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クロンジュ=シュル=ロティーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Coulonges-sur-l'Autize
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
(département) ドゥー=セーヴル県
(arrondissement) ニオール郡
小郡 (canton) オティーズ=エグレ小郡
INSEEコード 79101
郵便番号 79160
市長任期 ジャン=フィリップ・ゲリ
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Gâtine-Autize
人口動態
人口 2374人
2013年
人口密度 126人/km2
住民の呼称 Coulongeoises, Coulongeois
地理
座標 北緯46度29分03秒 西経0度35分52秒 / 北緯46.4841666667度 西経0.597777777778度 / 46.4841666667; -0.597777777778座標: 北緯46度29分03秒 西経0度35分52秒 / 北緯46.4841666667度 西経0.597777777778度 / 46.4841666667; -0.597777777778
標高 平均:m
最低:27m
最高:121m
面積 km2
Coulonges-sur-l'Autizeの位置(フランス内)
Coulonges-sur-l'Autize
Coulonges-sur-l'Autize
公式サイト http://www.ville-coulonges-sur-lautize.fr
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クロンジュ=シュル=ロティーズCoulonges-sur-l'Autize)は、フランスヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ドゥー=セーヴル県コミューン。複数の集落で構成される。

由来

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Coulongeは、後期ラテン語のColoniaに由来する。早くも8世紀にcolonicæとして現れる。自由農民がColonia内で定住する権利を得ると、彼はcolonと呼ばれるようになった。

歴史

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サン=ポンパンの方向にあるトゥルテノン村落は、メロヴィング朝時代に硬貨鋳造の工房があったことで知られた。クロンジュの最古の引用は978年、villa Ecoloniiについての記載である。古代から継承されてきた簡素な農業のドメーヌで、この農場が住民たちのコミュニティーを確立する原因であった可能性がある。1世紀後、Colongiaの人口凝塊が城や教会の周りで始まった。

クロンジュ=シュル=ロティーズに関する最初の言及は1207年、城主の報告からである[1]。中世にはクロンジュ=レ=ロワイヨー(Coulonges-les-Royaux)またはクロンジュ=レ=ロワイヤル(Coulonges-le-Royal)と呼ばれていた。クロンジュ領主マダイヤン・デスタック家は王に仕えて頭角を現し、ルイ11世がジャン・マダイヨン・デスタックの城を撤去させる前に、甥アモーリーが王弟ベリー公シャルルの侍従となったので[2]ルネサンス様式の城に建て替えられた[3]。大規模な狩りを行うことになり、ルイ11世自身がマニェの城(マリコルヌ卿所有)の中にあるCoulonges-lèz-Réauxへ移った[4]。1469年9月8日、ここでベリー公シャルルと王の和解が行われた。王は和解の条約に署名するため9月18日までここに残っていた[5] · [6]

1709年、ひどい不作の後、不足時にやりくりして需要をまかなう時期は困難を極めた。こうして、別の地方や軍隊への穀物供給を阻止するために、王の民兵として戦うべく武装した農民たちは、4月19日夜から20日にかけ王室の穀物蔵を略奪した[7]

現在のクロンジュの町は、異なる時代に3回の成長を見た小さな町として構成されている。中世の核は、少しばかり中心地から離れており、教会と古い城の周りに集まる形状である。これは、曲がりくねった通りや、細部が中世からの関係性を明らかにしている古い住宅からなり、同心円状になっていることが特徴である。都市化の第二期は16世紀に始まった。ルネサンス様式の城の建設、大きな正方形の広場を囲む地区が改修された。最後に、19世紀は繁栄の時代だった。

石灰窯操業と連動したこの経済の好景気で、主要な道路の貫通工事、鉄道敷設、ホール建設、豪華な住宅地が生まれた。19世紀初頭のブルジョワ階級の住宅や20世紀初頭の別荘は、町に建築ユニットを提供している。

19世紀前半の50年間、製革産業は石灰窯操業とともにクロンジュの主要経済活動の1つであった。1812年、知事へ宛てた書簡の中でクロンジュ市長は、『タヌリー(製革業者)と呼ばれる地区には13の事業者が分散し、レ・クルヴァス地区には3事業者、トゥルテノン村落には1事業者がある。』と述べている。

石灰窯操業の発展は、生産物の輸送を容易にし、新たな販路を見つけることを可能にする、鉄道の敷設と一致していた。石灰窯建設の第一波は、1868年より前に起きた。およそ20の窯のうち10をウイレール社が所有し、地元の経済繁栄を導いた。サン・ロール炭鉱、フェモロー炭鉱から買い付けられた石炭が窯に運ばれた。石灰の生産と販売、燃料や石灰を運搬する大勢の運搬業者が働いていた。石灰は土壌改良や農業収量の増産目的に使われた。1868年より後に起きた第二期では、鉄道路線沿いに窯が設置された。販売エリアにもはや制限はなく、各窯の所有者たちは生産品を輸送することが可能になった。

クロンジュ城

経済

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多くの商店や職人がいるほか、ボイラー製造や暖房資材の工場がある。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年 2013年
1929 2021 2030 2019 2021 2146 2370 2374

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[8]、2004年以降INSEE[9][10]

史跡

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  • サンテティエンヌ教会
  • クロンジュ城
  • 屋根付き市場

姉妹都市

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  • ドイツの旗 エンディンゲン・アム・カイゼルストゥール、ドイツ
  • カナダの旗 グラン・ソー、カナダ

脚注

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  1. “La Naissance de Coulonges-sur-l’Autize”. Coulonges sur l'Autize. 2010年2月6日閲覧.
  2. http://www.montastruc47.com/montastrucF/histoire/histoire.htm
  3. “La Famille d'Estissac”. Coulonges sur l'Autize. 2010年2月6日閲覧.
  4. Julien Rémy Pesche, Dictionaire topographique, historique et statistique du département de la Sarthé, tome III, p.121, Monnoyer Imprimeur du Roi, Le Mans 1834
  5. Lettres patentes de Louis XI, Coulanges-lèz-Réaux, le 18 septembre 1469, in Ordonnances des Rois de France de la 3e Race, par Eusèbe de Laurière, tome XVII, 1820.
  6. Joseph Vaesen et Étienne Charavay, Lettres de Louis XI, tome XI "itinéraire", Librairie Renouard, Paris 1909
  7. Jean Nicolas, La Rébellion française : mouvements populaires et conscience sociale, 1661-1789, Paris : Gallimard, 2008. Collection Folio, ISBN 978-2-07-035971-4, p. 357-358
  8. http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=10565
  9. http://www.statistiques-locales.insee.fr
  10. http://www.insee.fr