デイヴ・バーソロミュー

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デイヴ・バーソロミュー
基本情報
生誕 1918年12月24日
出身地 米国ルイジアナ州エドガー
死没 2019年6月23日
ジャンル ジャズ
R&B
ロックンロール
職業 トランペッター
バンドリーダー
作曲家
編曲家
担当楽器 トランペット
活動期間 1947年2019年
レーベル インペリアル・レコード
共同作業者 ファッツ・ドミノハーブ・ハーデスティアルヴィン・"レッド"・タイラーアール・パーマーリー・アレン

デイヴ・バーソロミュー(Dave Bartholomew、1918年12月24日 - 2019年6月23日)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州エドガー出身のミュージシャンバンドリーダー作曲家編曲家1950年代以降のニューオーリンズ音楽の形成に大きく貢献した。

概略[編集]

バーソロミューは、リズム・アンド・ブルースビッグバンドスウィング・ジャズロックンロールニューオーリンズ・ジャズディキシーランド・ジャズなど数多くの音楽ジャンルで活躍した。彼の曲をレコーディングしたミュージシャンアーティストは数多いが、中でもファッツ・ドミノとのパートナーシップが彼のキャリアの中でも特筆すべき成功を収めている。1950年代の半ばに、彼らはインペリアル・レコードの下で、"I'm in Love Again"、"Blue Monday"、"I'm Walkin'"など40曲以上のヒット曲を世に送り出し、そのうち"Goin' Home"と"Ain't That a Shame"など複数の曲がビルボードR&Bチャートの1位に輝いている。[1] 彼は、ソングライターの殿堂、並びにロックの殿堂入りを果たしている。[2]

来歴[編集]

バーソロミューが最初に覚えた楽器はチューバであったが、のちにトランペットが彼のメインの楽器となった。彼のプロのキャリアは、ニューオーリンズでアルヴィン・"レッド"・タイラーアール・パーマーリー・アレンらがメンバーに入ったバンドを結成したところから始まっている。

1947年、デラックス・レコードで彼は初のレコーディングを経験するが、会社は倒産してしまい殆ど話題にはならずに終わった。1949年に彼はルー・チャッドのインペリアル・レコードの下で、編曲家、バンドリーダー、およびタレント・スカウトとして活動するようになった。ここで、彼がプロデュースしたアール・キングトミー・リッジリーロバート・パーカーフランキー・フォードクリス・ケナースマイリー・ルイスシャーリー&リーファッツ・ドミノといったアーティスト達から、数々のヒットが生まれたのである。彼は、有名な"Blueberry Hill"を含むファッツ・ドミノのヒット曲の多くにおいて編曲を担当した。1960年代半ばに彼はインペリアルを離れ、自分のレーベル、ブロードムア・レコード (彼が住んでいたニューオーリンズのブロードムア地域に因んで名付けられたもの) を含むいくつかのレーベルを転々とした。[3]

彼は後年もプリザベーション・ホールに出演してトラディショナル・ジャズをプレイするなどミュージシャンとして現役で活動を続け、自己名義のレコーディングもリリースし続けた。

2019年6月23日朝、ニューオーリンズ郊外メテリーのイースト・ジェファーソン総合病院にて心不全のため死去。100歳だった[4][5]

功績[編集]

バーソロミューは、1950年代に強い影響力を発揮したニューオーリンズ・サウンドの形成に大きな役割を果たした。特に、ジャンプ・ブルースビッグバンド・スウィングリズム・アンド・ブルースロックンロールに発展していく過程で主動的な役割を担った。[3]

またバーソロミューは、ロイド・プライスの"Lawdy Miss Clawdy"、スマイリー・ルイスの"I Hear You Knocking"、"One Night"、シャーリー&リーの"Let the Good Times Roll"など歴史に残るヒット曲のプロデュースを手がけている。

脚注[編集]