ストン

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ストン
村・基礎自治体
Ston
マリ・ストン
マリ・ストン
ストンの位置(クロアチア内)
ストン
ストン
クロアチアにおけるストンの位置
北緯42度50分 東経17度42分 / 北緯42.833度 東経17.700度 / 42.833; 17.700座標: 北緯42度50分 東経17度42分 / 北緯42.833度 東経17.700度 / 42.833; 17.700
クロアチアの旗 クロアチア
ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡
政府
 • 村長 Vedran Antunica
標高
0 m
人口
(2011)[1]
 • 合計 2,445人
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
20 230
市外局番 +385 20
ナンバープレート DU
ウェブサイト ston.hr

ストンクロアチア語:Stonイタリア語:Stagno)はクロアチアドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の村およびそれを中心とした基礎自治体で、ペリェシャツ半島地峡の南側に位置している。2001年現在、ストンの人口は2,605人でクロアチア人が98.66%を占めている。

みどころ[編集]

スタガニュウムとしてローマ時代には既に居住地として確立していた。ストン周辺ではローマ時代の砦を今でも見ることができる。塩田もすでにローマ時代よりあり、現在でもストンでは塩が作られている。1333年、ペリェシャツ半島はラグーザ共和国(ドゥブロヴニク共和国)の領域となった。その頃、現在の町や要塞が築かれた。塩の生産は当時、経済の基礎を成しドゥブロブニクの最も重要な収入源となっていた。ストンはラグーザ共和国の要塞が有名で中世の優れた建築物と見なされている。14世紀に砦の建設は始まり、3箇所の城はそれぞれ城壁によってつなげられた。5 kmに及ぶ城壁には40箇所の塔が設けられ、現在でもその遺構が残る。要塞によってペリェシャツ半島の防衛が可能であった。すべての施設が完成したのは1506年のことで、ヨーロッパでも長い城壁のひとつである[2]1996年の震災によって被害を受けた箇所もある。

脚注[編集]

  1. ^ "Census of Population, Households and Dwellings 2011, First Results by Settlements". Statistical Reports (in Croatian and English) (Zagreb: Croatian Bureau of Statistics) (1441). June 2011. ISSN 1332-0297. Retrieved 2011-10-08.
  2. ^ 『ブルーガイドわがまま歩き クロアチア スロヴェニア』 2017, p. 132.

参考文献[編集]

  • ブルーガイド編集部編『ブルーガイドわがまま歩き クロアチア スロヴェニア』実業之日本社、2017年。ISBN 978-4-408-06024-8 

外部リンク[編集]