チャッツワース・ハウス

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Japanese Map symbol (Museum) w.svg チャッツワース・ハウス
Chatsworth House
Chatsworth Bridge.jpg
施設情報
専門分野 カントリー・ハウス
開館 1553年
所在地 {{{所在地郵便番号}}}
イギリスダービーシャー
位置 北緯53度13分40秒 西経1度36分36秒 / 北緯53.227778度 西経1.61度 / 53.227778; -1.61
外部リンク Chatsworth House
プロジェクト:GLAM

チャッツワース・ハウス (: Chatsworth House)は、イギリスダービーシャーピーク・ディストリクト国立公園 の中にある16世紀に建てられたカントリー・ハウスである。チャッツワースはベイクウェル (Bakewell) の北東5kmにある。

歴史 [編集]

チャッツワース・ハウスの礎を築いたのは、「ハードウィックのベス」(Bess of Hardwick) ことエリザベス・ハードウィック英語版である。1553年に建て始め1560年代に完成した。 1568年にベスの夫の第6代シュルーズベリー伯ジョージ・タルボット英語版イングランドで軟禁生活を送っていたスコットランド女王メアリーの身柄が預けられたことから、メアリーもチャッツワースを訪れている。

現在の建物はベスの子孫で、初代デヴォンシャー公ウィリアム・キャヴェンディッシュの頃、建築家ウィリアム・タルマン (William Talman) によるものである。邸宅は1686年から1707年の間に大規模に改築され、1820年代にも増築されてさらに見事になった。

1872年から1873年にかけて欧米諸国を歴訪した岩倉使節団は1872年10月30日にチャッツワース・ハウスを訪問した[1]。使節団はその邸宅の壮麗さに圧倒された。公爵自らが日本人使節を荘重な邸宅に迎え入れた。 そこには、多くの蔵書が収められた図書室やワインの貯蔵庫、そして見事な内装で装飾された数多くの部屋があった。使節団の久米邦武ティツィアーノティントレットレンブラントヴァンダイク等の有名な画家の作品を鑑賞しようと努めた。しかし、広大で見事な庭園の美しさの方に、彼はより大きな感銘を受けた。

庭園と領地[編集]

庭園の巨大カスケードを上方より見える

チャッツワースは広大な庭園で有名である。現在、庭園はダーウェント川沿った105エーカー(約42ヘクタール) で 14 kmにわたって石塀と柵で囲まれている。18世紀ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第4代デヴォンシャー公爵)はそれまでの整形庭園を一掃し、当時流行のランスロット・『ケイパビリティ』・ブラウンが設計した風景式庭園を造った。

19世紀ジョセフ・パクストンの手によって庭園はきらに変貌を遂げた。ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第6代デヴォンシャー公爵)は23歳のパクストンの腕を買い、最高で90メートルの高さまで上がる「帝国噴水」、岩庭、そして1828年から、チャッツワーズで大温室を造った。パクストンの最大の功績は、1851年のロンドン万国博覧会がロンドンのハイド・パークで開催された際の、水晶宮の建設である。

現在のチャッツワース[編集]

チャッツワースはデヴォンシャー公爵の邸宅で、第11代デヴォンシャー公爵夫人デボラ・キャヴェンディッシュにより近代化・改革が行われた[2]。12代公爵時代に邸宅は売却され[要出典][矛盾]、その後公爵一家は邸宅に戻っているが、現在は屋敷の運営等はチャッツワース・ハウス・トラストによって管理されている。

チャッツワース・ハウス見学に訪れた人は庭園を散策し、30もの豪華な部屋やヨーロッパ最大級の絵画コレクションを鑑賞することができる[3]。内部の装飾は、すべてバロック様式である。ペインテッド・ハールや数多いステイト・ルームの天井や小壁には、ルイ・ラグエル (Louis Laguerre)やアントニオ・ベリオ (Antonio Verrio) のフレスコ画が描かれている。また多くの家具がウィリアム・ケントのデザインである。

ロケ地としての使用[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]