ノート:がっこうぐらし!

ナビゲーションに移動 検索に移動

このページは一度版指定削除されています。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/がっこうぐらし!」をご覧ください。

記事導入部に記載する作風の記述[編集]

原作者のあるツイートを基にした記述が2014年9月に導入部に加筆にされ、私の編集で2015年7月15日に内容を置換のうえ位置を変更され、また別の方の編集で同18日に再び導入部に位置が変更されました。この記述は、他の作品(群)との作風のみの類似・相違を述べたものであり、言及の割合が原作者のTogetterまとめで小さく、そして出典が独立していない一次資料となっています。これらのことから私は、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の「その記事が取り扱う最も重要な点」「その記事の要点」に該当しないものとして、このツイートを基にした記述の導入部から本体節への位置変更を 提案 します。--彼方陣会話) 2015年7月20日 (月) 04:30 (UTC)

反対プロジェクト:漫画#導入部分」には反していないと思います。そもそもこの記事に関する独立した二次資料というと、今のところテレビアニメ版第1話の反響が中心になってしまいますが、それも導入部に書く内容としてはどうかと思います。一方で原作者のTwitterのような一次資料はウィキペディアにおける特筆性の証明にこそなりませんが、扱いとしては公式サイトに準じるので、「Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」や「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイト」が適用され、出典として用いることに問題はありません。信頼できる出版社から刊行されている各巻のあとがきと照らし合わせても、矛盾した内容にはなっていないので、大言壮語にならないよう注意すれば大丈夫でしょう。なおTwitterの発言と各巻あとがきを照らし合わせれば、原作者の海法氏としてはこの漫画を、「ゾンビアクションと言うよりは、現実の高校生が味わう青春の葛藤や社会に直面する恐怖感のようなものを、ゾンビが溢れる終末の世界に仮託して描いたもの」という方向性に持って行きたいのだろうと読み取れますが、まあそこまで書いてしまうと記事編集者個人の解釈が過ぎるでしょうね。--Kanohara会話) 2015年7月20日 (月) 13:45 (UTC)
コメントガイドラインの:掲載すべきでない外部リンクに「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)およびそれに類するもの。これらのサイトでは、記事に関係のある記述やその他の情報が将来失われてしまう可能性があるからです。」と記載されているので、本来twitterの発言は出典として使用するべきで物ではないでしょう。それに加えて本人確認されていないtwitterアカウントによる発言であり信頼できる情報源の基準も満たせれていないようです。さらに検証可能性においても「個人のウェブサイトやブログ、そのほかの自己公表物あるいは自費出版物は、二次資料として使用できません。」とあるので、通常のブログ以上に発言・削除が容易なtwitterでの発言は、やはり出典元として使用するべきではないでしょう。--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 04:41 (UTC)
コメントtwitterの"つぶやき"は出典元として本来使用するべきではなく、その意味において現在の記事から当該部分を完全に削除することに私は賛成します(移動する必要もありません)。しかし、作品の方向性をあらかじめ導入部で示すこと自体は「あらすじ」や「登場人物」など個別の記事の理解を助ける効果がありますので、もしtwitter以外の出典があるのであれば、そちらを出典元として明示し導入部に記載することには賛成します。--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 04:41 (UTC)
返信 (Pinejamさん宛) Pinejamさんが引用したガイドラインの文章をよくお読み下さい。まず「Wikipedia:外部リンクの選び方」の冒頭部には「本ガイドラインが適用される外部リンクとは、記事の内容を補うために記事本文で引用される情報源へのリンクのことではありません」とあり、今回の件とは無関係であることは明らかです。もし私の解釈に疑問があるのでしたら、この一文が書き加えられた経緯の「Wikipedia‐ノート:外部リンクの選び方#出典は除外するという但し書き」をご覧下さい。
次に「Wikipedia:検証可能性」ですが、「個人のウェブサイトやブログ、そのほかの自己公表物あるいは自費出版物は、二次資料として使用できません」という文書の直後に「自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。(中略)Twitter・Tumblr・Facebook・Google+などのソーシャルネットワークサイトについても、この方針が適用されます」と明記されています。原作者のTwitterにこの例外が適用されることは明らかです。
最後に本人確認ですが、まず@nk12のアカウントは、テレビアニメ公式Twitter(公式サイトからリンクされているため本物であることは確認済み)からリツイートされているので本物でしょうし、記事の出典となっている@nk12_netabareのアカウントは、上で彼方陣さんがリンクを示した原作者の発言まとめにあるように、原作者自身が自分の発言まとめであることをツイートしているので、本人確認されています。--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 05:26 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛) Kanoharaさんが根拠とされている出典は除外するという但し書きの本質は登録制や課金制サイトへのリンクを出典元として除外すべきではないという話であり、今回の件とは無関係です。また、そもそも外部リンクとしてすら使用できない情報源を出典として使用するべきなのか、私としてはかなり疑問です。ブログ以上に気軽に書き込めるtwitterへの書き込みは、書いた本人にとっても十分に内容を検討、推敲したものとは言えず、出典に求められる信頼できる公刊された情報源とは言えません。またen:Wikipedia:External_links/Perennial_websitesによれば、twitterは出典として完全に排除されているわけではないにせよ、信頼性の担保として認証アカウントへの言及があります。@nk12_netabareは認証アカウントではなく、またその信頼性の保障が「たぶん本物」という域を出ていません。以上の理由により、私としては現在のツイートのみを出典とするならば、削除に賛成します。ただし内容としては導入部に載せても問題ない内容だとは思うので、他の信頼できる出典を探されてはいかがでしょうか?--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 06:57 (UTC)
返信 (Pinejamさん宛) 何を理由にそれを本質だと考えたのかは分かりませんが、Pinejamさんが主張の根拠としている「Wikipedia:外部リンクの選び方」には、
本ガイドラインが適用される外部リンクとは、記事の内容を補うために記事本文で引用される情報源へのリンクのことではありません。リンクしようとしているウェブサイトやページがいまだ記事本文中で出典として挙げられていない場合は、外部リンクとしてではなく、記事の出典として引用することを考えてみてください。あるウェブサイトの内容を記事本文で引用し、その出典を記事末尾の参考文献にリンクとして示す際は、Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:出典を明記するを参照してください — Wikipedia:外部リンクの選び方
とあるのですから、議論と無関係なのは確実です。課金サイトは一例として引き合いに出されているに過ぎません。そもそも公式サイトは「Wikipedia:外部リンクの選び方#一般的にリンクしてよい」に含まれているため、仮にこのガイドラインが関係しているとしてもリンクすることに問題ありませんし、そもそもSNSが「掲載すべきでない外部リンク」に含まれているのは「記事に関係のある記述やその他の情報が将来失われてしまう可能性があるから」という理由です。Twitterの発言はログが流れたりせず、長期に渡って残るので、リンクするのに問題がありません。ルールの精神に基づかないルールの運用は、WP:悪用に該当します。
また「認証済みアカウントではない」との指摘ですが、前述したように公式twitterから原作者のTwitterとしてリツイートされているアカウントを、偽者として疑う根拠は何かあるのでしょうか? 他に出典が必用であるというのならニコニコニュースの記事でも良いです。これ以上「原作者のアカウントかどうか疑わしい」という主張を続けるのであれば、それはPinejamさんの独自研究です。疑わしいという根拠となる出典を提示して下さい。
そもそも、原作者が自分の作品について語っているのに、その発言内容を疑う根拠が何かあるのでしょうか? Twitterは電話やメールと違って誰にでも閲覧可能な公表済みの一次情報源なので、検証可能で、信頼できる情報源です。Twitterを情報源として使うことができないのは二次情報源として使う場合や、非公開となっていて検証不可能な場合であり、原作者本人のTwitterを「原作者本人がそう言った」ことの出典として用いることに問題がないのは「Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」や「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイト」を見ても明らかです。つまり海法氏の本人Twitterは、この記事において信頼できる情報源です。ウィキペディアの利用者全てが従うべきとされている「三大方針」とまで言われる公式な方針に、
自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。例えばウィキペディアに、或る政治団体の記事があったとします。この記事について、その政治団体が開設しているウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアのその政治団体についての記事において、その政治団体自身に関する情報源として使用できます。

Twitter・Tumblr・Facebook・Google+などのソーシャルネットワークサイトについても、この方針が適用されます。

— Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイト
と書いてあるのですから間違いありません。Pinejamさんが自分に課した縛りとして「自分はTwitterは使わない」と考えるのは結構ですが、それはPinejamさんの中にしかないルールなので、他人を縛ったり説得したりすることはできません。ウィキペディアの方針に従うことができない編集者はウィキペディアの編集に携わるべきではありません。--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 09:42 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛) 私の書き方が悪かったのか、私の意図が明確にKanoharaさんには伝わっていないようです。私が最も問題だと感じているのは当該ツイートの情報源としての価値の低さにあります。繰り替えしになりますがブログ以上に気軽に書き込めるtwitterへの書き込みは、書いた本人にとっても十分に内容を検討、推敲したものとは言えず、しかもそれが本人認証されていないアカウントからのものでもあるので、当該情報の情報源としての重みは軽いと言わざるをえません。また情報源が当該ツイートしかないようですので信頼できる情報源にある記事が、自己公表された情報源を最重要な情報源としていないことにも反しておりwikiで記事化するほどの価値が現段階で本当に存在するのかが私には疑問です。たとえそれが作者本人の発言だったとしてもです。もし本当に価値のある情報であるならば、他の信頼できる情報源からも発信されるはずであり、それを待ってから記事化しても遅くは無いと思います。仮に発信されなかったのであれば、その程度の価値しかない情報だったと言えるでしょう。端的に表現すれば「無分別にツイートを拾い上げてwikiをツイッターまとめサイトにするべきではなく、しっかりとした情報源を根拠にするべきである」というのが私の真に意図するところです。あとwikiはそもそも規則主義ではなく、相手を説得するには相手を納得させるだけの根拠をもった説得があるべきです。方針に従うことができない編集者はウィキペディアの編集に携わるべきではありません。というのは、明らかにwikiの理念に反する発言であり、一種の脅迫に該当すると感じられますので、今後は控えられたほうが良いかと思います。--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 10:56 (UTC)
返信 (Pinejamさん宛) 本人認証については問題ないと何度も説明しているはずですし、そもそもPinejamさんが「Twitterを出典とするなら認証が必要」という主張の根拠としている英語版の「en:Wikipedia:External_links/Perennial_websites」は、ガイドラインではなく拘束力のない私論(Essay)で、そもそも日本語版では導入されていない私論で、さらに付け加えれば出典ではなく外部リンクの選び方についての私論であり、上の階層にあるガイドライン「en:Wikipedia:External links」にも“These external-link guidelines do not apply to footnoted citations within the body of the article.”と書かれています。話になりません。
該当ツイートが十分に推敲されているかどうかについてですが、海法氏自身がネタバレ専用のアカウントを取得して、わざわざ自分の発言まとめを作った上で公開している内容なので、「推敲されていない」とする根拠には乏しく、また推敲されていない「可能性のある」一次情報源を出典として利用してはならないルールはありません。
「記事が自己公表された情報源を最重要な情報源としているかどうか」ですが、そもそもそれは独立記事作成の基準の話でしょう。この記事が最重要な情報源としている漫画『がっこうぐらし!』は自己公表された情報源ではない出版物で、自主製作映画などではないテレビアニメ作品です。また、記事導入部には本人Twitterの他に、コミックナタリーの記事(この記事自体はプレスリリースを元にしていると推定されますが、自己公表された情報源ではありません)が出典として付記されているので、自己公表された情報源のみを参照している訳でもありません。
「無分別にツイートを拾い上げてwikiをツイッターまとめサイトにするべきではない」という主張についてですが、この議題の最初でも書いたように、「プロジェクト:漫画#導入部分」には「具体的には「いつどこで(物語の背景)誰がなにをなんのためにどうする姿を通して、何のテーマを描いた」漫画かを書きます。作品を知らない人が読んでもわかるように説明します。テーマについては独自研究に注意する。」とあります。何も無分別に原作者のツイートを垂れ流しているわけではなく、テーマに関係した内容に絞って拾われているのであり、問題ないと考えます。あとウィキペディアをWikiって略さないでください。--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 13:08 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛) すこし論点がずれているようです。たとえ作者本人の発言であり、作品に対する言及だとしても、今回のツイートを根拠として早々に記事化するのではなく、しっかりとした出典の登場を待つべきだというのが私の考えです。またそれが登場しないようであれば、そもそも記事化するほどの価値は最初から無い程度に些細な発言だったのでしょう。作者が何か作品に対してツイートするたびにそれを出典として記事にするならば、ウィキがツイートのまとめサイトと化してしまい、百科事典としての価値が下がると考えるからです。ウィキのルールだから良いとか悪いとか、そういう次元の問題ではなく、このツイートを記事とする価値が本当に高いとなぜ言えるのかを示すことが重要だと感じます。--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 13:36 (UTC)
返信 (Pinejamさん宛) 該当ツイートは2014年9月の発言なので、「早々に記事化」という指摘は的外れです。別に無差別にツイートを拾っていくことを推奨しているわけではないし、記事冒頭部に書くべき内容として推奨されている内容(テーマなど)に絞っているのだから、危惧するようなことにはならないかと。それに例えば「(非日常よりも)過ぎ去っていく日々を精一杯生きる、登場人物たちの学校生活を描くことが意図されている[1]という一文について、例えばテレビアニメ公式サイトにおける小太刀右京氏の「青春というもののあり方を見いだせて行ければ」という発言[2]や、出演声優インタビューにおける小澤亜李さんの「これもまた、彼女たちの「日常」」という指摘[3]などの、自己公表ではない情報源を参照して補強することは可能でしょう。ですが作者の意図について説明するという点については、他の誰が発言するよりも、作者自身の発言が信頼できます。そもそもPinejamさんは「しっかりとした出典の登場を待つべき」と言いながらも、テレビアニメ第1話が大きな反響を呼んだという「しっかりした出典」のある記述に対しては、掲載を反対しているではないですか。--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 14:51 (UTC)
情報 記事の出典を見直していたところ、ニトロプラス公式サイトに掲載されている対談記事に、海法氏のTwitterアカウントへのリンクが張られているのを見つけました。ですので、
  1. ニトロプラスの情報が正しければ、Twitterアカウント@nk12は、本作の原作者である海法氏のアカウントです。仮にニトロプラス公式サイトの情報が正しくなく、誤って偽アカウントにリンクしていたと主張する者が現れたとしても、「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」の原則に従う限り、ウィキペディアではニトロプラス公式サイトの情報が「信頼できる情報」、公式サイトの正確性に疑念を挟む者の個人的な意見は「信頼できない独自研究」です。
  2. 海法氏のアカウントが乗っ取られたりしていない限り(そして、乗っ取られたまま少なくとも10か月が放置されていない限り)、Twitterアカウント@nk12_netabareは、海法氏のアカウントであることが確実なアカウント@nk12によって、自分のアカウントであることが保証されています。
以上の、「ツイートが本人かどうか疑わしい」というPinejamさんの主張は否定されたものと考えます。なお、そもそもPinejamさんの主張は「英語版ウィキペディアの私論には、認証アカウントを本人証明の手段として挙げているものがあるので、例え本物であることが確からしいアカウントであっても、認証されたアカウント以外にリンクすることは日本語版でも禁じられていると考えるべき」というものでしたが、そもそも出典とは無関係な外部リンクに関する英語版の私論を、記事の内容を縛るためのルールとして無理矢理に適用するために「ウィキペディアは規則主義ではない」を持ち出す辺りで、既に論理が破綻していると考えます。--Kanohara会話) 2015年7月23日 (木) 15:59 (UTC)
コメント この手の内容がどうしても必要な理由としては、ウィキペディアのガイドライン「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」が挙げられます。方針「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」にもあるように、ウィキペディアの記事は、フィクション作品におけるあらすじのみの解説であってはいけません。作者による意図の解説などは、フィクション作品を現実の観点から説明するのに必要な内容です。
もちろん、作者による自己公表物よりは、出版物や二次資料の方が好ましいでしょう。ですが前述のように、作者の公式Twitterを出典として利用することは、ウィキペディアにおいて禁じられてはいません。現実世界からの観点のない作品記事は禁じられていて、公式Twitterを利用することは禁じられていないのですから、どちらを選択するかは自明です。
そもそも、ウィキペディアの記事の多くは、現実世界の観点を欠いた内容の記事が多く、「現実とフィクションをバランス良く記述する」というガイドラインが守られていないのが現状です。「公式Twitterを情報源として認めれば(実際は既に認められているのですが)収集がつかなくなる」という心配は、実際に収集がつかなくなってから心配すれば良いことで、今からその心配をするのは杞憂でしょう。--Kanohara会話) 2015年7月22日 (水) 12:12 (UTC)

反対 Kanoharaさんの論に賛成します。作品の意図を作者以上に的確に表現できるものはいないと考えますし、作者の公式Twitterを出典として利用することは、ウィキペディアにおいて禁じられてはいません。「ツイートを根拠として早々に記事化するのではなく、しっかりとした出典の登場を待つべきだ」というのは単なる私論であり、他人を拘束しません。--アナキズム研究会会話) 2015年8月1日 (土) 11:09 (UTC)

コメント 記事が保護状態になっているうちに、第1話の反響を受ける形で、アニメ評論家による分析など[4]もちらほらと出てきています。こうした批評を交える形で、「反響」のセクションを概要の位置に持ってくるなど、二次情報源中心の書き方にすることも可能ではあると思うのですが、本作では原作者自身がTwitterや対談記事[5]で「この作品はこういうつもりで書いている」というコメントを出しているのですから、それを使わない手はないと考えます。原作者自身の表明による作品コンセプトの説明を中心に、二次情報源で補足するという形に持って行くことは、現段階で出揃っている出典でも十分可能かと思います。--Kanohara会話) 2015年8月1日 (土) 12:12 (UTC)

反響の項目について[編集]

現段階ではまだ2話しか放送されておらず、反響について触れるのは時期尚早だと思われます。また、「前述したように第1話放送開始前はゾンビ関連の情報が隠蔽されていたため、放送開始後にはインターネットを中心にさまざまな反響が起こった。」とありますが、まどマギとは異なり原作がある作品で、原作読者や視聴前に下調べをしていた視聴者も多いと思われ、決して隠蔽されていたわけではないのではないかと思います。もう一つ、「なお、その余波として同時期にニコニコ動画で第1話が配信されていた『ご注文はうさぎですか?』には、本作第1話に衝撃を受けた人たちが癒しを求めて殺到したという。」という一節も、ソース元がねとらぼという信憑性の薄い発信元である点や、「癒しを求めて」というよりもわざわざ本作品絡みのコメントを投下したくてごちうさ1話や他アニメに大挙として押し寄せたという側面もある点から考えて、現時点では記述するべきではないと思われます。--180.0.205.75 2015年7月20日 (月) 13:26 (UTC)

追記:前クールで瞬間最大風速的に話題になったものと言えば、ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかのヘスティアの「例の紐」があります。ねとらぼ以下様々なメディアで記事になりましたが、wikiのダンまちのページにはそのような記述はありません。ですから、こちらの記事も現時点ではむやみに反響などを記述するべきではないと考えます。--180.0.205.75 2015年7月20日 (月) 13:43 (UTC)

反対 検証可能な情報源に基づいた作品の反響はウィキペディアの記事において必要なものとされており、設定やあらすじの解説よりも優先度の高い内容です。このことは「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#現実世界の観点に立って記述する」「プロジェクト:漫画#社会的評価」のような方針、ガイドライン、プロジェクトの指針から明らかです。この件は「やらおん!」のような外部のまとめサイトでは何やら言われていますが、ウィキペディアのルールを真っ当に解釈すると、こういう内容は書くべきではない内容ではなく書くべき内容だと解釈できます。ウィキペディアが百科事典であるために。もちろん「がっこうぐらし!の第1話が大反響だった件」のような記事名で独立記事を立てるような輩に対しては(もしいるのなら)目くじらを立てるべきですが、本件のように複数の法人格の商業ニュースサイトで取り上げられたような内容なら、記事に書くべき内容かと思います。瞬間風速で終わるなら、この作品はその点にしか話題性がなかったという形で後世に記事として残されるべきですし、終わらないのなら、ブームの発端となった出来事として残されるべきです。まあ、もう少し記述を取捨選択して削っても良いだろうとは思いますが、記事に不要とは言えないかと考えます。
なお、ウィキペディアの「ダンまち」のページには、記事導入部の概要部分に例の紐の記述があります。なので180.0.205.75さんの指摘は誤りです。--Kanohara会話) 2015年7月20日 (月) 14:07 (UTC)
コメント カンザス州のプロキシ経由と思われる節削除で、ついに保護されてしまいましたか…作品評価の類はプロジェクトの方針からも望ましいとされている(PJ:MANGAやPJ:ANIMEを参照)のに、それをわかっていただけない人がいるのは残念です。--58.98.249.40 2015年7月21日 (火) 03:27 (UTC)
コメント 反響について書くのが悪いとは言いませんが、もっとまともな出典を持ってこれるようになってからでもいいのでは。今のままでは単なるアニメオタクの自己満足です。(ところでカンザス州のプロキシって70.7.144.22のことですかね。それも私です。今度はジョージア州になってるみたいですが。実際今アメリカにいますので、荒らしのためのプロキシ使用ではないです)--184.184.114.202 2015年7月21日 (火) 08:01 (UTC)
本題については後で私見を述べるとして、何らかの形でアクセスするたびIPが変わるのであるなら、できましたらアカウントの取得をお願いいたします。その方が履歴的にも話がしやすくなりますので。--Tmatsu会話) 2015年7月21日 (火) 09:44 (UTC)
返信 (184.184.114.202さん宛) もちろんマンガの学術的な分析など「まともな出典」が手に入れば超したことはないのですが、本作はあくまで娯楽作品です。「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」を適用する限り、まあねとらぼの記事などは比較的妥当な情報源かと思います。「ニコニコ動画へのコメント投稿は信頼できない情報源じゃないか!」と言われるかも知れませんが、それを取り上げたねとらぼを運営するITmediaは、ネットニュースを扱う企業としては比較的大きく「信頼できる版元」だと言えると思います。
ネット上の事象が全て信頼できない情報なのではなく、それを取り上げる第三者が信頼できるかどうかが、ウィキペディアにおける「信頼できる情報源」の定義です。第1話への反響が唯一の話題性であることに不満があるのなら、それを削るのではなく、他にも書くべき内容を持ち寄って記事を充実させ、該当記述の重要度を相対的に下げるようにする方が建設的ではないでしょうか?--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 09:55 (UTC)
一旦インデントを戻す形で。
本作の反響について記述する分には問題は無いでしょう。漫画連載開示時点でもネットコミュニティでは話題になっていましたし、それが今回のアニメ化で一気に炸裂した感じではあります。ですが、今回争点の一つとなっている「『ごちうさ』第1話の動画にコメントが殺到した」というのは蛇足というか、反響として載せることについてはいまいち決定打を欠いていると考えます。『ごちうさ』を含め、いわゆる日常系(空気系)との対比、例えば『結城友奈は勇者である』の放送局のプロデューサーが提唱した「新日常系」など、そういった論点での比較や反響を中心とする形で記述し、それに付随する形でこのような事象があったと補記する程度ならば問題は無かったかもしれません。ですが、そういった客観的な視点を欠いた形ではさすがに記述するには弱いとしか言えません。
かといって、今回記述に反対する人々の中には「出典がふさわしくない」という意見もあります。ですがこちらにしても、「では、ふさわしいと思う出典の提示はできないのか?」と問わざるを得ません。ふさわしくないのであるならばその理由も提示できるでしょうし、代替となる記述やその出典も記述することはできるでしょう。紋切り型で「この出典はダメだから削除」というのではなく、代替できうる出典を提示するなりしてふさわしいと考える記述にすべきではないでしょうか。
最近のネットコミュニティでは一旦キャッチーな、センセーショナルな取り上げ方がされるとそれに踊らされる悪癖があるように感じます。今回の件もねとらぼの記事も、本記事の記述に疑問を呈した2ちゃんねる系の掲示板も、それを取り上げたやらおん!の記事も、さらにはそれらに煽られるような行動をした人々も、自省をすべきである、と釘を刺しておかないとダメでしょう。曲がりなりにも百科事典である以上、ある程度の客観的、俯瞰的な視点で記事を書く必要があるのではないでしょうか。特に主観が入りがちの評価や反響に関してはなおさらだと考えます。--Tmatsu会話) 2015年7月21日 (火) 12:15 (UTC)
コメント 読者の興味を煽るような取り上げ方をしている出典の内容をよく吟味し、穏当な書き方に書き改めるべき、という点に関しては全面的に賛成です。異論はありません。--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 13:13 (UTC)
コメント私は「時期尚早」という意見に共感します。出典の信頼性以前に、そもそも百科事典はニュース速報ではないのですから、ある程度に客観的で俯瞰的な記事を書くためにも、作品に対する社会の評価や反響がある程度出そろうまで待ってから記事に書いても遅くはないかなと感じました。--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 13:19 (UTC)
コメント 漫画『がっこうぐらし!』は2012年から連載を開始している作品で、テレビアニメ版第1話のラストシーンは原作第1話のラストシーンをなぞる内容でもあるので、「評価が出揃っていない」という主張にはやや疑念を感じます。少なくとも「インパクトのある導入から物語が始まる」ということの出典としては十分でしょう。別に、他の記事が出揃ってきた頃に改めて整理すれば良いことで、今回の内容で作品の評価を確定することを急いでいる訳ではありません。--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 14:56 (UTC)
返信 (180.0.205.75さん、Pinejamさん宛) 現在4話まで放送されました。放送開始から1ヶ月ということで私はもう時期尚早ではないと考えておりますが、どうお考えでしょうか。私は保護の早い解除を望んでいるのでみなさまの意見を拝聴したく思います。--Waiesu会話) 2015年8月1日 (土) 09:05 (UTC)
情報 スクウェア・エニックスのゲームクリエイター(安藤武博氏、岩野弘明氏)による、ニコニコ動画での反響に対する分析記事[6]が公開されています。テレビアニメ第1話に施された技法がどのように反響に繋がったのかを、クリエイターの見地から解説する記事になっており、こうした意見があることも紹介すれば、記事はより百科事典的なものになると考えます。--Kanohara会話) 2015年8月1日 (土) 12:24 (UTC)
情報 有用な情報ありがとうございます。#記事導入部に記載する作風の記述に既出ですが、アニメライター4名の評価[7]を反響として記事に用いることもできると思います。ニコニコ動画ユーザーによる反響の信憑性に疑念を抱く方がおられるようですが、専門家の評価ならばこの問題はクリアされて、とても扱いやすいソースになると思います。--Waiesu会話) 2015年8月1日 (土) 15:25 (UTC)
  • 内容を修正しました。項を「評価」にして反響を少し載せる程度でも良いと思います。--Waiesu会話) 2015年8月1日 (土) 17:01 (UTC)

エピソードリストについて[編集]

プロジェクト‐ノート:アニメ#エピソードリスト節の導入について 2015にてエピソードリスト節の導入を検討しておりますが、本記事に導入してみるというのはどうでしょうか? 主たる理由として、本シリーズはアニメと原作が違うことが挙げられ、原作を紹介しているあらすじの節では全てを網羅しきれないかと思います。また、「第1話における胡桃の初登場シーンでは、シャベルが塹壕戦における白兵武器として活躍したという逸話に言及する場面があり、武器としての有用性を知ったうえで使っていることが描写されている」―このような記述は各話のストーリーとして記述すれば良く、わざわざ「登場人物節」に注釈を付けて書く必要性はないでしょう。さらに、魔法少女まどか☆マギカのエピソード一覧のように出典を付ければ各話への言及も可能かと思われます。どちらにせよ、「原作では第2巻から(第1巻のラストシーンから)登場する人物だが、テレビアニメ版では第1話から学園生活部の一員として登場する」というような内容は登場人物節に書くと肥大化が止まらなくなると予想されるため、何らかの手段を講じたほうが良いと思われます。--Infinite0694会話) 2015年7月20日 (月) 16:10 (UTC)

コメント 恵飛須沢胡桃が塹壕戦の逸話に言及する場面は、原作、テレビアニメ版の双方にあります(アニメ版では他の登場人物の横槍があり、聞き取りづらい台詞となっていますが)。該当の注釈は、エピソードとしては本筋に関与しない些末な描写だと考えますが、キャラクターの説明としては有用で、シャベルを武器として常用している設定が作者の突拍子もない思いつきではなく、史実を踏まえたものであることが自覚的に描写されていることを示す例として(私が)入れました。エピソードリストに移動させるのは反対です。
また、直樹美紀の登場時期が原作とアニメで異なることは、各話のあらすじには大きな影響を与えていないと思いますが、美紀というキャラクターの立ち位置には大きな変化を与える変更点となっており、記述位置としては登場人物のセクションの方が適切かと考えます。具体的には、原作版の美紀は物語の途中から登場し、周囲から浮いてギスギスした空気を振りまきながら、それまで肯定的に描かれていた主要登場人物3人の人間関係にアンチテーゼを投げかける役回りを演じますが、テレビアニメ版の美紀は最初から登場して周囲にも打ち解けており、由紀の言動に振り回されたり太郎丸と戯れようとしたりしてコメディリリーフを演じながら、視聴者目線から由紀の異常性を観察する……というような違いです(そこまで具体的に書くと独自研究ですが)。アニメ版の展開次第では記述が膨らむこともあると思いますが、今のところ各話をエピソード単位で見れば原作とテレビアニメの差異は小さく、紆余曲折はあっても最終的には落ち着く内容かと思っていますし、各話あらすじをエピソードリストの枠内に収まる内容にまとめれば、原作とテレビアニメで同じ内容を二度続けて書くようなものになってしまうかと思います。--Kanohara会話) 2015年7月21日 (火) 01:13 (UTC)

保護について[編集]

現在項目が保護されていますが、保護はやり過ぎだと思います。 半保護辺りが適切かと思います。--フォフォプー会話) 2015年7月21日 (火) 09:15 (UTC)

一応保護依頼者から今回のことについて説明させていただくと、編集履歴を見ていただければ分かると思うのですが、今回の引き金になった評価の節だけでなく、あらすじなど全般的にIPユーザーもアカウント所持者も記述の除去とその取り消しの応酬に関わっているという結果です。評価の節ももちろんですが、他の記述においてもあまりにも編集方針で合意が見られない状態ですし、ある程度の冷却・合意形成期間がいるという判断です。また半保護をしてもWikipedia:半保護の方針にありますが「登録後4日以上経過したアカウントでログインし、その登録アカウントで10回以上編集する必要があります」のように、条件を満たしたアカウントがあれば編集できてしまうので、そのアカウントで合意形成を無視した編集をされても困る、という訳です。ご理解願えますでしょうか。--Tmatsu会話) 2015年7月21日 (火) 09:31 (UTC)
少なくともあらすじは編集合戦にはなっていなかったように思えます。なぜなら基本的には前編集者による良い部分を生かして、それをさらに改良する形で記事が進化しているからです。また修正意図も履歴にしっかりと残されており、自分の意図も示さず相手の意図も無視するかのような無分別なリジェクト合戦は特に見当たりません。個人的には、全体として数日前よりずっと良いあらすじに進化してきたと感じていました。活発な編集と、無分別な編集合戦の違いは明確に区別するべきではないでしょうか?--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 10:09 (UTC)
改めて本記事の編集履歴を確認していただきたいのですが、評価に関する記述の編集合戦にしても、2人での3RRどころか、それ以上の人たち、しかもアカウント登録者によっての編集合戦となっているため、問題視せざるを得ません。あらすじにしてもWikipedia:ネタバレを無視してネタバレと思われる内容の除去が繰り返されており、中にはアカウント登録者に寄る物があったりします。確かによりよい記述内容にする編集であるのならば問題にはしませんが、あまりにも無駄な編集合戦をするならば看過できませんし、今回の判断は妥当だと考えています。
ついでと言ってはあれですが、後ほどテンプレート貼り付けで注意させていただきますがPinejamさんの編集にも問題があると申させていただきます。本記事やこのノートも含め、短時間で細かい編集を何回も繰り返すのは問題があるでしょう。推敲を行ってよりよい文章にするのは結構ですが、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにもあるように履歴が膨大になったり編集競合が発生し、ともすれば編集合戦の火種にもなりかねません。プレビュー機能を使うなどして、必要最小限な記事編集を行うようお願いします。--Tmatsu会話) 2015年7月21日 (火) 11:58 (UTC)
あらすじ以外は私はタッチしていないので、コメントは差し控えますが、あらすじに対する私による細かい編集にはハッキリとした意図があります。1度に行う編集は1つの編集意図に絞って行ったほうが、複数個所をまとめて編集するよりも、編集の意図がはっきりして、それにより誤解による編集合戦をむしろ減らす効果があるからです。それに編集競合は1度に大きい編集を行うほうがむしろ発生しやすいでしょう。編集合戦とは編集の回数ではなく、相手の編集意図を無視して、さらには自分の意図も伝えることなく、自分の考えを一方的に押し付ける行為だと思うのですが、そういった編集の存在はあまり感じませんでした。ただ、誤字脱字による再修正は良くないですね。私はそれをついついやりがちなので、そこは今後注意します。ご指摘ありがとうございます。--Pinejam会話) 2015年7月21日 (火) 12:40 (UTC)
私も半保護化、または保護の解除が適当だと思います。ここ1週間ほどノートでの議論もされていないようですので、情報の遅れにしかならないと思います。もしまた編集合戦が起きるようでしたら、ノートでの議論を活発化させる必要があると思います。--Waiesu会話) 2015年7月31日 (金) 04:38 (UTC)
ノートでの議論の活性化の必要性はごもっともです。ですが「情報の遅れにしかならない」だと、安易に保護レベルを変更した時点で無用な編集合戦を再度誘発させるだけですし、そもそもニュースサイトやナレッジベースではなく百科事典ですので、ある程度情報が出そろい、情報の精査を行った上で編集するのでも十分遅くないでしょう。ひとまずもう少し様子を見て議論が動かないようであれば議論活性化のコメント依頼を出そうとは考えています。--Tmatsu会話) 2015年7月31日 (金) 05:40 (UTC)
私は編集合戦の当事者ではないので詳しくはありませんが、変更履歴を見る限り、直近では反響の項目について揉めていたようです。しかしその構図は「自動承認された利用者」vs「IP利用者&修正者19870904さん」で、修正者19870904さんは新規利用者でこの記事のみ編集しています(特別:投稿記録/修正者19870904)。また、利用者‐会話:修正者19870904にありますが、注意を受けた後も編集合戦を続け、ノートでの議論にも参加されていないようです。(この利用者さんをWikipedia:Three-revert_ruleに従い投稿ブロックし、)半保護にすることで編集合戦は収まると思います。--Waiesu会話) 2015年8月1日 (土) 04:48 (UTC)
1点。半保護は「編集合戦」を理由としては原則設定しません。いかなる場合であれ、編集合戦と判断した場合は全保護で対応します。Wikipedia:保護の方針及びWikipedia:半保護の方針を確認してください。半保護に設定し直すとするなら非ログインユーザーによる荒らし、ブロックで対応し切れないと考えられる場合です。保護解除依頼でWaiesuさんのおっしゃるような理由で保護を解除して半保護に再設定ということはできません。保護期間に「編集の合意」をノートで目指して保護の解除を依頼してください。ページは逃げません。--アルトクール(/) 2015年8月1日 (土) 05:28 (UTC)
失礼しました。当方の勉強不足でした。できるだけ早く解決できるように私のほうから議論の再開を呼びかけたいと思います。--Waiesu会話) 2015年8月1日 (土) 08:48 (UTC)

ストーリーのセクションについて[編集]

進捗:    合意形成に向けた議論中

保護の理由の一つに、ストーリー節の編集合戦が挙げられていたので、合意形成のための場を設けます。--Kanohara会話) 2015年8月1日 (土) 19:53 (UTC)

ネタバレについて[編集]

この記事では何度か、ネタバレを理由とする記述除去や、記事中にネタバレ警告を書き込む編集が何度かありました。ですが「Wikipedia:ネタバレ」にあるように、ネタバレを理由として記事から意味内容を除去する編集や、「この記事にはネタバレがあります」という警告文を書き込んで百科事典の体裁を乱すような行為は、ウィキペディアでは認められないという合意がされています。

こうしたルールはウィキペディアに限った合意なので、例えばニコニコ大百科の記事は、(原作・アニメの)第1話ラストシーン以降で明かされる内容を全て伏せ、物語冒頭で描かれた由紀の妄想の世界について説明するような構成になっています。またpixiv百科事典の記事も、記事前半同様にはネタバレを伏せ、記事の最後に真相の一部をほのめかす構成になっています。ですがウィキペディアの場合、作品から得られるサプライズを手助けするためにエンターテインメント性の高い記事を書いたり、事実を歪めて記事の読者に嘘や誤解を吹き込んだりするような記事を書いたりすべきではないとされていますし、ネタバレを伏せて書こうとすれば、作品の反響といった社会的影響について言及することもできなくなってしまいます。

なお、かつてのウィキペディアには「ストーリーのセクションでは物語のさわりの部分だけに触れて、詳細なネタバレは登場人物のセクションに書くべき」という暗黙の流儀があり、実際にこの記事も当初は美紀の項に第2巻~第3巻のあらすじを、慈の項に第4巻のあらすじを書くような構成になっていました。ですがそうした流儀についても過去の議論で否定されています。現在は「Wikipedia:あらすじの書き方」「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」などにあるように、そうした内容はストーリーのセクションに書くべき内容とされています。

最後に、まだ単行本化されていない範囲のストーリーについてですが、かつて「Wikipedia:創作物を基にした逐次的な編集」がウィキペディアの正式なガイドラインであった頃には、「単行本化されていない内容の加筆はまとまりの悪い実況中継風の文章になりがちなので書かない」という合意がありました。ですが同ガイドラインも過去の議論の結果、現在は拘束力を失い、個人の私論という位置づけに格下げされた上で、「書いても良いけど、どのような情報源に基づいているのか出典を明記すべき」という内容に改訂されています。つまり未単行本化の内容を書くことを禁じる根拠はありませんが、雑誌連載を追っていない者としては、情報が『まんがタイムきららフォワード』誌の何年何月号に掲載された情報であるのか明記してくれると、検証が容易になり余計な編集合戦が減って助かるのだけれど……と思っています。--Kanohara会話) 2015年8月1日 (土) 19:53 (UTC)

物語開始時の状況について[編集]

ストーリーのセクションの最初の段落の内容について、私(Kanohara)とPinejamさんとの間で編集合戦のような状況になったことがありました。私はPinejamさんが編集した内容に違和感を感じていたのですが、Pinejamさんによる2015年7月20日 (月) 03:32の編集コメントを見る限り、物語開始前の出来事の順序について作品解釈が分れており、互いに異なる解釈に沿って「時系列が分かりやすい構成」にしようとしていたことが読み取れます。このノートの「#保護について」のセクションを見る限り、既にPinejamさんは私の編集に納得しているように見受けられるのですが、念のため、この解釈について合意を図りたいと思います。

思うにPinejamさんの作品解釈では、

  1. 「学園生活部」はゾンビアポカリプス以前から存在しており、主要登場人物たちは佐倉慈の元でほのぼのと活動していた。
  2. ゾンビアポカリプスにより学校が壊滅し、慈が死亡する。
  3. 由紀だけは一人空想の中で、平和だった頃の「学園生活部」の活動を続けている。

という順序で出来事が起こったと想定していたのでしょう。原作、テレビアニメ版いずれも第1話では由紀の妄想による平穏な日常が描写され、その後に悲惨な状況が明かされる構成なので、台詞を追わずに絵だけを追っていけば、そういう解釈になるかも知れません。

ですが、原作第1巻第5話冒頭の描写や、第3巻第13話で胡桃が美紀に語った学園生活部設立の経緯、第4巻巻末にある慈の手記に記された内容、およびその後放送されたテレビアニメ版第3話の描写を見る限り、

  1. 「学園生活部」はゾンビアポカリプス以前には存在していなかった。
  2. ゾンビアポカリプスにより学校が壊滅した後、慈が「学園生活部」を創立し、主要登場人物3人が部員となる。
  3. その後慈が死亡するが、由紀は「学園生活部」がもし平和な時代に存在していたらならばというifの世界を空想しながら、生活を続けている。

という順序のように読み取れます。特にテレビアニメ版第3話は、ゾンビアポカリプス前には主要登場人物の間には面識すらなかったという描写になっています。テレビアニメ版第3話の内容は、原作と比較すると矛盾点もあるのですが(あの場に胡桃の先輩がいたとすると「慈の手記」の内容と齟齬が生じますし、そもそも原作の描写では先輩がゾンビ化した際、3人には面識もありあだ名で呼び合う間柄だったことになります)、「学園生活部はゾンビアポカリプス以降に設立された」という点では首尾一貫した描写がされているように思います。

原作を斜めから穿った読み方をすれば「学園生活部そのものが以前から存在していなかったという言及はないので、悠里の提案で慈を新顧問に、由紀と胡桃(と、アニメ版では元園芸部という設定になっている悠里)を新入部員として再発足した」という新設定が出てくる可能性も決してゼロとは言えなくもない……と思いますが、「学園生活部」の活動内容自体が平時の部活動としては相当突飛なものですから、そこまで穿った読み方をすることはないと思います。

なお、本作の冒頭部にあるどんでん返しには話題を集めたというトピックがあり、セクションのタイトルも「あらすじ」や「プロット」ではなく「ストーリー」となっているのですから、劇中で由紀が妄想している状況から説明を開始するという語り口もアリかも知れません。ですがその場合、その状況が由紀一人の空想であるという事実に反しない説明が必要かと考えます。--Kanohara会話) 2015年8月1日 (土) 19:53 (UTC)

コメント 私は原作未読ですが、アニメだけ見る身からするとKanoharaさんの解釈に同意します。少なくとも主人公たちはゾンビに囲まれた生活をより前向きに過ごすために「学園生活部」を創部したと読み取れます。--Waiesu会話) 2015年8月2日 (日) 02:46 (UTC)
思うにPinejamさんの作品解釈では、
  1. 「学園生活部」はゾンビアポカリプス以前から存在しており、主要登場人物たちは佐倉慈の元でほのぼのと活動していた。
  2. ゾンビアポカリプスにより学校が壊滅し、慈が死亡する。
  3. 由紀だけは一人空想の中で、平和だった頃の「学園生活部」の活動を続けている。

という順序で出来事が起こったと想定していたのでしょう。原作、テレビアニメ版いずれも第1話では由紀の妄想による平穏な日常が描写され、その後に悲惨な状況が明かされる構成なので、台詞を追わずに絵だけを追っていけば、そういう解釈になるかも知れません。 ですが、原作第1巻第5話冒頭の描写や、第3巻第13話で胡桃が美紀に語った学園生活部設立の経緯、第4巻巻末にある慈の手記に記された内容、およびその後放送されたテレビアニメ版第3話の描写を見る限り、

  1. 「学園生活部」はゾンビアポカリプス以前には存在していなかった。
  2. ゾンビアポカリプスにより学校が壊滅した後、慈が「学園生活部」を創立し、主要登場人物3人が部員となる。
  3. その後慈が死亡するが、由紀は「学園生活部」がもし平和な時代に存在していたらならばというifの世界を空想しながら、生活を続けている。
という順序のように読み取れます。特にテレビアニメ版第3話は、ゾンビアポカリプス前には主要登場人物の間には面識すらなかったという描写になっています。
以上のような作品の解釈に意見が分かれる場合は、エピソードリスト等を用いて各話ごとに淡々と記述するのも良いかと思います。--Infinite0694会話) 2015年8月10日 (月) 14:26 (UTC)

返信 (Infinite0694さん宛) うーん……今回の編集合戦で解釈が分れたのは、物語の途中で過去の出来事の回想として断片的に明かされていく、第1話以前の状況についてですが、そういった断片的な情報を説明する上で、エピソードリストは不適切に思います。「Wikipedia:あらすじの書き方#具体的な書き方」にも反します。Infinite0694さんの方法論に従って物語の背景を説明しようとすれば以下のようになりますが、(記事名前空間で)こういった形で物語の基本設定を説明するのは無理があると思います。これはちょっと賛同できません。

#タイトル
原作第1巻第5話まぼろし
冒頭、由紀は夢の中で過去を回想する。泣きながら「楽しいわけない」と言う由紀に、慈は「部活を始めるの! みんなで一緒に!」と言う。その後夜中に目を覚ました由紀は胡桃と共にトイレに行こうとするが、3階に侵入していたゾンビの群れと遭遇して窮地に陥り、悠里の機転で難を逃れる。由紀は慈の最期を思い出して気を失う。実は、今まで由紀に付き添い、生者のように振る舞っていた慈は由紀の生み出した空想であったのだ。
原作第3巻第13話ようこそ
ショッピングモールで救出された美紀は生徒会室で目を覚ますが、由紀の奇行を目の当たりにし、胡桃と悠里に説明を求める。悠里は美紀に「あの日」、3人が学校の屋上にいて助かったことや、「学園生活部」の成り立ち……状況が落ち着いた頃に慈と悠里が、ただ毎日を暮らすのではなく、部活の合宿として捉えようと発案したこと……、その慈が既に故人であること、由紀には慈が「見えて」おり、部活を始めた頃から現実を認識できないかのような奇行が始まり、慈の死をきっかけに戻らなくなってしまったことを語る。悠里は美紀に、由紀に話を合わせてくれるよう懇願する。美紀は由紀に学園内を案内され、ひとまず学園生活部に仮入部することに同意する。
原作第4巻巻末佐倉慈の手記
第1巻第4話冒頭(テレビアニメ第3話冒頭)で慈が書いていた手記の全文が明かされる。手記は「あの日」の屋上の状況の説明から始まり、屋上には由紀と悠里とあと1人の女子生徒がおり、1人は屋上から去って助からなかったこと、胡桃がゾンビに追われて上がってきたことが説明される。やがて慈が復旧していく学園のライフラインに助けられつつも、整いすぎた準備に不信感を抱いていく様子、そして由紀の精神面の変化などが語られる。慈は当初、学園生活部について「悪くない名前」とし、ここに閉じ込められているのではなく行事として暮らしているのだと受け止めることで、前向きになれることを好意的に受け止める。しかし職員室で「職員用緊急避難マニュアル」を発見したことや、太郎丸のゾンビ化といった出来事を境に、慈の心境は変化する。事態を引き起こした大人たちの側に属する最期の1人としての罪悪感を語り、由紀の幻想を好ましいものとして作り上げた自分を責め、3人を守るために自らを犠牲にする誓いによって手記は締め括られる。

さて、せっかくエピソードリストにまとめてみたので、この議題の冒頭で説明した「原作を斜めから穿った読み方をすれば、学園生活部そのものが以前から存在していなかったという言及はないので、元からあった部活を再発足したという新設定が出てくる可能性も決してゼロとは言えなくもない」ことについて説明します。もしも学園生活部が以前から存在していたとするなら、

  • 原作第1巻第5話の「部活を始めるの!」という慈の台詞は「部活を再開する」という意味。
  • 原作第3巻第13話の「学園生活部って何なんですか?」という美紀の問いに対する胡桃の「めぐねぇとりーさんが考えた」という答えは、「部活の活動を再開することを思いついた」という意味。
  • 原作第4巻巻末の「学園生活部。悪くない名前だと思う」という慈による文章の真意は、「改めて悪くない名前だと思った」という意味。

ということになります。解釈によってはそのように読めなくもないけれど、普通はそのようには読めないので、私としてはあまり考慮に値するような可能性ではないと考えています。--Kanohara会話) 2015年8月10日 (月) 15:46 (UTC)

  • コメント なんというか……私が想像してものと少し異なりますね。ストーリー節とは別個にアニメの方のエピソードを記述し(作品の解釈は出典がない場合は書かない)、できればあらすじのみで読者に分からせるような内容にするのが理想的ではないかと考えました。Kanoharaさんが仰るように、
必要があればあらすじの中で作品に対する注釈を行うことも可能ですが、しかし独自研究にならないよう、非常に注意をはらって行わなければなりません。たとえば物語に存在するプロット上の矛盾などを指摘するためには、信頼できる情報源に基づく確固たる出典が必要です。一般的に物語についてのこうした注釈は、「テーマ」「解題」「分析」などのような、作品外の視点から作品を解説しているセクションで行うほうがよいでしょう。いずれにしても、あなた自身の感想や見解、推測を記事の中に記述してはいけません。作品の分析や評価を記すときには必ず批評家や研究者の論評を出典とする形で行ってください。

Wikipedia:あらすじの書き方(具体的な書き方よりより)

とありますので、2次出典などの高次な情報源がないと記述は難しいですが、書籍版、アニメ版であらすじのみを淡々と記述することによってこの問題を解決できないかと考えていたものです。ですが、現在の「ストーリー」節にある内容では説明くさくなっており、些か色々な面で中途半端になっていると思われます。
当初の避難生活を導いてきた教師の佐倉慈は、学校での避難生活を部活動の一環として捉える「学園生活部」を創立し、生き残った3人を部員に迎えて温かく見守ろうとしていたが、その矢先に命を落とし、故人となっている。しかし、由紀は現実に起こった災禍を認識できないかのような態度をとり続け、すでに落命したはずの慈や生徒たちに空想の中で囲まれながら、ほのぼのとした楽しい学園生活を続けている。由紀の空想の中では、学園生活部は生徒会室を拠点に学校全体を借りて寝泊まりする部活という位置づけである。
まだ、保護があけるまで時間がありますので、このあたりももう一度考え直すべきだと思います。--Infinite0694会話) 2015年8月10日 (月) 16:57 (UTC)
返信 (Infinite0694さん宛) うーん、本作の序盤の展開が「最初に異常な状況が示され、それからそうなった具体的な経緯が明かされる」というスタイルを取っている面はあるのですが、最終的に明かされている内容について解釈や分析の余地はほとんどなく、独自研究にはならないと考えています。「Wikipedia:あらすじの書き方#具体的な書き方」もご覧ください。--Kanohara会話) 2015年8月10日 (月) 23:27 (UTC)

コメント なお、エピソードリスト形式で原作第1巻のあらすじを記すと、こんな感じになりますね。

#タイトル
原作第1巻第1話はじまり
由紀は放課後、学園生活部の活動を忘れて家に帰ろうとして慈に呼び止められる。由紀は胡桃や悠里にもそのことを注意され、改めて学園生活部の活動内容をおさらいする。由紀は2人にそのことを詫びた後、教室に忘れ物を取りに帰る。しかし教室は廃墟と化しており、由紀は一人で想像上の同級生たちと会話を繰り広げる。実は、由紀の見ている平和な学園生活は想像上の出来事であり、学校の外はゾンビが徘徊する地獄絵図となっていた。
原作第1巻第2話おもいで
胡桃は夢で、かつて恋心を抱いていた先輩のことを思い出す。皆との朝食を済ませた後、胡桃はゾンビが徘徊する校舎内を見回り、バリケード付近を徘徊していた1体を始末し、その後悠里や、1人で学園生活を継続している由紀を迎えて夕食を済ませる。その夜、胡桃はゾンビと化した先輩を始末した時の悪夢で飛び起きるが、寝入っている由紀を見て落ち着き、二度寝する。
原作第1巻第3話らいねん
学園生活部の物資や電気は不足し始めていた。3人は由紀の「肝試しをしよう」という提案に便乗する形で、ゾンビの徘徊するフロアにある購買部跡地や図書室で物資を探索する。由紀は図書室でゾンビと遭遇するが、探索中に合流した慈に庇われて事なきを得る。
原作第1巻第4話せんせい
慈は由紀の状況についての罪悪感を手記を綴る(後に、これは過去の出来事であることが明かされる)。由紀は校庭にいたゾンビたちが校舎に侵入するのを目撃し、それを雨宿りと形容するが、胡桃や悠里には意味が伝わらない。雨のために校舎屋上の太陽電池は機能せず、3人は由紀の「キャンプをしよう」という提案に付き合い、校舎内にテントを張って睡眠をとる。胡桃は2人に恋バナを振るが、由紀はそれよりも自分たちの卒業後の慈を案じる。その頃、ゾンビの群れは玄関から校舎へと侵入していた。
原作第1巻第5話まぼろし
由紀は夢の中で学園生活部創立当時の過去を回想する。夜中に目を覚ました由紀は胡桃と共にトイレに行こうとするが、3階に侵入していたゾンビの群れと遭遇して窮地に陥り、悠里の機転で難を逃れる。由紀は慈に庇われて事なきを得るが、過去の慈の最期を思い出して気を失う。実は慈は既に亡く、今まで由紀に付き添い、生者のように振る舞っていたのは、由紀の空想上の存在であったのだ。
原作第1巻第6話おてがみ
由紀は夢の中で、在りし日の慈との約束を回想し、自分が明るく振る舞うことで他の2人を元気づけるという役割を思い出す。気絶から回復した由紀は慈と屈託のない挨拶を交わすが、慈の姿は胡桃や悠里には見えていない。その後楽しく朝食を済ませた3人だが、悠里は胡桃に、学園内の探索で得られる物資がいよいよ不足していることを打ち明ける。悠里の提案により、3人はかつて購買部跡地で由紀が入手した風船や、胡桃が捕獲した鳩に、「私たちはここにいます」というSOSのメッセージをくくりつけ、屋上から飛ばす。鳩が飛び立った先のショッピングモールには別の生存者、美紀が孤立無援で救助を待っていた。

ストーリーのセクションは物語の全体像を示すことが目的でもあるので、物語開始時の状況や基本的な設定を説明するために、やや説明的になってしまうのも仕方がないと思います。対してエピソードリストは、各話がどんな内容であるのかを示すことができ、例えば脚注で示した出典の参照先を調べるのには便利だと思いますが、本作序盤ように回想を多用したり、徐々に全体像が明かされていく展開がある場合、物語の内容を把握させる上では分かりにくいかも知れません。--Kanohara会話) 2015年8月11日 (火) 16:58 (UTC)

コメントストーリーの節とエピソードの節を置くことに賛成します。ただ、エピソードの節全体が膨大になってしまった場合は、エピソードの一覧とし分割する必要が出てきそうですね。--リトルスター会話) 2015年8月13日 (木) 11:57 (UTC)

悠里の葛藤について[編集]

Pinejamさんの2015年7月20日 (月) 04:00の編集が少々不可解だったので、一応こちらの意図を説明しておきます。Pinejamさんは編集コメントで「表現がすこしボヤけていたので、明確にしました」と説明していますが、Pinejamさんの編集内容だと、あたかも慈を殺せば胡桃のゾンビ化が止まる、あるいは胡桃を殺せば胡桃のゾンビ化が止まって人間として復活する、という意味に読めてしまうと感じました。この場面は実際には「息絶え絶えに生徒会室まで戻ってきた胡桃は、既にゾンビ化の兆候が出て苦しみもがいており、悠里は胡桃がゾンビになって襲いかかってくる前に殺さなければならないが、悠里には今日まで寝食を共にしてきた胡桃をひと思いに殺す覚悟が十分でなく、準備した包丁を振り下ろせずに葛藤する」という場面です。胡桃を殺すことを「ゾンビ化の阻止」と表現するのは何か変に感じますし、悠里は胡桃のことで頭が一杯で慈を殺す覚悟については特に葛藤していない(行けば葛藤する結果になることを見越して、先に美紀が動いた)という描写になっているので、どちらの意味で解釈しても妙に思えます。私が修正した現在の版は手前味噌ながら誤解されにくい表現になっていると思いますが、これもやや冗長な表現にも思え、何らかの改善が欲しいところです。

なお「悠里の葛藤は出来事の解決に何ら寄与していないので、“胡桃はゾンビ化した慈に噛まれて感染するが、美紀が慈を倒して治療薬を入手したことで事なきを得る”という説明で十分ではないか?」という意見もあるかも知れません。更に胡桃は結局一命を取り留めるので「ゾンビ化していた慈を美紀が倒す」だけでも言い表せるかも知れません。ですが、この部分は第3巻の終わりから第4巻にかけての主要なドラマの軸にもなっていますし、日常性の放棄と非情な対処を求める「職員用緊急避難マニュアル」に対し、非情になりきれずに受難を受ける胡桃、非情になりきれずに葛藤する悠里、一瞬だけ落ち込みつつもブレずに見守る由紀、非情になるかならないかではなく第三の解決法を模索する美紀……というそれぞれのスタンスが明確になる場面でもあります。それに、この辺で悠里についての言及を入れておかないと、悠里がストーリー上不要な人物のように誤解されてしまうのではないかとも考えました。--Kanohara会話) 2015年8月1日 (土) 19:53 (UTC)

情報 この辺、原作とテレビアニメ版でちょっとニュアンスが変わる可能性がありますね。原作では第3巻第17話で、美紀から「仲間が感染した場合、始末するのか」という旨の問いかけを投げかけられた胡桃と悠里が、「その時になってみないと分からない」と返し、続く第18話で胡桃が慈に噛まれて感染した際にその会話のことを思い出す、という流れになっています。一方で先週放送されたテレビアニメ第5話では、胡桃と悠里が「感染したら迷わず殺して欲しい」という約束を交わすという、テレビアニメ独自の会話が描かれました。原作の悠里は決断を先延ばしにしたままその時を迎えてしまったというニュアンスでしたけれど、アニメ版では「約束を守れるかどうか」というニュアンスになるか、あるいは原作とは異なる展開になるのかも知れません。実際にそのエピソードが放送されるまでは検証のしようがありませんが、いずれにせよこの辺りの文章を推敲する場合は、原作とアニメの違いを念頭に置く必要があるかと思います。--Kanohara会話) 2015年8月9日 (日) 12:26 (UTC)

更新停止について[編集]

アニメの放送はされているのだから その更新程度は書き込んでいいと思う--以上の署名の無いコメントは、219.17.47.116ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2015年8月13日 (木) 23:14 (UTC) に投稿したものです。