ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡

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ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡
Dubrovačko-neretvanska županija
クロアチア内のドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の位置
クロアチアの旗 クロアチア
郡都ドゥブロヴニク
人口122,870
(2001年時点)
面積1782km²
都市5
オプチナ17
標準時CETUTC+1
夏時間CESTUTC+2
長官Mira Buconić
郡都のドゥブロヴニク世界遺産にも登録されており、アドリア海の真珠と通称されるクロアチア最大の観光地の一つ。
ドゥブロヴニク旧市街の南東側。旧市街は城壁に囲まれている。
コルチュラ島の中心都市コルチュラ旧市街。
クロアチア本土と南の飛び地を隔てるペリェシャツ海峡
港町プロチェからはボスニア・ヘルツェゴビナに鉄道路線が延び、ボスニア・ヘルツェゴビナの海の玄関口となっている。
ヨーロッパ一長いストンの城壁は、5キロメートルに及ぶ。
マリ・ストン塩田

ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡(ドゥブロヴニク・ネレトヴァぐん、ドブロブニク=ネレトバ郡とも。クロアチア語: Dubrovačko-neretvanska županija)は、クロアチアダルマチア地方ので、クロアチアの国土の南端に位置している。郡都はドゥブロヴニク日本ではドブロヴニクとよく表記される)であり、その他の大きい町としてはネレトヴァ川三角州の中にあるメトコヴィチプロチェがあり、郡の名前の由来となっている。コルチュラ島ラストヴォ島 (Lastovo)、ムリェト島シパン島 (Šipan)、コロチェプ島 (Koločep) などの島々も郡に含まれる。

クロアチアの領海は主要部から連続しているものの、ボスニア・ヘルツェゴビナネウム市によって郡の大部分はクロアチアの領土の主要部から切り離され陸上では飛び地となっていた。しかし、 2022年7月26日にボスニア領のネウム市を回避してクロアチア主要部の南端と、飛び地側のペリェシャツ半島とを結ぶペリェシャツ橋)が開通し、国境を超えずに往来できるようになった。

ドゥブロヴニクとクロアチア主要部とをネウム市を経由して結ぶ道路は片側1車線である。ドゥブロヴニクとクロアチア主要部とを結ぶバスの多くはネウム市にも停車するため、利用者はクロアチアよりも税金の安いボスニア・ヘルツェゴビナで、より安価にたばこを買うことができる。

ムリェト島の北西部は国立公園となっており、またプロチェ北部のバチナ湖群も国立公園となっている。郡の南端部は、領有権問題のあるプレヴラカ半島 (Prevlaka) を含む。

基礎情報[編集]

  • 面積:1,782 km²
  • 人口:2001年の国勢調査によれば、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の人口は122,870人である。クロアチア人はそのうちの93.29%を占め、絶対多数を形成している[1]

自治体[編集]

ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡は、5の都市 (grad) と17のオプチナ (općina) から構成される。都市とオプチナは、ともに郡の下位に属する同じレベルの自治体であるが、一般に都市のほうが規模が大きい。

都市 (grad)[編集]

オプチナ (općina)[編集]

郡政府[編集]

郡の長官 (Župan) と副長官は以下の通り:

  • 長官:ミラ・ブツォニッチ (Mira Buconić, IL-S.G.Jambo)
  • 副長官:ジェリコ・クリシッチ (Željko Kulišić: クロアチア権利党)

郡議会は41議席あり、議長は民主中道のニコラ・オブリェ (Nikola Obuljen) である。2005年の選挙以降の、党派別の議席の内訳は以下の通り:

脚注[編集]

  1. ^ 12. POPULATION BY ETHNICITY, BY TOWNS/MUNICIPALITIES, CENSUS 2001” (英語). SAS Output. クロアチア共和国中央統計局. 2007年6月26日閲覧。閲覧日は、当該記述の翻訳元である英語版ウィキペディア記事での日付。

外部リンク[編集]

座標: 北緯42度39分13秒 東経18度05分41秒 / 北緯42.65361度 東経18.09472度 / 42.65361; 18.09472