ウクライナ21
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ドニプロペトロウシクの狂人たち | |
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ファイル:ウクライナ21 なし | |
生誕 | |
刑罰 | 終身刑(サエンコ、シュプルンヤク) 懲役9年(ハンザ) |
有罪判決 |
殺人罪と動物虐待(サエンコ、シュプルンヤク) 及び強盗(クサンドル・ハンザ、サエンコ、シュプルンヤク) |
国 | ウクライナ |
都道府県 | ドニプロペトロウシク州 |
死者 | 21人 |
逮捕日 | 2007年7月23日 |
ウクライナ21(ウクライナにじゅういち)は、ウクライナのドニプロペトロウシク州に住む若者らが男性を拷問の末に殺害する顛末を録画したホームビデオの通称である。通称の「21」は、この若者らによって殺害された被害者の人数が21人であるのが由来とされる[1]。このビデオは、犯人たちが殺害映像を販売する予定であったとの証言もあることから、「有史初のスナッフ・フィルムである[2]」とされる。
この殺人事件の犯人たちは「ドニプロペトロウシクの狂人たち」(英語: Dnepropetrovsk maniacs、ウクライナ語: Дніпропетровські маніяки, ロシア語: Днепропетровские маньяки)と呼ばれている。主犯である19歳のヴィクトル・サエンコ(Viktor Sayenko、ウクライナ語: Віктор Саєнко、ロシア語: Виктор Саенко、1988年3月1日生まれ)とイゴール・シュプルンヤク(Igor Suprunyuk、ウクライナ語: Ігор Супрунюк、ロシア語: Игорь Супрунюк、1988年4月20日生まれ)は逮捕され、21件の殺人罪で起訴された[3][4]。共謀者であるクサンドル・ハンザ(Alexander Hanzha、ウクライナ語: Олександр Ганжа、ロシア語: Александр Ганжа、1988年2月生まれ)は武装強盗で起訴された[5][6]。2009年2月11日、3人の被告全員が有罪判決を受け、サエンコとシュプルンヤクには終身刑、ハンザには懲役9年が言い渡された[4]。サエンコとシュプルンヤクの弁護士は控訴したが、2009年11月にウクライナ最高裁判所で棄却された[7][8][9]。
概要[編集]
ウクライナのドニプロペトロウシクに住む19歳の若者2人が、2007年6月から7月にかけてのわずか1ヶ月程度の間に快楽目的で21人を殺害した。この常軌を逸した連続殺人事件は「ドニプロペトロウシク・マニアックス」と国際的には呼ばれており、これは外国メディアが本事件を「ドニプロペトロウシクの狂人たち」と報道したのが由来となっている。
犯人らは殺人行為をビデオに録画していたが、2008年末頃に容疑者のパソコンの中にあった幾つかの殺人映像が収められたビデオが流出した。そのうち完全な状態で流出したものが「ウクライナ21」である。流出の時点で犯人らは逮捕・拘禁されており[1]、流出の原因は本人達の手によるものではないと考えられている。
裁判[編集]
被害者はいずれも老人やホームレスや女性や子供などのように、犯人たちが自分より弱者だと判断した人たちであった。犯行内容は、すれ違いざまに鈍器で頭部を殴打し、アイスピックを目玉や内臓に突き刺し、体を生きたまま損壊するという極めて悪質かつ残忍なものであり、2007年7月23日に3人の若者が逮捕された。
2008年末になって、快楽殺人を映した動画が動画共有サイト等に流出したことにより、この事件の残虐性を再び世界中に知らしめることとなった。3人のうち主犯格である1人は犯行を一度は自白したものの、再び供述を覆して犯行を否認しているために、裁判は2年間の長期に渡った。
一審は2009年2月11日に終結し、ドニプロペトロウシクの地方裁判所は、主犯格の2人(片方は実行犯、もう片方は撮影係)にはそれぞれ21人と18人の殺人及び、15件の強盗に直接関与したとして終身刑を言い渡し[10] 、残る1人は血液恐怖症を患っていたため殺人には関与しなかったものの、強盗罪が適用され懲役9年の判決が下った[11][12]。
終身刑を宣告された2人は、その後ウクライナ最高裁判所に量刑を不服として上告したものの、ウクライナ最高裁は判決のドニプロペトロウシク地裁への差戻しを行い、同地裁が一審の量刑を変更しなかった事から、同年11月24日に量刑が確定し、同事件の全ての裁判は終結した[13]。
ドニプロペトロウシクの判事は少年達の事件の動機について「病的なまでの自己肯定心の発露」であると評し[8]、 当時の世論調査ではドニプロペトロウシク市民の50.3%が量刑が公正である、48.6%は量刑がより重いはずであっただろうと回答した[14]。
ウクライナは2000年2月に死刑制度が廃止されている国であるが、2011年4月の世論調査ではウクライナ国民の60%が本事件のような極めて凶悪な連続殺人に対しては死刑を適用すべきであると回答したという[15]。
2019年4月、共犯者のハンザが満期出所。結婚して2人の子供がいることが報道されている[16]。
脚注[編集]
- ^ a b “Three 19‑year-old youths committed 19 murders in Dnipropetrovsk during a month”. UNIAN
- ^ 福田光睦 『放送できない怪事件』(ミリオン出版、2014年)188頁、190頁
- ^ “Three 19‑year-old youths committed 19 murders in Dnepropetrovsk during a month”. UNIAN. オリジナルの2012年1月15日時点におけるアーカイブ。 2008年12月25日閲覧。
- ^ a b “Case 92: Dnepropetrovsk Maniacs - Casefile: True Crime Podcast” (英語). Casefile: True Crime Podcast. (2018年8月11日). オリジナルの2018年8月27日時点におけるアーカイブ。 2018年8月27日閲覧。
- ^ “Dnepropetrovsk maniacs did not Show Regret” (ロシア語). Novomoskovsk City News. オリジナルの2011年8月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Dnepropetrovsk maniacs that operated in Dneprodzerzhinsk are already in Court” (ロシア語). Dneprodzerzhinsk News. オリジナルの2011年2月17日時点におけるアーカイブ。 2009年1月13日閲覧。
- ^ “Dnepropetrovsk maniacs: Court delivers its verdicts” (ロシア語). オリジナルの2012年2月12日時点におけるアーカイブ。 2009年2月11日閲覧。
- ^ a b “Dnepropetrovsk maniacs: Verdict readout (with television news video)” (ロシア語). オリジナルの2012年2月23日時点におけるアーカイブ。 2009年2月11日閲覧。
- ^ “Dnepropetrovsk maniacs: Sentence tomorrow” (ロシア語). オリジナルの2012年4月4日時点におけるアーカイブ。 2009年2月11日閲覧。
- ^ Ilyinskaya, Marina. “Dnepropetrovsk Maniacs hear verdict” (Russian). blik.ua. 2012年12月31日閲覧。
- ^ Olinikova, Oksana. “Dnepropetrovsk Maniacs sentenced to life in prison (with television news video)” (Russian). podrobnosti.ua. 2012年12月31日閲覧。
- ^ “Dnepropetrovsk Maniacs sentence is read out by Judge Ivan Senchenko (television news video)” (Russian). new-most.info. 2012年12月31日閲覧。
- ^ “Dnepropetrovsk Maniacs will serve life sentences” (Russian). smi.dp.ua 2009年11月25日閲覧。
- ^ “Sentencing of Maniacs "fair", say half of Dnipropetrovsk citizens in poll” (Russian). Novi Most 2009年2月14日閲覧。
- ^ “Tenth anniversary of ban on death penalty in Ukraine (with television news video featuring the Maniacs)” (Russian). podrobnosti.ua. (2011年4月5日) 2011年4月13日閲覧。
- ^ “Дело "днепропетровских маньяков": на свободу вышел один из членов банды, убившей 21 человека(2019年4月の記事)”. (Russian).Fakty.ua. オリジナルの2019年10月3日時点におけるアーカイブ。 2022年3月17日閲覧。