Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/エントリー項目 (分野A)/コメント

質疑の雛型

* (質問)- ○○?--~~~~
** (回答)- ○○。--~~~~

コメントの雛型

* (コメント)- ○○。--~~~~

過誤払い[編集]

過誤払い - ノート - 過誤払い(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 構成に関してです。項目の「原因」のところと「対応」のところに、「金融機関の対応」がそれぞれありますが、理由はなんでしょうか?--Yosemite 2007年4月2日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
    • (回答)「原因」の中の「金融機関の対応」は、相次いだ免責の判例を背景として過誤払い防止の方策を積極的に取らなかったのが過誤払いの遠因であるというくくりです。一方で「対応」の中の「金融機関の対応」は、過誤払いが発生したの対応、事故発生時の当事者としての行為を記しています。--東 遥 2007年4月2日 (月) 15:54 (UTC)[返信]
  • (質問)- もう1つ構成に関してです。大項目で「対応」と「対策」という名前で分けた理由がありましたら教えてください(本文を読むと、なんとなく括り方は分かりますが、一応理由を教えてください)。--Yosemite 2007年4月2日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
    • (回答)「対応」は、過誤払いが発生した後の対応、事故発生時の当事者の動きを記載しています。「対策」は、事故が発生しない様にする為の防止策を記載しています。--東 遥 2007年4月2日 (月) 15:54 (UTC)[返信]
 (コメント)御指摘戴き有難う御座います。項目名はもう少し詳細にするべきですね。後ほど適宜修正します、って、今直しちゃまずいのかな....--東 遥 2007年4月2日 (月) 15:54 (UTC)[返信]


コメント[編集]

  • (最終判断)- 最初にこの法律的判断の前提となる民法478条の簡単な説明があると良いともいました。また、日本以外での過誤払いの状況はどうなのかというところがあっても良いと思いました。 --Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹+)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(梅)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹)
    • 表現は分かり易いか。(竹)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)(竹+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹)


ビルマの戦い[編集]

ビルマの戦い - ノート - ビルマの戦い(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問1)- 東南アジア連合軍司令部創設の項で、「イギリスとアメリカの戦略には根本的な対立があった」とありますが、その後を読むとビルマ奪還では利害関係の一致と読み取れます。根本的な対立点はどの辺りだったのでしょうか?--Yosemite 2007年4月3日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
    • (回答1)- イギリスがラングーン奪回からマレー・シンガポールの奪回を目標とし、南ビルマを指向していたのに対して、米中連合軍が中国への地上連絡路打通を目標とし、北ビルマを指向していたことを書きたかったのですが、それを「対立」と表現するのは言葉の選択が良くなかったかもしれません。「不一致」とすれば良いように思われます。後ほどまとめて修正いたします。--Cave cattum 2007年4月4日 (水) 16:10 (UTC)[返信]
  • (質問2)- 終戦(1945年)の項では、アメリカおよび中国の動きの記述は無いようです。特に記述すべき事項は無かったと解釈して良いでしょうか?--Yosemite 2007年4月3日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
    • (回答2)- 米中連合軍の動きについては1945年1月のレド公路打通までを書きました。以降は、米中連合軍の一部が3月のラシオ奪回までビルマで作戦を行っているのですが、特筆すべき事項ではないと思いまして、「目的を達成した蒋介石は中国軍を順次帰国させた」という説明で済ませてしまいました。その後も、OSSがカチン族を組織して作ったDetachment 101というゲリラ部隊がビルマ国内で活動していたのですが、やはり戦局にはさしたる影響はなかったと判断しまして省略しました。--Cave cattum 2007年4月4日 (水) 16:10 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (最終判断)- ストーリー性が高く、なおかつ中立性に配慮した記述が優れていると思いました。また画像も効果的に使用していたと思います。しいて難点を挙げれば構成は一考があるように感じました。「参加兵力」の項は後ろに持っていっても良かったように感じました。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(松)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹+)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(松)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(松)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(松)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)


タザリア王国物語[編集]

タザリア王国物語 - ノート - タザリア王国物語(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

コメント[編集]

  • (最終判断)- 全体構成を見直し、ネタばれを全体の後半部分に持ってくる方が良いと思いました。小説の宣伝ではないので難しいところですが、ネタばれ以前の導入部分で読者に興味を持たせる記述を一段深く書いても良かったと思います。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹+)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(梅)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(梅+)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹)
  • (返信)コメントありがとうございます。導入部の貧弱さについては書くことが思いつかずに見て見ぬふりをしてしまいましたが、読者に興味を持たせる記述というのは良さそうですね。実際、導入部の内容に関する部分は少ないですし。どんなところが見所か書いてみようと思います。勝手に書くと独自研究になってしまうので何か探してみましょう。『このライトのベルがすごい!』の新作紹介に少しあったような。ネタばれについてはほかの記事の構成を参考にして考えたいと思います。


音象徴[編集]

音象徴 - ノート - 音象徴(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 「音象徴の主要な研究」内の、Newman氏~Slobin氏のカタカナ表記と研究の詳細が述べられていませんが何か意図はあるのでしょうか?--ARI 2007年4月2日 (月) 01:57 (UTC)[返信]
    • (回答)研究者名の表記について:

カタカナ表記する場合「ゆれ」があること、(Newman→ニューマン、ノイマン、など)また、エドワード・サピア等に比べて高名でないことからです。

研究の詳細について:私自身はこれら論文を読んだのですが、残念ながら詳細をまとめる力量がありませんでした。 michikabura 2007年4月13日 (金) 20:44 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (コメント) 既往研究については出典を明記することが望まれると思います。読者がより詳細な情報にたどりつけるよう、よろしければご検討いただければと思います。--Masao 2007年4月8日 (日) 01:36 (UTC)[返信]
  • (最終判断)- 全般的に加筆と再構成が必要と思いました。冒頭文は適当な情報がありますが、その後の記述が弱いです。「研究、実験は多く行われているものの肯定・否定それぞれの報告があり」とあるので、そのあたりを軸に再構成してみるのも手かと思いました。 --Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(梅+)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(梅)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹)
    • 表現は分かり易いか。(竹)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(梅+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)


    • (返信)-コメントいただきありがとうございます 。残念ながらこれら既往研究は書物にまとめられてはいません。(私の知るかぎりですが、研究誌の投稿といった種類のもので、現状その投稿文が独立して残っています)論文タイトルをひかえておけばよかったのですが・・・・。再度論文を発掘することは可能だと思いますので、今後取り組ませていただきます。--michikabura 2007年4月13日 (金) 20:58 (UTC)[返信]

占田・課田制[編集]

占田・課田制 - ノート - 占田・課田制(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 研究の項で質問です。中国での研究に関しては、万国鼎の説が若干記述されています。それ以外は日本での研究を中心にまとめられていますが、中国と日本でも同じような議論と考えてよいのでしょうか。また日本と中国での研究の差のような特徴的なものはないのでしょうか?(中国史の研究がどういう形で行われているのか良く分かってないので、的外れかもしれませんが)--Yosemite 2007年4月3日 (火) 15:40 (UTC)[返信]
    • (回答)- コメントをありがとうございます。中国での研究に付いては資料が手に入れられず、また日本の研究者の論文の中でも断片的に取り上げられているだけで書くに書けない状態でした。その意味でこの項目はまだスタブです。誤解を防ぐために「研究」の節を「日本の研究」とした方が良いでしょうか。--らりた 2007年4月4日 (水) 09:40 (UTC)[返信]
      • (コメント)- 回答ありがとうございます。項目名を変えるまでには至らないと思います。ただ、「日本・中国の史学界に於いて(中略)研究の節で記述する。」とあるのを、「研究の節で日本での研究を中心に記述する。」などとした方が誤解が無くてよいかと思います。--Yosemite 2007年4月5日 (木) 14:23 (UTC)[返信]


コメント[編集]

  • (コメント)- 占田・課田制の概要、歴史、史料の提示というオードブルからメインデイッシュの研究史に入っていくオーソドックスな構成ですが、このメインディッシュが、各研究者の意見を鳥瞰的に提示するものになっていてだれがどういう意見を持っているかということがすっきりわかり、記事の終わりに制度の表や各研究者の論点が表でまとめられているのもうれしいです。均田制との関連はどうしても気になるところですが占田・課田制の歴史的位置付け、占田・課田制研究の歴史学的位置付けでお待たせしましたとばかりにばっちり触れている、ここでかならずしも均田制との関連を考えない研究者や屯田制との関連を考える研究者、税制として南朝に受け継がれると考える研究者、京都学派中国史時代区分論争につながってくるほどの研究史上重要なテーマであることまで触れていて執筆者の力量を感じさせる理想的な仕上がりになっています。脚注や参考文献の分類や簡単な解説もうれしい非常に美味しい記事になっています。興味深く拝読させていただきました。
蛇足かもしれませんが、均田制と一体のものと考えられる府兵制ですが、南朝では発生せずに北朝でできたことも、占田・課田制の性格と均田制の関連を考える上で興味深いと思われます。全体として完成度が高い優れた記事と断言します。Siyajkak 2007年4月15日 (日) 12:14 (UTC)[返信]
    • (返答)お褒めの言葉を頂きまして、ありがとうございます。独り善がりな文章・解りづらい文章になっているのではないかとの危惧があったので嬉しい限りです。府兵制に関しては加筆をしたいと思っていたので現在資料を集めている最中ですが、こちらも容易には行きそうに無いのでその成果をこちらの記事に反映させるのはまだしばらく先になりそうです。らりた 2007年4月18日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
  • (最終判断)- さすがという感じです。ただ占田・課田制の研究が「占田・課田制が均田制の先駆」とサラッと解説されていますが、それだけだとなぜ研究対象として興味深いのかというのが伝わり難かったと思います。逆に、そこへ至る道を詳細に述べると記事としてピンボケしてしまうので難しいところです。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(松)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(梅)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹+)
    • 表現は分かり易いか。(竹)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)


新グレート・ゲーム[編集]

質疑応答[編集]

新グレート・ゲーム - ノート - 新グレート・ゲーム(4/1 0:00以前の版)


  • 各項目における詳細はこちらを参照のこととして「タジキスタンの政治」「トルクメニスタンの政治」「カザフスタンの政治」という項目が出ていますが赤リンクです。これは「今後の発展に期待」と考えておいてよろしいのでしょうか?リンク元が著しく少ないので不安ではありますが・・・Elthy 2007年4月4日 (水) 12:25 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(梅+)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(竹)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹+)
    • 表現は分かり易いか。(竹)
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会所 (中世)[編集]

会所 (中世) - ノート - 会所 (中世)(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 室町時代以前の建築物である平等院鳳凰堂など、あるいは、松本城のように安土桃山時代の建築物が現存するのに対して、現在、会所として、威光が残っているものは具体的に何が挙げられますか?--Tantal 2007年4月4日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
    • (回答)- そこは、書きたいところです。大阪の杭全神社に、連歌会所があって、これが室町時代のものであるらしいです。が、この記事に主に書いた中世会所とどういうつながりのあるものなのか、がよくみえないので、記述してません。これの写真でもとってきてのせれば、見栄えもしてよかろう、とはおもうんですが……(Commonsにもいま、連歌会所の写真はないようです)。ちょっと考えて押込んでみます。中世の会所は近世前までにすたれてしまった、というのは確かですし、なかなか建物が残らないのでしょうか。--じゆにち 2007年4月4日 (水) 13:49 (UTC)[返信]
  • (質問)- 辞書を引いたら「族の邸で、歌会や月見など多くの人々が集まる建物」と成っていました。歌会は記述があるのですが、月見に関しては特徴的なことはあるのでしょうか?しょぼい質問ですいません。--LonelyPlanet 2007年4月4日 (水) 15:57 (UTC)[返信]
    • (回答)たしかに、そうかいてありますが、わかりません。そこにかいてあるように、会所は客をもてなすためのものですので、色々な催し物がひらかれるわけですが、月見について、なにか特にかくべきこと、言及しているものは、であっていません。だから、いまかく用意はできていませんが、みつけたら、かいてみます。大辞林がなにをみてかいたのか、知りたい。--じゆにち 2007年4月6日 (金) 03:02 (UTC)[返信]
  • (質問)- 会所は、主に皇族、公家や武家屋敷内にあったそうですが、内裏内には存在しなかったのでしょうか?--Yosemite 2007年4月8日 (日) 11:49 (UTC)[返信]
    • (コメント) - そのような記述はみたことがないので、答えは「なかった」としておきます。中世の内裏の実態、つまり、内裏(室町時代は、土御門内裏?)で、客をでむかえる設備がなんであったか、は調べとらんので知りません。--じゆにち 2007年4月16日 (月) 13:14 (UTC)(訂正)訂正します。川上貢『日本中世住宅の研究』をよんだところ、あるらしいです。どう加筆したらよいものやら。--じゆにち 2007年4月22日 (日) 12:35 (UTC)[返信]
  • (質問)- 義持の三条坊門殿の会所は2つ、義教の室町殿の会所は3つあったそうですが、なにか使い分けのようなものはあったのでしょうか?--Yosemite 2007年4月8日 (日) 11:49 (UTC)[返信]
    • 義教の室町殿の会所のつかいわけは、書いてある通り、南向会所を主に、その他ふたつを補助的に、という使い分けです。義持の三条坊門殿の方は、「不明」としておいてください。つかいわけの記述に、であってません。--じゆにち 2007年4月16日 (月) 13:14 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (最終判断)- 全体を通じて、会所が身分差を越えて集まることの出来る場所という特異な建物というのが良く理解できました。配置図もあってなかなか良かったと思います。あとできれば現存している会所の画像があればとも思いました。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹+)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹+)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(松)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹+)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)



ラインの黄金[編集]

ラインの黄金 - ノート - ラインの黄金(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問1)- 最初に告白しておきますと、音楽に関しては全くといって良いほど、知識がありません。で質問というよりお願いに近いです(^^;。ライトモティーフに関してです。リンク先の記事も読んだのですが、殆ど理解できませんでした。分かり易く教えてください。可能なら、記事の方を充実させてもらうと良いと思います。?--Yosemite 2007年4月5日 (木) 14:55 (UTC)[返信]
    • (回答1)身近な例?かどうかわかりませんが、たとえば「ドラクエ」などのゲームをしていると、城や街に入ったとき、戦闘場面、クエスト達成時などで固有の音楽が流れます。プレーヤーは、これらの音楽を聴くことで、ゲームの主人公の状況と結びつけて把握することができます。これらを「城のテーマ」、「戦闘のテーマ」などと名付けると、ライトモティーフのもっとも単純な形になると思います。ワーグナーの場合、これが通り一遍の形でなく、意外なところで現れたり、動機(音楽)と対象物が1対1で対応していなかったり、調や強弱、音色(楽器)など表情が変えられたり、別な和音を充てられたり、動機が組み合わされたりと、さまざまに扱われて、劇中の心理描写の説明や暗示・象徴的な働きをします。同時に、これらは変奏・展開といった音楽の技法上の働きと結びついており、オペラ全体は、これらの統合体として形成されています。ただ、ワーグナー自身はライトモティーフについてなんの説明もしていないので、これはあくまでも解釈上の話ということもできます。私はワーグナーや音楽学を専門にしているわけではないので、この理解は不十分かもしれません。いずれにしても、言葉だけで説明するのはなかなか難しいですね。--みっち 2007年4月6日 (金) 03:22 (UTC)[返信]
  • (質問2)- もう1つライトモティーフに関してです。「ラインの黄金」のものは、リヒャルト・ワーグナーの他の作品のライトモティーフと比べて異なる点はあるのでしょうか?--Yosemite 2007年4月5日 (木) 14:55 (UTC)[返信]
    • (回答2)「他の作品」というのが、『指環』四部作中の他の作品なのか、『トリスタンとイゾルデ』のような全く別の作品なのかによって、異なる点は変わってきます。前者については、『ラインの黄金』は最初の作品なので、本文でも触れたとおり、確認できるライトモティーフの数は四部作中でももっとも多く、ここで出てきたライトモティーフは、『ヴァルキューレ』以降の三作に頻繁に登場します。四部作以外の作品では、モティーフとして直接の関連はありません。例外的に、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第3幕に『トリスタンとイゾルデ』のライトモティーフが登場することが知られていますが、これは『ラインの黄金』とは関係のない話です。なお、「異なる点」という意味がよくわからなかったので、お答えがずれているかもしれませんが、扱い方という意味では、『指環』四部作のライトモティーフの扱いは、動機の数や規模、技法の徹底において、ワーグナーの全作品中でも群を抜いていると思います。ただ、この辺りのことは、四部作全体で語るべき内容であり、『ラインの黄金』一作として語るべき内容とは吟味して分けたつもりです。--みっち 2007年4月6日 (金) 03:22 (UTC)[返信]
      • (コメント)- 丁寧なご回答・解説ありがとうございました。すっきりしました。「異なる点」という部分は、元々ライトモティーフというのが理解できていなかったんで、色々な技法があったのかなとかん違いしていました。つまり、『ラインの黄金』ではライトモティーフが徹底して用いられているということですね。--Yosemite 2007年4月6日 (金) 13:18 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (最終判断)- 正直、興味対象外の記事でしたが、ギリシア神話・哲学の影響なんて項目もあり、すんなり最初から最後まで読むことができました。ただ現代に与えた影響などを充実させるとより良いと思いました。。 --Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹+)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(竹+)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)


フレンキシェ・シュヴァイツ[編集]

フレンキシェ・シュヴァイツ - ノート - フレンキシェ・シュヴァイツ(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問1)- 世界でもビール醸造所の密度が高いところだそうですが、フレンキシェ・シュヴァイツがビール作りに適している理由はありますか?--Yosemite 2007年4月7日 (土) 13:37 (UTC)[返信]
    • (回答1)外部リンクにも挙げたフレンキシェ・シュヴァイツのホームページには、簡単に「良い水と良質のホップで」と記載されています。マイン川の支流やヴィーゼント川をはじめとするレグニッツ川支流がたくさん流れており、水車が街の象徴的な建造物となるほど水の豊かな地ですので、良質の水には事欠かなかったでしょうね。果実はサクランボ、洋梨、プラム等が採れ、これで自家需要に応えて果実酒も作られる、との記述が見えます。ブドウの栽培はあまり行われていないようです。あとこれは、出典が不確かなのですが、旅行ガイドか何かに、プロイセンの人は「フランケン人は大酒飲み」と言ってからかう、といった記載があった記憶があります。このあたりにもビール醸造が盛んになった理由があるかも知れません。--汲平 2007年4月8日 (日) 02:47 (UTC)[返信]
  • (質問2)- 気候に関する記述が見当たりませんが、フレンキシェ・シュヴァイツの気候としてはなにか特徴はありますか?--Yosemite 2007年4月7日 (土) 13:37 (UTC)[返信]
    • (回答2)特別特殊な気候に関する記述はリンクサイトにも見あたりません。フレンキシェ・シュヴァイツの周縁部にあたる、バンベルクの気候は、1月の平均気温: -1.2℃、7月の平均気温: 18.2℃、年間平均気温: 8.5℃、最高気温: 36.5℃、最低気温: -27.5℃とあります。標高もあまり変わりませんので、それほど違いはないと思います。最高気温と最低気温の温度差が激しく、全般的に涼しい気候のようです。--汲平 2007年4月8日 (日) 02:47 (UTC)[返信]


コメント[編集]

  • (最終判断)- 地域紹介としてフレンキシェ・シュヴァイツがよく解説できていると思います。ただ地域紹介記事はどうしてもストーリー性に欠けるので、そこをバランスをとって克服できればと思いました。。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
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    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹+)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(竹+)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹+)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)(竹)
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国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案[編集]

国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案 - ノート - 国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」が作られた背景・経緯はなんだったのでしょうか?--Yosemite 2007年4月7日 (土) 13:13 (UTC)[返信]
    • (回答)- まだ詳細を詰め切れていないので執筆を見送っていますが、諸外国の法律(ドイツの「連邦憲法擁護法」など)を基に日本国内外の反政府勢力から外交・防衛上の国家機密を保護することが法律の主目的とされていた、と考えられます。また、関連法規としては記事で述べている2001年の自衛隊法改正の他、執筆後に発生したイージス艦中枢部の機密情報漏洩事件で取り沙汰されている日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(通称・日米地位協定の実施に伴う刑事特別法)もあります。--あおみまきな 2007年4月9日 (月) 23:46 (UTC)[返信]


コメント[編集]

  • (最終判断)- 法案が提出された背景や国内だけでなく他国の反応、また他国の同様の法整備の状況など、全体的に情報が不十分な印象をもちました。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
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  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(梅+)
    • 表現は分かり易いか。(梅+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(梅+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹)



シェイクスピア別人説[編集]

シェイクスピア別人説 - ノート - シェイクスピア別人説(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 圧倒的な文章量で、それだけでも頭が下がります。この記事を作成するのにあたり、調べた時間、記述にかかった時間はどの程度だったのでしょうか?--Yosemite 2007年4月8日 (日) 11:53 (UTC)[返信]
    • (回答)- エントリーしたのが3月12日ですから、英語版からの翻訳を始めたのはそれより少し前だったと思います。初版の投稿は締め切りギリギリの3月29日なので、正味一ヶ月くらいでしょうか。半月少しかけて全体を大雑把に翻訳してから、細かな部分が正確な訳になっているかどうかを『シェイクスピア辞典』のたぐいで調べたような感じです。シェイクスピア本人の作品はともかく、聞いたこともないような同時代の人物や事柄に関するエピソードの出所を探すのに苦心しました(翻訳よりこっちが大変でした)が、「なるほど、そういう解釈も可能か」と楽しみながらの作業でした。--Darkmagus (talk) 2007年4月8日 (日) 18:08 (UTC)[返信]
  • (質問)- 英語版翻訳を元にされているとのことですが、率直に言うと私は、翻訳には翻訳の大変さがあり評価に値する作業だとは思いますが、文章の構成、比率、正確性の検証などを含めて、自力で一から構成しなければならないという点では、「どちらか一方を選ばなければならない」という状況になったら、独自に書き下ろす方が、より高い執筆力を要する作業だと考えています。ですので、「この記事において、どこまでが英語版の執筆者の貢献であり、どこからがDarkmagusさんの貢献と言えるのか」ということについて、Darkmagusさんが自己申告しておかれる方が、より公正な(「翻訳記事だから」ということで、却って審査点が低くなることもなく)判断を得られるのではないかと思います。
    1. 元にされた英語版について、Darkmagusさんはどう評価されていますか、お聞かせください。
      1. (回答)内容自体は充実していますが、ご覧のとおり論争史のような記事なので、両派からの執筆者が随時加筆しているため「従来の解釈はこうであるが、こういう異説がある。それに対し正統派はこう反論している。しかしその論拠は……」みたいな感じになっているところが多く見受けられました。節の立て方といった構成も含め、改善の余地は(当然こちらにも)大きくあるかもしれません。--Darkmagus
    2. 日本語版の執筆にあたり、日本語版独自に追加した内容はどの部分でしょうか?
      1. (回答)ほとんどないといってよいと思います。暗号の節が直訳のままだとほとんど意味不明な箇所なので、補訳のような形で具体例をあげて説明を加えた程度でしょうか。あとは写真を数点追加しています(遺言書とか)。--Darkmagus
    3. 英語版を翻訳する際、英語版の内容に対して、特に「問題がある」と感じた部分はありましたか? またその部分について、日本語版ではどう対処しましたか。
      1. (回答)一番の問題はご質問1への回答に書いたようなことですね。あまりにひどい所は少し整理した記憶がありますが、しかし記事内容からすれば、異なる見解の応酬の様子は必要とも考えられましたので、「あえて残す」という形での対処をしました(言い逃れっぽいですが)。--Darkmagus
    4. 英語版であっても、記事によっては内容の正確性が確保されていないケースもありえます。翻訳は、ある意味「(信頼すべきではない、と言われる)Wikipediaを情報源とした執筆行為」であるとも言えるため、(非常に厳しい要求を言うと)英語版で挙げられた出典を翻訳者自身が個別に検証しておく方が、「執筆者(翻訳者)が信頼性を担保する」という原則から望ましいのではないか、とすら思ってます。日本語版の執筆に当たって、英語版の時点で挙げられていた出典のうち、直接、ご自身でも検証されたものはどのくらいの数ありますか?
      1. (回答)英語版には途方もない数の参照文献がありますが、翻訳が容易に入手できるのはJohn Michell "Who Wrote Shakespeare"(『シェイクスピアはどこにいる?』文芸春秋社。この話の大筋が全部載っている好著です)程度で、さすがに原典を取り寄せる根性もなく、自分で直接検証できたものはほとんどありません。Web上の研究サイトなどが出典になっている場合には覗いてみましたが、これも隅から隅まで読んだわけではないというのが正直なところです。下にも書きました通り自分は翻訳記事を書くことが多いので、「執筆者(翻訳者)が信頼性を担保する」という原則は以後肝に銘ずることとします。--Darkmagus
以上です。--Y tambe 2007年4月13日 (金) 08:54 (UTC)[返信]
    • (全体的な回答)- >>「この記事において、どこまでが英語版の執筆者の貢献であり、どこからがDarkmagusさんの貢献と言えるのか」 - 翻訳であろうとなかろうと、「この記事のここからここまでは自分の貢献」などと、誰がどの記事について言えるのかという話は、まあ措くとして……。実質的にはほとんどが英語版執筆者の貢献に決まっていますよ。こういう馬鹿でかい英語記事を翻訳をするよりも、平均的なサイズの記事を自力で立ち上げる方が圧倒的に労力を要すると思います。ましてや執筆コンテストに参加するような記事を一から書き下ろす能力も時間も自分にはないですし。普段から私が新規に書く項目はたいてい英語版からの下手な翻訳を仕事が終わってからちょっとずつ書き溜めたものなのですが、コンテストにも少し関心があったので、「翻訳で参加するなら……とっておきのアレを訳してみるか!」という感じでエントリーしただけなので、「翻訳記事だから」ということで、却って審査点が低くなるとしても、それはまあそうだろうなと思いますよ(←「出場するからには立派な記事を見せてやりたい」と「参加することに意義があるお祭りなので、審査点など気にしなくてよい」のあいだを揺れ動く心理をうまく表現できていない)。的確なご指摘とご質問、ありがとうございました(各ご質問への回答はそれぞれの場所に挿入させていただきました。あしからず)。--Darkmagus (talk) 2007年4月14日 (土) 01:30 (UTC)[返信]


コメント[編集]

  • (コメント)- 圧倒的な文章量はほかを圧倒しています。私自身は、Wikipedia:秀逸な記事の選考で作業することが多いのですが、脚注、参考文献のつけ方に関してはほぼも問題ないと思います。ただ、こうなってくると、俄然期待したいのが、ウィリアム・シェイクスピアをFA選考にかけられるようにスタイルに編集していほしいかと思います。2007年4月10日 (火) 12:16版がこのコメントを書いている最終版ですが、全世界でも7言語版でFAになっていること自体、偉大な作家であることの証左だと思いますし、FAになっていない英語版でさえ、脚注が50近くになっていることを考えると……。--Tantal 2007年4月15日 (日) 03:25 (UTC)[返信]
    • どうも。確かに本体のウィリアム・シェイクスピアがいまひとつという感は否めないですね(脚注がないというのはいまコメントを拝読するまで気づきませんでした)。実は「別人説」を訳している途中から、副産物のような感じで関連項目もいくつか作り始めておりまして、シェイクスピア外典イギリス・ルネサンス演劇問題劇恋人の嘆き情熱の巡礼者などは一応完成させて投稿も済ませたのですが、ほかにソネット集ファースト・フォリオの全面改稿など、現在手がけているものが一通り片づいたらシェイクスピア本人の記事も加筆してみようと思います。これも英語版の翻訳が一番手っ取り早いのですが、つい先ごろ「英語版で挙げられている出典も翻訳者が検証すべき」とのご意見をいただいて胸に刻んだばかりなのでやや腰は引けていますけど……。まあ別人説はともかく本人についてならば日本語でも山ほど文献がありますから、時間をかければなんとかなるかも?。--Darkmagus (talk) 2007年4月15日 (日) 09:27 (UTC)[返信]
  • (コメント)- 英語版の翻訳であっても訳文の表現や構成は独自のものを出せるのですから引け目に感じられる必要はないと思いますよ。だれでも名前だけは知っているシェイクスピアの別人説を追求する謎解きの楽しさを感じました。Tantalさんもおっしゃるように文章量、脚注、参考文献のつけ方もよく、長文にもかかわらず冗長にならないよう構成がしっかりしていて完成された記事であると感じました。siyajkak2007年4月15日 (日) 15:44 (UTC)[返信]
  • (最終判断)- 翻訳記事であることに対する点数の調整は行っていません。これだけの量の記事だと、冒頭部分に「ストラトフォード派」と「反ストラトフォード派」の論争であるという説明があってもよかったと思いました。また--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(松)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(松)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(竹+)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹+)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。(松)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)


ダルース (ミネソタ州)[編集]

ダルース (ミネソタ州) - ノート - ダルース (ミネソタ州)(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 参考文献や出典がないようですが外部リンクがその代わりと見て差し支えないでしょうか?--Mamekiti48 2007年4月4日 (水) 10:22 (UTC)[返信]
    • (回答)まさにその通りです。英語版en:Duluth, Minnesotaと見比べて頂ければ、日本語版の執筆にあたって付け加えたリンクも相当数あることに気が付かれるかと思います。refタグは編集画面で可読性を損ねてあまり好きでないので、敢えて使用しておりません。あとは、英語版でのリンク先の関連記事を読み込んで、必要なものについては関連記事の翻訳ではなく、私自身の日本語で表現したものを説明として付け加えています(その説明まで翻訳で済ませてしまうとすべての記事の履歴継承が要約欄のスペース上不可能であり、GFDL違反を問われかねないため)。Yassie 2007年4月4日 (水) 13:05 (UTC)[返信]
  • (質問2)- 構成に関してです。項目が「歴史」->「地理」という形式(英語版も同様ですが)になっていますが、何か意図はありますか?。フレンキシェ・シュヴァイツ、泡瀬干潟のように「地理」があって「歴史」と流れた方が自然な気もします(個人の嗜好かもしれません)。--Yosemite 2007年4月5日 (木) 14:28 (UTC)[返信]
    • (回答)「歴史」->「地理」という流れに関してですが、ダルースに限らず、今まで私が手がけてきたアメリカ合衆国の都市の記事はすべてそのような構成になっています。理由としては、「地理」は現在の都市の姿を描写したものであり、そこに至るまでの過程として「歴史」があると私は考えるからです。従って私にとっては、冒頭文で全体の概要を述べた後、その都市の最過去にさかのぼって「歴史」を順繰りに述べ、現在の姿である「地理」を説明するという流れのほうが自然であると思えています。なお、英語版でなぜHistory->Geographyとなっているかについては、私には判りません。Yassie 2007年4月5日 (木) 14:49 (UTC)[返信]


コメント[編集]

  • (最終判断)- ダルースの歴史から現状まで詳しく記述されていて良いと思います。。構成の件を質問しました。おっしゃることはもっともであると思います。ただ、歴史が作られるにはその場所に人が集まり・特徴となる活動を行う要因があると思います。地形だったり気候だったり。従って、確かに歴史を説明して現況を表現するという流れは良いと思うのですが、歴史を生み出す地理的要因は先に述べた方がよいと思い、構成の面で厳しい点になりました。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
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    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(松)
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    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹)
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ウイングス (テレビ番組)[編集]

ウイングス (テレビ番組) - ノート - ダルース (ミネソタ州)(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 要出典を必要としている記事ですが、具体的に、出典明示できませんでしょうか?また、概要のところに、高視聴率を継続して記録したと記述がありますが、他のシチュエーション・コメディと比較してどれくらいの数字を出していたのでしょうか?--Tantal 2007年4月7日 (土) 02:24 (UTC)[返信]
    • (回答)- ググッて見たところ、次のようなサイトを見つけました。[[1]][[2]][[3]]出典が明示できそうです。具体的な視聴率については調査中です。--Takahashi J 2007年4月9日 (月) 16:20 (UTC)[返信]
    • (回答)- 視聴率についてですが、『エンターテインメント・ウィークリー・マガジン』のサイトでは、ニールセンの視聴率調査ではトップ20に入る番組との記述があります[[4]]。また、同じサイトの、例えば、1992年10月9日の記事で、先週の順位として1位 Murphy Brown 44.0%、2位 Roseanne 36.0%、3位 Coach 29.7%、4位 Home Improvement 29.5%、5位 Cheers 28.7%、6位 Hearts Afire 26.9%、7位 Coach 25.4%、8位 Full House 25.3%、9位Wings 24.3%とされています[[5]]。Rich's Television Cityというサイトでは、ニールセンの視聴率ランキングで1991-1992年 17位、1993-1994年 15位とされています(それ以外の年は20位圏外)[[6]]。米国WikipediaのMust See TVという項目をみる[[7]]と、"With shows such as Seinfeld, ER and Friends, the NBC dominated the ratings during the competitive Thursday night prime time timeslots."(NBCは、『となりのサインフェルド』、『ER緊急救命室』、『フレンズ』のような番組により、激戦の木曜夜のプライムタイムの視聴率をほしいままにしていた。)という記述があります。『ウイングス』もこの木曜のプライムタイムに放送されていました(1991年-1992年等)。--Takahashi J 2007年4月10日 (火) 14:27 (UTC)[返信]


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雪形[編集]

雪形 - ノート - 雪形(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 岩科は「残雪絵」という言葉の代わりに「雪形」とありますが、「残雪絵」を取りやめた理由はなにかあるのでしょうか?--Yosemite 2007年4月8日 (日) 14:00 (UTC)[返信]
    • 『山の紋章 雪形』に収録されている「雪形考」によると、岩科氏は「残雪絵」では「歯切れが悪い」として、もっとぴったりくる言葉を考えたそうです。実際、「ゆきがた」という言葉は響きがきれいなので、一度聴くとすぐ記憶に残るような気がします。もし「残雪絵」という言葉のままだったら、マスコミなどに取り上げられる機会も今ほど多くならなかったのではないかと感じています。--miya 2007年4月14日 (土) 07:49 (UTC)[返信]


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  • (最終判断)- 実際の雪形の見ることが出来る山をあげて、どういう形が現れたときにどのような(農業)作業を行うのかという具体例を示しても良かったと思いました。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹+)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(竹)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹+)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹+)
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チンドン屋[編集]

チンドン屋 - ノート - チンドン屋(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- チンドン屋を雇う料金はどの程度の額(現在・あるいはある時代で)なのでしょうか?料金は時間従量制なのでしょうか?。もしご存知だったら教えてください。--Yosemite 2007年4月9日 (月) 14:39 (UTC)[返信]
    • (回答)一日あたりのようです。下でも書いている通り、わからないわけではないですが、記述は避けたいと思います。依頼予定があるとか転職を検討していると言うことでしたらウィキメールで。
  • (質問)- 「戦後復興期の流行と高度経済成長期の衰退」の項目で1950年にはチンドン屋人口は2500人に及んだとされるとありますが、日本全国でこの数だったと考えてよろしいでしょうか?--Yosemite 2007年4月9日 (月) 14:39 (UTC)[返信]
    • (回答)日本全国ということだとは思いますが、元となる資料において統計資料を元にしているわけではありません。もうすこしきちんと書いておきます。--Ks aka 98 2007年4月10日 (火) 17:50 (UTC)[返信]
  • (質問)- 記事内には「チンドン屋」と「ちんどん屋」の2種類の表記がありますが、正式な表記というのはあるのでしょうか?やはり、一般には、あまり区別はされないのでしょうか?それとも日本では先述の日本標準産業分類に例示されている「チンドン屋」が法的には正式な表記なのでしょうか?--森造 2007年4月11日 (水) 18:24 (UTC)[返信]
    • 「チンドン屋」という項目名は、赤リンクにあったものをそのまま使い、本文での用法もそれに合わせたものです。業種に特定しない「チンドン」とすることは考えたのですが、擬音語およびそこから派生する他の用例まで広がることを当面は避けておこうと、そのままにしておきました(奄美にチンチンドンドンという山の神の民話があるようです)。それはそれで固有名詞および引用部などを除き、本文はチンドンで統一したつもりですが、校正漏れがありました。ご指摘ありがとうございます。修正しました。法的に正式なものということを明記した資料はみていません(訳書関係の資料にはほとんどあたっていないというのもあります)。用例はチンドンのほうが多い印象です。--Ks aka 98 2007年4月11日 (水) 18:38 (UTC)[返信]
      • (コメント)-早いご回答ありがとうございます。こんな深夜にまで編集されているのには、少し驚きました。ご回答についてですが、Googleの検索結果などを見ても「チンドン屋」の方がヒット数が多く、こちらの方が一般に浸透しているのかもしれませんね。ただ、広辞苑では「ちんどん屋」の表記になっているなど、最終的には個人の自由なのかもしれませんが。それにしても、2006年で頓挫した記事内容から飛躍的に進歩したと思いますよ。
      • (余談)ありがとうございます。初校は反射的に書いてしまったもので、要約欄通り数日中に書こうと思っていたものですが、それを過ぎてから時間がとれませんでした。その後得た資料はそれなりに多いのですが、そこからの記述はあんまりない(どう書くかという判断には役立ちました。生かすことはできなかったけど有用なものとか、いちおうあたって大したことは書いていないことを確認することが重要とか)のが実情です。--Ks aka 98 2007年4月11日 (水) 19:17 (UTC)[返信]


コメント[編集]

  • (コメント)- 「参考資料」が多いように思われます。作者・著者が同一人物の資料が多いので、「~など」としたほうが良いかもしれません。--かずお 2007年4月3日 (火) 10:30 (UTC)[返信]
    • (おこたえ)-コメントありがとうございます。コメントとしていただきましたが、いくらか説明させていただこうと思います。個々に挙げた参考資料はほぼすべて本文記述と直接関係があるもので、削除することは先行する研究への敬意や本文の検証可能性などから困難であると考えます。また、こうした参考となる資料がまとめて記載されている資料は、他にないこともあって、このリストには、それなりの有用性もあるといいなと思っている部分もあります。学術的な研究として確立していない分野では、総論・概論としてまとまったものも少なく、断片的な記述を頼りに書かざるを得ない場合もありますから、随筆風に書くのでなければ、参考資料はどうしても増えてしまいます。これでもかなり絞ってあり、これが論文であれば当然参照すべきなところをさぼった資料があと10本ほど(古い週刊誌や女性誌の記事です)、「参照」した資料だと(たとえば、エッセイ的なものとして医学の分野の記事もありますが、トリビアではない形でこれを取り入れるには、いくらかの独自研究が必要かと考えました。また、用法について確認する際には、ある文献に「使われていない」ことを確認することも多々あります)、この数倍になります。--Ks aka 98 2007年4月3日 (火) 12:40 (UTC)[返信]
  •  (コメント)- この項目に興味を示した方のために、外部リンクを追加したほうがいいと思います。--松本ゆきお(仮) 2007年4月4日 (水) 8:33 (UTC)
    • (おこたえ)- 一つの営業形態の記事であり、組合なども存在しないこと、特定のチンドン屋さんのホームページをリンクすることは、宣伝に繋がり好ましくないこと、などから、適切なリンク先が極めて少ないという事情があります。ひとまず、本文で触れている二つのイベントを加えておきました。--Ks aka 98 2007年4月4日 (水) 02:50 (UTC)[返信]
  • (コメント)- 非常に詳細で読み応えがありました。サブカルチャーに近い位置付けにある題材ですので、典拠に基づいて書くのが難しかっただろうと思いますが、出典を最大限に利用して、信頼性が十分確保された記事になっている点を高く評価します。その上でいくつかコメントを。
    • 権利的に難しいとは思いますが、ぜひ音源が欲しい項目だと思いました。打ち出し〜竹に雀とか、美しき天然とか。さわりだけでもあると嬉しいですね。外部リンクでもいいので。
    • これも出典の関係から難しいとは思いますが、「職業」という観点からの記述をもう少し増やしてまとめられるのではないかと思いました。うまく意図を説明できてるか判りませんが、基本的に、現在の内容は「文化風俗」という切り口でまとめられていると思います。ただ、一方でチンドン屋は、日本標準産業分類で「広告業」の例として記載された職業でもあります。「広告としての位置付け」のところを足がかりに、「広告業」としてどういうものなのか……どの程度の宣伝効果(費用対効果)があると考えられているものなのか、どの程度の数が事業者登録(後のコメントも参照)されているかなど、また、英語版にはチンドン屋の収入に関する記載がありますが(出典が示されてはいませんが)、こういった内容も書かれているとよいのではないかと思いました。もちろん典拠になる資料があるかどうか厳しいところだと思いますが。
    以下はマイナーなポイントです。
    • 上にも関連しますが、チンドン屋の事業形態、つまり親方制度を取っていることや、楽士(出方を含む)を雇用しているという、事業者として見たときの、チンドン屋の内部構成が判りやすいように先に総括した文を置く方がいいと思いました。現在の記事からも理解はできますが、情報が分散して後から読み返すことになりますので。
    • チンドン屋の人数の歴史的推移についてですが、これは具体的にはどういう「人数」にあたるのでしょう? 出方の楽士など含めた人の総数のようにも思えますが……それと、高田宣伝社などチンドン専業としている広告業者数についてはどうでしょうか。
    • 日本だけでなく海外への波及事例はないでしょうか? もしあれば是非入れておいて欲しい内容だと思いました。
以上です。すでに完成度が高い記事だと思いますので、このコメントが蛇足にならないことを祈ってます。--Y tambe 2007年4月6日 (金) 08:56 (UTC)[返信]
  • (おこたえ)痛いところを突かれています。
    • 音源については見覚えがあるので、外部リンクで対処できると思います。
    • 「広告業」として、という点は、微妙なところを含んでいます。ドラフトでは節を立ててました。
      • チンドン屋が日本標準産業分類で例示されているのは「8999その他の広告業」で、ここから事業者数を推定することは難しそうです(簡易調査版をちらっと眺めただけですが)。フリーの出方の存在もありますから、人数の実態は算定できないのが実情だと思います。挙げられている数字は、出典として示されている情報源にある、執筆者あるいは発言者の予測ですが、概要として数字を挙げることは必要と思い、「検証可能性」をやや悪用(苦笑)しています。脚注に根拠の情報を加えることにします。出典が付されていなかった「150人」のほうにも出典を加えました。ギャラについては、親方が額を明らかにしている資料はあり、書いて書けないことはないのですが、これは個別事例に過ぎず、一般化してウィキペディアに記述することは困難であると思いました。個人事業であるために、いわゆるギャラは流動的で、相手によって変わる部分も多く、「相場」が明らかになることで現実社会に迷惑がかかる可能性があります。これらへの懸念を越えて書く必要があるかと考えると、紙の百科事典の「チンドン屋」には記載が無く、また他の職種の項目でも給与体系などが記載されていることは一般的ではないことから、記述を見送りました。同様に、事業形態についても、ある事業主の形態を一般的なものとして記述することは、難しそうです。
      • 基本的には、参考文献として挙げた書籍で参照されている週刊誌記事なども含めてルポライター的な取材、自身による本など、チンドン屋さんの発言や体験談が、資料として土台となっているのが現状です。文化風俗としての記述が種となっている理由もここにあるのですが、歴史などであれば、それである程度書き進めることはできるとはいえ、現実の業となると、多少強引にある発言で代表させる、煩雑さを厭わずに個別事例を列挙するという手法を取らざるを得ません。ここで、個別の話者の名前を出すことは、自ら取材していないために、どこまでどのように書いても問題ないかという判断が難しく、避けておきたいと考えました。これは、他の記述において、「大阪のちんどん通信社と『東京チンドン』」の節を除いては、特定のチンドン屋さんの宣伝となることを避ける意味合いで、現在も活動されている方々の名前を挙げないという執筆時の姿勢と合わせての判断です。
      • あとは、地域密着型広告としての意義というようなことは、たぶん書けると思うのですが、他の書籍にも出て来ると思って雑誌記事の複写を節約したら書籍に出てこなかった、という事情があります…。これはぼちぼち加筆します。
    • 内部構成については、概要を簡単に修正しました。
    • 海外に波及した事例は聞いたことないす。フランスのピエール・バルーが諸所の事情で興味を持ったりはしていますが…。チンドン屋に類似した形態は、それなりにあると思いますが、広告業として特化したものはないと思います。サーカスワゴンやストリート・パフォーマンス、あるいは西洋式軍楽隊の受容と土着化といったところまで広げると、広げすぎでしょう。田之倉稔『ピエロの誕生』にある「ピエロ」の日本での受容や、兼常清佐「街のピエロ」で書いている「ニホン音楽」の可能性など、おもしろい論点はいろいろあるのですが、このへんは何をどうやってもオリジナルリサーチです。--Ks aka 98 2007年4月8日 (日) 18:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)- 語源、歴史、音楽・芸能面、先行研究、文学にのっているチンドン屋などチンドン屋に関心を持った場合に気になる側面がすべて網羅されているのがすばらしいです。日本の社会史風俗史考現学上かなり興味深い対象にもかかわらずなかなか通常の百科事典や調べものでこれだけまとまったものはまずないので、wikiの特色の十二分に生きたほんとうに優れた記事ができたと涙が出るくらいうれしく感じました。この記事のみで優れたチンドン屋研究の入門書、概説書になっています。こういった分野は漠然と興味は持ちながらも自分で調べたりしている経験がないし、古代の芸能との比較とか芸能の宗教性など文化人類学的なアプローチができそうだ、ということを考える以外に力量不足で内容のあるコメントができず、ほめるだけになってしまいすみません。Siyajkak 2007年4月15日 (日) 11:03 (UTC)[返信]
学生時代の都市社会学の授業を思い出しました。吉見俊哉先生自らがお書きになった『都市のドラマトゥルギー』を使った講義でしたが、盛り場とチンドン屋との関連はどうなのだろうと思いました。たとえば、浅草銀座新宿渋谷という舞台のなかでチンドン屋はどのような役割を演じることが可能で、反面逆に排除されざるをえないのかということです。勉強不足のコメントですみません。Siyajkak 2007年4月15日 (日) 13:21 (UTC)[返信]
芸能との関わりで考えると、前身と位置づけられている飴売でも、中世から飴売り歌というのがあるようですから、これは「飴売」「物売」の項目にゆずりたいところです。芸能者的な位置づけは「文学作品に現れるチンドン屋の表象」とでもして、「うらぶれたイメージ」を、うまく伝えられないかとも考えましたが、ちょっとまとめられる自信がなかったのと、「芸能」とか「ホカイビト」といった項目を書くことが先行しないと、とも思いまして、断念しました。上でピエロでどうこう、と書いている部分とも重なりますが、マレビト的な扱いと、マージナルな存在としての扱い、みたいなことは、言えると思うのですが。
朝倉、大熊は、盛り場との関係に踏み込もうとしているところがありますし、ちょうど吉見さんらの『路上のエスノグラフィ―ちんどん屋からグラフィティまで』が4月に出ましたね。ジンタの時代であれば活動写真館が、戦後のチンドン屋ではパチンコ屋が関わりの深いところですから、百科事典としての記述を離れれば、都市論としてまとめることもおもしろそうです。活動写真館のジンタは、地方にもあったようですし、運動会などで演奏する民間吹奏楽団も日清・日露のころに増え、地方にも広がったようですから、都市論とする場合は、地方都市の事情を調査する必要があるはずですが、これは地方史を追いかけるというべらぼうな手間がかかります…。--Ks aka 98 2007年4月16日 (月) 17:05 (UTC)[返信]
  • (最終判断)- サブカルチャー的な対象ですが、その歴史から現状まで一通りわかりやすく書けていたと思います。ただ、質問・コメントでの指摘もあったように、人数の部分にあいまいな部分があった点、海外というコメントもありましたが広告主からみたチンドン屋の視点があってもよかったと思います。。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹+)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(松)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(竹+)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(松)
    • 表現は分かり易いか。(松)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)



オーストラリアの歴史[編集]

オーストラリアの歴史 - ノート - オーストラリアの歴史(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 実は、Wikipedia:日本語版への投稿が望まれている記事/歴史で、オーストラリアの歴史を追加したのは私です。英語版がほとんどの国の各国氏を用意しているのに対して、日本語版は、主要国を除くとボツワナの歴史のような大作もありますが、意外と少ないのが実情なので、日本語版でどのように料理されるのか楽しみにしてました。さて、質問ですが、年表のところには付記されていますが、白豪主義からヴェトナムやレバノン難民を受け入れることによって、マルチ・カルチュラリズムへと政策を方向転換し、ワン・ネーションのような反動がオーストラリア現代史では重要なトピックであると思うのですが、マルチ・カルチュラリズムとワン・ネーションの言及は意図的に記事内に織り込まなかったのでしょうか?--Tantal 2007年4月3日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
    • (回答)- 隅々までお読み戴いたようで、ありがとうございます。お尋ねの件ですが、きっとツッコミが入るであろうとは思っておりました。半分は意図的、半分はやむを得ずです。
概説は、「何を書くか」よりも「何を削るか」に神経を使います。冗長な文章は読まれる機会を減らしますので(当初は、今の半分程度の文章量に留めようかとも考えておりました)。今回概説書ばかりを参考文献としたのも、「削り方」を知ろうと思ったからというのが理由の1つにあります。
そこでマルチ・カルチュラリズム(多文化主義)とワン・ネーション党ですが、1997年4月に結党したワン・ネーション党は、同年6月のクィーンズランド州議会選挙でこそ11議席を獲得しましたが、10月の連邦下院選で党首ポーリン・ハンソン自身が落選、唯一の議席を失うという大失態を演じました。ゆえにワン・ネーション党は大きな時代のうねりを構成するには至っていないと判断し、本文では割愛しました。
マルチ・カルチュラリズムに関しては、戦後オーストラリア史を政権ごとに章立てして記述したため(これは主な参考文献の記述スタイルに倣った結果です)、大項目ごとの記述がしづらくなったという事情があります。私が当初設定していた大項目は、
・冷戦初期(メンジーズ時代。半日から反共へ、対米依存強化)
・ミドル・パワー外交及び多文化主義の発展(ウィットラム時代からキーティング時代。難民受け入れ活発化)
・保守回帰の動き(ハワード時代。アフガニスタンからのボート・ピープルへの強硬政策など)
…だったのですが、これはこれで気になるところ(バッサリ捨てる事象がさらに増えそう、そもそもこの章立ては適切か否か)があって、やめてしまいました。
政権が交代すれば政策も変わります。労働党と保守系政党の間で政策が行ったり来たりする、しかも労働党政権でもウィットラム政権期のように特異な時代もある中で、一本筋の通った主題が見出せるか、多文化主義がそれに当たるのかという部分が私には見極めが付きませんでした。多文化主義のみを扱った記事であればいくらかうまく書けるかもしれませんが(日本でも、関根政実『マルチカルチュラル・オーストラリア』などの本がありますし)、経済、軍事、外交などを包摂した「オーストラリア史」を記述するには、多文化主義だけではこぼれる部分が多く出ます。
ゆえに、政権ごとの記述の方がしっくりくると考え、今のような形に収まりました。多文化主義に関する記述をアジア・太平洋国家化の記述で代替させようと考えたことも影響し、多文化主義に関する具体的記述を欠いた次第です(早い話が力量不足)。大項目としてでなくとも、今の記述の中に少しは盛り込もうと思いますが。Tantalさんにとってはがっかりするような理由でありましょうが、いきさつはこのような感じです。悪文で失礼します。--Lombroso 2007年4月7日 (土) 03:26 (UTC)[返信]
    • (回答)- 理由は1つ。概説で取りこぼした部分を年表で補おうとしたからです。一例としてネッド・ケリー(1855年 - 1880年)を挙げます。彼は、家族ぐるみで家畜泥棒を何度も働いた上、「ケリー・ギャング」なる一団を結成して銀行強盗や殺人を繰り返し、絞首刑に処せられました。いわゆる「ブッシュレンジャー(無法者)」の1人でありますが、オーストラリアではイギリスへの反抗のシンボルとされ、小説や映画で取り上げられております。こういった事象を、本文では切って捨ててしまっております。他にも珊瑚海海戦やら、ペトロフ事件やら。そのため、代わりとして年表で触れた次第です。--Lombroso 2007年4月15日 (日) 11:15 (UTC)[返信]
  • (質問)- 戦後の項目の「「ミドル・パワー」として」からは政権毎に項目を立てていますが理由はありますか?
    • (回答)- この件に関しては、Tantalさんからの質問に対する回答(上記)でも触れておりますが、参考とした本の構成に倣った結果です。オーストラリア史研究の記念碑的作品(私にとって)である、ジェフリー・ブレイニー『距離の暴虐』は、刊行から年月が経っているため近況をカバーしておりません。そこで同氏の近著『オーストラリア歴史物語』や、竹田いさみ『物語 オーストラリアの歴史』を見た結果、政権ごとに章立てするスタイルが記述しやすいと判断しました。テーマごとに括っての記述に失敗した結果ともいいますが。--Lombroso 2007年4月15日 (日) 11:15 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (コメント1)- 簡潔に整理されている記事と感じました。ただ、Lombrosoさんが強く興味関心を持ったオーストラリア史を語る上で欠かせないテーマを掘り下げて概説史に絡めるなどの色気があってもいいなあ、と思いました(たとえば、流刑地、白豪主義、マルチ・カルチュラリズム、オーストラリア英語など)。wikiの魅力のひとつは、文字数に制限がない個性ある百科事典ということなので、もっと楽しんでほしいと感じた次第です。ただ記事のバランスがこわれるかもしれないのでかなりの冒険ですから勇気のいることなので、百科事典の記事であることを考えればわたしのコメントは蛇足なのかもしれません。何を削るか、概説史を書きたいという執筆意図は成功していて、項目の文章量のバランスがよく非常に読みやすいです。全体としては完成度が高く、優れた記事と感じました。--Siyajkak 2007年4月13日 (金) 13:47 (UTC)[返信]
    • (回答)- コメントを戴き感謝します。確かに本項を記述するに当たり、均衡を失することは極力避けました。より詳しい記述は、個別記事の充実に期待するということで。もっとも私の個人的な関心は、オーストラリアの一大転機たるゴールド・ラッシュと各方面への影響にありますので、その点の根幹は押さえたつもりです(日本語版に記事がなく、かつ英語版では非常に記事量の充実している「ユーリーカ砦の反乱 (Eureka Stockade) 」について、もう少し書くべきかどうか迷いましたが)。--Lombroso 2007年4月15日 (日) 11:15 (UTC)[返信]
  • (最終判断)- わかり易く平易にまとまっていると感じました。ただ年表と概要を分けるのであれば、概要の方をもう一段深く記述した方が良かったのではとも思いました。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(梅+)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)


泡瀬干潟[編集]

泡瀬干潟 - ノート - 泡瀬干潟(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 生物相のところにある生物の種の数の出典は、参考資料に挙げられている資料の中からと考えてよいでしょうか?(私の考えとしては、特に数値データの出典は「○○」の何ページと、脚注に記した方が良いと思います。)--Yosemite 2007年4月3日 (火) 16:24 (UTC)[返信]
    • (回答)- 出典は参考資料の中からです。参考資料はそれぞれ、全般的に利用しておりますので、脚注にどこまで書くべきか迷いましたが、種数などはっきり出ているものについてはご指摘のように標記したほうがよさそうでうね。修正します。--Tdk 2007年4月4日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
  • (質問)- 写真や図がとてもきれいでわかりやすいですね。全て、ご自身で撮影・作成されたのでしょうか?--森造 2007年4月11日 (水) 18:28 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (最終判断)- 今回いくつか地域紹介記事がありましたが、そのなかでも良いできであったと感じました。残念なのは質問にもだしましたが出典の整備が十分でなかった点です。--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(竹+)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹+)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(松)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(竹+)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(竹+)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)



ブルネイの歴史[編集]

ブルネイの歴史 - ノート - ブルネイの歴史(4/1 0:00以前の版)

質疑応答[編集]

  • (質問)- 一時期、日本語版に望まれる記事/歴史で各国史の整備をしていたことがあったので、4言語版にしかないブルネイの歴史がフィリピンの歴史インドネシアの歴史マレーシアの歴史よりも充実した形で、登場したことに驚嘆の意を隠せません。いずれ、言及されることかと思いますが質問です。大航海時代以前の中国-ブルネイの朝貢貿易とインドの中継貿易、大航海時代のスペイン、ポルトガル、オランダ、19世紀のイギリスとブルネイとの関係は文中を読めばよく理解できるのですが、さて、ヒンドゥー化したブルネイ社会がイツイスラーム化したのかについての言及がほとんどありませんが、大体、いつのころなんでしょうか?--Tantal 2007年4月7日 (土) 01:18 (UTC)[返信]
    • (回答)- 残念ながらブルネイの歴史は私の能力を超えたテーマだったようです。それはともかく、Saunders (p.38) には、some time between January 1514 and December 1515, the King or Maharaja of Brunei embraced Islam and became the first sultan と記されています。
    • 本文ではまったく触れておりませんが、マラッカなきあと、東南アジア島嶼部東部の島々には急速にイスラム教が普及したようです。早瀬によると「(マギンダナオの)イスラーム化の時期は、ブルネイやスールーと同じ1515年ころと考えていいだろう」(p.25) とあります。マギンダナオとは現在フィリピン南部のミンダナオ島を支配していた王国です。さらにMajulの著書を引いて「ムラユ世界で広まっているアラブ7兄弟伝説によると、ブルネイ、…、マギンダナオなどに最初にイスラームをもたらしたイスラーム教徒は、皆「兄弟」である」(p.44) とも書いています。Majul, Cesar A., "The Muslims in the Philippines: An Historical. Perspective, " in Peter G. Gowing and Robert D. McAmis, eds., The Muslim Filipinos: Their History, Society and Contemporary Problems. Manila: Solidaridad Publishing House, 1974, pp.1-12
    • ポルトガル人の記録としては、参考文献にはまだ挙げておりませんが、コロンブスほか『航海の記録』、林屋永吉ほか訳、岩波書店、1978年、に収録されている「マガリャンイス最初の世界一周航海」があります。「この国(ブルネイ)の王はモロで、名前はシリパダという」(p.591) 、「これらのモロはマホメットを信仰し、その教義に従っている」(p.595)。蛇足ですが、マガリャンイスとは1521年に亡くなったマゼランのことです。
    • 以上が定説です。多くの参考文献には1514年から1515年ごろとあります。ただ、この時期以前にもイスラム教徒はブルネイに存在していたようです。
    • 早瀬はMajulの別の著書を引いて、1514年から1515年にかけての急速なイスラム化の前に、第一波とも言えるイスラム化について記しています。「1460年ごろマギンダナオにやってきたアウリヤは」、「アウリヤが聖者を表す名であることから、巡回伝道師であったと考えられている」。Majul, Cesar A., Muslims in the Philippines. Quezon City: Asian Center, The University of the Philippines Press, 1973
    • Al-Sufriは、「推定1368年、Sultan Muhammad Shah(初代)の時代、イスラム教を公式に受け入れ」、第2代ブルネイ国王Sultan Ahmad、Awang Alak Betatar(1408年-1425年)の時代に「ブルネイ王室がイスラム教徒となり」(p.46) と記しています。首都バンダルスリブガワンのイスラム教徒墓地にある、没年が1422年と書かれた墓碑についても触れています (p.48)。全般にAl-Sufriの記述はイスラム教伝来、普及の時期をかなり初期においていますが、pp.84-87では、「11.イスラム教のブルネイ伝来の定説」として西欧の歴史家をはじめ、さまざまな説を紹介しています。Hareno 2007年4月7日 (土) 07:36 (UTC)[返信]
  • (質問)- 多分今後加筆されると思いますが、念のため質問します。ブルネイの現在の経済的繁栄の源である石油・天然ガスはいつ頃発見されたのでしょうか?--Yosemite 2007年4月9日 (月) 14:56 (UTC)[返信]
    • (回答)- 1929年です。これは経済的な採掘が可能なものです。石油が埋蔵されている兆候自体は1926年に見つかっていたようです。天然ガスについては記憶にある限り、参考文献には触れられていなかったと思います。ただいま出張中でして、手元に資料がないため不確かですが。歴史の研究者にはあまり関心がないのか、油田の発見年、発見の経緯についてはほとんど言及されていなかったはずです。Saundersも年号しか書いていなかった記憶があります。とりあえず、en:Seriaがよく書けておりますのでご覧ください。Hareno 2007年4月9日 (月) 18:01 (UTC)[返信]
    • (回答)- Saunders (p.116, p.163) によると正しい時系列は以下の通りです。
1895年 現在のマレーシアサラワク州Miriで油田が発見(Miriはブルネイ国境から20kmの地点)。ブルネイを含め周辺地域において民間による探査が開始
1903年 ブルネイのPulau Berembangにおいて、油田の兆候が見つかったものの、開発コストがペイしないものであった
1907年 ブルネイ政府が民間による探査への支援を開始したが、僻地であることもあって資金不足に
1923年 British Borneo Petroleum Syndicateが、ロイヤルダッチシェル傘下へ。RDSの豊富な資金により、探査が加速
1929年4月5日 ブルネイ西端のSeriaで商業化可能な油田が発見
1932年 原油の輸出開始
1935年 ブルネイが英連邦内で第三位の原油産出国へ。ブルネイの原油は品質が最も高く、英空軍の燃料はすべてブルネイ産となった
1973年 世界最大の液化天然ガスプラントが三菱資本との合弁で建設され、日本向けの輸出を開始


コメント[編集]

  • (コメント)- 本当に素晴らしい記事だと思います!この記事を見たとき、驚きました。内容はもちろんのこと、画像が多用されていたり、参考文献等まで丁寧に分類してまとめられているのもいいですね。--森造 2007年4月11日 (水) 18:38 (UTC)[返信]
    • コメントありがとうございます。画像には苦しみまして、履歴を見ていただけると分かりますが、味っ子さんの手をわずらわせてしまっています。参考文献の分類は、そうですね、ブルネイの歴史を読んでさらに知りたい方の役に立つよう、もう少し内容を紹介してもよいかもしれません。
  • (コメント2)- オランダ人の支配イギリス人の再登場の項目がブルネイ通史とどう関連するのかわかりにくいです。マレーシアの歴史に加筆したほうがいいように感じました。ただHarenoさんの費やした労力や準備、勉強量には頭が下がります。参考文献の充実ぶりや質問への回答からそれがうかがえます。ブルネイ自体の地理的範囲はせまいので、どうしても東南アジア史の中のブルネイ史にならざるを得ないので全体としてその話の広げ方は成功していると思います。時間切れで本当にくやしかったろうな、と自分のことのように感じています。(実は、わたしは、時間切れで記事をエントリーできませんでした。)本当に執筆お疲れ様でしたm(_ _)m。限られた時間の中でここまで書かれたことはすばらしいと感じています。心から敬意を表します。--Siyajkak 2007年4月13日 (金) 14:15 (UTC)[返信]
    • オランダ人、イギリス人の節とブルネイ通史に関するご指摘はその通りだと思います。東南アジア島嶼部東部は国別の歴史が書きにくいと感じたために残しましたが、アンバランスですね。私の思いとしては、現在のインドネシア全域がオランダの植民地になったといっても点を支配されたに過ぎず、他国の船が優位にあった港(調べきれませんでしたが、例えばデンマーク船が登場しています)ですとか、中国商人の影にオランダ人が隠れてしまっていた港もあったこと、そのような状況が300年も続いたため、特に東部では地図の上でオランダ領、イギリス領、スペイン領となっていても、香辛料の原産地以外では航行の自由といいますが、現地人が自由に貿易を続けられたことが伝わればと(伝わっていませんが)。スペイン人登場以降、ブルネイの影響力が次第に低下していきますので、17世紀中盤から18世紀末まではブルネイ史の暗部ともいえます。ただ、交易資料ですとか、港市国家同士の戦争の際に思い出した様にブルネイの名前が現れます。ブルネイ人ではありませんが、オランダ人に従って長崎に行った現地の商人の記録などを読むと、同じ植民地化といっても南米やアフリカとは随分違うと感じました(ただし、19世紀以降の内陸部の農民は植民地化によって大変苦しんでいます)。時間切れについてはお恥ずかしい限りです。Siyajkakさんとは比較的分野が近いので、他の記事でも色々教えていただければ助かります。Hareno 2007年4月13日 (金) 16:39 (UTC)[返信]
  • (コメント)- わたしも、「オランダ人、イギリス人の節」に関してSiyajkakさんと同じような感想を抱きました。ただ、私がブルネイの歴史を書くとすれば、やはりHarenoさんと同じ形で記述をしていたと思われます。また、常にハイライトでっあった地域ならまだしも、17世紀から18世紀までほとんど気にとめられなかった地域に関する情報のみを関連書籍等から集められ、ブルネイという枠内でまとめ上げたHarenoさんの労力とお力に敬意を表します。バイト数制限で惜しくもコンテスト入りを断念しましたが、時を同じくしてラーンナー王朝を加筆していた私の文章力と情報量を比べると、穴があったら入りたい気持ちになります。私はマレー世界や島嶼部に関しては、当たり障りのない知識がありませんので、あまり深く査読・指摘したりすることはできませんが、時間内に執筆できなかったという点を考慮しても、harenoさんのこの記事は、日本語版が質において他言語版にひけをとらないことを証明する項目であり、ウィキペディアという枠を越えてインターネット上における日本語で書かれた貴重な財産だといえる項目だと思います。今後の記事の御加筆、期待しております。--あなん 2007年4月14日 (土) 14:45 (UTC)[返信]
  • (コメント)-
>ただ、私がブルネイの歴史を書くとすれば、やはりHarenoさんと同じ形で記述をしていたと思われます。
わたしもあなんさんに同感です。ブルネイの歴史をテーマにした場合、どうしても東南アジア島嶼部全体の歴史のなかにブルネイを位置づける手法になります。そうしないとブルネイの歴史自体の位置づけもよくわからなくなるから、東南アジア島嶼部全体とブルネイの位置づけを常に気にしながら書くことになります。一方、読者もそれを一番気にしながら読むことになります。ですから関連付けがされていないと目立ってしまうのです。しかも関連付けが意外と難しく苦しむところなのです。だからHarenoさんは火中の栗をひろったなあ、と本当に気の毒に思っていました。
突っ込んで言えば、わたしは、この記事を読んだとき「Harenoさんは、ブルネイの歴史を素材に東南アジア島嶼部の歴史を書こうとしているんだな」と最初に感じました。はからずもHarenoさんご自身の「私の思いとしては、・・・伝われば」とコメントにもあったとおりです。そうであってもブルネイ通史との関連をわすれずに、「オランダ人の支配」と「イギリス人の再登場」まではきちんと記述されている。ですから、
>時間内に執筆できなかったという点を考慮しても、harenoさんのこの記事は、日本語版が質において他言語版にひけをとらないことを証明する項目であり、ウィキペディアという枠を越えてインターネット上における日本語で書かれた貴重な財産だといえる項目だと思います。

というあなんさんのコメントに激しく同感するものです。

>私の文章力と情報量を比べると、穴があったら入りたい気持ちになります。
これは恥かしながら私自身にもあてはまると感じました。現にわたしもエントリーできなかったし、いままでの記事も不充分な点が多かったなあ、と反省させられています。わたしは、この手の記事は「関連付けが意外と難しく苦しむ」から避けて通ります。だからこそHarenoさんの勇気にも感服しています。ブルネイ王国は、かって現マレーシアサラワク州サバ州の大部分を占める版図をもっていた時期もあったようで、そういった予備知識があったからこそ、東南アジア島嶼部全体の歴史に敷衍した執筆方針も見えやすく、ボツワナの歴史よりも展望が描きやすいとお考えになったのかなと感じました。Harenoさんがお考えになっているように「ブルネイの歴史を素材により大胆に東南アジア島嶼部の歴史を書く」手法もありだなとおもっていますので、今後の加筆が非常に楽しみです。Siyajkak 2007年4月15日 (日) 13:57 (UTC)[返信]
  • (最終判断)- 一通りの記述までいかなかったのがとても残念です。ただ、ディフェンディングチャンピオンとして他の執筆者に十分、影響を与える作品であると思います。今後の加筆を非常に楽しみにしております。期待をこめ若干辛目の評価にしました--Yosemite 2007年4月27日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
  • 記事内容について
    • 内容が過不足無く記述されているか。(梅+)
    • 前提知識が無くても、理解が進むか。(竹)
    • 図版が適切に使われているか。図版のキャプション、説明は適切か。(竹+)
  • 記事構成について
    • 項目分け、段落分けは適切か。リンクが適切に張られているか。(松)
    • 表現は分かり易いか。(竹+)
    • ストーリー性はあるか、検索性はあるか(全体を通して読んで適切か。冗長な部分・二重表現している部分が無いか。)。(松)
    • 文の長さは適当か、句読点は適切か。(竹+)