ジェフ・マリンズ

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ジェフ・マリンズ
Jeff Mullins
引退
ポジション
(現役時)
シューティングガード
背番号(現役時) 44, 23
身長(現役時) 193cm  (6 ft 4 in)
体重(現役時) 86kg (190 lb)
基本情報
本名 Jeffrey Vincent Mullins Jr.
愛称 "Pork Chop"
ラテン文字 Jeff Mullins
誕生日 1942年3月18日(73歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州アストリア
ドラフト 1964年 5位
選手経歴
1961-1964
1964-1966
1966-1971
1971-1976
デューク大学
セントルイス・ホークス
サンフランシスコ・ウォリアーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ

ジェフ・マリンズJeff Mullins, 1942年3月18日 - )はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。1964年東京オリンピックでは金メダルを獲得。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAではゴールデンステート・ウォリアーズで長年プレイした。ニューヨーク州アストリア出身。

生い立ち[編集]

ニューヨーク州出身のジェフ・マリンことジェフリー・ヴィンセント・マリンズ・ジュニアはケンタッキー州で育ち、1960年にはノースカロライナ州に移住し、高校はレキシントン高校に進学。バスケットボールでは州のミスター・バスケットボールに選ばれた。

大学はデューク大学に進学し、3シーズンのプレイで平均21.9得点を記録。最終学年の1963-64シーズンにはAP通信選出のオールアメリカ1stチーム、ACC年間最優秀選手に選ばれ、NCAAトーナメントでは同校を初のファイナル4にまで導いた。夏にはアメリカ代表として東京オリンピックに出場し、金メダルを獲得した。

デューク大学はマリンズの背番号『44』を永久欠番とした。また2002年にはACC50周年記念に選出された『ACC偉大な50の選手』に選出された。

NBAキャリア[編集]

1964年のNBAドラフトで全体5位指名を受けてセントルイス・ホークスに入団。マリンズはホークスで2シーズン過ごすが、出場機会はあまり得られず、1966年エクスパンション・ドラフトによりシカゴ・ブルズに移籍し、さらに新シーズン開幕前にサンフランシスコ・ウォリアーズにトレードされた。

ウォリアーズ[編集]

マリンズは引退までの10シーズンをこのウォリアーズで過ごすことになる。ホークスでは埋もれた存在だったがウォリアーズ移籍後は先発に定着し、移籍1年目の1966-67シーズンには初めて得点アベレージを二桁に乗せ、12.9得点5.0リバウンドを記録。リック・バリーネイト・サーモンド擁するウォリアーズはこのシーズンNBAファイナルまで進出したがフィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗れた[1]

このシーズン終了後にバリーがチームを去ったため、バックコートにおけるマリンズの価値は飛躍的に高まり、1967-68シーズンには18.9得点5.7リバウンドを記録し、オールスターにも初出場を果たした。さらに大黒柱のサーモンドも怪我がちになったため、マリンズはウォリアーズを背負う立場となり、1968-69シーズンにはキャリアハイであり、チームでもトップとなる22.8得点を記録した。以後、マリンズは4シーズン連続でアベレージ20得点以上を達成した。

1971-72シーズンにウォリアーズはサンフランシスコからオークランドに移転し、ゴールデンステート・ウォリアーズと改称。バリーの移籍、サーモンドの故障のため成績が停滞していたウォリアーズは、このシーズン久しぶりにサーモンドがシーズンを通してプレイでき、またカジー・ラッセルが加入し、チーム史上初の50勝以上となる51勝31敗を記録。マリンズも21.5得点を記録し、リーディングスコアラーとしてチームを牽引した。

1973-74シーズンにはリック・バリーがウォリアーズが復帰。彼の復帰により31歳となっていたマリンズの成績は徐々に後退し始める。またチームの世代交代も進められ、サーモンドは放出され、バリーに若手のジャマール・ウィルクスらがチームの中核を占めるようになった。マリンズの得点アベレージは1974-75シーズンにはウォリアーズに入団して以来初めて二桁を下回ったが、チームはプレーオフを勝ち抜き、ファイナルに進出。ワシントン・ブレッツを4連勝で破って優勝を果たし、マリンズはNBAキャリア11シーズン目にして初めてチャンピオンリングを手に入れた[1]

マリンズは1975-76シーズンを最後に現役から引退した。NBA通算成績は12シーズン804試合の出場で、13,017得点3,427リバウンド、平均16.2得点4.3リバウンドだった。

引退後[編集]

引退後はシボレーカーディーラーを経て、1985年からノースカロライナ大学シャーロット校のバスケチーム、シャーロット・49ersのコーチとなった。通算174勝122敗の成績を残し、NCAAトーナメントには3回、NITには2回進出した。

主な業績[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b Duke Basketball: Power Ranking All of Their NBA First-Round Draft Picks”. bleacherreport.com (2010年12月8日). 2011年4月29日閲覧。

外部リンク[編集]