ティツク・デツェン
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ティツク・デツェン ཁྲི་གཙུག་ལྡེ་བཙན | |
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チベット帝国のツェンポ | |
在位 | 815年 - 836年 |
出生 |
802年 |
死去 |
836年 |
父親 | ティデ・ソンツェン |
宗教 | チベット仏教 |
ティツク・デツェン(チベット語:ཁྲི་གཙུག་ལྡེ་བཙན、802年 - 836年)は、古代チベットである吐蕃の王(在位:815年 - 836年)。彼はレルパチェン(རལ་པ་ཅན)の綽名も知って、ソンツェン・ガンポ、ティソン・デツェンとともに「チベットの護教王」と呼ばれる。漢文史料では可黎可足、彝泰賛普と表記される。
在位中、チベットは仏教を国教とし始め、大蔵経(一切経)をチベット語に翻訳、編纂を始めた。821年、長安に使節を送り、唐の大臣たちと和解の盟約(長慶会盟)を行う。ラサの大昭寺の前に唐蕃会盟碑を建立した。
836年、ティツク・デツェン王は大論(宰相)バー・ギャルトレらに絞殺され、その兄弟ラン・ダルマ王が即位する。
爵位・家督 | ||
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先代: ティデ・ソンツェン |
チベットの皇帝 815年 - 836年 |
次代: ラン・ダルマ |