サミュエル・コスター

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サミュエル・W・コスター
Samuel W. Koster
生誕 1919年12月29日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アイオワ州ウェストリバティ
死没 2006年1月23日(86歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州アナポリス
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴 1942 - 1973
最終階級 准将
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サミュエル・W・コスター(Samuel W. Koster, 1919年12月29日 - 2006年1月23日)は、アメリカの軍人。最終階級はアメリカ陸軍准将ベトナム戦争中に発生したソンミ村虐殺事件に関して処分されたもののうち、最高位の将校であった。

経歴[編集]

アイオワ州ウェストリバティに生まれたコスターは、1942年に陸軍士官学校を卒業した。第二次世界大戦中はヨーロッパにおける連隊監督将校(regimental executive officer)として勤務し、続く朝鮮戦争では第8軍によるゲリラ戦の指揮を取った。その後は着実に昇進を続け、1967年、少将となっていたコスターはベトナムに駐留していた第23「アメリカル」歩兵師団の師団長に就任する。

ソンミ村事件[編集]

1968年3月16日、アーネスト・メディナ大尉とウィリアム・カリー中尉に率いられたアメリカル師団所属の中隊が南ベトナムのミライ集落にて民間人の虐殺を行なった。犠牲者数の公的な調査は行われなかったが、後の研究では350人から500名の女、子供、老人が手榴弾小銃機関銃銃剣などで殺傷されたと推測されている。この中には住居ごと焼き殺されたものもいるという。死体は側溝に積み上げられていた。さらに集落においてベトコンの活動は確認されておらず、虐殺の最中にも米兵に対する銃撃は一度も行われなかった。この事件は本土のアメリカ人に対して大きなショックを与え、ベトナム戦争に対する介入そのものに不道徳な印象を強く付与する事となった。

コスター自身はミライ集落に直接侵入しておらず、事件当時は部隊の展開状況を確認する為にヘリコプターに搭乗し、集落の上空にいた。彼自身が後に語った所によれば、彼は民間人の死傷者がわずか20人程度だと信じていたのだという。ただしその一方で「野蛮な銃撃」に関するや、虐殺を止めようとしたヘリコプター操縦士と地上部隊が対峙したという噂を耳にしていたという。なお、このヘリコプター操縦士については後にヒュー・トンプソン英語版であった事が判明した。事件後、コスターは部下に対して事件に関する調査を命じたものの、まもなくして「報告書は作成したものの紛失した」と伝えられた。結局は師団本部への報告がなされることはなく、1963年にアメリカル師団の復員兵ロナルド・ライデンアワー英語版ペンタゴン、大統領、上院議員らに対して事件に関する秘密裏かつ高度な調査を求める手紙を送った事をきっかけに政府当局が事件の調査に乗り出す事になる。1969年11月、フリーランス調査報道ジャーナリストであるシーモア・ハーシュが書いた暴露記事によって虐殺事件が公に知られることとなった。

1970年初頭、コスターと13名の将校は虐殺を隠蔽しようとした容疑で起訴された。まもなく陸軍が「コスターは意図的に責任を放棄したのではない」と判断した為に起訴は取り下げられている。当時、コスターは陸軍士官学校長の職にあり、中将への昇進も決定していたが、事件隠蔽に関与していた事を理由にこの昇進は取り消されたばかりか、事件の調査が進むにつれて降格を求める声も大きくなっていた。その後、コスターは事件に関する十分な調査を怠ったとして、陸軍殊勲章(Distinguished Service Medal)の剥奪と准将への降格が言い渡された。

その後[編集]

降格され陸軍士官学校長を退いた後、コスターはメリーランド州にあるアバディーン性能試験場の副司令官に着任した。1973年、陸軍を退役する。彼が得た勲章には銀星章銅星章レジオン・オブ・メリットなどが含まれる。彼の息子たちも陸軍軍人としての道を選び、2人が陸軍士官学校を卒業した。

退役後、コスターはコッペルス・アンド・ハンソン・インダストリーズの送電部門に執行副社長として12年間勤務し、同社が管轄するアメリカおよびカナダの発電所の監督を行なった。

大衆文化[編集]

ピート・シーガーが歌ったベトナム反戦歌Last Train to Nuremberg(邦題:ニュルンベルク行最終列車)」では、カリーやメディナと共にコスターの名前が登場する。

"Do I see Lieutenant Calley? Do I see Captain Medina? Do I see Gen'ral Koster and all his crew?"

参考文献[編集]

軍職
先代:
ドナルド・ベネット英語版
アメリカ陸軍士官学校長
1969年 - 1970年
次代:
ウィリアム・ノールトン英語版