テルシオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
1568年のハイリヘルレーの戦いの図。槍兵方陣や大砲など、当時の軍隊が描写されている。画面右がスペイン軍のテルシオである。

テルシオTercio)は、1534年から1704年にかけてスペイン王国が採用した連隊にあたる軍事編成単位[1]。戦闘隊形や方陣、戦術を指すとされる場合もあるが、誤りである[2]

歴史[編集]

前史[編集]

およそ700年にわたるレコンキスタを完成させたスペイン王国は、イベリア半島の過半を支配下に置き、イタリアや北アフリカ沿岸など、他地域へ進出するようになっていた。その中で、スペイン本土においてAlonso de Quintanillaらによる組織改革が、イタリアにおいてゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバらによる戦術改革が行われた[3]。この中で生まれたのがコロネリア(Coronelía、コロネリャとも)と呼ばれる部隊編成である。

1503年、この新式のスペイン軍は、チェリニョーラの戦いでフランス軍を破ることに成功した。チェリニョーラの戦いはまた、火器野戦築城が効果を発揮した戦いでもあった。それ以降、軍隊の中に占める火器の割合は徐々に増加していった。

栄光と衰退[編集]

新式の軍事編成によって生まれた部隊をテルシオと呼称する動きは1509年に始まったとされる。この時の部隊はのちにTercio Viejo de Nápolesとなる[4]

1536年、カルロス5世よって発布された勅令にテルシオ(Tercio)という名称が登場し[4]、これ以後テルシオという名称が一般化する。その由来には諸説あるが、いまだに定説を見ない。

テルシオは発足当初から志願による兵士の募集を行っており、国家により直接維持・運営される常備軍的な性格を持った。長期にわたる雇用は、常に一定以上の練度、結束力を保持することができた。また即応性のある戦力として、スペイン軍の強さに繋がった。テルシオは当初はスペイン人のみから構成されていたが、1584年にイタリア人からなるテルシオが創設されたのをきっかけに、外国人のテルシオも創設されるようになった[5]

1525年のパヴィアの戦い。まだ公式にはテルシオとは呼称されていなかったが、編成はすでに確立していた。

それでも16世紀を通して、テルシオは最精鋭の軍団として各地で活躍した。1525年パヴィアの戦いでは、フランス王フランソワ1世を捕虜にするという戦果を挙げた。テルシオの力でスペインはイタリア戦争に勝利し、フランスのイタリアへの介入を頓挫させた。

しかし17世紀に入ると、テルシオに挑戦する試みが現れる。ネーデルラントのマウリッツ・ファン・ナッサウは、スペイン軍を破るために軍事改革を行った。マウリッツの改革の影響を受けたスウェーデングスタフ2世アドルフはそれをさらに洗練させた。

1704年フェリペ5世ルイ14世の孫)が、フランス式の連隊大隊で構成される軍制を採用したことによって、テルシオは消滅した。現在、テルシオという軍隊用語はスペイン外人部隊の部隊単位および海兵隊や第4特殊作戦集団の通称としてのみ存在している。

編成[編集]

テルシオの公式編成は時代ごとに異なり、兵士の出身国・地域によって編成が異なった時代もあった。しかし多くの場合公式編成は無視され、同時代・同地域出身の部隊でも、編成が異なることが頻繁にあった。 テルシオを構成する中隊の編成は1567年以降、公式には11名の士官、219名の槍兵、20名のマスケット兵からなる槍兵中隊と、11名の士官、224名のアーキュバス兵、15名のマスケット兵からなる銃兵中隊であったとされるが[6]、1598年の勅令により、各中隊は、130名の槍兵と100名のアーキュバス兵、20名のマスケット兵からなる槍兵中隊と、マスケット兵とアーキュバス兵からなる、人数の指定されていない銃兵中隊へと公式に変更された[7]。1636年の勅令で、中隊は11名の士官、30名のマスケット兵、60名のアーキュバス兵、99名のパイク兵からなる単一の編成に変更された[6]

以下に挙げるのは実際のテルシオの編成である。

1567年5月 Tercio de Cerdeña[編集]

[8]

  • パイク兵 745名
  • アルケビューズ兵 647名
  • マスケット兵 122名
  • 士官・下士官 137名
    • 総数 1671名

1571年3月 Tercio Viejo de Nápoles[編集]

[9]

  • パイク兵 1768名
  • アルケビューズ兵 456名
  • マスケット兵 281名
  • 士官 171名
    • 総数 2676名

1607年6月 Tercio de Balanzon[編集]

[10]

  • パイク兵 237名
  • アルケビューズ兵 289名
  • マスケット兵 252名
  • 士官 97名
    • 総数 875名

1622年8月 Tercio de Tyron[編集]

[11]

  • パイク兵 75名
  • アルケビューズ兵 227名
  • マスケット兵 72名
  • 士官 46名
    • 総数 420名

戦闘隊形[編集]

テルシオの戦闘隊形はしばしば銃兵に取り巻かれたパイク兵の方陣とされることがあるが、実際には銃兵の配置や隊形の形状は指揮官が敵や状況を把握して柔軟に指示するものであり、火器を有効利用するために線形の陣形を取ることもあった[2] 。テルシオが取りうる隊形はほぼ無限に存在し、16世紀から使用されていた斉射戦術と組み合わせることで絶大な威力を発揮することができた[2]

組織[編集]

テルシオは以下の士官からなる指揮系統を持っていた。

Maester de Campo(連隊長)
Maester de Campoはテルシオを指揮する最上位の階級であり、同時に第一中隊の中隊長として、他の中隊長と同じ責務を負っていた。遠征軍の一部として行動する際は、遠征軍首脳部の審議に参加することができたが、指揮下のテルシオ単体で行動する場合はMaester de Campoが最上位の指揮官となった。またMaester de Campoは指揮下の部隊の士官を任命する権限を有し、1587年に勅令によって指揮系統の変革が行われるまで、軍事裁判権をも有していた。
戦闘時や行軍時は配下のSergento Mayorに隊形を指示し、包囲戦時には砲兵と連携して塹壕や坑道を掘る指示を下すことがあるため、Maester de Campoには従軍経験を通した技術的な知識・経験が必要とされた。Maester de Campoには直接のスタッフとして8名のハルバード兵が割り当てられていたが、この他にも状況に応じて工兵や待命中の士官が加わることもあった[12] [13]
Sergento Mayor(上級曹長)
Sergento Mayorはテルシオの指揮系統において第二位の階級であり、当初は少尉から、後にはMaester de Campoによって選抜された中隊長の中から総司令官によって選ばれた。Maester de Campoの不在時を除いて独立した指示をだす権限は与えられていなかったものの、Maester de Campoと中隊長・曹長との仲立ち役として行軍・戦闘隊形を組ませる責任を持ち、隊形の前を騎馬で通過できる特別な権利を有していた。Sergento Mayorは兵士の訓練にも責任を持ち、パイクや火器の扱いに精通していなければならなかった。
しばしばスタッフとして少尉または待命中の士官からなる2人の助手を持っていた[12][14][15]
Capitán(中隊長)
Capitánはテルシオを構成する各中隊の最上位の階級であり、兵員を直接募集し中隊を創設する役目も負っていた。Capitánは中隊の兵員の手本となることが望ましいとされており、戦闘時にはCapitánは中隊の先頭に立ち、中隊を直接指揮し、中隊の武装に合わせて火器やパイク、片手剣と盾などで武装していた。[14]
Alfárez(少尉)
Alfárezは中隊において第二位の階級であり、中隊長の助手でもあった。Alfárezは軍務に秀でていると同時に中隊のアイコンとなる階級であった。戦場での役割は隊旗を保持することであり、片手で隊旗を持ち、同時にもう片方の手で剣を操ることができる事が必要とされた[14][16]
Sargento(曹長)
Sargentoは中隊の兵員の訓練と規律に責任を持っており、また戦闘時には中隊に適切な隊列を取らせる任務があった。この任務のため、Sargentoには数学的な能力が必要とされた。その権威の象徴として、ハルバードを所持していた。[16]
Cabo(伍長)
Cabo、またはCabos de escuadraは曹長の助手であり、25名の人員をまとめた隊の責任者であった。[16][6]
Furier(給養係)
食料の配給や装備の維持・調達、部隊の予算管理などに責任を持つ役職。各テルシオには1人のFurier Mayorがおり、各中隊のFurierを統括していた。[6][17]
従軍牧師
宗教的な面をサポートする他、兵士達の遺書を筆記する等の事務も行っていた[18]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ Ignacio&Ivan Notario López, The Spanish Tercios 1536-1704 p12-13
  2. ^ a b c Eduadro de Mesa, The Irish in the Spanish Army in the Seventeenth Century p9-11
  3. ^ Fernando González de León, Spanish Military Power and the Military Revolution p27
  4. ^ a b The Spanish Tercio p11
  5. ^ The Irish in the Spanish Army p9
  6. ^ a b c d The Army of Flander p233
  7. ^ The Irish in the Spanish Army p12
  8. ^ Eduadro de Mesa, La pacificatión de Flandes.Spínola y las campañas de Frisia(1604-1609) p183
  9. ^ Geoffrey Parker, The Army of Flander and the Spanish Road 1567-1659 p235
  10. ^ La pacificatión de Flandes p188
  11. ^ The Irish in the Spanish Army p70
  12. ^ a b The Spanish Tercio p14
  13. ^ The Road to Rocroi p20-22
  14. ^ a b c The Spanish Tercio p15
  15. ^ The Road to Rocroi p22-23
  16. ^ a b c The Spanish Tercio p16
  17. ^ The Spanish Tercio p17
  18. ^ The Army of Flanders p145-147

参考資料[編集]

  • Ignacio&Ivan Notario López, The Spanish Tercios 1536-1704, Ospley Publishing
  • Eduadro de Mesa, The Irish in the Spanish Army in the Seventeenth Century, Boydell Press
  • Fernando González de León, Spanish Military Power and the Military Revolution, Early Modern Military History,1450-1815収録
  • Geoffrey Parker, The Army of Flander and the Spanish Road 1567-1659, Cambridge University Press

関連項目[編集]

  • アラトリステ - 17世紀ヨーロッパを舞台にした小説。3巻でテルシオの戦闘の詳細な描写がある。