ジョン・ヘンリー・ニューマン

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ジョン・ヘンリー・ニューマン
枢機卿
John Henry Newman by Sir John Everett Millais, 1st Bt.jpg
ジョン・ヘンリー・ニューマン(ジョン・エヴァレット・ミレー作)
聖職
枢機卿任命 1879年5月12日
個人情報
出生 1801年2月21日
イギリスの旗 イギリスロンドン
死去 1890年8月11日
イギリスの旗 イギリス、エッジバストン
紋章 ジョン・ヘンリー・ニューマンの紋章
聖人
記念日 10月9日(カトリック教会)
8月11日(イングランド国教会)
崇敬教派 カトリック教会
イングランド国教会
列福 2010年9月19日
イギリスの旗 イギリス、コフトン・パーク
列福決定者 ベネディクト16世

ジョン・ヘンリー・ニューマン(John Henry Newman, 1801年2月21日 - 1890年8月11日)は、19世紀イングランド神学者で、イングランド国教会司祭からカトリックに改宗して枢機卿となった人物である。2010年9月に列福され、福者と認定された。

経歴[編集]

ロンドンに生まれる。オックスフォードイングランド国教会司祭を務めていたが、イタリア旅行から帰国後の1845年にカトリック教会に改宗、最終的には枢機卿になった。当時オックスフォード大学では宗教に関して激しい論争が繰り広げられており(オックスフォード運動)、フランス革命の影響を受けた啓蒙思想に対し、保守派は反発していた。ニューマンもその一人であったが、神学の研究を進めているうち、カトリック教会に惹かれるようになり、改宗するに至った。第1バチカン公会議の際にも、ニューマンは教皇不可謬説を全面的に擁護した。

聖公会において信徒の役割が重視されていたのに対し、カトリック教会における信徒の地位の低さと教育のなさに愕然としたニューマンは、「教会は聖職者と信徒との共同体である」との信念から、信徒に対する尊敬と理解を示し、教育のある信徒の重要性をことあるごとに説いた。こうしたニューマンの考えは第2バチカン公会議の理念の先駆とも言い得るものであったが、当時は多くの非難・批判に遭った[1]

1991年にはその業績を称えて尊者として認定されており、2010年9月の教皇ベネディクト16世の英国公式訪問[2]の際に列福された[3]。教皇ベネディクト16世は列福式の説教において、ニューマンの信徒教育論について指摘している[1]

著書[編集]

国教会時代[編集]

  • Arians of the Fourth Century (1833年)
  • Tracts for the Times (1833年 - 1841年)
  • British Critic (1836年 - 1842年)
  • On the Prophetical Office of the Church (1837年)
  • Lectures on Justification (1838年)
  • Parochial and Plain Sermons (1834年 - 1843年)
  • Select Treatises of St. Athanasius (1842年、1844年)
  • Lives of the English Saints (1843年 - 1844年)
  • Essays on Miracles (1826年 - 1843年)
  • Oxford University Sermons (1843年)
  • Sermons on Subjects of the Day (1843年)

カトリック改宗後[編集]

  • Essay on the Development of Christian Doctrine (1845年)
  • Retractation of Anti-Catholic Statements (1845年)
  • Loss and Gain (小説、1848年)
  • Faith and Prejudice and Other Sermons
  • Discourses to Mixed Congregations (1849年)
  • Difficulties of Anglicans (1850年)
  • Present Position of Catholics in England (1851年)
  • Idea of a University (1852年、1858年)
  • Cathedra Sempiterna (1852年)
  • Callista (小説、1855年)
  • The Rambler (編集、1859年 - 1860年)
  • Apologia Pro Vita Sua (1866年、1865年)
  • Letter to Dr. Pusey (1865年)
  • The Dream of Gerontius (1865年) - これをテクストとして、エドワード・エルガーオラトリオゲロンティアスの夢』を作曲した(1900年初演)。
  • An Essay in Aid of a Grammar of Assent (1870年)[4]
  • Sermons Preached on Various Occasions (1874年)
  • Letter to the Duke of Norfolk (1875年)
  • Five Letters (1875年)
  • Sermon Notes (1849年 - 1878年)
  • Select Treatises of St. Athanasius (1881年)
  • On the Inspiration of Scripture (1884年)
  • Development of Religious Error (1885年)
  • Grammar of Assent

脚注[編集]

  1. ^ a b 新福者ニューマンと信徒の地位・養成問題(折々の想い 糸永真一司教のカトリック時評) (日本語)
  2. ^ ヘンリー8世がローマ教会と袂を分かって以来、教皇が英国を公式訪問したのはこれが初めて。ヨハネ・パウロ2世の英国訪問は非公式訪問。
  3. ^ Pope's Coventry visit moved to Birmingham 24 June 2010 BBC News
  4. ^ An Essay in Aid of a Grammar of Assent(同意の文法学なる補助)- プロジェクト・グーテンベルク

外部リンク[編集]