ナイキゴージャス

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ナイキゴージャス
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1989年4月19日
死没 不明
スリルショー
ブーニーズ
母の父 Honey Jay
生国 日本の旗 日本北海道千歳市
生産 社台ファーム
馬主 小野誠治
調教師 長沼正義大井
競走成績
生涯成績 地方競馬13戦6勝
獲得賞金 1億8407万0000円
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ナイキゴージャスとは日本競走馬種牡馬である。南関東公営競馬に所属し、おもに大井競馬場で走り、東京盃グランドチャンピオン2000青雲賞などに優勝した。

戦績[編集]

馬齢は旧表記を用いる。

1991年8月26日サラ系3歳新馬的場文男騎乗で勝利し、その後一般戦2着をはさんで青雲賞に優勝。ゴールデンステッキ賞では石崎隆之騎乗で勝利したが、続く京浜盃では佐々木竹見騎乗で6着と敗れる。準重賞雲取賞は勝ったものの、続く黒潮盃では牝馬カシワズプリンセスの前に3着となり、伏兵評価でクラシック本番を迎えることとなる。

第37回羽田盃は、騎乗を予定していた的場文男が騎乗停止処分のため、桑島孝春騎乗で挑むこととなった。しかし結果はカシワズプリンセスに完敗の2着。第38回東京ダービーではカシワズプリンセスが圧倒的な単勝1番人気に推され[1][2]、逆転を期すナイキゴージャスが2番人気、勝ちきれないレースが続き羽田盃5着後に騎手を山崎尋美から石崎隆之に交替したグレイドショウリが3番人気となった。レースはナイキゴージャスが2番枠を利し馬なりで逃げ態勢に入り、淡々としたスローなペースでそのまま流れ、最後の直線に向く。直線に入ると鞍上の的場文男が豪快なアクションで追い出し逃げ込みを計るが、ゴール寸前グレイドショウリに交わされ、4分の3馬身差の2着に敗れる[1]

7月27日、初の古馬相手となった関東盃では第1コーナーで斜行し、1位で入線するも13着に降着となる[3]。続く9月30日の東京盃、10月19日のグランドチャンピオン2000は連勝した。

迎えた三冠最終戦の第29回東京王冠賞では1番人気に推されたが、スタート直後につまずき、なんとか体勢を立て直すも最後方からの競馬になり[4]、直線もまったく伸びずに7着と大敗した[4]

その後故障し休養、復帰を目指すも結局断念し、1994年4月1日付けで地方競馬登録が抹消された。

種牡馬[編集]

競走馬引退後は静内町豊畑の高橋ファームスタリオンセンターで種牡馬となったが、地方競馬へ競走登録された産駒は6頭にとどまり、特筆すべき産駒はいない。1996年生まれのナイキガードナーは上山競馬JRA認定競走を勝ち、札幌競馬の3歳500万下条件戦にて産駒唯一となる中央競馬での出走を果たし、12頭立て11着となった。

1999年7月1日用途変更され[5]、以後の消息は不明である。

血統表[編集]

ナイキゴージャス血統ノーザンダンサー系 / Princequillo5×5=6.25%、Nasrullah5×5=6.25%) (血統表の出典)

*スリルショー
Thrill Show
1983 鹿毛 アメリカ
父の父
Northern Baby
1976 鹿毛
Northern Dancer 1961 Nearctic
Natalma
Two Rings 1970 Round Table
Allofthem
父の母
Splendid Girl
1976 鹿毛
Golden Eagle 1965 Right Royal
Aquilla
Coccinea 1970 Jaipur
Scarlet Ribbon

*ブーニーズ
Boonies
1976 鹿毛 アメリカ
Honey Jay
1968 鹿毛
Double Jay 1944 Balladier
Broomshot
Roman Honey 1956 Roman
Thoris
母の母
Outskirts
1971 栗毛
Good Investment 1965 Nasrullah
Vestment
Trip Abroad 1960 Count of Honor
Indura F-No.8-c


脚注[編集]

  1. ^ a b 地方競馬全国協会ハロン』1992年8月号、p.38
  2. ^ 中川明美 (2009年6月3日). “ダービーで思い出すこと”. 中川明美の南関あらうんど. 競馬ブック. 2009年6月24日閲覧。
  3. ^ 『ハロン』1992年9月号、p.45
  4. ^ a b 『ハロン』1993年1月号、p.36
  5. ^ 1999年に供用を停止した種牡馬 - Benvenuto a casa di cavallo [出典無効][リンク切れ]

外部リンク[編集]