エフライン・リオス・モント

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はリオス第二姓(母方の)はモントです。
ホセ・エフライン・リオス・モント
José Efraín Ríos Montt
Ex General Efrain Rios Montt testifying during the trial.jpg

任期 1982年1983年

出生 (1926-06-16) 1926年6月16日
グアテマラの旗 グアテマラウェウェテナンゴ
死去 (2018-04-01) 2018年4月1日(91歳没)
グアテマラの旗 グアテマラ
配偶者 マリア・テレサ・ソサ・アビラ

ホセ・エフライン・リオス・モントJosé Efraín Ríos Montt1926年6月16日 - 2018年4月1日)はグアテマラ共和国の政治家、軍人。第26代大統領を務めた。

大統領としての活動[編集]

1970年代、政情が不安定な時期にグアテマラの国防大臣に就任。1982年、同じ軍部出身のロメオ・ルカス・ガルシアの後継者アニバル・ゲバラが選挙で大統領に当選すると、軍部の不満分子が決起してクーデターが発生。軍政を仕切る軍事評議会議長に、同年6月には憲法を停止させたまま大統領に就任した。

政治手法は、親米路線を採り外国からの軍事援助を引き出しつつ、グアテマラ国民連合などの反政府勢力への弾圧を強めた。軍部や民間自衛パトロール(PAC)を動員、反政府勢力はもとよりマヤ系の先住民も襲撃対象となり、多数の村が丸ごと焼き払わられるなどの虐殺が行われた。グアテマラ内戦は、30年近く断続的に続いていたが、約20万人と推測される死者・行方不明者数の半分近くが、エフライン・リオス・モントが政権を握っていた1年あまりの時期に集中する。翌1983年8月、国内情勢が混乱の極みに達する中で、軍部出身のオスカル・ウンベルト・メヒア・ビクトレスが再度クーデターを起こしたため、エフライン・リオス・モントは失脚する[1]

政党党首としての活動[編集]

後継の政権は、1984年に議会選挙を行い憲法を復活、民政移管への動きを加速させた。こうした流れに乗り、エフライン・リオス・モントは、1989年に新政党グアテマラ共和戦線(FRG)を結成。合法的に政治の世界へ戻った。2003年には大統領選挙に立候補したが、既に過去の弾圧に対する責任が取りざたされるようになっており、決選投票に進むことなく落選している。

グアテマラ内戦時代の事件をめぐる裁判[編集]

21世紀に入ると、グアテマラ内戦時代を通じた虐殺や弾圧事件が国内の裁判所において裁かれるようになり、歴代の元大統領らに有罪判決が下るようになった。エフライン・リオス・モントも例外ではなく、2013年5月、大統領時代に発生したキチェ県イシル族を中心に、軍部が15件1,771人を虐殺した事件を知りながら放置したとして、ジェノサイド人道に対する罪で禁錮80年の刑が言い渡され、86歳の高齢ながら収監されている[2]。中南米の国においてジェノサイドの罪で裁かれたのはもちろんのこと、世界的にみても元国家元首が自国の司法制度で、ジェノサイドの罪で裁かれたのはこの事例が初である[3]

その死[編集]

2018年4月1日、モントの弁護士を務めたハイメル・エルナンデスは、「モントは自宅で心臓発作により死亡した」ことを語った[4]。91歳没。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 映画「グラニート - 独裁者を追いつめろ」グアテマラ内戦時代の大量虐殺事件の訴追をめぐる攻防を追ったドキュメンタリー映画(米・西・グァテマラ合作映画)の公式サイト(日本語)
  • 映画「500年 - 権力者を裁くのは誰か」グアテマラ内戦時代の大量虐殺事件でのリオス・モント元大統領の裁判とその後の展開を追ったドキュメンタリー映画(米・西・グァテマラ合作映画)の公式サイト(日本語)
先代:
アニバル・ゲバラ
グアテマラ大統領
1982年 - 1983年
次代:
オスカル・ウンベルト・メヒア・ビクトレス