サラの鍵

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サラの鍵
Elle s'appelait Sarah
監督 ジル・パケ=ブランネール
脚本 ジル・パケ=ブランネール
セルジュ・ジョンクール
原作 タチアナ・ド・ロネ
製作 ステファーヌ・マルシル
製作総指揮 ガエタン・ルソー
出演者 クリスティン・スコット・トーマス
音楽 マックス・リヒター
撮影 パスカル・リダオ
編集 エルヴェ・シュネイ
製作会社 ヒューゴ・プロダクションズ
Studio 37
TF1 Droits Audiovisuels
フランス2シネマ
Canal+
TPS Star
フランス・テレビジョン
配給 フランスの旗 UGC Distribution
日本の旗 ギャガ
公開 フランスの旗 2010年10月13日
日本の旗 2011年12月17日
上映時間 111分
製作国 フランスの旗 フランス
言語 フランス語
英語
ドイツ語
イタリア語
製作費 €10,000,000[1]
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サラの鍵』(さらのかぎ、原題: Elle s'appelait Sarah : Sarah's Key)は、2006年に出版されたタチアナ・ド・ロネフランス語版の小説、及び、これを原作とした2010年に公開されたフランスの映画

ストーリー (映画)[編集]

1942年7月16日早朝。パリのマレ地区・サントンジュに、フランス警察によるユダヤ人の一斉検挙が迫る。10歳のユダヤ人の少女・サラは弟・ミシェルを納戸に隠し、すぐに戻れると思い納戸に鍵をかけたまま連行される。ミシェルは無人となった部屋の納戸の中から「誰かいないの?」と呼び続けるのだった。

2009年。夫と娘と共にパリで暮らすアメリカ人女性ジャーナリストのジュリアは夫の両親が1942年8月から住んでいた古いアパートを譲り受けて住むことになる。ユダヤ人の娘が国鉄と政府を訴え、シラクヴェルディヴ(冬季競輪場・ヴェロドローム・ディヴェール)事件を認める演説により勝訴した事件から、1942年ヴィシー政権による政策で検挙されたユダヤ人を特集にする事を決定する。取材に訪れたヴェルディヴ跡地は、皮肉にも内務省となっていた。事件当時ヴェルディヴの向かいに住んでいた老婦人への取材から、ジュリアはヴェルディヴに閉じ込められたユダヤ人達の惨状を知る事となる。そんな中ジュリアは、45歳で待望の2人目を妊娠を喜ぶが、報告を聞いた夫・ベルトランは「老いた父親になりたくない」と反対され、人生の岐路に立たされる。更に引越した家が、かつて検挙されたユダヤ人から没収された家だと知り、誰も開けなかった貸金庫に入っていた手紙を読み、ユダヤ人少女・サラの足跡に関心を寄せていく。

両親と共にヴェルディヴへ連行されたサラ。飛び交う悲鳴、トイレが閉鎖されその場で排泄をする人々、絶望し投身自殺まで発生し、サラの母・リフカは動揺し「お前が閉じ込めてきたせいで」とサラに怒鳴ってしまう。思わず「息子を逮捕しに行ってくれ」と警察に迫った父・ウワディスワフは殴られてしまう。監禁から数日後、一家はボーヌ・ラ・ロランド通過収容所フランス語版に連行され、更に栄養失調によりサラは体調を著しく崩してしまう。更に数日後には、警察によって親と子供達は引き離され、朦朧とする意識の中でサラは母と今生の別れを強いられてしまう。大人の移送から数日後、奇跡的に目を醒ましたサラは弟を助け出すべく、収容所からの脱走を図る。良心の呵責があった警官ジャックに助けられ、少女・ラシェルと共に脱走に成功する。ラシェルはジフテリアにより亡くなるものの、親切なデュフォール夫妻に匿われ、サラは夫妻の孫を装って共にパリに向かう。しかしサラが住んでいた部屋には既にテザック家が暮らしていた。強引に部屋に上がり込み、ようやく納戸を開けることができたサラが目にしたのは、ミシェルの無惨な姿であった。ミシェルの遺体はデュフォール夫妻が引き取り、テザック家の主人とその幼い息子でありベルトランの父・エドゥアルドの2人はこの一件を家族にも隠すことにする。エドゥアルドはサラのその後について何も知らされていなかったが、亡き父はその後もデュフォール夫妻にサラ宛てに毎月金を送り、一方、デュフォール夫妻はサラの近況を手紙で伝えていた。しかし成長したサラはある日、デュフォール家の人々に「赦して、愛しています」と置き手紙を残して姿を消してしまう。

デュフォール夫妻の孫息子でサラと兄弟同然に育ったニコラの娘・ナタリーと連絡の取れたジュリアは、サラがその後、ニューヨークに渡って結婚したことを知る。堕胎を取りやめてブルックリンに向かったジュリアは、サラが既に40年も前に交通事故で亡くなっていた事を知る。しかし、事故当時9歳だった1人息子・ウィリアムが妻子と共にフィレンツェで暮らしていることを知ると、早速会いに行く。しかし、ジュリアが知り得たサラの情報に対してウィリアムは、母がユダヤ人であった事もスタルジンスキー姓だった事も、彼女の身に起きた悲劇も「全く知らない、全部ウソだ」と話を聞くことを頑なに拒む。ジュリアは他人の人生に干渉した自分の傲慢さを思い知らされる。パリに戻ったジュリアは夫の意志に反し、堕胎せずに生むことを決める。一方ウィリアムは死期の近い父から、母が事故で死んだのではなく、ひどい鬱病を患って自殺した事実と彼女の過去の悲劇を初めて知らされる。そしてサラの遺品である日記を受け取ると、中からあの鍵が出てくる。

それから2年後、ジュリアは夫と別れ、ニューヨークで2人の娘と暮らしていた。そこにウィリアムから会いたいとの連絡が来る。ウィリアムは死後40年経って初めて母の本当の姿を知る事ができた事、そしてそれにより父が穏やかに死を迎えることができたことを報告する。ジュリアはウィリアムに対しての自分の傲慢さを詫びる。2人は打ち解け合い、ウィリアムは改めてジュリアが生んだ2人目の娘の名前を尋ねる。ジュリアは静かに「サラ」と答える。その名前を聞き、ウィリアムは感極まって涙するのであった。

キャスト[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Elle s'appelait Sarah (2010) - Box office / business” (英語). IMDb. 2013年7月3日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]