ジプシー・ローズ・リー

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ジプシー・ローズ・リー 1937年頃

ジプシー・ローズ・リー(Gypsy Rose Lee, 1911年1月9日[1] - 1970年4月26日)は、アメリカ合衆国ストリッパーである。彼女はまた、女優、作家でもあり、その1957年の回想録『Gypsy: A Musical Fable』は、ミュージカル化及び映画化された。

前半生[編集]

ジプシー・ローズ・リーは、エレン・ジューン・ホーヴィック(Ellen June Hovick)として1911年、ワシントン州シアトルに生まれた。妹が生まれたときにエレンという名前が妹に与えられ、ローズ・ルイーズ(Rose Louise)に変えられた。母親はのちに娘たちふたりの年齢を3歳若く偽った。彼女は最初は、ミドル・ネームのルイーズ(Louise)で知られた。母ローズ・ホーヴィック(Rose Hovick。旧姓ローズ・エヴァンジェリン・トンプソン(Rose Evangeline Thompson))は、ノルウェー系アメリカ人ジョン・オラフ・ホーヴィック(John Olaf Hovick)と結婚したとき、女子修道院付属学校を卒業したばかりで十代であった。結婚当時、ジョン・オラフ・ホーヴィックは『シアトル・タイムズ』の新聞広告の営業員で記者であった。ルイーズの妹エレン・エヴァンジェリン(Ellen Evangeline)は(女優のジューン・ハヴォック(June Havoc)としての方がより知られる)、1913年に生まれた。[2][3][4][5]

両親が離婚したのち、少女たちはヴォードヴィルに出演して一家を支え、そこではジューンの才能が輝くいっぽうで、ルイーズはバックでジューンを支える役割にとどまった。1928年12月、15歳でジューンは、一座のダンサーのボビー・リード(Bobby Reed)と駆落ちしたが、母のローズはこれが不満であった。

経歴[編集]

ルイーズの歌とダンスの才能はジューンのいない一座を支えるには不十分であったが、ルイーズにバーレスクの才能があり、これで十分な収入を得ることができるとわかった。最初のうち、ルイーズはガウンの肩紐を落とした時、身体をおおいかくそうとしたにもかかわらずドレスを足元に落としてしまったという。観客の反応がよかったため、ルイーズはこうした機軸をパフォーマンスの中心にすることにした。[6]ほとんどのバーレスクパフォーマーのぎくしゃくしたストリップ・スタイルと比較して、ルイーズのカジュアルなスタイルは新機軸といえるものであった。ルイーズは「ストリップティーズ」のうち「ティーズ」を強調し、鋭いユーモアのセンスもパフォーマンスに持ち込んだ。ストリップのスタイルのみならず機知でも有名であった。芸名を「ジプシー・ローズ・リー」に変えたのち、ミンスキーズ・バーレスクの最大のスターのひとりとして4年間出演した。しばしばミンスキー・ブラザーズのショーへの手入れで逮捕された。

1937年と1938年にルイズ・ホーヴィックとして5本のハリウッド映画に出演した。[7]しかし、彼女の演技は総じて酷評されたため、彼女はニューヨークに戻り、そこで映画プロデューサーのマイク・トッドと関係を持ち、その1942年のミュージカル・レヴュー『Star and Garter』を共同製作し、これに出演した。

ジプシーが「高級な」(high-class)ストリッパーであるという考えにもとづき、H.L.メンケンは「ecdysiast」(脱衣者)という新語を造り出した。ジプシーのストリップ中に口にする知的なおしゃべりは、リチャード・ロジャーズ(Richard Rodgers)とロレンツ・ハート(Lorenz Hart)の『夜の豹(Pal Joey)』のなかの曲「Zip!」で茶化されている。ジプシーが知的なおしゃべりを含んだ出し物の省略版を演じているところは、1943年の映画『ステージドア・キャンティーン』で見ることが出来る。

1941年に、ジプシー・ローズ・リーは、ミステリー・スリラー『Gストリング殺人事件(The G-String Murders)』を書いたが、これは1943年にバーバラ・スタンウィック主演で『Lady of Burlesque』として映画化された。これは実際はゴースト・ライターのクレイグ・ライス(Craig Rice)によって書かれたと断言するひとびともいるいっぽうで、原稿とリー自身の手紙類により、ジプシーがライスや友人で師である編集者ジョージ・デーヴィス(George Davis)その他の指導のもとに小説の大部分を書いたことを証明するできると考えている者もいる。[8][9] リーの殺人事件ミステリー第2作『Mother Finds a Body』は、1942年に発行された。

人間関係[編集]

ジプシー・ローズ・リー 1956年

ミンスキーのところで働くあいだ、ジプシー・ローズ・リーは、コメディアンのラグズ・ラグランド(Rags Ragland)からエディ・ブランズ(Eddy Bruns)に至るさまざまな人物らと関係を持った。1937年8月25日、ハリウッドで、映画スタジオの強い勧めで彼女はアーノルド・「ボブ」・ミジー(Arnold "Bob" Mizzy)と結婚した。ジプシーはあるときマイク・トッド(Mike Todd)に恋していたし、そして1942年に彼に嫉妬させようとして彼女はアレクサンダー・カークランド(Alexander Kirkland)と結婚した。ふたりは1944年に離婚した。カークランドと結婚しているあいだ、1944年12月11日に彼女は、オットー・プレミンジャーを父とする子を産んだ。その子は名前はエリック・リーと付けられ、エリック・カークランド、エリック・ド・ディエゴ、そしてエリック・プレミンジャーとしてつぎつぎに知られている。ジプシー・は1948年にジュリオ・ド・ディエゴ(Julio de Diego)と三回目の結婚をしたが、最後には離婚した。

ジプシー・ローズ・リーと妹ジューン・ハヴォックは、母から金の無心を受け続けたが、母はニューヨーク州ハイランド・ミルズの農場のほかに、マンハッタンのウェスト・エンド・アヴェニューの10室のアパートメントに女性のための賄い付き下宿屋(ジプシーによって彼女のために賃借された財産)を開いていた。ローズはその下宿人のうち1人を撃ち殺したが、この女性はローズの恋人で、ジプシーの息子エリック・リー・プレミンジャーによる説明によれば、彼女はジプシーに言い寄っていた。事件は自殺として処理され、ローズは刑事訴追されなかった。[10]母ローズは1954年に結腸癌で死亡した。

晩年[編集]

ジプシー・ローズ・リー 1956年

母の死後、姉妹はこれで訴訟される危険を冒さずに彼女について自由に書くことができると感じた。ジプシーの『ジプシー』(Gypsy)という回想録は、1957年に刊行され、ジュール・スタイン(Jule Styne)、スティーヴン・ソンドハイム(Stephen Sondheim)、アーサー・ローレンツ(Arthur Laurents)に、ミュージカルGypsy: A Musical Fableへの霊感を与える素材として受け取られた。ジューン・ハヴォックは作品での自分の描かれ方が気に入らなかったが、最後には金銭が支払われて納得したという。劇とそれに続く映画の契約はジプシーに一定の収入を確約した。姉妹は疎遠になった。今度はジューンが自らの視点から『Early Havoc』と『More Havoc』を書いた。ジプシー・ローズ・リーは次に、朝のサンフランシスコのKGO-TVのテレビのトーク・ショー『ジプシー』を始めた。彼女は1969年に転移性の肺癌にかかったが、このため死ぬ前にジューンと和解しようとした。

ロサンゼルスのジプシーの家の壁は、ジョアン・ミロマルク・シャガールマックス・エルンストおよびドロテア・タニングの絵で飾られたが、それらはいずれも、伝えられるところによれば、画家自身による彼女への贈り物であった。パブロ・ピカソと同様に、彼女はスペイン内戦の人民戦線の支持者であったし、紛争中のスペインの児童の被害のため慈善金を集めた。

彼女はまた、アメリカ合衆国でチャイニーズ・クレステッド・ドッグを繁殖させるために充当される最初の犬舎のひとつを創設したが、これは彼女の死後、ミセス・アイダ・ギャレット(Mrs. Ida Garrett)およびデボラ・ウッド(Debora Wood)に売却された。ジプシー・ローズ・リーは1970年、肺癌でロサンゼルスで死去した。彼女はカリフォルニア州イングルウッドのイングルウッド・パーク墓地に埋葬された。

映画[編集]

  • You Can't Have Everything (1937年)
  • アリババ女の都へ行く(Ali Baba Goes to Town) (1937年)
  • Sally, Irene and Mary (1938年)
  • Battle of Broadway (1938年)
  • 燦めく銀星(My Lucky Star) (1938年)
  • ステージドア・キャンティーン(Stage Door Canteen) (1943年)
  • ユーコンの女王(Belle of the Yukon) (1944年)
  • Babes in Bagdad (1952年)
  • Screaming Mimi (1958年)
  • エヴァグレイズを渡る風(Wind Across the Everglades) (1958年)
  • 七月の女(The Stripper) (1963年)
  • 青春がいっぱい(The Trouble with Angels) (1966年)
  • Around the World of Mike Todd (1968年)

テレビ[編集]

  • Think Fast (1949年)
  • The Gypsy Rose Lee Show (1958年)
  • Fractured Flickers (1963年 エピソード 3—インタビュー)
  • Who Has Seen the Wind? (1965年)
  • Gypsy (1965年)
  • Batman (1966年)
  • The Pruitts of Southampton (1966年)
  • The Over-the-Hill Gang (1969年)
  • The Hollywood Squares (1969年)

文献[編集]

  • Gypsy: A Memoir (New York: Harper & Bros., 1957)
  • The G-String Murders (novel) (New York: Simon & Schuster, 1941) - 『Gストリング殺人事件』 黒沼健訳 汎書房 1950年
  • Mother Finds a Body (novel) (New York: Simon & Schuster, 1942)

[編集]

  • The Naked Genius (1943) (filmed and released as Doll Face in 1946)

参考文献[編集]

  1. ^ California Death Records
  2. ^ Stripping Gypsy: The Life of Gypsy Rose Lee, Noralee Frankel, Oxford University Press US, 2009, ISBN 0-19-536803-7, ISBN 978-0-19-536803-1
  3. ^ My G-string mother: and home and backstage with Gypsy Rose Lee by Erik Lee Preminger, Frog Books, 2004 ISBN 1-58394-096-0, ISBN 978-1-58394-096-9, page 186
  4. ^ Stripping Gypsy: The Life of Gypsy Rose Lee, Noralee Frankel, Oxford University Press US, 2009, ISBN 0-19-536803-7, ISBN 978-0-19-536803-1
  5. ^ My G-string mother: and home and backstage with Gypsy Rose Lee by Erik Lee Preminger, Frog Books, 2004 ISBN 1-58394-096-0, ISBN 978-1-58394-096-9, page 186
  6. ^ Helen Welshimer. "Burlesque's strippers graduate to Broadway", Laredo Times (Texas), February 14, 1937, page 13.
  7. ^ [1]
  8. ^ Tippins, Sherill. February House: The Story of W. H. Auden, Carson McCullers, Jane and Paul Bowles, Benjamin Britten, and Gypsy Rose Lee, Under One Roof in Brooklyn. Houghton Mifflin Company Publishing, 2005."
  9. ^ Hubin, Allen J. Crime Fiction, 1749–1980: A Comprehensive Bibliography. New York: Garland Publishing Inc., 1984, p. 243
  10. ^ Jacobs, Laura (March 2003). “Taking It All Off”. Vanity Fair. 

関連文献[編集]

  • Preminger, Erik Lee (1984). Gypsy & Me: At Home and on the Road with Gypsy Rose Lee. Boston: Little, Brown. ISBN 0-316-71776-2. OCLC 10877424.  Reprinted as My G-String Mother: At Home and Backstage with Gypsy Rose Lee. Berkeley, Calif.: Frog. (2003). ISBN 1-58394-096-0. OCLC 671810568. http://books.google.com/books?id=7ZwKTFdIE5sC. 
  • Frankel, Noralee (2009). Stripping Gypsy: The Life of Gypsy Rose Lee. Oxford; New York: Oxford University Press. ISBN 0-19-536803-7. OCLC 223876642. http://books.google.com/books?id=O2xxhFcOXfwC. 
  • Abbott, Karen (2010). American Rose: A Nation Laid Bare: The Life and Times of Gypsy Rose Lee. New York: Random House. ISBN 1-4000-6691-3. OCLC 608296594. 
  • Strom, Robert (2010). Lady of Burlesque: The Career of Gypsy Rose Lee. Jefferson, NC: McFarland & Co.. ISBN 0-7864-3826-6. OCLC 601050289. 

外部リンク[編集]