クヴァブリアニ川

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クヴァブリアニ川
クヴァブリアニ川
地図
クヴァブリアニ川の位置
クヴァブリアニ川の位置(ジョージア内)
クヴァブリアニ川
クヴァブリアニ川の位置
現地の呼称 ქვაბლიანი  (ジョージア語)
所在
ジョージア
地域
特性
水源 メスヘティ山脈
 • 所在地
 • 座標 北緯41度47分 東経42度20分 / 北緯41.783度 東経42.333度 / 41.783; 42.333座標: 北緯41度47分 東経42度20分 / 北緯41.783度 東経42.333度 / 41.783; 42.333
 • 標高 2,355 m (7,726 ft)
河口・合流先 ポツホヴィスツカリ川グルジア語版
 • 所在地
 • 座標
北緯41度39分 東経42度51分 / 北緯41.650度 東経42.850度 / 41.650; 42.850
 • 標高
1,016.1 m (3,334 ft)[1]
延長 41 km (25 mi)
流域面積 900 km2 (350 sq mi)
流量  
 • 平均 16.2 m3/s (570 cu ft/s)
流域
流路 ポツホヴィスツカリ川グルジア語版ムツクヴァリ川カスピ海

クヴァブリアニ川グルジア語: ქვაბლიანიグルジア語ラテン翻字: Kvabliani)は、ジョージア南部を流れる河川である。ムツクヴァリ川水系ポツホヴィスツカリ川グルジア語版の左支川であり、メスヘティ山脈を水源とする。水源はアジャリア自治共和国内の標高2,355メートルにあり、東方向へと流れ、ヴァレグルジア語版の町の北方にてポツホヴィスツカリ川に合流する。全長は41キロメートル、流域面積は900平方キロメートル。ポツホヴィスツカリ川との合流地点における年間平均流量は毎秒16.2立方メートルである。川の水は主に雪、雨、地下水によってもたらされており、主に灌漑用水として使用されている。

ザルズマ修道院

クヴァブリアニ川の両岸にはアハルツィヘ盆地グルジア語版が広がっている。アハルツィヘ盆地の東側はトリアレティ山脈西端と接し[2]、南側をエルデェティ山脈グルジア語版に、西側をアルシアニ山脈に囲まれている[3]。クヴァブリアニ川・ポツホヴィスツカリ川の下流域がアハルツィヘ盆地の底部となっており、アハルツィヘ盆地内ではクヴァブリアニ川・ポツホヴィスツカリ川の流れに沿って北側と南側にそれぞれ段丘を形成している[4]。クヴァブリアニ川の渓谷からは、ゴデルジ峠グルジア語版を経由してバトゥミ方面のアチャリスツカリ川渓谷に至る山道がある[5][6]

クヴァブリアニ川の川沿いにある町アディゲニグルジア語版は、アディゲニ地区グルジア語版の行政中心地である[7]。アディゲニから西へ8キロメートルのザルズマグルジア語版村には、ザルズマ修道院グルジア語版が位置している[8][9]。ザルズマ修道院で10世紀に修道院長を務めたバシリ・ザルズメリグルジア語版は著書『神に祝福された神父セラピオングルジア語版の生涯と功績』の中で、クヴァブリアニ川の峡谷の歴史について概説している[8]

民族学者ギオルギ・チタイアグルジア語版は1926年に論文『クヴァブリアニの谷にある農民の家』を発表した[10]。この論文では、クヴァブリアニの峡谷における当時の農民の家屋が正確かつ具体的に記述されている[11]

ロシアの樹木学者パーヴェル・ザハーロヴィチ・ヴィノグラードフ=ニキーチンwikidataは1908年から1910年にかけて、クヴァブリアニ川上流で化石植物フランス語版の探索と記録作業に従事し、ゴデルジ峠グルジア語版で化石植物の葉や木片の痕跡を発見した。彼が発見した化石植物は、宗教哲学者パーヴェル・フロレンスキイの父で、トランスコーカサス鉄道グルジア語版やバトゥミ=アハルツィヘ道路の建設に従事した技師アレクサンドル・イワーノヴィチ・フロレンスキイwikidataが収集した。その後、アレクサンドル・イワーノヴィチ・フロレンスキイの息子アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・フロレンスキイwikidataがコーカサス博物館(現在のジョージア博物館グルジア語版)に持ち帰った[12]

参考文献[編集]

注釈[編集]

  1. ^ საბჭოთა ტოპოგრაფიული რუკა
  2. ^ Массальский, В. (1890–1907). "Тифлисская губерния". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). Vol. XXXIII. サンクトペテルブルク. pp. 261–267.
  3. ^ География Грузинской ССР : Учебник для VII класса восьмилет. и сред. школы (5-е изд ed.). Тбилиси: Госиздат Груз. ССР. проф. А. Джвавахишвили, проф. Г. Гехтман, проф. Л. Карбелашвили, доц. И. Шакаришвили ; Под ред. действ. чл. Акад. наук Груз. ССР проф. А. Н. Джавахишвили. 1955. p. 12.
  4. ^ Гегешидзе М. К. (1990). Орошаемое земледелие в Грузии : (Опыт историко-этнографического исследования). Тбилиси: Мецниереба. АН ГССР, Ин-т истории, археологии и этнографии им. И. А. Джавахишвили. p. 96. ISBN 5-520-00447-1
  5. ^ Массальский, В. (1890–1907). "Верхняя Аджария". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). Vol. VI. サンクトペテルブルク. p. 73.
  6. ^ "Годерс". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). Vol. IX. サンクトペテルブルク. 1890–1907. p. 30.
  7. ^ Адигени // Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров. — 3-е изд. — М. : Советская энциклопедия, 1969—1978.
  8. ^ a b Зарзма // Православная энциклопедия. — М., 2008. — Т. XIX : «Ефесянам послание — Зверев». — С. 641-647. — 752 с. — 39,000 экз. — ISBN 978-5-89572-034-9.
  9. ^ Массальский, В. (1890–1907). "Зарзма". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). Vol. XII. サンクトペテルブルク.
  10. ^ Читая Г. С. (1926). "Крестьянский дом в Кваблиани (дарбазный тип)". I (Мимомхилвели ed.). Тифлис: 137. {{cite journal}}: Cite journalテンプレートでは|journal=引数は必須です。 (説明)
  11. ^ Аджинджал, Иван Андреевич (1969). Из этнографии Абхазии : Материалы и исследования. Сухуми: Алашара. [Сост. и ред. Ш. Д. Инал-ипа и Е. М. Малия] ; [Вступ. статья Ш. Инал-ипа] ; Абхаз. ин-т яз., литературы и истории им. Д. И. Гулиа АН ГССР. pp. 73–74.
  12. ^ Шилкина И. А. (1958). "Ископаемые древесины Годерзского перевала". Палеоботаника. Труды/БИН АН СССР. Сер, 8; Вып. 3. М.; Л.: Изд-во АН СССР. p. 132.