カール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ (1844-1894)

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カール・アウグスト
Karl August
ザクセン=ヴァイマル家
Karl August von Sachsen-Weimar-Eisenach.jpg
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公世子カール・アウグスト(1890年頃)

全名
称号 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公世子
出生 (1844-07-31) 1844年7月31日
Flagge Großherzogtum Sachsen-Weimar-Eisenach (1813-1897).svg ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国ヴァイマル
死去 (1894-11-20) 1894年11月20日(50歳没)
フランスの旗 フランス共和国ロクブリュヌ=カップ=マルタン
埋葬 ドイツの旗 ドイツ帝国
Flagge Großherzogtum Sachsen-Weimar-Eisenach (1813-1897).svg ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国ヴァイマル、ヴァイマル地下納骨堂
配偶者 パウリーネ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ
子女 ヴィルヘルム・エルンスト
ベルンハルト
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 カール・アレクサンダー
母親 ゾフィー
宗教 キリスト教ルーテル教会
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カール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハドイツ語: Karl August von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1844年7月31日 - 1894年11月20日)は、ドイツ領邦ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国大公世子。ザクセン公(Herzog zu Sachsen)。ザクセン大公家の白鷹勲章英語版の最高勲章とヘッセン=カッセル家金獅子勲章ドイツ語版を保持していた。

生涯[編集]

ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダーとその妃のオランダ王女ゾフィーウィレム2世の娘)との間の一人息子としてヴァイマルに生まれた。カール・アウグストはザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国軍に勤務し、またロシア帝国陸軍イングリア驃騎兵連隊の中尉であった。

1873年8月26日、フリードリヒスハーフェンにおいて同族のヘルマン公子の娘で再従妹にあたるパウリーネと結婚した。ちょうどオペラ『アイーダ』のヴァイマルでの初演が重なったため、結婚式は予定日よりも延期された。

カール・アウグストの母ゾフィーはオランダ王位継承順位において、王位継承者だったウィルヘルミナ王女に次ぐ立場にあり、したがってウィルヘルミナに子供が出来ない場合、オランダ王位継承権はゾフィーの子孫に移ることになっていた。カール・アウグストはオランダ王位の相続人だったこともあって、オランダ語に堪能だった。

結核に罹って長く病気に悩まされたカール・アウグストは、気候の良いとされるマントンで療養生活を送った。1894年11月20日、南フランスロクブリュヌ=カップ=マルタンで父カール・アレクサンダーに先立って死去した。遺体はザクセン大公家の地下納骨堂ドイツ語版に埋葬された。

子女[編集]

パウリーネとの間に2男を儲けた。

出典[編集]