グロモボーイ (フリゲート)

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「グロモボーイ」
«Громобой»
艦歴
起工 1855年2月23日[暦 1] ゲリシンクフォールス商用造船所[* 1]
進水 1857年6月8日[暦 2][* 2]
竣工 1857年秋[* 1]
就役 1858年[* 2]
所属 ロシア帝国の軍船船尾旗 ロシア帝国海軍バルト艦隊
退役 1872年5月5日[暦 3][* 2]
除籍 1872年6月9日[暦 4][* 1]
要目(就役時計画値)
正式分類ロシア語版 フリゲート[* 3][* 4]
形態 53 門級木造スクリューフリゲート[* 2]
艦級 「イリヤー・ムーロメツ」級[* 2]
船体
排水量 3200 t[注 1][* 5]
長さ 全長 64.62 m[* 1]
75 m[* 5]
最大幅 15.24 m[* 1]
深さ 平均喫水 6.6 m[* 5]
船首喫水 6.4 m[* 1]
船尾喫水 6.7 m[* 1]
動力装置
機走帆走併用
主機 サンクトペテルブルク電鍍鋳造機械企業水平単式機関 1 基[* 5]
煙管ボイラー 4 基
図示出力ロシア語版 700 馬力[* 5]
公称出力ロシア語版 360 馬力[* 1]
プロペラシャフト 1 軸[* 5]
推進用スクリュープロペラ 1 基[* 5]
燃料 石炭最大積載 290 t[* 5]
航行性能
機走時速力 7.5 kn[* 5]
計画速力 8 kn[* 5]
航続距離 1200 nmi[* 5]
乗員
士官 24 名[* 5]
下士官水兵 462 名[* 5]
武装(1862年)
閉鎖砲座 60 ポンド爆撃砲ロシア語版 No. 2[* 2] 16 門[* 6]
30 ポンド砲 No. 1 4 門[* 6]
30 ポンド砲 No. 2 10 門[* 6]
開放砲座 30 ポンド砲 No. 1 2 門[* 6]
30 ポンド砲 No. 2 2 門[* 6]
旋回砲架 60 ポンド砲 No. 1 1 門[* 6]
防禦装甲装置
なし
要目の出典

「グロモボーイ」、「グロモボイ」(ロシア語: «Громобо́й»[注 2])は、ロシア帝国の建造した 53 門級帆走スクリューフリゲート53-пушечный парусно-винтовый фрегатъ)である。ロシア帝国海軍での正式な分類ロシア語版では、フリゲート(фрегатъ)に類別された[注 3]艦名は、著名な作家詩人による文学作品におけるキエフ・ルーシ時代の人物の名前ロシア史上、 5 番目のスクリューフリゲートである。

概要[編集]

建造[編集]

「グロモボーイ」は、ロシア最初の量産型スクリューフリゲート「イリヤー・ムーロメツ」の同型艦として、クリミア戦争の最中である1854年6月8日[暦 5]に発注・契約された[1]1855年2月23日[暦 1]にはフィンランド大公国ゲリシンクフォールスの商用造船所にて起工[1]、同年2月28日[暦 6]付けでバルト艦隊に登録され、同年4月3日[暦 7]に実際の作業が開始された[1]。しかし、1855年6月28日[暦 8]から29日[暦 9]にかけてのイギリスフランス艦隊によるスヴェーアボルク砲撃のため、工事は一時中断された[1]。このため、艦の配備はクリミア戦争に間に合わなかった。1857年6月8日[暦 2]には進水[1]、同年秋には竣工した[2]1858年に受領、配備された[1]

設計[編集]

「グロモボーイ」の排水量は一世代前の戦列艦に迫る 3200 t まで増加していた[1]動力装置には、サンクトペテルブルク電鍍鋳造機械企業で製造された水平単式機関を搭載していた[1]。この蒸気機関は 700 指示馬力ロシア語版を発揮し、それによって 8 kn の速力を得られる計画であったが、実際には 7.5 kn に留まった[3]

武装は、新しい 60 ポンド(196 mm)爆撃砲ロシア語版主砲としていた[1]1862年時点での武装は、 16 門の 60 ポンド砲 No. 2、4 門の 30 ポンド砲 No. 1 と 10 門の 30 ポンド砲 No. 2 を下層砲列甲板の閉塞砲列に、 1 門の 60 ポンド砲 No. 1 と 2 門の 30 ポンド砲 No. 1、 2 門の 30 ポンド砲 No. 2 を甲板上の開放砲列に搭載していた[4]1866年から1868年の武装は、 22 門の 60 ポンド砲 No. 2 を下層砲列甲板に装備し、 1 門の 60 ポンド砲 No. 1 と 6 門の 30 ポンド砲 No. 2、 16 門の 30 ポンド砲 No. 3、 8 門の 12 ポンド長身砲を上層甲板に搭載していた[2]1871年には下層砲列甲板の武装は変わらなかったが、甲板上の開放砲列については 4 門の 30 ポンド砲 No. 1、 8 門の 12 ポンド長身砲に変更された[4]

経歴[編集]

「グロモボーイ」は、1858年には K・I・イストーミンロシア語版海軍少将地中海艦隊に編入され、地中海へ派遣された。このときの地中海艦隊は、バルト艦隊から派遣される戦列艦レトヴィザン」、フリゲート「グロモボーイ」、蒸気フリゲートロシア語版リューリク」、コルベットバヤーン」と「メドヴェーチ」からなっていた[4]。その後、1858年にはジェノヴァに地中海艦隊の戦列艦「レトヴィザン」、フリゲート「ポルカーン」と「グロモボーイ」、蒸気フリゲート「リューリク」とコルベット「バヤーン」が終結した。これら地中海艦隊の艦船は、1859年から1860年にかけてヨーロッパの火種となったイタリア半島沖でプレゼンスを発揮し、イタリア統一戦争の中、両シチリア王国の崩壊を見届けた。重要な局面にあって、艦隊はロシアの海軍元帥ロシア語版であるコンスタンチン・ニコラエヴィチ大公に直接指揮された[4][注 4]。1860年には地中海に派遣されていた姉妹艦「イリヤー・ムーロメツ」がクロンシュタットへ帰り、交替のフリゲート「オスリャービャ」が派遣された。続いて、1860年中にフリゲート「ゲネラール=アドミラール」、「グロモボーイ」、「オレーク」が地中海へ派遣された[4]

1860年代初頭までに、「イリヤー・ムーロメツ」の船体は修繕が必要になった。しかしながら、1862年3月9日[暦 10]に発生した装甲艦モニター」と「メリマック」によるハンプトン・ローズ海戦が、「グロモボーイ」の命運を決した。ロシア帝国海軍省は、装甲艦の時代の到来によって時代遅れとなった木造非装甲艦に対する値の張る修理を断念する決定を採択した。「グロモボーイ」は武装解除され、その船体は閉塞船としてクロンシュタットへの進入路へ沈めるため、ロシア帝国軍事省技術局の配下に置かれることとなった[1]。「グロモボーイ」は1872年6月9日に海軍を退役し、武装解除の上で[2]に出され、売却・解体された[1]。艦名は、1898年に起工した装甲巡洋艦に受け継がれた[5]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 以下、ロングトン
  2. ^ IPA: [grəmɐˈboj グラマボーイ]
  3. ^ ロシア帝国海軍では、外輪船型のフリゲートを蒸気フリゲート(пароходофрегатъ)、それ以外のフリゲートを帆走、機走(スクリュー推進)に関わらずフリゲート(фрегатъ)に分類していた。
  4. ^ この間、「グロモボーイ」は他艦の交替を受けてクロンシュタットへ帰港している模様である。

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ロシア帝国では、正教会の祭事に合わせてユリウス暦を使用していた。そのため、このページではユリウス暦に準拠した年月日を記載する。以下に記載するのは、今日の日本ロシア連邦などで使用されているグレゴリオ暦に換算した年月日である。

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]