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ノイシュトレーリッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
(郡の地図)
ノイシュトレーリッツの紋章 位置
基本情報
連邦州:メクレンブルク=フォアポンメルン州
郡:メクレンブルギッシェ=ゼーエンプラッテ郡
測地系:北緯53度21分53秒 東経13度03分49秒 / 北緯53.36472度 東経13.06361度 / 53.36472; 13.06361
標高:海抜 75 m
面積:138.15 km²
人口:20,140人 (2018年)
人口密度:150人/km2
郵便番号:17235
市外局番:03981
ナンバープレート:MST
自治体コード:13 0 71 110
市の構成:13 市区
市庁舎の住所:Markt 1
17235 Neustrelitz
公式ウェブサイト:www.neustrelitz.de
行政
市長:Andreas Grund

ノイシュトレーリッツ(Neustrelitz、ドイツ語発音: [nɔʏˈʃtʁeːlɪts])は、ドイツ連邦共和国メクレンブルク=フォアポンメルン州メクレンブルギッシェ=ゼーエンプラッテ郡にある町。メクレンブルク湖水地方のツィーアケ湖に面する。1738年から1918年までメクレンブルク=シュトレーリッツ大公国の首都であり、1918年から1934年まではメクレンブルク=シュトレーリッツ自由州の州都であった。1994年から2011年まではメクレンブルク=シュトレーリッツ地区の区庁があった。

Strelitz は「射手」を意味するポラーブ語の単語 Strelci に由来する[1][2]

歴史

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シュトレーリッツの名は1278年に初めて文献に登場し、当時は村であった。14世紀には小さな町となり、17世紀にはメクレンブルク=ギュストロー公国の一部となった。1695年にメクレンブルク=ギュストロー家が絶えると、1701年にメクレンブルク=シュトレーリッツ公国の首都となった。メクレンブルク=シュトレーリッツ公国は現在のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ラッツェブルク周辺に飛地を持っていた。

1712年、火災により公の居城とシュトレーリッツ市街は焼失した。このため公はシュトレーリッツ北西のツィーアケ湖にあった狩猟小屋に避難したが、この周りに新市街としてノイシュトレーリッツ (ドイツ語の Neu は「新しい」の意) が建設された。1736年には正式にメクレンブルク=シュトレーリッツ公国の首都に定められた。

ノイシュトレーリッツは1918年まで大公国の首都であり続け、さらに1933年までメクレンブルク=シュトレーリッツ自由州の首都であった。1934年にはメクレンブルク=シュヴェリーン自由州と合併してメクレンブルク州の都市となった。

シュトレーリッツの旧市街は1712年の火災後も残ったが、小さな村となり1931年にノイシュトレーリッツ郊外となった。

1945年4月30日に第2白ロシア戦線の赤軍部隊が侵攻した際には、市民681人が自殺した[3]

観光スポットとモニュメント

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市内中心部はバロック建築が特徴となっている。その中心は1768年から1778年にかけて建てられた市教会とマルクト広場、カルル・フリードリッヒ・シンケルの弟子フリードリヒ・W・ブッテルが1841年に建てた市庁舎である。

バロック様式のノイシュトレーリッツ宮殿は1945年に戦禍で破壊されたが、外壁は残っており再建は可能な状態だった。しかし封建主義の残滓として1949年に共産主義政権により爆破された。ドイツ再統一後、宮殿再建の声は絶えずあり、まず宮殿の庭園が整備されて2019年に公開された。同年、宮殿の尖塔の再建計画も始まり、その他の部分も将来の再建に向けての計画がある。夏の離宮として建てられた18世紀のオランジェリーや、1855年から1859年にかけて建てられたイギリス・ネオゴシック様式の宮廷教会、新古典様式のヘーベ寺院 (女神ヘーベー像のレプリカを安置)、さらに1891年にギリシャ神殿形式で建てられたルイーゼ神殿は一見の価値がある。ルイーゼ神殿は、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公家出身のプロイセン王妃ルイーゼ (フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妃でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の母) の墓所として建てられたものである。

グラムベック湖では、夏には保護区域内のみではあるが泳ぐことができ、湖を見下ろすレストランで昼食を摂ることもできる。

交通

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ベルリン北部線およびノイシュトレーリッツ-ヴァーネミュンデ線の駅があり、ベルリンロストックに直結している。

エンターテインメント

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2000年からインディー・ロックをテーマとしたイマーグート音楽祭が開催されており、毎年約5000人の訪問者がある。イマーグートという名称は、州内のシュターフェンハーゲン市に2017年まであった乳業会社の社名にちなんだものである。

出身者

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カール・ツー・ゾルムス=ブラウンフェルス
エミール・クレペリン

国際関係

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姉妹都市

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ノイシュトレーリッツは以下の各都市と姉妹都市提携を結んでいる。

出典

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  1. Room, Adrian (2006). Placenames of the world: origins and meanings of the names for 6,600 countries, cities, territories, natural features, and historic sites (2 ed.). McFarland. p. 265. ISBN 978-0-7864-2248-7 2011年3月17日閲覧. "The basic name is of Slavic origin and means '(settlement of the) archers/shooters,' from Old Slavic strela, 'arrow'."
  2. ポーランド語では Strzelce といい、ポーランドにはこの名前の町が多数ある。
  3. Lakotta (2005年3月5日). Tief vergraben, nicht dran rühren (German). SPON. 2010年8月16日閲覧。
  4. Schwäbisch Hall and its twin towns”. Stadt Schwäbisch Hall. 2013年7月26日閲覧。

外部リンク

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