ダニエル・W・ヴォーヒーズ
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ダニエル・W・ヴォーヒーズ Daniel W. Voorhees | |
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生年月日 | 1827年9月26日 |
出生地 | アメリカ合衆国、オハイオ州バトラー郡リバティ郡区 |
没年月日 | 1897年4月10日 (69歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国、ワシントンD.C. |
出身校 | インディアナ・アシュベリー大学 |
所属政党 | 民主党 |
アメリカ合衆国上院議員 | |
選挙区 | インディアナ州 |
在任期間 | 1877年11月6日 - 1897年3月4日 |
ダニエル・ウルゼイ・ヴォーヒーズ(英語: Daniel Wolsey Voorhees、1827年9月26日 - 1897年4月10日)は、アメリカ合衆国の政治家。民主党所属のインディアナ州選出上院議員。南北戦争期には反戦主義の コッパーヘッドであった。
生涯
[編集]オランダ系の父スティーヴン・ピーター・ヴォーヒーズ、アイルランド系の母レイチェル・エリオット[1]の間に、オハイオ州バトラー郡リバティ郡区で生まれた。幼少時代にインディアナ州フォンテイン郡、ヴィーダーズバーグ近くに転居した。1849年にインディアナ・アシュベリー大学(現在のデポー大学)を卒業した。1850年に法曹界入りしコヴィントンで弁護士を開業、1857年にテレハウトに転居した。
1858年から1861年までインディアナ州の検察官を務め、1861年から1866年および1869年から1873年まで民主党からの連邦下院議員を務めた。1877年から1897年までは上院議員を務めた。南北戦争の間、彼はコッパーヘッドとして反戦を唱え、おそらくはゴールデン・サークル騎士団に所属していた。しかしながらクレメント・ヴァランディガムの様な急進主義ではなかった。
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参考図書
[編集]- Stampp, Kenneth M. Indiana Politics during the Civil War (1949)
- Voorhees, Daniel. Forty Years of Oratory (2 vols., Indianapolis, Indiana, 1898), edited by his three sons and his daughter, Harriet C. Voorhees, and with a biographical sketch by T. B. Long.
参照
[編集]- ^ International Genealogical Index, The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints, copyright c. 1980, 1997
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Voorhees, Daniel Wolsey". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 211.
外部リンク
[編集]- Congressional bio, with picture
- "ダニエル・W・ヴォーヒーズ". Find a Grave. 2009年5月11日閲覧。
アメリカ合衆国上院 | ||
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先代 オリヴァー・H・P・モートン |
インディアナ州選出上院議員(第3部) 1877年 - 1897年 同職:ジョゼフ・E・マクドナルド, ベンジャミン・ハリソン, デヴィッド・ターピー |
次代 チャールズ・W・フェアバンクス |
公職 | ||
先代 ジャスティン・モリル バーモント州 |
上院財政委員会委員長 1893年 - 1895年 |
次代 ジャスティン・モリル バーモント州 |