較しなければならない理由は何ですか?

「最近でもミュージカル要素があるアニメはその部分のみ専用に作曲されている」( 2009年3月16日 (月) 01:33 (UTC))と、ミュージカル要素があるアニメの話を持ち出したのは、寝ず見さんですよ。当方は最初から、「後のテレビアニメでは制作予算の都合で事前に一括で何十曲を作曲するのに対して」と、ミュージカル要素のあるアニメと比較などしていません。ジャングル大帝はミュージカルでない部分までフィルムスコアリングしてるんだから、比較する必要ないですね。比較することに疑問があるでしたら、寝ず見さん、あなたは今後はミュージカル要素のあるアニメの話は持ち出さないのですね。

>『「ジャングル大帝が日本コロムビアにアニメソング路線を強化させた」と書いてあるんだから』→書いてありません。203.91.164.37さんが「そう思っている」だけです。強化させたのは「強引な販売戦略が当たった」からです。

前にも記しましたが、木村英俊『THEアニメ・ソング』で、「この作品がきっかけとなって、コロムビア・アニメシリーズが確立できた」「この事件以後営業部は、テレビまんが路線の強化を正式に打ち出したのである」(pp.16-18)とはっきりと書いています。これだけはっきりと書いてあるのに、「書いてありません」というのは、正直、寝ず見さんが共同作業と議論をするだけの日本語能力を持っているのか、懸念を持たざるを得ません。

「ジャングル大帝がなぜヒットしたか」と「ジャングル大帝のヒットは日本コロムビアにどういう影響を与えたか」という別の事象をごっちゃにするのも論理的ではありません。

当方を「そう思ってるだけ」と批判していますが、それを言うなら、寝ず見さんの言う「強引な販売戦略が当たった」というのだってそうです。だって、「強引な販売戦略が当たった」というのは、何の出典も示していなくて、いくつかの時事とを合成した、それこそ寝ず見さんが「そう思っている」だけの独自の研究ですよ。

よしんば、「強引な販売戦略が当たった」という独自の研究が正しいのだとしても、日本コロムビアは強引な販売戦略をジャングル大帝で取るくらい力を入れたってことでしょ。それこそ「ジャングル大帝が日本コロムビアにアニメソング路線を強化させた」というのに繋がるじゃないですか。

強引な販売戦力だったのか、たまたまた当たったのか、用意周到だったのかをいちいち問題にしているのは、寝ず見さんだけです。どんな経緯でヒットしていようと、ジャングル大帝がコロムビアにアニメソング路線を強化と確立させた作品なのは、日本コロムビアの元取締役の木村英俊の著書、ジャングル大帝を「アニメソングのコロムビアの原点」と謳う日本コロムビアの公式サイトにあるように、検証可能性を満たしたことです。「強引な販売戦略だったから」という出典が何一つない事実の合成による寝ず見さんの推測では覆せません。両者の見解が気に食わなければ、ライナーノーツでも何でもいいので信頼できる情報源から出典を拾って来て併記すればいいだけです。

寝ず見さんが今やっているような、一方的な観点だけを押し付けて、気に入らない記述は、「百科事典的でない」と編集除去するのは、Wikipedia:中立的な観点に反する行為です。

--203.91.164.37 2009年3月18日 (水) 11:13 (UTC)

おまたせ。追加記述に関しては読んでなかったから、それもついでに。
  1. 講談社の「ウルトラマン大全集」のウルトラ音盤関連のページに、「『オバケのQ太郎』でコロムビアに負けたテイチクがいち早く(ウルトラマンの)付録付きレコードを投入、コロムビア、キング、東芝と続いた」といった事が書いてありますね。ここから読み取れるのは、昭和41年当時、すでにレコード盤関連ではメーカー各社がしのぎを削っていた、という事と、コロムビアは『オバQ』で同業他社を一歩リードした、って事。つまり、コロムビアの路線に大きな影響を与えたのは『ジャングル大帝』ではなく『オバQ』だって事。そりゃ10万枚程度しか売れなかったレコードと200万枚以上売れたレコードじゃ、メーカーへの影響の与え方も違うよ。
  2. 『ミュージカル要素があるアニメの話を持ち出したのは』→最初(?)から書いてありましたが? これが「比較」でなく何だと?
  3. 『これだけはっきりと書いてあるのに、』→書いてありますね、はっきりと。で、そのどこに「ジャングル大帝がコロムビアに影響を与えた」と書いてあると?/単純な話、「この事件」が何なのかの認識が違ってるんですが、気付いてます? というか、音響監督のセリフ、読んでないの?(→『朝日ソノラマから出ていれば、十五万枚は売れているだろう。もうコロムビアとは仕事をしない。(19P)』) 「ジャングル大帝」のレコード、10万枚(以上)しか売れてないのに、コロムビアは「路線を強化」した? 無理があるでしょ?
  4. 『「ジャングル大帝が日本コロムビアにアニメソング路線を強化させた」というのに繋がる』→繋がりません。同時期に発売した他のまんがレコードも当たったから路線が強化されたんです。
  5. 『検証可能性を満たしたことです。』→『ある事柄が単に「検証可能」だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません。』(Wikipedia:検証可能性#但し書きより)
  6. Wikipedia:中立的な観点に反する行為です。』→あのね、出典の記述を自分に都合良く解釈して記述する事を中立性がない、って言うんですよ。なんだかはっきりと分からない「この事件」を都合良く解釈して「ジャングル大帝がコロムビアに影響を与えた」なんて言ってる時点でアウトって事です。
  7. で、どうするの? 第三者の意見でもコロムビア関連は「不要」みたいだけど? 必死こいて「いや、これは必要なんです」と力説しなければ記述してある理由が分からない事なんて、書いとく意味あるの?/『虫プロ興亡記』は「信頼できない情報源」って事は納得できた?

--寝ず見 2009年3月26日 (木) 08:23 (UTC)

音楽の節の修正[編集]

寝ず見さんより指摘された部分を受け、このように修正するつもりですが、いかがでしょうか。--203.91.164.37 2009年3月18日 (水) 11:13 (UTC)

音楽は音響監督の田代敦巳の推薦で、冨田勲に決定。ミュージカルの要素が組み入れられた本作では、後のテレビアニメでは予算等の関係で、事前に一括で何十曲も作曲するのに対して毎週画面に合わせ新たに作曲、録音する工程が取られ[1][2]、富田は打ち合わせも含めて毎週1週間のうち5日から6日を『ジャングル大帝』のために費やした[3]。音楽の予算には総制作費の3分の1から4分の1をかけ、『鉄腕アトム』と比較すると5倍の額になった。輸出先のアメリカの担当者も音楽を絶賛したという[4]

本作のレコードは日本コロムビアが発売した。1970年代アニメソングのジャンルで寡占状態を築く日本コロムビア[5][6]だが、 当時は朝日ソノラマソノシートが全盛期で、虫プロと東映動画は、朝日ソノラマの存在を理由に日本コロムビアを門前払いする状況だった[7]。そこへ日本コロムビア専属歌手だったポップス歌手弘田三枝子が歌うエンディング主題歌「レオのうた」を歌うことになり、そのシングル盤レコードは日本コロムビアから発売されて、10万枚以上[8]のヒットを記録。これにより日本コロムビアはアニメシリーズを確立し、営業部もこの路線の強化を決定した[9]。SCS品番シリーズの最初となるSCS-1が割り振られた本作の主題歌レコードは「アニメソングのコロムビアの原点」となった日本コロムビアの公式サイトで位置づけている[10]

その他、本作のレコードは朝日ソノラマ日本コロムビアが発売し、ソノシートEPレコードのほか、主題歌・挿入歌集『ジャングル大帝 ヒット・パレード』と『子どものための交響詩 ジャングル大帝』の2枚のLPレコードが発売された。

対案

音楽は音響監督の田代敦巳の推薦により、冨田勲が担当した。ミュージカルの要素が組み入れられた本作では、1話ごと画面に合わせ新たに作曲、録音する工程が取られ[11]、富田は打ち合わせも含めて毎週1週間のうち5日から6日を『ジャングル大帝』のために費やした[12]。そのため、総制作費の3分の1から4分の1が音楽に振り分けられ、『鉄腕アトム』と比較すると予算額は5倍とされる。輸出先のアメリカの担当者も音楽を絶賛したという[13]

放送時の主題歌は平野忠彦[14]、エンディング主題歌「レオのうた」は、スタッフの希望から[15]日本コロムビア専属のポップス歌手弘田三枝子が歌った。

本作の音楽を収めたものとしては、朝日ソノラマからソノシート日本コロムビアからEPレコードおよび主題歌・挿入歌集『ジャングル大帝 ヒット・パレード』と『子どものための交響詩 ジャングル大帝』の2枚のLPレコードが発売されている。

朝日ソノラマ(?)からは「○○」が発売された。<要追記>

日本コロムビアからは、平野の変名である三浦弘とコロムビア女声合唱団による主題歌「ジャングル大帝」、弘田の「レオのうた」ほかを収めたシングル(SCS1)が、12月10日に発売される。このレコードは10万枚以上[16]のヒットを記録した。朝日ソノラマソノシートが全盛だった当時に、このヒットを得たことによって、日本コロムビアはアニメシリーズを確立、営業部もこの路線の強化を決定し[17]1970年代アニメソングのジャンルで寡占状態を築く日本コロムビア[18][19]の原点といえるものとなった[20]

また、挿入歌集『ジャングル大帝 ヒット・パレード』と『交響詩 ジャングル大帝』の2枚のLPレコードについては、これが日本最初のアニメの交響曲と主題歌集のLPと言われている[21]。小学校の鑑賞教材にも使えるレコードという発想で制作された『交響詩 ジャングル大帝』は1966年芸術祭の音楽部門に参加し、奨励賞を受賞した。オープニングテーマ『ジャングル大帝のテーマ』およびエンディングテーマ『レオのうた』は、『ジャングル大帝』のレオがマスコットキャラクターの埼玉西武ライオンズチャンステーマとしても使用されている。


  1. ^ 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、p173。
  2. ^ 木村英俊『THEアニメ・ソング ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、p.20。
  3. ^ 富田勲『音の雲』日本放送出版協会、2003年、pp.79-80.
  4. ^ 秋山邦晴「日本映画音楽史を形作る人々50 アニメーション映画の系譜11 手塚治虫と虫プロの足跡」『キネマ旬報』1976年11月下旬号(『手塚治虫劇場 手塚アニメーションフィルモグラフィー』手塚プロダクション、1991年第2版、p.29)
  5. ^ 氷川竜介『20年目のザンボット3太田出版、1997年、p.134。
  6. ^ 氷川竜介、藤津亮太編集『ガンダムの現場から 富野由悠季発言集』キネマ旬報社、2000年、p.81。
  7. ^ 木村英俊『THEアニメ・ソング ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、pp.15,17。
  8. ^ 山口康男『日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡』(テンブックス、2004年、ISBN 4886960111)88頁。
  9. ^ 木村英俊『THEアニメ・ソング ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、pp.17-20。
  10. ^ 衛藤邦夫「コロムビア LPファクトリー/コラム 第16回:1965年の弘田三枝子を検証する」 日本コロムビア公式サイト
  11. ^ 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、p173。
  12. ^ 富田勲『音の雲』日本放送出版協会、2003年、pp.79-80.
  13. ^ 秋山邦晴「日本映画音楽史を形作る人々50 アニメーション映画の系譜11 手塚治虫と虫プロの足跡」『キネマ旬報』1976年11月下旬号(『手塚治虫劇場 手塚アニメーションフィルモグラフィー』手塚プロダクション、1991年第2版、p.29)
  14. ^ http://www.geocities.jp/macsyma/mimiwosumaseba/data/taitei.htm
  15. ^ 衛藤邦夫「コロムビア LPファクトリー/コラム 第16回:1965年の弘田三枝子を検証する」 日本コロムビア公式サイト。木村英俊『アニメ・ソング』(角川書店)からの抜粋として
  16. ^ 山口康男『日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡』(テンブックス、2004年、ISBN 4886960111)88頁。
  17. ^ 木村英俊『THEアニメ・ソング ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、pp.17-20。
  18. ^ 氷川竜介『20年目のザンボット3太田出版、1997年、p.134。
  19. ^ 氷川竜介、藤津亮太編集『ガンダムの現場から 富野由悠季発言集』キネマ旬報社、2000年、p.81。
  20. ^ 衛藤邦夫「コロムビア LPファクトリー/コラム 第16回:1965年の弘田三枝子を検証する」 日本コロムビア公式サイト
  21. ^ 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、p207。

修正意見[編集]

問題点や修正すべき部分があれば、こちらにご意見をお願いします。--203.91.164.37 2009年3月18日 (水) 11:13 (UTC)

出典を示して客観的に書いてあると思いますが、「音楽」の節なのに、ジャングル大帝の音楽そのものの説明以外の、当時の営業部の意向とか経済情勢を(確かに出典はあるにせよ)どうして織り交ぜて書こうとしているんだろうと言う点が気になります。寝ず見さんが違和感を覚えているのもそこなのではないでしょうか?--草薙 2009年3月18日 (水) 11:50 (UTC)
ご意見ありがとうございます。草薙さんのどうしてコロムビアの意向を書こうとするのか、という疑問にお答えします。「ジャングル大帝」の主題歌レコードの存在が、日本コロムビアがアニメソング路線を左右した、という説明のためです。これにより「ジャングル大帝」のアニメソング史上の位置づけが明確になります。「マジンガーZ」がロボットアニメというジャンルを築いたエポックメイキングな作品であることを説明するのに、超合金のヒットと他のおもちゃメーカーの参入を説明するのと似たようなものです。原典に近い表現の「これにより日本コロムビアはアニメシリーズを確立し、営業部もこの路線の強化を決定した」は冗長だというなら、「これにより日本コロムビアはアニメシリーズを確立し、路線を強化した」でも構わないと思います。--203.91.164.37 2009年3月18日 (水) 13:10 (UTC)
なるほど。それでしたらジャングル大帝よりもむしろ日本コロンビアの項に記述する方がより適切なのではなかろうか、と思います。日本コロムビアは、ジャングル大帝の主題歌レコードの存在によって、アニメソング路線を決定したのでですよね。でしたら、ここの主語はジャングル大帝(のレコード)ではなく「日本コロムビア」ですよね? 冗長というか、主語の問題です。こちらにどうしても書きたいのであれば、技法として脚注に添える方向も考えてみてはいかがでしょうか。音楽のアニメソング史上の位置づけを書きたいのかもしれませんが、読めば読むほど、これを書くとしたら日本コロムビアの項が相応しい「日本コロムビアの営業路線」の話のように感じられます(そしてそれを書くとしたら日本コロムビアの経歴などの節)。音楽それ自体の売り上げとか、表現とか、外部からの評価とかの説明なら分かるんですが、どうも本筋から外れているような気がしてなりません。
「断じてあってはならない記述だ」とは言いませんし、何が何でも除去を行なうような性質の加筆だとは個人的に思いません。203さんは誠実な態度で編集なさっていると思います。ただ、「書くとしたら日本コロンビアか、脚注欄かな」という印象を受けます。ともあれ、寝ず見さんももう少し長い目で見て、加筆編集を行なっていただければ、無駄な屹立を生まずに作業できるのではないかなと私見を述べておきます。躍起になっても世界は回り続けますから、適度に力を抜いてプロジェクトに寄与した方が精神衛生上も宜しいかと思います。編集頑張ってください。--草薙 2009年3月18日 (水) 13:34 (UTC)
あ、もしかして、勘違いされているかも知れないので断っておきますね。「ジャングル大帝」と日本コロムビアについて、ジャングル大帝でアニメソング路線が本格化した事実は、ジャングル大帝の項目だけに書け、日本コロムビアの項目に書くな、とは言ってはおりません。当方は、両方の項目で書けばいいじゃんって、スタンスです。日本コロムビアには日本コロムビアの観点から、ジャングル大帝にはジャングル大帝側の観点から、表現を変えて執筆すればいいというスタンスです。
ここでの主題は、「ジャングル大帝」ですので、フィクションである「ジャングル大帝」が世の中にどういう影響を与えたか、歴史的な位置づけはどうなっているのかの解説が執筆者に求められると思います。であるのならば、「ジャングル大帝」側からの視点で日本コロムビアの路線を左右した、という歴史的事実は特筆性があり、読者に伝える価値があるんだと思うのですよ。日本コロムビアの項目だけに解説されていたら、いちいち日本コロムビアの項目をクリックしない限り、「ジャングル大帝」を調べようとした人にはこの事情が分からなくなってしまいます。
ただ草薙さんにそういう印象を与えるというのなら、もっと表現を練らないといけないですね。で、日本コロムビアを初めて見ましたが、ジャングル大帝のこととを当時のアニメソング事情について書ける適切な節がないような。無理に書くと項目としてのバランスが失われそう。社史とのバランスが取れてない長い「企業再生ファンドによる買収」みたいに。--203.91.164.37 2009年3月18日 (水) 14:41 (UTC)
というより、「もしかしたら、今の所こちらにしか書くつもりが無いのかな」と思ったので、日本コロムビアの方をお勧めしたまでです。現状の日本コロムビアの方に書くのは工夫が必要でしょうけれども、書くとしたら「原点」とまで言ってるんですから、そちらに書く方がより適切な事実でしょう。もともと書くつもりがあったのであれば、それで良いかと。で、まあ、「これにより~路線を強化した」っていう部分については、ジャングル大帝のページでは脚注欄に補足として載せておけば、こっちを調べた人には伝わらないって事はないだろうという意見です。--草薙 2009年3月18日 (水) 14:52 (UTC)
  1. 後のテレビアニメでは予算等の関係で、事前に一括で何十曲も作曲するのに対して毎週画面に合わせ新たに作曲、録音する工程が取られ』→「各回ごとに画面に合わせて作曲、録音する工程が取られ」に修正するべき。理由:ミュージカル要素のない作品と比べても意味がないので「後のテレビアニメでは〜」は除去、録音は毎週とは限らないので修正が必要。
  2. 1970年代にアニメソングのジャンルで寡占状態を築く日本コロムビア[5][6]だが、 当時は朝日ソノラマのソノシートが全盛期で、虫プロと東映動画は、朝日ソノラマの存在を理由に日本コロムビアを門前払いする状況だった[7]。そこへ日本コロムビア専属歌手だったポップス歌手弘田三枝子が歌うエンディング主題歌「レオのうた」を歌うことになり、そのシングル盤レコードは日本コロムビアから発売されて、10万枚以上[8]のヒットを記録。これにより日本コロムビアはアニメシリーズを確立し、営業部もこの路線の強化を決定した[9]。』→記述がくどいので「当時は朝日ソノラマのソノシートが全盛期だったが、冨田勲・山本監督・田代音響監督らの推薦によりコロムビア専属歌手だった弘田三枝子がエンディング主題歌「レオのうた」を歌うことになった[1]。日本コロムビアから発売された「レオのうた」を収録したSCS-1は10万枚以上のヒットを記録[2]し、「アニメソングのコロムビア[3]」の原点となった[4]」と修正した方が良い。--寝ず見 2009年3月19日 (木) 03:54 (UTC)
  1. ^ THE アニメソング
  2. ^ 日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡
  3. ^ 氷川竜介『20年目のザンボット3』太田出版などによると、1970年代のアニメソングはコロムビアの寡占状態になっている。
  4. ^ コロムビア公式サイト

追記:LPの「日本初」とか「芸術祭奨励賞受賞」は?--寝ず見 2009年3月19日 (木) 04:00 (UTC) 現在の版とほとんど変わらないので203.91.164.37氏の案をなるべく残すように修正しました。これでギリギリです。--寝ず見 2009年3月19日 (木) 04:12 (UTC)

さらに追記:書かないでおこうと思ったのですが、やっぱり書きます。/203.91.164.37さんは、否定的な意見を見付けては素直に意見に耳を傾ける訳でもなく即座に「いやいやこれはですね」とやってる訳で、そうすると何のためにコメント依頼したのか?という事になるのですが、それともかく。203.91.164.37さんの記述は、説明しなければ書いてある意味が第三者には分からないって事なんでは?
コメント依頼に応じてくださっている第三者の方へ:203.91.164.37さんの主張を鵜呑みにしないで下さい。コロムビアのディレクターが書いた出典本には『(「ジャングル大帝」の仕事が取れた事でSCS規格の)シリーズが確立できたのだから、(推してくれたスタッフは生涯の恩人だ)(P18)』『この事件以後営業部は、テレビまんが路線の強化を正式に打ち出したのである。(P19)』程度しか書いてありません。『「ジャングル大帝」の主題歌レコードの存在が、日本コロムビアがアニメソング路線を左右した』なんて話はどこにもない(ただの拡大解釈)し、コロムビアの話しか書いてない(同業他社の事は不明)んだから『「ジャングル大帝」のアニメソング史上の位置づけが明確』になるはずもありません。つまり、ただの独自研究です。/(斜体文字のみ原文ママ)--寝ず見 2009年3月19日 (木) 08:49 (UTC)
  • (コメント)対案書いてみました。脚注の都合で上に置きました。追加の意見はフォローできていない&内容についてはよくわかってません。基本的には語順や主述関係を入れ替えて、視点をジャングル大帝からのものに固定させて、文の流れから、コロムビアのことに派生させるようにしたつもりです。レオのうたを弘田が歌ったからコロムビアがレコード出せたということではないかと推察しますが、そういう情報源はないのでしょうか。--Ks aka 98 2009年3月23日 (月) 18:35 (UTC)

コメント 基本的な部分で、個人のHPは出典にできない、『虫プロ興亡史』は「信頼できない情報源」なのでそのまま出典にはできない、『平野の変名である三浦弘』の出典がない、などの問題点があるほか、一部記述が正確ではない。また『日本コロムビアはアニメシリーズを確立、営業部もこの路線の強化を決定し』は「ジャングル大帝」とは無関係なので書く必要がない、『朝日ソノラマのソノシートが全盛だった当時に、このヒットを得たことによって、』はWikipedia:独自研究は載せない#発表済みの事実の合成なので不可、など記述がくどい点を無視しても、そのままでは使えない。--寝ず見 2009年3月24日 (火) 01:22 (UTC) /追記:『弘田が歌ったからコロムビアがレコード出せた』→「THE アニメソング」に一応準ずる記述はありますが、ソノラマも「レオの歌(カバー)」出してます(著者の目的はアニソンの独占です。)。--寝ず見 2009年3月24日 (火) 01:34 (UTC)

コメント依頼[編集]

寝ず見氏と当方の編集方針で、議論になっております。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%B8%9D&diff=24823706&oldid=24819887

  • 出典のある記述を、出典を示さず除去してよいのか。
  • 作品の歴史的位置付けをその作品の項目で解説する必要はないという意見は妥当か。
  • 作品の特筆性を理解するのに当時の状況の解説は必要ないのか。

以上、3点について、第3者のご意見をお待ちしております。 --203.91.164.37 2009年3月13日 (金) 13:17 (UTC)

上記3点ではなく、現時点の「ジャングル大帝#音楽」の記述と203.91.164.37氏の主張する2009年3月12日 (木) 11:16の「ジャングル大帝#音楽」記述のどちらが百科事典の記述として相応しいか?についてのコメントをお願いします。--寝ず見 2009年3月14日 (土) 06:20 (UTC)

(コメント)上記について意見を述べます。便宜的に番号を付加させていただきます。

  • (1)出典のある記述を、出典を示さず除去してよいのか。
  • (2)作品の歴史的位置付けをその作品の項目で解説する必要はないという意見は妥当か。
  • (3)作品の特筆性を理解するのに当時の状況の解説は必要ないのか。

(1)よくない。今回の件は除去の仕方が一方的。(2)妥当でない。解説する必要がある。(3)必要。社会状況が作品の性格を生む。
上記のように考えます。--118.243.86.141 2009年3月24日 (火) 02:16 (UTC)

寝ず見氏へ[編集]

他の名前空間におけるノートでの言動などにより、Wikipedia:コメント依頼/寝ず見_20090316が出ているのですから、このコメント依頼での意見が纏まるまで編集を控えることはできませんか?
第三者から見て、寝ず見氏のよく使う断言的な口調『使えない』『できない』『必要がない』などは、相手に自分の意見を押しつけるようにしか見えません。一般の社会生活でこのような口調を多用すると軋轢を生むように顔の見えないネットでも同様です。なぜ、『使えないのではないでしょうか?』『できないと思います。』『必要がないのではありませんか?』などの尊敬語・謙譲語的表現を使っていただけないのですか?このままではコミュニティの疲弊をますばかりです。--118.243.86.141 2009年3月24日 (火) 02:16 (UTC)

謹んでお断りする。--寝ず見 2009年3月24日 (火) 04:05 (UTC)