チェチーラ・メテッラの墓

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チェチーラ・メテッラの墓
イタリア語: Mausoleo di Cecilia Metella
英語: Tomb of Caecilia Metella
Cecilia metella e castrum.JPG
概要
建築様式 霊廟
自治体 ローマ
イタリアの旗 イタリア
座標 北緯41度51分7.8秒 東経12度31分15.26秒 / 北緯41.852167度 東経12.5209056度 / 41.852167; 12.5209056座標: 北緯41度51分7.8秒 東経12度31分15.26秒 / 北緯41.852167度 東経12.5209056度 / 41.852167; 12.5209056
落成 BC1世紀
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アッピア街道上での場所

チェチーラ・メテッラの墓イタリア語: Mausoleo di Cecilia Metella)はイタリア ローマ郊外のアッピア街道州立公園内にある古代ローマ墓廟

この墓廟は紀元前1世紀に建てられてもので、紀元前69年執政官を務めたクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・クレティクスの娘で、第一回三頭政治で有名なマルクス・リキニウス・クラッススの妻であったチェチーラ・メテッラ(ラテン語:カエキリア・メテッラ)のための墓である[1]。建設時期は確定しておらず、資料により紀元前50年ごろ[2]紀元前20年ごろなどとされている[1]。夫のクラッススに関して、その同名の息子とする資料もあるが、こちらは特に傑出した実績のない人物であり、なぜその妻がこれほどの立派な墓に収まったのかはよく分からない[3]

アッピア街道の3ローマ・マイル地点の丘の頂上付近に建っている。基壇は四辺形で、その上に円筒形の主要部が載っており、全体の高さは20メートルほど[1]。直径は20メートル[3]とする資料と29メートル[4]とする資料がある。壁体はトラバーチンで化粧されている[1]。中世には軍事拠点として流用された[2]。この円筒形の墓廟に隣接する形で14世紀の城(Castrum Caetani)が建てられている。

雄牛の頭蓋骨をモチーフとしたフリーズがあることから、カーポ・ディ・ボーヴェ(Capo di Bove、『牛の頭』の意)とも呼ばれていた[1]。この装飾と名前に由来する別の遺跡群“Capo di Bove (英語版)”も南方500メートルほどにある[5]

碑文[編集]

アッピア街道側に碑文が埋め込まれている。

CAECILIAE / Q(uinti)·CRETICI·F(iliae) / METELLAE·CRASSI
(日本語意訳) チェチーラ / クインタス・クレティカスの娘 / クラッススの妻メテッラ

1行目のCAECILIAEと3行目のMETELLAEが繋がっており「カエキリア・メテッラへ(捧ぐ)」となる[3]。他の単語は彼女の親族属性を補完しているわけである(カエキリアはラテン語読み)[3]

アクセス[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e パラーディオ,アンドレア; ハート,ヴォーン; ヒックス,ピーター、桑木野幸司訳 『パラーディオのローマ : 古代遺跡・教会案内』 白水社、2011年、102頁http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB07437697  および注。
  2. ^ a b Lozzi Roma (2001), Rome and the Vatican. Discover the archaeology and monuments of Rome, Lozzi Roma, p. 60, ISBN 9788887894233, https://books.google.co.jp/books?id=yrqEAAAACAAJ 
  3. ^ a b c d 小林標 『ラテン語の世界: ローマが残した無限の遺産』 中央公論新社〈中公新書〉、2006年、120-124頁。ISBN 9784121018335https://books.google.co.jp/books?id=IDUxPQAACAAJ 
  4. ^ チェチリーア・メテッラの墓”. fishand.tips. 昭文社. 2019年4月29日閲覧。
  5. ^ Villa Capo di Bove”. 2019年4月29日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]