ゲムネ=パンフォ

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Guémené-Penfao

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) ロワール=アトランティック県
(arrondissement) シャトーブリアン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 44067
郵便番号 44290
市長任期 ヤニック・ビゴー
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays de Redon
人口動態
人口 5209人
2012年
人口密度 49人/km2
住民の呼称 Guémenéens
地理
座標 北緯47度37分51秒 西経1度49分53秒 / 北緯47.63083333333333333333度 西経1.831388889度 / 47.63083333333333333333; -1.831388889座標: 北緯47度37分51秒 西経1度49分53秒 / 北緯47.63083333333333333333度 西経1.831388889度 / 47.63083333333333333333; -1.831388889
標高 平均:m
最低:2m
最高:83m
面積 105.51km2
Guémené-Penfaoの位置(フランス内)
Guémené-Penfao
Guémené-Penfao
公式サイト http://www.mairie-guemene-penfao.fr/
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ゲムネ=パンフォGuémené-Penfao)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県コミューン

地理[編集]

県におけるゲムネ=パンフォの位置
ドン川

面積は県最大のコミューンであり、中心部であるゲムネ=パンフォの町の他、ベレ・シュル・ヴィレーヌ、ゲヌヴリのまちも面積に含まれる。

町はルドンの東約25kmにあり、ガヴルの森の北端に位置している。ドン川がコミューンを流れる。

境界を接するコミューンは、アヴェサック、プレセ、ル・ガヴル、マルサック=シュル=ドン、コンクルイユ、ピエリック、マセラック、そしてイル=エ=ヴィレーヌ県のコミューン、ランゴンである。

由来[編集]

教区の名前は、852年にUuin-Monid[1]、852年か853年にWinmonid[2]、1123年にWenmenedとつづられていたことが証明されている[3] · [4]

この名称は、古ブルトン語で『白い山』を意味している。現代ブルトン語で『白い山』を訳すとGwenvenezである。gwenが城、menezが山である[5]。偶然にも同音の地名を持つのが、モルビアン県のコミューン、ゲムネ=シュル=スコルフである。

Penfaoは、862年にはLespenfauとつづられていた。

地名には3つの要素が組み合わされている。Les-は古ブルトン語でlis、『風格のあるさま』または『宮廷』を意味し[6]、Penは『頭』または『端』『てっぺん』を意味し、-faoはfaouと同じで、『ブナ』を意味している。したがって、全体的な方向としては『ブナの森の端の宮廷』を意味することになる[2]

地元で話されるオイル語の一種、ガロ語ではGemenae-Penfouである[7]

歴史[編集]

ゲムネ=パンフォの地方は、長い間ブルターニュの影響を受けてきた。13世紀まで住民はブルトン語を話していたが、オイル語のひとつで地域言語であるガロ語が12世紀からこの地方に入ってきたようである。

コミューンの土地台帳はBrésihanという名称を記している。このことをレオン・トリヴィエール司祭は著作『ゲムネ=パンフォの歴史』の中で、『小さなブルターニュ』を意味するブルトン語Breiz bihanから派生したのではないかとみなしている。

サン・ジョルジュ・ド・パンフォ教会の記録が示しているように、16世紀のパンフォはゲムネの小教区で、現在のコミューンのゲヌヴリの町に相当する部分とおおよそ一致していた。

重要な歴史的事実が、何世紀にもわたって多く起きた。1570年の事例をあげると、シャトーブリアン通りは王道と呼ばれていた可能性がある。なぜならば通りを国王シャルル9世がそうそうたる人々、王太后カトリーヌ・ド・メディシス、王妹マルグリット・ド・ヴァロワ、王弟アンジュー公アンリ(のちのアンリ3世)、ギーズ公らを引き連れて通ったからである。

しかし、私たちはこの地方が伝説の宝庫であることを確認する必要がある。その最たるものが、悪しき妖精カラボス(en)である。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
5189 4977 4590 4476 4464 4569 4876 5209

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[8]、2004年以降INSEE[9][10]

史跡[編集]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ a b Jean-Yves Le Moing, Noms de lieux de Bretagne : plus de 1200 noms expliqués, Christine Bonneton Éditeur,‎ , 231 p. (ISBN 2-86253-283-5), p. 115
  3. ^ fr:Dom Morice, Preuves I, p. 548
  4. ^ fr:Albert Dauzat および fr:Charles Rostaing, Dictionnaire étymologique des noms de lieu en France, Paris, Librairie Guénégaud,‎ (ISBN 2-85023-076-6), p. 335a
  5. ^ KerOfis, cit.
  6. ^ Albert Dauzat et Charles Rostaing, op. cit.
  7. ^ "Villes bretonnes, noms gallo". Geobreizh. 2013年3月18日閲覧
  8. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=16328
  9. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  10. ^ http://www.insee.fr