ガライ・ジェルジ

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Flag of Hungary.svg この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にジェルジ・ガライと表記することもあります。

ガライ・ジェルジ(Garay György, 1909年12月2日 - 1988年5月15日[1]ハンガリー出身のヴァイオリニスト

ブダペスト近郊ラーコシュパロタの生まれ。9歳の時からブダペスト音楽院でブロッホ・ヨージェフに学び、12歳の時からステューダー・オスカルの指導を受けた後、1926年に卒業するまでにフバイ・イェネーヴェイネル・レオーの薫陶を受けた。

1927年から1930年までピアノ三重奏団、1930年から1933年まで自前の弦楽四重奏団をそれぞれ結成。 1940年から1945年までブダペスト市のオーケストラでヴァイオリン奏者を務め、1945年からハンガリー国立歌劇場に転出した。1949年から母校の教授となり、1951年から1960年までハンガリー国立交響楽団のコンサートマスターを務めた。 1960年から活動の本拠をライプツィヒに移し、ヘルベルト・ケーゲル率いるライプツィヒ放送交響楽団のコンサートマスターとして働く傍ら、ライプツィヒ音楽院で後進の指導に当たった。 ライプツィヒでの放送録音に多く関わり、ラーンキ・ジェルジ、レジェー・シュガール、サボー・フェレンツ、イェムニツ・シャーンドル、ヴェレシュ・シャーンドル、タルドシュ・ベーラ、カール・オトマール・トライプマンなどの作曲家の作品を積極的に紹介した。

ライプツィヒにて死去。

脚注[編集]

  1. ^ [1]